我が罪への供物

こうやさい

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蛇足

言葉は届かない

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 自分が何者かなど実の所我は知らない。
 気がつくと海辺という場所柄か海神と呼ばれ、それなりにあがめられていた。
 神などと言っても後から知った国産み神話などに出てくるような存在ではなく、人ではない何かしらの力を持った現象をそう呼んで定義づけたというだけの代物らしい。
 ただ我にはうっすらとだが自我らしきものがあり、それが徐々に育っていっていた。あるいは人の影響を受け続けた。

 だからだろうか。海の中で意識を漂わせながらもどこかしら地上に憧れを持っていたのは。
 我に映る空に焦がれ、影を落とす緑に焦がれ、そして何より人に焦がれた。
 けれど水底に沈んだ人は幾ら語りかけようとも何も答えてくれるはずがない。生きている人とゆっくり率直に話す機会もそうはない、姿は人に似せたというのにどこで気づかれるのか最後には畏れられてしまう。
 焦がれれば焦がれるほど失望も深くなる。

 そんなとき一人の娘に出会った。
 まだ誰もが同じように見えていた中で、その娘にはひたすら心惹かれた。後から思えば容姿は飛びぬけて美しいというほどではなかったが、魂の輝きが他の誰よりも目を引いた。
 水に飛び込んできた娘にはまだ息があったのであわてて水面に引き上げ、人型をとり処置を施す。
 腕の中で目覚めた娘はしばらく何があったのか分からない様子だったが、やがてきちんとこちらを見、「助けてくださりありがとうございます」と恐れることもなく笑った。
 聞けば近隣の村の者で、今年は作物の出来が悪そうで、体が弱くてまともに働けず、おそらく子も生せないであろう娘は真っ先に口減らしとして我に供物として捧げられたと……遠回しな部分を要約すればそういうことらしい。
 なのに礼を言える娘を強いと思った。
 供物を要求したことなど一度もないのだが……そうだというなら連れ帰っても構わないのだろうか?
 渇望か、欲望か、恋情か、そのとき湧き上がったのはまちがいなく歓喜だった。
 嫁に請うと娘は一瞬戸惑ったような表情を見せた後「あなたが望まれるなら生まれ変わってまでも」と答え、名を教えてくれた。
 初めて教えられたからか、それとも娘のものだからか、その名はなんという甘美な響きであったことだろう。

 とはいえ娘は海の中で暮らせるようには出来ていないし、我も人と暮らせるような棲み家を持ってはいない。
 急ぎ準備を整えて迎えに来るからと、一度元の村に帰したわけだが。
 我と人との時間の流れが違うのか、もともと体が弱いと言っていたせいなのか、結局口減らしにされたのか。
 迎えに行った時にはただからっぽの墓だけが残っていた。
 娘の行方を尋ねた村長が、何か代わりの贄をどうこう言っていたが正直聞いていなかった。
 ただもう娘に会えないということが辛く、そして娘がその事実を知っていたであろうことが悲しかった。でなければ来世の約束などするはずがない。

 失意のまま水底に帰った我の元に、明らかに事故ではない遺体が届き始めたのはそれから間もなくのことだった。
 最初は娘と明らかに血の繋がりが分かる容姿が似た女人が、次に容姿は似てなくてもそれでも血族の女人が。間が空くことはあっても途切れることはない。
 わずらわしいと思う。別に死体がほしいわけではない。
 それでも娘に連なるものならばそれも懐かしいと死んでいた者には墓を建て、生きたまま沈められたものは出来る限り助けるようにする。
 その中の誰かに心が動くならこんな簡単なことはなかったのにと思う。もともとは人間に焦がれていたので個人である必要はなかった。
 けれどただ無意識に彼の娘と比べただけだった。そして失望しただけだった。
 それでも話を聞いてみると、やはりきれいな言葉に変えられた口減らしや贄として身内に海に突き落とされた者がほとんどで、正直うんざりして途中から話を聞くのをやめた。我の気持ちをなんだと思っているのか。
 適当に忘れさせ、少し誰か分かりにくくして、地上の元のではない場所に送り返す。それ以上は我も干渉はしない。深くかかわる気はない。

 それでも何も分からず突き落とされてやってきた泣くだけの幼子に辟易し、同じ対応を取ったことはさすがに無責任すぎると後で娘に叱られてしまった。こういった価値観の相違も今後埋めていかなければならないな。
 ――そう、娘。
 生まれ変わってまでもの誓いを守ってくれたことがどれだけうれしいか、誰になら分かろうか。
 その魂が再び地上に、一族の血に芽生えたことはまだ赤子であろうともすぐに分かった。
 分かるのはそれだけだったが充分だ。
 おそらくすべてを忘れているだろう娘が我に欠片も関わらないことを祈る。身内に殺されるような経験はしてほしくないし、殺すような経験をしてほしいわけでもない。前世の不幸な結末を思い出して欲しいわけでも。
 たとえ会えなくても。
 けれど娘は思いだしてくれていた。その上で未だともにいることを望んでくれた。あさましいと思いつつも喜びを止めることができない。

 聞くところによると一族の女人を我に捧げるという風習は多少意味は捻れたものの根強いらしい。
 元からそんなものは必要ないし、相手がいる今となってはなおさらだ。
 けれど我の言葉はもう届かない。その行為を我に対する信仰とは呼べない。結局は一度ここに呼び、再びその人を沈めようとしない場所に帰すしかないのだろう。帰す人に言付けても結局危険しか生まないであろう。

 また一人、遺体が流れついてくる。今世での従妹だと娘が教えてくれた。
 生きたままと死んでから、どちらが苦しいかなど知ったことではないが、これは我ではどうしようもない。
 娘があまりに心を痛め、帰してあげてと乞うのでせめてきれいな姿で送り返す。贄はもう要らないとの言葉とともに。

 けれどそれでも我の言葉は届かないだろう。
 いずれまた人が沈んでくるのだろう。
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