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今、知りたくはなかった。

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 暗闇の中、耳を澄ます。
 けれど聞こえるのは自分の心臓の音くらいだった。
 あの人の足音はしない。
 やっぱり今日は帰ってこない。


 あたしは悪役令嬢だった。
 幼い頃から慕っていた婚約者が学園で特待生ヒロインと恋に落ち、嫉妬に狂いヒロインをいじめ、婚約を破棄されるはずだった。
 ――本来ならば。

 前世の記憶が戻ったのは物心つくかつかないかの頃で、転生先は幸か不幸か自作のオンノベだった。
 それ自体はあまり評価されなかったので途中で執筆を投げ出したけど、プロットはしっかりと覚えていた。
 なのでヒロインの恋愛フラグと悪役令嬢の破滅フラグがどこで立つか当然分かる。
 だからヒロインをいじめなかった? まさか。
 そもそもなぜヒロインが婚約者に会うまで待たなければいけない?
 さすがに会う前に殺そうとまでは生身になった相手にはまだ思わなかったのでしなかったものの、無駄にある裏設定のせいで学園に来なくなるようには出来た。
 そして好みの外見と態度に設定していた婚約者を、あたしは当たり前のように好きになり、問題なく結婚した。
 そう思っていた。

 まさかその後でヒロインと出会って恋に落ちてしまうとは思っていなかった。

 プロットはヒロインが結ばれるところで終わっていたし、仮に続きを作っていたとしても前提をこれだけ変えてしまったのだから使えない。
 今更ながら考えてはみたものの変化は出ない。
 ヒロインをどうにかするより夫の好みや性格の問題になる部分をどうにかすべきだったと気づいたけれど、既に遅いし、仮に気づいていてもどうにかなったとは思えない。
 たとえばあたしがヒロインのマネをしてとしても滑稽なだけだろう。
 ヒロインは前世の自分にすら似ていない。
 自分が出来ないやりたいことをやらせようとしたせいでスペックが強化されているからというより、ただ薄っぺらくテンプレをなぞって書いただけだから。
 不必要な設定を無駄に作り込むことがリアリティを出すことだと信じ、肝心の部分はおざなりだった。評価されないはずだ。

 あの頃は、恋がこんなに苦しいなんて知らなかった。
 彼の一言に一喜一憂し、心がこちらにないことに胸を締め付けられる。
 言葉にすれば読んだ幾多の物語と何ら変わらないけれど。
 書いていたときもそれなりに好きなつもりだったけれど。
 実際はこんなにも愛しくて、それ以上に切ない。
 書いているときに分かっていたならば、きっともっとまともな作品になっていただろう。
 書いているときだったならば、それ以外のときは心穏やかに過ごせただろう。

 端から見れば決してあたしは妻としてないがしろにされている訳ではない。
 彼が帰って来ない理由が所用や趣味や友人に会っているためなら、世間では問題にされないほどの頻度だ。
 あたし自身も許容出来ないほどじゃない。
 けれどあたしはヒロインの存在を知っている。
 そして彼があたしの側にいることは完全に義務になってしまったということも。
 この国が離婚を認めないという設定にしたことは果たして幸いなのだろうか?

 なぜ、今この時に恋を知ってしまったのだろう。
 悪役になる機会すら逸してしまったことが、その先に何が待っているか分かっていてなお、苦しくてたまらない。
 政略結婚なのだからと開き直ることも出来ない。

 どれがどこまで狂ってしまったのだろう?
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