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荒れ寺の祟り神
二
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〇 ● 〇
陽之戸国は、一都二十九国からなる島国である。測量士達の言によれば、この大陸は縦に長い楕円形をしているらしい。
かつての陽之戸国は大小問わず全ての国が群雄割拠し、天下を狙い争い合っていた。長く続いた戦の末に天下を統一したのが、陽之戸国の東端にある一国、貴墨である。
それから五百年。陽之戸国はそれなりに平和な日々を謳歌していた。
しかし平和を乱すものは必ず存在する。それは外敵しかり、内乱しかり、日照りや渇水などの自然現象しかり。
陽之戸国の場合、それは怪異であった。
例えば、願えば憎い相手を呪ってくれるが、代償に己が親族に鬼の子が生まれる廃神社。
例えば、つむじ風に紛れて町を渡り、気に入った人間の片足を奪い去るもの。
例えば、水無月の晴れの時にのみ現れる、人の口を持ち凶事を告げる鮎。
これら怪異というものは、一部を除けば徒人には視えず、聞こえず、触れられない。だというのに、極々普通に暮らしているだけで、怪異に襲われる事もある。全く理不尽な話であった。
見えざる脅威から善良な人民を守る為に存在するのが、祓い屋と呼ばれる者達である。彼らは生来怪異を見聞きする事ができ、祓う術を身に着けていた。彼らのおかげで、人々は怪異の脅威に押し潰されず、平穏な日々を送る事ができている。
丞幻の生家も、代々祓い屋を生業として人々の生活を守ってきた。
長子として生まれた丞幻も、いずれは家を継ぎ一角の祓い屋となる予定だった。しかし、怪異を視る、聞く、触れることはできても、祓う力が彼には無い。故に父親の跡を継がず、作家としての道を歩むことにした。
現在は怪異を視る力を活かし、見聞きした怪異事件を脚色した小説を主に書いて生計を立てている。……最も、脚色が過ぎるあまり「あの作家の話は怖くないから面白くない」と言われるくらいには、売れていないのだが。
〇 ● 〇
「あー……しんどかった」
ようやく辿り着いた愛しき我が家の前で、丞幻は大きく息を吐きだした。
玄関の両側に設置している灯篭のぼんやりとした明かりが、まるで「おかえり」と歓迎してくれているようで、なんだかほっとする。
「ったくもー。夜中に大根じゃなくて人引っこ抜くわ、背負って坂下りるわ、勘弁してほしいわよー、もう! 明日腰が使い物にならなくなったらどーすんの! 作家が腰いわせたら一大事なんじゃよ、責任取ってくれんの!?」
連れて帰ると決めたのは丞幻なのだから、責任もなにもあったものではないのだが。
それでもここまで来るのに思ったよりしんどかったので、思わず文句の一つも言いたくなったのである。男が聞いているかはともかく。
あの後、気絶してしまった男を丞幻は連れて帰ることにした。
理由は単純。なぜ地面に埋まっていたのか、それが知りたかったからである。怪異に巻き込まれたのか、人為的なものか。どちらにせよ、地面に生きたまま埋められていたというのは尋常な事態ではないだろう。
理由如何によっては、小説のネタにできそうだ。もちろんちゃんと許可は取る。
そう思って、えんやこらと下半身を引っこ抜いたのだが。引っこ抜いてみれば男は、長身の丞幻より頭半分低いくらいで、体格もそれなりに良かった。それが完全に正体を失くして倒れているのだから、これが重たい重たい。
男を背負い、ひぃこら歩いて四半時。
ちなみに丞幻の家は、畦道を反れて田畑の中をしばらく歩いた先にある竹林の中の、細い下り坂を下りきった先にある平屋の屋敷だ。
坂と言ってもかなりの急勾配であり、下から見上げればそれはもはや、崖のようにも見える。そこを人一人背負い、酔いでふらつく足で下りるのは非常に難儀した。自重でしなった竹が左右から道に屋根のように被さり、月光を遮っているので道はすっかり闇に飲まれている。
そこを丞幻は、用心に用心を重ねて進んだのである。
「いや偉い。ワシってばほんっと偉いわー。足滑らせて落っこちて、二人で一つの塊にみたいにならんですんだもん。偉い偉い。もうめっちゃ褒めちゃう」
転げ落ちずに辿り着けた自分を全力で褒めて、戸に手をかけた。
「ありゃ。心張棒忘れてるぞい、あの子ら」
からり、と大した抵抗も無く戸が開いた。不用心さに思わず苦笑する。
ひとまず背負った男を板張りの床に下ろして、丞幻は草履を脱いで室内へ上がった。窓が無いので周囲は漆黒だが、勝手知ったる我が家だ。どこに何があるかはよく分かっている。
手を伸ばして行灯を覆う布を取り払うと、途端に白い光が溢れて玄関内を照らし出した。別の場所に置かれている、残り二つの行灯にかかった黒い布も取ると強さを増した光明が、残りの闇を一気に払う。
「うんうん。ちゃんとお日様に当てといたのね、あの子ら。偉い偉い。しかも、どっこも爆破されてないし、粘液でべちゃべちゃになってないじゃないの。こりゃお土産、たーんとはずまんとねえ」
行灯の先端に設置された、光を放つ透明な竹を見て丞幻は満足そうに頷いた。
太陽の光を吸って、夜に光を放つ玻璃竹。陽之戸国では、一般的にこれが明かりとして使われている。なにせ蝋燭の倍以上に明るく、うっかり倒しても火事にならないのだ。その分、お値段は蝋燭よりお高めだが。
腰に手を当てて、ぐっと反らせる。ぱきぱきと筋が鳴った。三日ぶりに肉体労働をしたせいで身体があちこち痛い上に汗みずくだ。湿った着物が肌に張り付いて、気持ちが悪い。
すん、と袖を鼻に寄せて匂いを嗅ぐと、青臭い草と土の臭いがした。せっかく湯に浸かったのに、台無しだ。
「あーあ、ウチに風呂があればねえ。すぐ入れるのに。まあとりあえずー、土汚れ落とさんと……っと?」
手拭でも持ってくるか。自室に足を向けようとして、玄関から奥へと伸びる廊下に人影がある事に気が付いた。丞幻の膝くらいの位置に、白い頭が揺れている。
切り揃えられた前髪の下にあるぱっちりとした目と目が合って、丞幻は頬を緩めた。
「あらー、シロちゃん。起きてたのー? 遅くなってごめんねえ、ただいまー」
ひらりと手を振って、声をかける。赤く色づいた唇を真一文字に引き結んだシロが、とてとてと丞幻の傍に近寄ってきた。
「……」
無言のまま、じっと見上げてくる。
ついさっきまで寝ていたのだろう。着ているものは単衣一枚。瓢箪(ひょうたん)模様が刺繍された毬を、両手でしっかりと抱えている。
寝ぐせの無い真っ白な髪をおかっぱに切り揃えたシロは、年のころなら六、七歳。色白の肌にぽっちりとした赤い唇が愛らしい、ともすれば女童にも見える男童だ。大きな瞳は、夜明け間近の空のように橙と青が混ざり合っていて、それがひどく美しい。
玻璃竹の光をたっぷりと取り込んで宝石のように輝くその目が、ぱちぱちと瞬いた。すっ、とわざとらしく視線を横に流して、胸元にぎゅうっとお気に入りの毬を抱え込む。
「……ひどいじゃないか、丞幻。三日も帰らず夜遊びか。ずいぶん楽しんだんだろうなあ」
「…………」
「おれとアオのことは、しょせん遊びだったんだな。……あーあ、外に女を作るが男のかいしょうとは言うが、やっぱりお前も男だったか」
単衣の袖で目元を隠して、よよよ、とシロは泣き真似をした。
「いいんだいいんだ。おれ達みたいな古女房はどうせ、かえりみられないのがこの世の常だ。さっさと白粉ついた猫とでも、夜飛ぶ鷹とでも、好きに遊んでくればいいだろう」
「んっふふふ……シロちゃん、ちょっと、どこで覚えてきたの、その言い草……んふふふふふふふ!」
拳を口元に当てて、思わず噴き出す。
あどけないシロの顔と鈴を転がすような声で、淀みなく紡がれる言葉の噛み合わなさが、妙にツボに入る丞幻。それを見て、シロが満足そうにふんすー、と鼻から息を吐きだした。得意そうな顔をしているのが、また愛らしくて目尻が下がる。
「この間、お前の部屋にあった本に書いてあった」
「あー、こないだ貰ったあれか。……って、シロちゃぁーん? まーたワシの部屋に勝手に入ったね」
「……」
「ワシがいない時は、勝手にお部屋に入っちゃだーめって言わなかったっけ? んー?」
「知らない知らない。アオが最初に入ったんだ。だからおれは、アオを止めようとして入っただけだ。だからおれのせいじゃない」
ぷっ、と頬を膨らませるシロの額を軽く指弾。額を押さえる幼子の前にしゃがみ込んで目を合わせ、めっ、ともう一度指弾した。
「ワシのお部屋には危ないものもあるから、入っちゃ駄目って言ってるでしょー。それに、アオちゃんだけのせいにしないの。シロちゃんだって入ったんだから、同罪よ、同罪」
「なるほど、春本。危ないな」
「なんでそっちの方向に持ってくの、もう。ワシの部屋にそんなんありませんー。そうじゃなくて、怪異を祓ったり封じたりする道具とかもあるんだから、危ないでしょー」
実家から持ってきた呪札に御守り、怪異封じの箱やら人形やら。他にも怪異に効く短刀や、怪異を呼ぶ笛など、資料としてあちこちからかき集めた色々なものが、自室にはわんさか眠っている。
うっかり触って祓われちゃったらどうすんの、と続けると。
「だいじょぶだ。その程度の道具に、おれがはらわれるわけないだろう」
くふくふと、毬で口元を隠して楽しそうにシロは笑った。丸い瞳孔がきゅるっと動いて、獣のように細くなる。
人のような形をしているが、シロはれっきとした怪異である。
十年前に丞幻はシロと、一緒にいたもう一体の怪異と出会った。その際に二体を気に入った丞幻が、「ウチに来て一緒に暮らさない~? 美味しいおやつとご飯あるよ~」と口説き落として連れてきたのだ。怪異を連れ帰る方も連れ帰る方だが、おやつとご飯で着いてくる方も着いてくる方である。
ちなみに丞幻より何倍も生きているのだが、幼気な見た目の為についつい外見同様として扱ってしまう事が多い。
「ところでシロちゃん、アオちゃんは?」
もう一体の姿が見えない。こちらを驚かそうと隠れているのだろうか。丞幻がきょろきょろと見渡していると、シロはひょいっと肩をすくめた。
「寝てるぞ。へそ天で」
「あらまあ。へそ天で」
シロは真面目くさった顔で頷いた。
「爆睡してたから、置いてきた。お前が帰ってきたら、二人で土産をごうだつしようと思ってたのに」
「はいはい、お土産ね。ほら」
「井村屋の豆大福……!」
懐から紙に包まれた大福を出すと、丸い目がきらきらと輝いた。大人の握り拳ほどある井村屋の豆大福は、ここ最近のシロのご贔屓である。
毬を左手でしっかと抱え込んだまま、よこせよこせと右手を伸ばしてくる。爪先立ちになって手を伸ばしてくる様子は、ただの童にしか見えない。愛らしいその仕草に笑って、紙包みを小さな手に握らせた。
「……う」
ふと、小さな呻き声が背後から響いた。
そういえば、男を連れて帰ってきたのだった。シロとのやり取りですっかり忘れていた。目が覚めたのだろうか、と背後を振り返って。
「あうっ」
「なぁにしてんのかなアオちゃああぁぁん!?」
うつ伏せに倒れた男に馬乗りになり、首筋にかじりついている青い子狼が視界に入って、丞幻は思わず叫び声を上げた。
◆◆◆
白粉付けた猫=銀猫(揚げ代が銀二枚の遊女)
夜飛ぶ鷹=夜鷹(安い花代で身を売る外娼)
陽之戸国は、一都二十九国からなる島国である。測量士達の言によれば、この大陸は縦に長い楕円形をしているらしい。
かつての陽之戸国は大小問わず全ての国が群雄割拠し、天下を狙い争い合っていた。長く続いた戦の末に天下を統一したのが、陽之戸国の東端にある一国、貴墨である。
それから五百年。陽之戸国はそれなりに平和な日々を謳歌していた。
しかし平和を乱すものは必ず存在する。それは外敵しかり、内乱しかり、日照りや渇水などの自然現象しかり。
陽之戸国の場合、それは怪異であった。
例えば、願えば憎い相手を呪ってくれるが、代償に己が親族に鬼の子が生まれる廃神社。
例えば、つむじ風に紛れて町を渡り、気に入った人間の片足を奪い去るもの。
例えば、水無月の晴れの時にのみ現れる、人の口を持ち凶事を告げる鮎。
これら怪異というものは、一部を除けば徒人には視えず、聞こえず、触れられない。だというのに、極々普通に暮らしているだけで、怪異に襲われる事もある。全く理不尽な話であった。
見えざる脅威から善良な人民を守る為に存在するのが、祓い屋と呼ばれる者達である。彼らは生来怪異を見聞きする事ができ、祓う術を身に着けていた。彼らのおかげで、人々は怪異の脅威に押し潰されず、平穏な日々を送る事ができている。
丞幻の生家も、代々祓い屋を生業として人々の生活を守ってきた。
長子として生まれた丞幻も、いずれは家を継ぎ一角の祓い屋となる予定だった。しかし、怪異を視る、聞く、触れることはできても、祓う力が彼には無い。故に父親の跡を継がず、作家としての道を歩むことにした。
現在は怪異を視る力を活かし、見聞きした怪異事件を脚色した小説を主に書いて生計を立てている。……最も、脚色が過ぎるあまり「あの作家の話は怖くないから面白くない」と言われるくらいには、売れていないのだが。
〇 ● 〇
「あー……しんどかった」
ようやく辿り着いた愛しき我が家の前で、丞幻は大きく息を吐きだした。
玄関の両側に設置している灯篭のぼんやりとした明かりが、まるで「おかえり」と歓迎してくれているようで、なんだかほっとする。
「ったくもー。夜中に大根じゃなくて人引っこ抜くわ、背負って坂下りるわ、勘弁してほしいわよー、もう! 明日腰が使い物にならなくなったらどーすんの! 作家が腰いわせたら一大事なんじゃよ、責任取ってくれんの!?」
連れて帰ると決めたのは丞幻なのだから、責任もなにもあったものではないのだが。
それでもここまで来るのに思ったよりしんどかったので、思わず文句の一つも言いたくなったのである。男が聞いているかはともかく。
あの後、気絶してしまった男を丞幻は連れて帰ることにした。
理由は単純。なぜ地面に埋まっていたのか、それが知りたかったからである。怪異に巻き込まれたのか、人為的なものか。どちらにせよ、地面に生きたまま埋められていたというのは尋常な事態ではないだろう。
理由如何によっては、小説のネタにできそうだ。もちろんちゃんと許可は取る。
そう思って、えんやこらと下半身を引っこ抜いたのだが。引っこ抜いてみれば男は、長身の丞幻より頭半分低いくらいで、体格もそれなりに良かった。それが完全に正体を失くして倒れているのだから、これが重たい重たい。
男を背負い、ひぃこら歩いて四半時。
ちなみに丞幻の家は、畦道を反れて田畑の中をしばらく歩いた先にある竹林の中の、細い下り坂を下りきった先にある平屋の屋敷だ。
坂と言ってもかなりの急勾配であり、下から見上げればそれはもはや、崖のようにも見える。そこを人一人背負い、酔いでふらつく足で下りるのは非常に難儀した。自重でしなった竹が左右から道に屋根のように被さり、月光を遮っているので道はすっかり闇に飲まれている。
そこを丞幻は、用心に用心を重ねて進んだのである。
「いや偉い。ワシってばほんっと偉いわー。足滑らせて落っこちて、二人で一つの塊にみたいにならんですんだもん。偉い偉い。もうめっちゃ褒めちゃう」
転げ落ちずに辿り着けた自分を全力で褒めて、戸に手をかけた。
「ありゃ。心張棒忘れてるぞい、あの子ら」
からり、と大した抵抗も無く戸が開いた。不用心さに思わず苦笑する。
ひとまず背負った男を板張りの床に下ろして、丞幻は草履を脱いで室内へ上がった。窓が無いので周囲は漆黒だが、勝手知ったる我が家だ。どこに何があるかはよく分かっている。
手を伸ばして行灯を覆う布を取り払うと、途端に白い光が溢れて玄関内を照らし出した。別の場所に置かれている、残り二つの行灯にかかった黒い布も取ると強さを増した光明が、残りの闇を一気に払う。
「うんうん。ちゃんとお日様に当てといたのね、あの子ら。偉い偉い。しかも、どっこも爆破されてないし、粘液でべちゃべちゃになってないじゃないの。こりゃお土産、たーんとはずまんとねえ」
行灯の先端に設置された、光を放つ透明な竹を見て丞幻は満足そうに頷いた。
太陽の光を吸って、夜に光を放つ玻璃竹。陽之戸国では、一般的にこれが明かりとして使われている。なにせ蝋燭の倍以上に明るく、うっかり倒しても火事にならないのだ。その分、お値段は蝋燭よりお高めだが。
腰に手を当てて、ぐっと反らせる。ぱきぱきと筋が鳴った。三日ぶりに肉体労働をしたせいで身体があちこち痛い上に汗みずくだ。湿った着物が肌に張り付いて、気持ちが悪い。
すん、と袖を鼻に寄せて匂いを嗅ぐと、青臭い草と土の臭いがした。せっかく湯に浸かったのに、台無しだ。
「あーあ、ウチに風呂があればねえ。すぐ入れるのに。まあとりあえずー、土汚れ落とさんと……っと?」
手拭でも持ってくるか。自室に足を向けようとして、玄関から奥へと伸びる廊下に人影がある事に気が付いた。丞幻の膝くらいの位置に、白い頭が揺れている。
切り揃えられた前髪の下にあるぱっちりとした目と目が合って、丞幻は頬を緩めた。
「あらー、シロちゃん。起きてたのー? 遅くなってごめんねえ、ただいまー」
ひらりと手を振って、声をかける。赤く色づいた唇を真一文字に引き結んだシロが、とてとてと丞幻の傍に近寄ってきた。
「……」
無言のまま、じっと見上げてくる。
ついさっきまで寝ていたのだろう。着ているものは単衣一枚。瓢箪(ひょうたん)模様が刺繍された毬を、両手でしっかりと抱えている。
寝ぐせの無い真っ白な髪をおかっぱに切り揃えたシロは、年のころなら六、七歳。色白の肌にぽっちりとした赤い唇が愛らしい、ともすれば女童にも見える男童だ。大きな瞳は、夜明け間近の空のように橙と青が混ざり合っていて、それがひどく美しい。
玻璃竹の光をたっぷりと取り込んで宝石のように輝くその目が、ぱちぱちと瞬いた。すっ、とわざとらしく視線を横に流して、胸元にぎゅうっとお気に入りの毬を抱え込む。
「……ひどいじゃないか、丞幻。三日も帰らず夜遊びか。ずいぶん楽しんだんだろうなあ」
「…………」
「おれとアオのことは、しょせん遊びだったんだな。……あーあ、外に女を作るが男のかいしょうとは言うが、やっぱりお前も男だったか」
単衣の袖で目元を隠して、よよよ、とシロは泣き真似をした。
「いいんだいいんだ。おれ達みたいな古女房はどうせ、かえりみられないのがこの世の常だ。さっさと白粉ついた猫とでも、夜飛ぶ鷹とでも、好きに遊んでくればいいだろう」
「んっふふふ……シロちゃん、ちょっと、どこで覚えてきたの、その言い草……んふふふふふふふ!」
拳を口元に当てて、思わず噴き出す。
あどけないシロの顔と鈴を転がすような声で、淀みなく紡がれる言葉の噛み合わなさが、妙にツボに入る丞幻。それを見て、シロが満足そうにふんすー、と鼻から息を吐きだした。得意そうな顔をしているのが、また愛らしくて目尻が下がる。
「この間、お前の部屋にあった本に書いてあった」
「あー、こないだ貰ったあれか。……って、シロちゃぁーん? まーたワシの部屋に勝手に入ったね」
「……」
「ワシがいない時は、勝手にお部屋に入っちゃだーめって言わなかったっけ? んー?」
「知らない知らない。アオが最初に入ったんだ。だからおれは、アオを止めようとして入っただけだ。だからおれのせいじゃない」
ぷっ、と頬を膨らませるシロの額を軽く指弾。額を押さえる幼子の前にしゃがみ込んで目を合わせ、めっ、ともう一度指弾した。
「ワシのお部屋には危ないものもあるから、入っちゃ駄目って言ってるでしょー。それに、アオちゃんだけのせいにしないの。シロちゃんだって入ったんだから、同罪よ、同罪」
「なるほど、春本。危ないな」
「なんでそっちの方向に持ってくの、もう。ワシの部屋にそんなんありませんー。そうじゃなくて、怪異を祓ったり封じたりする道具とかもあるんだから、危ないでしょー」
実家から持ってきた呪札に御守り、怪異封じの箱やら人形やら。他にも怪異に効く短刀や、怪異を呼ぶ笛など、資料としてあちこちからかき集めた色々なものが、自室にはわんさか眠っている。
うっかり触って祓われちゃったらどうすんの、と続けると。
「だいじょぶだ。その程度の道具に、おれがはらわれるわけないだろう」
くふくふと、毬で口元を隠して楽しそうにシロは笑った。丸い瞳孔がきゅるっと動いて、獣のように細くなる。
人のような形をしているが、シロはれっきとした怪異である。
十年前に丞幻はシロと、一緒にいたもう一体の怪異と出会った。その際に二体を気に入った丞幻が、「ウチに来て一緒に暮らさない~? 美味しいおやつとご飯あるよ~」と口説き落として連れてきたのだ。怪異を連れ帰る方も連れ帰る方だが、おやつとご飯で着いてくる方も着いてくる方である。
ちなみに丞幻より何倍も生きているのだが、幼気な見た目の為についつい外見同様として扱ってしまう事が多い。
「ところでシロちゃん、アオちゃんは?」
もう一体の姿が見えない。こちらを驚かそうと隠れているのだろうか。丞幻がきょろきょろと見渡していると、シロはひょいっと肩をすくめた。
「寝てるぞ。へそ天で」
「あらまあ。へそ天で」
シロは真面目くさった顔で頷いた。
「爆睡してたから、置いてきた。お前が帰ってきたら、二人で土産をごうだつしようと思ってたのに」
「はいはい、お土産ね。ほら」
「井村屋の豆大福……!」
懐から紙に包まれた大福を出すと、丸い目がきらきらと輝いた。大人の握り拳ほどある井村屋の豆大福は、ここ最近のシロのご贔屓である。
毬を左手でしっかと抱え込んだまま、よこせよこせと右手を伸ばしてくる。爪先立ちになって手を伸ばしてくる様子は、ただの童にしか見えない。愛らしいその仕草に笑って、紙包みを小さな手に握らせた。
「……う」
ふと、小さな呻き声が背後から響いた。
そういえば、男を連れて帰ってきたのだった。シロとのやり取りですっかり忘れていた。目が覚めたのだろうか、と背後を振り返って。
「あうっ」
「なぁにしてんのかなアオちゃああぁぁん!?」
うつ伏せに倒れた男に馬乗りになり、首筋にかじりついている青い子狼が視界に入って、丞幻は思わず叫び声を上げた。
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