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三章 忌み地と名も無き神
3 半身
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休み無く瞬く星々が空を覆う。
室内を満たした緊張は、誰かの溜息で時の流れを取り戻した。
一泊の後、神獣はもう一度言う。
「アスター様は、ここに、居る」
黄色い毛玉がコロンと転がって、それがまるで返事のように思えた。
神獣は二度目の溜息を吐き出す。
その人間臭い仕草が、いかに人の世でいきてきたのかを物語る。
「我はもう、名を呼べぬあの方は、知っての通り、封じられた。アスター様も、運命を共にする筈だったが•••••」
「貴方が逃した、そう言うことなのでしょう。ライディオス様の直撃を免れたその幸運によって」
神獣が言葉尻を結ぶ前に、続きをロウが引き取った。
「アスター様を、逃がそうとしたは事実。が、正直な所を言えば、あの時、何が起こったのかは解らぬのだ」
神獣は遥か遠くを見る眼差しで、思い出そうと、多すぎる記憶の中を彷徨う。
「そう、何処からーーーー話そうかの」
静かに目を閉じた神獣は、キラリと鈍く光った記憶の星を一つ見つけた。
「あれは、あの方がまだ正気を僅かでも、保っていた頃ーーーー」
神獣にとって、想いの塊を吐き出すには辛い、塞がった筈の傷が開くように、痛みの伴うものだった。
神獣は語る。物哀しく、今は昔しと。
ヴァステール様との間に確執が出来て暫く、アスター様の存在が薄くなっている事に気が付いた。
ーーーーあの方も、我も。
もしかしたらアスター様自身が一番良く知っていたのかもしれない。
が、知ったとして何が出来るのか。
狂い始めたあの方は、無意識にアスター様を追い詰める。もとより、力の強い神だ。同じ身体を共有していれば、何方が主導権を握るかは明白。
思いを同じくするならば良いが、互いに背を向けたなら、それはアスター様を封じる事になるのだ。
そしていよいよ、ヴァステール様との確執は深く、後戻りが出来ない状況にまでなってきた時に、こぼれ落ちた一言があった。
ーーーー神獣よ。アスターを切り離し、逃がせ。その権限をお前にやろう。
この時のアスター様は徐々に儚くなり、自力で表に出てくる事が出来なくなって、久しかった。
何を、と思ったが、黙って見下ろす地上の星々を慈しむ眼差しに、在りし日の神をみて、頷く事しかできなかった。
直ぐの後に、最後の女神が宿られたとーーーフィアの事だな。聞き及んで、大層喜んでいた。曇りなく、真っ当に。
ーーーー我は、この時のあの方は、正気だったと信じる。
「が、ヴァステール様に戦を仕掛けたはこの直後でもあった」
勝てる戦では無かろうに、それでも挑むはーーーーあの方を突き動かしたのは何だったのか。
ヴァステール様単体では分があろう。
だが、母神二柱に、それぞれの息子達、他の神々もヴァステール様側に付いた。
何よりも、ライディオス様があちらにいらっしゃるのだから、負け戦だ。
人との距離を、それほど憂いたのか?
アスター様が儚くなるを、狂うほど嘆いた?
真実は、かの神にしか分からない。
ただ、事実を言えば、末っ子女神の身体ーーーー器を欲した。アスター様を宿らせる、身体を。
直ぐ様、末っ子女神の核は隠され、身体は大地の母神の胎内に護られた。
「もう、アスター様の声は届かなかった」
神獣は想いを発露させる。血を吐くように。
その後は知っての通り、天からの槍が大地を穿き、地上からの槍が昊を割った。
割れた大地が死者を呑み込み、天が力ある者を囲った。
残る人々は大地を踏み締め、そこで生きる者となる。
「揺れ動く大地、飛べぬ身体を引きずって、傷だらけで逃げた先は、怒りを今にも天へと吹き上げそうな山脈を越えたーーーー今は忌み地と呼ぶ、あの場所だった」
神を屠る者が剣をふるう。
雷を数百、数千集めても、まだ足りない衝撃。溢れ迸った白い光に目を焼かれた。
アスター様は、それでも半身と切り離される事を厭うていらっしゃったが。
ーーーー我は。
ーーーーアスター様を。
「切り離し、連れてーーーー逃げた」
そう締めくくり、神獣の感情の伺えない瞳がゆっくりと瞬いた。
「確かに衝撃は受けた。が、我らは生きておったよ。アスター様を切り離し逃げたのが間に合ったのだろうの。そして逃げて、逃げて、力が尽きた先には澄んだ湖が在った」
力無く身体を湖に横たえ、欲するままに目を閉じ眠る。
大事に神の欠片を抱いて。
眠って、眠って。どれ位の時が経ったのか。
ふと耳に心地よく、幼い声に意識が覚めれば、見知った神に、よく似た面差しの少女がそこにいたのだ。
「『それが、フィアとの出逢いだった』」
神獣の声に、涼やかな声が重なる。
この場にいる者の鼓膜を、そっと揺さぶった。
黄色い綿毛から、白いモヤが出る。
白いぼやけた輪郭が徐々に象って、靄に陰影が加わり、やがて透けた人形が形成されつつあった。
皆が固唾を飲んで見守る中、それはついに、姿を顕にした。
男か女かは、判別し辛い中性的な印象。
色のない髪は小首を傾げてサラリと流れる。
これが射干玉の黒髪ならば。艶のある黒ならば、彼らには重なる面影がある。
揺れる長い髪は、淡く光を慎ましやかに振りまく。
頬にかかる髪を、そっと指で耳にかける仕草はたおやかで女性的だが、その長い指が男性的だ。
それは、不思議な安らぎをもたらす存在だった。
「ーーーー、様•••••••」
白い透けた影は、神獣の声なき呟きに微笑むと、一同を見回す。
『ーーーー久しぶり、と言うには時が経ちすぎた様ですね。技芸、お変わりなくて何より。ああ、少々お転婆になりましたか?他の皆は初めて、ですね。紹介を頼みますーーーッ、今は、チュウ吉でしたね?』
「ーーーーアスター様」
神獣の、今度ははっきりと出た声に、アスターと呼ばれた存在は、はい、と短く応えた。
不思議と頭に直接響く声だった。
それは、アスターに実態が無いことを示していた。
室内を満たした緊張は、誰かの溜息で時の流れを取り戻した。
一泊の後、神獣はもう一度言う。
「アスター様は、ここに、居る」
黄色い毛玉がコロンと転がって、それがまるで返事のように思えた。
神獣は二度目の溜息を吐き出す。
その人間臭い仕草が、いかに人の世でいきてきたのかを物語る。
「我はもう、名を呼べぬあの方は、知っての通り、封じられた。アスター様も、運命を共にする筈だったが•••••」
「貴方が逃した、そう言うことなのでしょう。ライディオス様の直撃を免れたその幸運によって」
神獣が言葉尻を結ぶ前に、続きをロウが引き取った。
「アスター様を、逃がそうとしたは事実。が、正直な所を言えば、あの時、何が起こったのかは解らぬのだ」
神獣は遥か遠くを見る眼差しで、思い出そうと、多すぎる記憶の中を彷徨う。
「そう、何処からーーーー話そうかの」
静かに目を閉じた神獣は、キラリと鈍く光った記憶の星を一つ見つけた。
「あれは、あの方がまだ正気を僅かでも、保っていた頃ーーーー」
神獣にとって、想いの塊を吐き出すには辛い、塞がった筈の傷が開くように、痛みの伴うものだった。
神獣は語る。物哀しく、今は昔しと。
ヴァステール様との間に確執が出来て暫く、アスター様の存在が薄くなっている事に気が付いた。
ーーーーあの方も、我も。
もしかしたらアスター様自身が一番良く知っていたのかもしれない。
が、知ったとして何が出来るのか。
狂い始めたあの方は、無意識にアスター様を追い詰める。もとより、力の強い神だ。同じ身体を共有していれば、何方が主導権を握るかは明白。
思いを同じくするならば良いが、互いに背を向けたなら、それはアスター様を封じる事になるのだ。
そしていよいよ、ヴァステール様との確執は深く、後戻りが出来ない状況にまでなってきた時に、こぼれ落ちた一言があった。
ーーーー神獣よ。アスターを切り離し、逃がせ。その権限をお前にやろう。
この時のアスター様は徐々に儚くなり、自力で表に出てくる事が出来なくなって、久しかった。
何を、と思ったが、黙って見下ろす地上の星々を慈しむ眼差しに、在りし日の神をみて、頷く事しかできなかった。
直ぐの後に、最後の女神が宿られたとーーーフィアの事だな。聞き及んで、大層喜んでいた。曇りなく、真っ当に。
ーーーー我は、この時のあの方は、正気だったと信じる。
「が、ヴァステール様に戦を仕掛けたはこの直後でもあった」
勝てる戦では無かろうに、それでも挑むはーーーーあの方を突き動かしたのは何だったのか。
ヴァステール様単体では分があろう。
だが、母神二柱に、それぞれの息子達、他の神々もヴァステール様側に付いた。
何よりも、ライディオス様があちらにいらっしゃるのだから、負け戦だ。
人との距離を、それほど憂いたのか?
アスター様が儚くなるを、狂うほど嘆いた?
真実は、かの神にしか分からない。
ただ、事実を言えば、末っ子女神の身体ーーーー器を欲した。アスター様を宿らせる、身体を。
直ぐ様、末っ子女神の核は隠され、身体は大地の母神の胎内に護られた。
「もう、アスター様の声は届かなかった」
神獣は想いを発露させる。血を吐くように。
その後は知っての通り、天からの槍が大地を穿き、地上からの槍が昊を割った。
割れた大地が死者を呑み込み、天が力ある者を囲った。
残る人々は大地を踏み締め、そこで生きる者となる。
「揺れ動く大地、飛べぬ身体を引きずって、傷だらけで逃げた先は、怒りを今にも天へと吹き上げそうな山脈を越えたーーーー今は忌み地と呼ぶ、あの場所だった」
神を屠る者が剣をふるう。
雷を数百、数千集めても、まだ足りない衝撃。溢れ迸った白い光に目を焼かれた。
アスター様は、それでも半身と切り離される事を厭うていらっしゃったが。
ーーーー我は。
ーーーーアスター様を。
「切り離し、連れてーーーー逃げた」
そう締めくくり、神獣の感情の伺えない瞳がゆっくりと瞬いた。
「確かに衝撃は受けた。が、我らは生きておったよ。アスター様を切り離し逃げたのが間に合ったのだろうの。そして逃げて、逃げて、力が尽きた先には澄んだ湖が在った」
力無く身体を湖に横たえ、欲するままに目を閉じ眠る。
大事に神の欠片を抱いて。
眠って、眠って。どれ位の時が経ったのか。
ふと耳に心地よく、幼い声に意識が覚めれば、見知った神に、よく似た面差しの少女がそこにいたのだ。
「『それが、フィアとの出逢いだった』」
神獣の声に、涼やかな声が重なる。
この場にいる者の鼓膜を、そっと揺さぶった。
黄色い綿毛から、白いモヤが出る。
白いぼやけた輪郭が徐々に象って、靄に陰影が加わり、やがて透けた人形が形成されつつあった。
皆が固唾を飲んで見守る中、それはついに、姿を顕にした。
男か女かは、判別し辛い中性的な印象。
色のない髪は小首を傾げてサラリと流れる。
これが射干玉の黒髪ならば。艶のある黒ならば、彼らには重なる面影がある。
揺れる長い髪は、淡く光を慎ましやかに振りまく。
頬にかかる髪を、そっと指で耳にかける仕草はたおやかで女性的だが、その長い指が男性的だ。
それは、不思議な安らぎをもたらす存在だった。
「ーーーー、様•••••••」
白い透けた影は、神獣の声なき呟きに微笑むと、一同を見回す。
『ーーーー久しぶり、と言うには時が経ちすぎた様ですね。技芸、お変わりなくて何より。ああ、少々お転婆になりましたか?他の皆は初めて、ですね。紹介を頼みますーーーッ、今は、チュウ吉でしたね?』
「ーーーーアスター様」
神獣の、今度ははっきりと出た声に、アスターと呼ばれた存在は、はい、と短く応えた。
不思議と頭に直接響く声だった。
それは、アスターに実態が無いことを示していた。
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