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一章 女神と花冠の乙女

閑話 夜の狭間で

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そのテーブルには小さな燭台が一つあるだけだった。
魔導具のランプもあるだろうに、使われる事なく、部屋の隅に置かれている。
弱々しい灯りが薄暗い部屋に揺れ、二人の男の影を、よく磨かれたテーブルに映す。
先程まで出していた、一見、紫色の水晶に見える小さな玉は、漆黒の髪を持つ男に大切に懐へと仕舞われた。

「まだ、言わずにいるおつもりですか?」

蝋燭の灯りをじっと見詰めていた瞳が問うた男にチラと向けられる。
薄暗い部屋の中でも輝きを失わない鮮やかなブルーが、揺らぐ炎に照らされ金の光を帯びた。

何も言わない事で肯定しているのだろうか。
ーーーそれとも。

「質問を変えましょう。魔女が一番欲しいものをーーー持っていたのですね?貴方が与えた、その印を」

「ーーーーーーそうだな」

一拍の後に返答される。
薄々は感じてはいた。あの青く輝くフィアリスの花を見たときから。

蝋燭の炎が一瞬、一際大きくなった後、萎んでいく。

音もなく立ち上がった男は、その美しい顔をすっぽりと隠す仮面を着ける。

「ここまで来ておいて、顔を見ては行かれないのですか?」

「いつも、見ている」

「それはーーーーいえ、そうでしたね」

男は仮面の下で麗しく微笑むと、スッと闇にかき消えた。

「さて、一度に片付けてしまいたいものですがーーー」

暗い部屋に残されたロウは、片眼鏡を外すと目頭を揉みこむ。

馬車がすれ違った時に少しだけフィアリスに力を渡したが、それもいつまで持つだろうか。あのフィリアナという娘の事だ、直ぐに超える力を出して来そうではある。

「あの程度では、疲弊させるまではいかなそうですね」

懐に仕舞った玉はまだ温かい。
ジークムントの魂が女神の力に触れて癒やされているのだろう。
かの王が知り得る限りの事を訊いて、
ロウの脳裏で点が線で繋がっていく。

不意に愛する女神の笑顔が瞼の裏に蘇る。
彼が唯一心を揺らす女神。これが恋情と名付けられるものであるのか判断しかねていたが、いつだってあの笑顔一つでどうでも良くなってしまうのだ。
どんなに物知りと言われても、あれ程眩しいものを自分は知らない。

「ロウは凄いね!」そう言って笑ってくれるだけで、そう、あろうとする為に、苦労を厭う事は無くなるのだ。

「結局泣きませんでしたね」

ウルムの街で。あの病院のある丘で。
袖内に隠した少女は、歯を必死に食いしばって、堪えていた。顔を歪ませて。いつだって泣くのはーーー。


ほんの少しだけ傷んだ気がした胸には蓋をして、最適解を導き出す為に、ロウの頭脳は目まぐるしく動き出した。

愛しく思う少女神が泣かずに済むように。










ラインハルトは閉じていた瞼を上げた。眠っていたわけでは無い。
腕の中で眠る少女の長い髪をすくう。ついっと指を滑らせて。愛でるように梳く。
サラリと指の隙間から溢れる黒髪が、最後の余韻を指間に残す。

そして、丸っこい神獣が枕元で仁王立ちしていて、ラインハルトから片時も目を離さない。

「のぅ、もしやーーー」

ラインハルトはその先を神獣に許さなかった。鋭い眼光がヒタと、神獣を捉える。
神獣の気配が険しくなったが、それ以上は何も訊いて来なかった。

起きる気配無く、スヤスヤ眠る少女の二の腕に口付けを落とす。
途端に頭へと、飛んでくる神獣アタック。これが結構痛い。
ラインハルトは神獣を睨むが、今度は神獣も引かなかった。鼻息荒く、フンスーと得意げだ。

「寝ている乙女に何をしておるのじゃ!」

絶対に許さん、と、ただでさえ大福のような身体をさらに丸くする。

「起きていれば良いのか?」

ラインハルトが問えば、それは本人次第じゃろう、と神獣は言う。
受け入れるも、拒絶するも、フィアがする事だと。

そうか、とだけ返事をして、ラインハルトが今度は少女のこめかみに口付ける。

「言ってるそばから何をしておるのじゃ!反省の欠片もないのは流石にどうかと思うがの?」

ゴスっといい音がした。ラインハルトは顎をさする。

「力を安定させて循環させているだけだろう?」

「ええい、言い訳は無用、一々口付ける必要が何処にあるのじゃ!無いのぅ?貴方様とて、この件に関しては、我も容赦しませぬぞ」

ラインハルトは口付けるくらいは良いだろうと思ったが、懸命にも口には出さなかった。
以前、一度そう言った所、「止まれるのか?急には止まれまいに」と返され、思わず納得しかけた。が、スケベ神とまでいわれ、流石に腹の立ったラインハルトは大福ボディーを掴むと、ポイっと放り投げたが、「我の目の黒いうちはーーー」とハッスルされるし、ポポをけしかけて邪魔するわで、危うくフィアが起きてしまうところだったのだ。

フィアに対して、忠義なことだと嬉しく思う反面、この面倒な神獣にラインハルトは少しだけ辟易した。








海上を進む大型の帆船が月明かりの下を滑る。
魔導具のランプを惜しげもなく使った船室は明るい。
この船で四番目にいい部屋だという。
が、ランプの光に照らされた少女は、不満も顕に侍女に淹れさせた紅茶を乱暴に飲み干した。

「王太子妃になるあたしに、この待遇は無礼じゃない!?」

ギリッと親指の爪を噛む。
当然王、王妃の部屋を除けば、一番格式の高い部屋に通されると思っていたフィリアナは激怒したが、船長から護衛の騎士に至るまで、「陛下のご指示でございます」の一点張りで、取り付く島もない。

「ただの王子妃の部屋なんて、馬鹿にしてるのかしら!?」

いつもならば、ハルナイトに言えば即座に叶う希望も、その肝心の王子が今はいないのだ。ウルムの街、乗船する迄は送ってくれたが、大神殿での儀式の時までは会うことはない。
なのに『陛下』の言葉をを出されてしまっては、フィリアナも引き下がるしかない。

フィリアナは王のなんの感情ものらない、顔を思い出す。
隣に立つ王妃は喜色満面で、フィリアナとの婚約を喜んでいたのに。

「あの目、気に入らないわ」

冷たく、表情の伺えない瞳で、ただ、『そうか、好きにしろ』としか言わなかった王。
宰相と騎士団長を伴い、直ぐに執務室へと消えた。

「まあ良いわ。どうせ保険だし。ハルナイトなんて」

フィリアナは鼻で嗤うと、唯一連れて来ることの出来た侍女に湯の用意を命じた。


侍女は夜も更けた遅い時間に、湯の用意を言い付けられて、フィリアナの部屋から下がったが、ヒソヒソと囁かれる声に、侍女は肩身の狭い思いを味わう。
が、侍女はそれも仕方が無いと思っている。
船内でのフィリアナの評判はすこぶる悪い。
城内ではフィリアナに心酔している者達が多数居たが、一部、心ある者からは冷笑されていた。この船内はその心ある【まとも】な人が多くいるのだろう。
この船は海軍所属なので、常日頃から王城にいる人間ばかりな訳じゃ無いからかも知れない。
フィリアナはその事に気付かず、自分の魅力に絶対の自信を持っているのが滑稽だった。

ーーー何故あの令嬢が選ばれたのかわからないわ。

そう、選定の儀式で選ばれた時に、王城の一部では囁かれた。
ただ、大神殿からの使者は何も言わず、故にフィリアナが選ばれた事に、表立っての批判は無いように思えただけなのだ。
使者の神官は、不正が無いかを判断するだけで、無かった場合、選定には一切関わらない。口出しは出来ないだけだったのだが。

侍女は疲れた溜息を人知れず吐き出すと、湯の用意をしに船内を忙しく歩き回った。



廊下へと消えた侍女にフィリアナは苛立ちが募る。
フィリアナに付いてきた侍女は子爵家から連れて来たあの娘だけだったし、後宮の女官は一人もいない。その事にもフィリアナは苛立つ。

大神殿には舞姫達の世話をする侍女やメイドがいるから、国からは派遣の形で連れて行かないのが通常なのだが、フィリアナは知らないのかーーー神殿から説明はあった筈なのだが。
それぞれの家からは連れて行く貴族もいるが、大抵は一人か二人だ。

既に花冠の乙女のつもりでいるフィリアナは、多くの人間に傅かれながら大神殿へと行くつもりだったのだ。


ランプの元、フィリアナは照らされた手の甲を見て、大きな舌打ちが出る。
少し肌がくすんで見えたのだ。
あの時、馬車に乗っている時に胸に痛みを感じてからだ。
夢の声ーーー今日は現れない。

「疲れているのよ。少し休めば元に戻るわ」

フィリアナは捕えた妖精を取り込み、肌の具合を確かめると、満足したように頷いた。

「早くあたしの身体を取り戻さなきゃね」


崩壊の足音が直ぐそこに迫っている事に気が付かずに、笑う。

ランプが作る影が一瞬、歪なーーー明らかに人では無いものになっていた。


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