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一章 女神と花冠の乙女

18 それは筋肉

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絶対の安心感が全身を包む。
硬いのに、柔らかい。滑らかな肌触りがとても心地良くて、いい匂いで、私は身を包むそれに擦り寄る。

スリスリと頬を擦り付けていたらキュッと身体に圧が掛かった。
段々と心地良かった温もりが息苦しくなってきて、それはギュウギュウと私の身体を締めてくる。
熱い吐息が髪にかかって、落とされた甘い声音が耳元で名前を呼んだ。

ーーーフィア、と。

どこかで聞いた声。
低音が耳朶に甘く、密やかに響いて、どこか切ない。
こんなふうに、息苦しさの中で囁かれた事があった気がする。

遠い昔のようでもあり、たった今のようにも感じる。

ーーーフィー。
ーーーーーーフィア。

瞼の裏に蘇るのは鮮やかなトルマリンブルー。

そういえばあの人も綺麗な青い海の瞳を持っていた。

耳に柔らかな感触。擦れたそれに擽ったくて、身を捩る。吹き込まれる吐息と名前。
そうして、蕩けそうに囁くのだ。

ーーーメイフィアと。

あの綺麗な男の人も、私をそう呼んだ。

アレ?私のなまえ?と思ったら、フワフワしていた意識が徐々に浮上する。



瞬きした睫毛が白い何かに擦れる。
視界は驚の白さだ。
シーツにしては生温かいそれは、よく観察してみれば動いていて、まるで呼吸の動きのようでーーー。

私は一瞬で寝起きから覚醒した。

これ、生きてる!?肉?っぽいけど生物!?
速攻で距離を取ろうと身動ぎするが、私を包む何かに阻まれて、遠ざかるどころか、逆に呼吸困難に陥った。

ーーーく、苦しい!!

呻くとフッと圧が緩んだ。

「フィア、おはよう?」

モゾっと白い肉が動くと同時に、頭上から聞こえる魅惑的な低音ボイスに私は固まる。
恐る恐ると顔を上げると、輝く髪に色鮮やかなブルーの瞳の持ち主が、天使もかくやな笑みを浮かべて私を見つめていた。

ーーーこの人って、死の谷にいた、人?

甘やかに微笑むその人はフッと睫毛を伏せると、一筋の黒い髪に口付けを落とす。
次いで触れるのは額。瞼、目尻、こめかみへと柔らかい羽が触れるようなキスが降る。

私は死んだのかしら?今世は短い人生だったなーーー。

溜息も出ない。
と思ったら、ぼやける視界に長い淡い金色の睫毛。額を、頬を擽る同色の髪。
唇には温かくて柔らかい感触。
ハムっと弱く上唇を食まれて小さなリップ音と共に離れる。

え、今の何!?

離れていく麗人の顔を見て、私の心臓、三秒は止まったと思う。

「ーーーん?何って。キスだろう?」

ふんわりと砂糖菓子の微笑みを、惜しげも無く晒す美形に向かってーーー私はそれこそ絹を引き裂く悲鳴を上げた。

拘束の力が弱まった隙に、何とか上半身を起こすとズリズリと後ろへ下がる。
が、段差がある場所だったのだろう、いきなり背後がスカッと開けて落ちかけた。

落ちなかったのは咄嗟に支えてくれた腕があったからだけど、どうして上半身が裸なのでしょうか。
くるりと視線を動かせば、ここはベッドの上で。しかも天蓋の付いた豪奢な寝台だ。

ここはどこ!?私はどこにいるの!?この人って誰?

パニクった私はもう一度悲鳴を上げかけたがその時、ーーーバンッと美しい装飾の扉が派手な音をさせて開いた。


「フィア!?何があったの!?」
「フィアよ、我が来たからには安心せい!賊はどこじゃ!?」

ドアを蹴破る勢いで駆けつけてくれたのはカリンとチュウ吉先生だった。

「カリンーーー!チュウ吉先生ーーー!グエッ」

直ぐ様二人に駆け寄ろうとしたら、腰に巻き付いた筋肉質の腕が邪魔をしていた。
今の勢い余ってお腹にきたよ•••乙女に有るまじき変な声が出たよ。

私の口から何か出てない!?大丈夫?

「なんじゃ、賊ではなかったか。ふむ、フィアよ、よく眠れたか?まる一日は寝ていたぞ。冬眠の熊の如くのぅ」

え、それだけ?この有様見てそれだけですか?

「ちょっと、寝間着くらい着たらどうなんですかー!?フィアはこれでも乙女なんだよ?」

カリンーーー!もっと言ってやってちょうだい!そして、これでもは余計です。

「ーーー下は、着ている」

「それ、履いてる、ね。着てないですから。それから、そろそろフィアを離して上げて欲しいんですけど」

「ーーー何故?」

「何故って!?起きて、支度して、食事させないとダメでしょ?!その後には色々な話しもあるし」

そうよね、ご飯は大事!分かったらこの腕を解いて下さいな、えーと。何処かの美形さん。
私の心臓が持ちません。壊れます。

名前はちょっと、多分、分かるような、わかりたくないような、複雑な乙女心を持て余す。
だけど、現実は無慈悲でした。

「ラインハルトーーー!?何しちゃってるのさ!フィーは今、記憶が無いって言っただろ?俺、過度な触れ方は控えてって、分かったって君、言ったよ!?」

「過度か?これで?」

開けっ放しの扉から数枚の衣装を抱えて、フロースが入ってきた時の一言目。

そうですか、うん。やっぱり西の君でしたか。
西の君とキスしちゃったよ。
もう、魂が快速特急でお空の星を目指してますよ。
ああ、気絶と言う名の二度寝したいなー。






身支度と言っても、ここはティティの実家である公爵家らしく。
そう、いつの間にかお邪魔していたんですよ。神様めっちゃ便利。
そんなんで、身に着けるのもドレス、しかも一級品ですよ奥様。どうしろと!?
ドレスを身に着けるーーー引っ掛ける迄は一人でパーテーションの陰で支度をしていたんだけどね、うん、ドレスって一人で着るのむりだわ。彼方此方に鍵ホックだのボタンだの紐だので、途方にくれましたわー。

結局、そこからはフロースとカリンに手伝ってもらって着替える。胸の下で切り返しのある薄い水色のふんわりしたエンパイア型のドレスだ。胸の下から広がる縦フリルとドレスよりも濃い色の青いリボンが華やかで可愛らしさもある。

ラインハルトはーーー様付で呼んだら物凄くショックを受けたらしく、椅子に座って黙って私の支度を見ている。真顔で。美形の真顔って怖い。
でも暇になってきたのか、椅子に肘を付いて頬杖を付いた。
うん、時間掛かる女の子の支度待つの暇だよね。
と思っていたら、後は髪を梳いて、リボンを編み込んで、漸く支度が終わるらしい段階にきてラインハルトが俺がやるって言い出した。

長い整った指先が丁寧に髪を掬い、リボンを編み込んでいく。
ラインハルトが口に咥えてる櫛を見たら、起き抜けの出来事を思い出してしまって、鏡の中の私が赤面している。

ふと、視線が鏡越しに合う。
櫛を外すとスイっと髪を掬って唇に寄せる。
ドキドキするので止めてください。慌てて視線を逸らすと、背後でフッと笑う気配がした。
あのですね、私怒ってもいいんじゃないかな!?怒ってもいいですよね?
許しも得ずに、乙女に何と言う不埒な真似をしてくれやがったんですか!
嫁入り前ですよ、お兄さん!

と、口の中で小さく、小さくブチブチ言ってたら聞こえていたらしい。
所謂イケボと言う攻撃が私の頭上に着弾した。

「ーーー問題ない。俺の所以外に行かなければ良いだけの話だ。行かせるつもりは微塵もないが」

そういう問題?違く無いかな。
困った時のチュウ吉先生を探すが、いつの間にかバルコニーに用意されている軽食、そしてそのテーブルにちゃっかりいらっしゃるではありませんか。
こんな時に!

カリンはフロースとアクセサリーを真剣に選んでいて、こちらをチラとも見ていない。

味方は、味方はいずこ!?

「ーーー嫌か?」

リボンを頭の後ろで結んで終わったのか、ラインハルトが視線を鏡の中の私に向けた。

「ーーーえ、と」
「だから、嫌、か?」

そんな縋るような、表情で、言われたら。
否と答えるには罪悪感が押し寄せる。

即答出来ずに、ウロウロと視線を泳がせた。

「えーと、あのですね、嫌とか、嫌じゃないとかでは無くてーーー」
「ーーー駄目なのか?」
「えええ、と。駄目とかそう言うのでも無くてーーー」

私は上手く伝える事も答える事も出来ずに、問答をする羽目になった。






そして今私は、美味しそうな軽食が乗っているテーブルの席で羞恥プレイの真っ只中にいる。

「で?何でフィアはラインハルト様の膝の上にいるのさ」
「ど、うしてかな、成り行き?で?ですかね?」
「若いのぅ、ホッホ」
「ーーーーーー(ギュムリッ)」

あれから過剰な接触でないのならば、と言う事で落ち着いた筈なのに。
筋肉再びですよ。背後も筋肉、お尻の下も筋肉、お腹に回ってるのも筋肉。

頭上に乗っているのは顎ですかね。ちょっと痛いです。ちょっ、グリグリしないで下さい。

お茶を運んで来たティティには生温かい眼差しを送られ、ロウとフロースには頑張れとエールを送られ。
蒲公英ちゃんはコロコロしてる。

私達のいる公爵家の離れは、まるっと貸し切り状態で、この建物全体にロウが簡易の神域の結界を張ったんだって。

いろんな影響を防ぐ為?と言っていたけど、筋肉が気になって耳半分だったよ。

これから食事を取りながら、色々な事を話すのだけれど、頭に入るかなぁ。

入らなかったら、それは筋肉の所為だよね。

「さて、少し情報を整理しましょうか」



ーーーロウが静かに話し始めた。







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