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一章 女神と花冠の乙女

8 カリン

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狭い下級女官の部屋は、寝台が二つあればそれだけで圧迫感を感じる狭さだ。
寝台の下がタンスになっているので、私物や着替えはそこへ入れる事になっている。
壁に板が張り付いているが、床と平行になるまで可動出来るので、板に付属のつっかえ棒を立てれば簡易テーブルになる仕組み
だ。
カリンはそのテーブルで手紙の返事を書いている。
勿論フィアに、である。
フィアからの手紙を持って来たチュウ吉先生は、待っている間暇そうにカリンをジィっと見ていて、うっかりインクをその白い毛に飛ばしたくなった。

フィアは数日前から宝物庫へ行ったっきりだ。泊まりでの仕事があるらしい。
仕事柄言えない事もあるから、深くは聞かなかったが、きな臭い事に巻き込まれている感じがしてカリンは気が気じゃない。

質の悪い羽ペンと便箋は書きづらくてイライラする。
そんな時にこのネズミは言ってくれたのだ。

「のぅ、お前さん人間じゃ無いな?」

バチッと炎が弾ける。
チュウ吉先生は間一髪で避けたが、髭が少し焦げたようだ。
熱そうに掴みながら伸ばして治そうとしている。

「ふぅーあちちち。早まるな。どうも、こうもせんよ。落ち着け。お前さんがフィアの側にいようが居まいが、フィアと決めることじゃろう。好きにすれば良い。我もそうするからの」

気が昂ぶった所為で、カリンの髪先が炎になっていたが、一つ舌打ちをして気を鎮めたようだった。

「ふーんが人間じゃ無いって良く気が付いたね。流石は神獣って事?ああ、神官の契約妖精からも最近視線を感じてたなー。で?僕は精霊だけど、それがどうかしたの?」

「火のであろう?人型を取るのが流石に上手い。ふうふう、まだ熱い。先も言ったが、別にどうもせんよ。お前さんは、フィアに害をなそうなどとは思わんじゃろ?」

害を成すーーーの言葉にカッとなりかけたが、フィアの手紙から香る沈丁花の匂いが落ち着かせてくれた。

「当たり前だろ?僕があの子を見つけて、側にいて何年だと思っているのさーーー丸っと八年は人間にとっては短く無い筈だよ」

カリンは目を閉じて思い出を探る。


あの子を見付けたあの日。
僕の周りは色が着いたんだ。




######


精霊は、妖精が力を持ち、年月を経て精霊になる場合と、生まれた時から精霊である場合がある。
カリンは後者だ。神の力の中から生まれるのだ。しかも生まれた時に振るわれた神の力が強かったようで、上級精霊としてこの世界に目覚めた。


最初は面白かった。どこ行くのも何をしても。
上級精霊たるカリンに危険は余り無い。
自由に、思うがままに世界に居た。

時折仲間聖霊達と戯れては仲違いもして、仲直りして。

それでもぽっかりと、どこかに穴の空いた気がしてきたのはいつの頃だったのか。

風の精霊が枯葉を巻込み旋を作る。クルクル踊る木の葉が楽しげに笑うが、そこにいた人間は寒いと言う。

肌を刺す風の冷たさなんて、精霊たるカリンには分からないが、寒いと言う言葉が妙に今の自分に当てはまる気がしてならなかった。

そんな時だ。フィアに出逢ったのは。


それは、アルディア王国の港町、カタルの浜辺近くの教会だった。

小さな女の子が浜に倒れていると尼僧達が慌しく動いていて、最近この辺りでの海難事故が無かった為、カリンは気になったのだ。
そこに意味なんて無く、いつもの気まぐれの筈だった。

クルリと教会の周りを一周すると、片側だけ窓を開いた部屋があった。
中を覗けば寝台には小さな女の子が眠っている。倒れていた子だろうか。
病人が着る前開きの質素なワンピースはブカブカで、手が出ていないけど、顔と首は綺麗な白い肌をしている。艶々と光に反射する黒髪は長く、傷みも無い。
波に運ばれて浜へと打ち上げられたなら、傷だらけだろうに。

カリンが窓に腰を掛けると、年輩の尼僧が医者を連れて部屋に入って来た。
気配も姿も消しているので、聖霊が視える人間でもカリンの姿は見えないだろう。
これでも上級精霊だ。余程の力が無いと視る事はおろか、気配を感じる事も出来ない。

ーーー綺麗な子だな。

医師が診察しているが、起きる気配は無い。
やがて医師が尼僧へ何やら話すと、二人とも直ぐに部屋から居なくなった。

ま、外傷は無いみたいだし、後は起きてくれないとわからないよな。
声掛けたら起きるかな?


『ね、早く目を覚ましてよ』

すると、震える長い睫毛が持ち上がり、少女は本当に目を覚ました。

大きな瞳はアメジストの様でいて、夜から朝へ、夕方から夜へと移り代わる、短い間にだけみせる空を思い起こさせる。
美しい刹那の空。時の曖昧さを陽光が惜しむ時間。

その瞳を見て、カリンは息も止まるという言葉の意味を理解した。






######


「ーーーなんじゃ、ただの一目惚れか」

「ただのって何だよ!?一目惚れは間違ってないけど!」

「お前さんは話しが長いわ。要するに、力も暇も持て余して、退屈していた所に、フィアに一目惚れして付きまとっていただけであろう」

「大変だったんだよ!?」

カリンは握り拳を作ってプルプルと震えた。

「あんな綺麗な子が神様達に見つかってみなよ!特に風とか、火とかの神々にさっ!手が早いって有名じゃないか。ヤバイだろう!?だからッーーー」

「中々凝った細工したのぅ?地味な印象も、ボンヤリした記憶しか残らないのも、フィアをしなければキチンと見えぬ仕掛け、見事なものじゃ」

フフンとカリンは得意気に顎を反らす。
この調子で聖霊避けもしていたのだろう。

「だって騒ぎになるじゃんか。フィアには僕がいるんだし。これだけ護りを掛けても変なの引っ掛けるし」

さっさと連れて逃げればよかったよ、何て悪びれずに言い放つ。

「でもさ、フィア記憶が無かったし、相当良い所の娘っぽいのに、魔力が無いから捨てられたのか、でもそれにしては大事にされていた感じだし、読み書き計算出来るしさ。面倒な訳が有りそうって、尼僧も態々伝手を使って後宮務めに出したんだもの」

「正当な、新しい身分が手に入るからか?後宮務めなら、成人で自分名義の身分証明書を作る時に、保証が孤児院や教会よりも良いであろうしな」

「お陰で僕は女の子になるの、大変だったんだよ。見た事無いから体作れないしさぁ。人の振りして娼館まで行ったんだよ」

今までの様に人知れずーーーフィアにすら知られず、精霊のまま側に居るのは王城では流石に厳しいと判断したのだ。

魔力が強い人間がゴロゴロいるのだ。魔導師団とかは、妙な魔導具を持っている上に、札だの術だの魔法陣だのを駆使するプロ集団だ。上級精霊がウロウロしてたら間違いなく面倒くさい事になる。
ならば精霊の気配を薄くする為に、人間に擬態した方が楽だった。

「で、手紙の返事書けたけど。渡してくれるのかしら?」

「急に女官になるでないわ。バレたのだから、素で良かろうに」

ホレホレと手を出しているので、手紙を渡す。今日は月も星も綺麗に出てるから、力を借りて文字通り、飛んで帰るのだろう。

「今の所、危険は無いのよね?最近妙な気配がして嫌なんだけど」

「今は、な。なぁに、いざとなれば、ランジに押し付けて逃げるまでよ。お前さんなら出来るじゃろうて。フィアと我ともう一匹位」

そう言ってチュウ吉先生は窓から出て行った。
ーーーーーー至極勝手な事を言って。

「別に良いけどね、フィアが良いのなら」


夜風が今は長い髪を揺らす。
今夜も嫌な気配が蠢いているようだ。

明日にでもフィアに会いに行こう。
護りをもっと強くしておこうと決めて、カリンは窓を閉めた。



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