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一章 女神と花冠の乙女

3 不穏な噂

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やはり、というか予想通りというか。
怪異達の吸って弱らせる力は、私には通用しないらしい。
曰く、《吸うものが無い》そうで。
何だかモヤっとしたので踏んでおきました。
魔力が無いのもそうなんだろうけど、異世界産の魂の所為ではないよね?まさかね。

異動して五日目、今日の宝物庫での仕事は、絵画の中から逃げ出した青毛の馬を捕まえて、絵の中へと戻す事だった。
うん、何言ってるのか分からないよね。私も分からないです。

兎に角、ちょこまか走る手のひらサイズのミニ馬を追いかけ回して、虫取り網で捕獲。両手で掴んで(何故か掴めた)神官のランジ様に差し出せば、口の中で小さく何事かを唱えて馬の額に触れた。

そうして途端に大人しくなった馬を、金の装飾の額縁に縁取られた絵画に押し込むと、あら、なんということでしょう。

「この絵ってさっきまでただの草原でしたよね」

ーーー草原に馬がいる。

その絵には躍動感溢れ、馬の息遣いや筋肉の動きまで生々しく『動いていそうな』当に名画だった。

今までは化身の怪異だったので、こういった怪異現象には驚きを通り越して、開いた口がそのまま外れるかと思ったわ。

「それにしても、色々な国の物がありますね。ここにある物で、過去も含めて名が上がらない国なんてなさそうです」

謂れ書きや目録を見てると、ランジ様は絵画を魔法陣の描かれた布で覆ってからチラっと私を見た。
ハイ、手も動かせですね、了解です。

「そりゃそうだ。東西大陸合わせた世界で見れば中堅国家だがな、腐ってもこの中央大陸一の王国だ。貿易でも陸路や海路、どっちを取っても東西が混ざる地点だしな。あーまぁ、チィーッとばかし東の帝国の物が多いのは二百年前の王妃様と先の王妃様、今は王太后様だなーーーの持ち込みが随分とあったからだ。お二方ともお美しい皇女でいらした」

いや、懐かしいと、ランジ様は話し始めてしまった。

地政学的に文化が交じるのは頷ける。
後宮の衣装を見れば唐服、漢服、和服を西洋風のドレスにアレンジした感じだ。
建築や小物に至るまで、所々に東側の息吹を見つけられる。
私の女官服も、小豆色の袴と袖広のチャイナ服みたいな形だ。

でも東側文化の一番の恩恵はお米様だけどね。お米大事。

うんうんと、話を聞きながら、私だけでも足元に散らばるモノ達を仕舞おうとすると、前髪を引っ張られる。

「チュウ吉センセー何ですかー?厠はお外ですよー」

「誰が厠じゃ!ったく、茶を淹れんか、喉が渇いたぞ。ホレ、神官殿も待っておる」

振り向けばいつの間にやら出したのか黒檀の小さな茶机と丸い椅子が二つ。

もしかして、さっきの視線はお茶の所望で御座いましたか。不覚。

「おお、茶器はその棚の物が良いぞ。良き気を持っておる」

カタカタと木箱を鳴らしてお返事偉いですね。って誰が言うか!
もう驚くまい。気にしたら負ける。

「ーーー使っては不味いのではないでしょうか」

仮にも王家の宝物庫にある由緒正しき御品物である。それを理由に一応の抵抗を試みる。割ったら怖い。

「何、構わんさ」

ーーーフィア任務失敗。

「お前さんも偶には姿を見せてはどうだ。後宮中で噂を聞いては薔薇そうびの妖精達と井戸端会議を開いておるのは知ってるぞ」

え、ランジ様、どなたに向かって話し掛けているのでしょうか。それは、茶器の入った木箱ですよ?カタカタしてますが、それは茶器です。

私の無駄な汗を更に無駄にして、ランジ様は木箱をヒョイっと棚から持上げると、何時もの乱雑な所作からは想像が付かない位、丁寧な仕草で紐を解いた。

「青磁、ですか」

それは美しい碧玉色の透明感のある磁器だった。

「ん?よく分かったな。この吸い付く様な肌の良い事。艶といい、滑らかさといいーーーフベシッ」

「おだまりなさいな、この卑猥ドワーフ」

ランジ様が器を手に取り、うっとりと呟いた瞬間ーーー美麗な扇が翻ったと同時に、華やかな、それでいてしっとりとした声が聞こえた。

今、凄くいい音がしたけど。ランジ様が机上で顔を潰しているけれども。
それよりも何よりも、目の前に堂々と出現した謎の美女だ。
美しい黒髪を頭上で複雑な髷を幾つにも別けて結上げ、耳の後から細い一束の黒髪が玉飾りを着けて胸元へと流されている。
髪飾りに使うは紅色の組紐と先染めの桜のみ。
青緑の衣には薄紅色の花が咲き、ふわりと広がる袖は白き腕を指先まで隠している。

眦に朱を刷き、花鈿が額に描かれた姿は当に天女。

ぼぅっと見惚れていると、顔の潰れたランジ様がむっくりと起き上がった。

「相変わらずだな、リンファ、茶器に宿る天女よ」

臈たけた美女は扇で口元を隠し、嫣然と微笑んだ。




茶海から注がれた茶杯が三つ並ぶ。
それから、何処から拝借してきたのか釣鐘状の小さな花が二つ、茶托代わりに細い葉を丸め、ちょこんと乗っている。
こちらはチュウ吉先生とランジ様と契約している琥珀に宿る妖精の分だ。

人間、ドワーフ、自称神獣、妖精、そして茶器の精。

怪異ではあるけれど、霊格と言われるものが高い存在が、この美女らしい。

っていうか、ランジ様ってドワーフだったんだ!普通に背の低いお爺ちゃんだと思ってたよ。
あれ、そういえばさっき二百年前の王妃様を直接知ってる様な口振りだったっけ?
ドワーフも長寿って言うもんね。エルフには敵わないけど。
珍しいなぁ。口伝も多い神殿は神官職だと長寿のエルフが多い。
確かにドワーフも長生きだけど、珍しいんじゃないかな。

私が内心で首を傾げていると、絶世の美女がニッコリと笑った。

「ドワーフの神官も割といてよ。工芸品や美術品、武器や防具。いわく付きの子達も神殿には多く持ちこまれるわ。それらに精通している者も必要ではなくて?」

「なるほど!ドワーフ族は物造りに長けてーーーん?今私声に出てましたか?」

「その間抜け面に出ていただけだろう」

ランジ様ーーーさようですか。

「それで?聞きたい事があるのではなくって?この間からソワソワしていたの知っていてよ。選定の儀の事かしら?それとも妖精達の様子が可怪しくなって来ている事?魑魅魍魎が跋扈する王城は、争いの種が渦巻いているわ。どんな噂話がお望みかしら?」


茶器の精、ええい、心の中ならリンファ様で良いよね、面倒くさいーーーゲフン。
そのリンファ様が途中で言葉を切ると、ニンマリと悪そうな笑みを浮かべる。
おおぅ、悪役美女爆誕ですな。

ランジ様は、ズズっとお茶を啜ると重たそうに口を開く。

「ある時期からーーー少しずつ、結界内の怪異共の質が悪くーーー元々質の悪いモノではあったが、あー、ここ一月半程は輪を掛けて、だ。今はだいぶ治まったがな」

ん?ランジ様と目が合ってしまったわ。

「フィアとやらが来てくれなければあの時は、本当にランジが死んでしまうかと思ってよ。結界の縄掛けをしくじるなんて、歳かしらね?」

『そうよ!あれ程注意してって言ったのに』

「ウム、我を褒めよ讃えよ!」

「そこのネズミ、少し黙っていただけないかしら、話が進まなくてよ。ーーーそうね、いつも一緒に後宮での噂を面白可笑しく囀っている薔薇の妖精達が酔った様になる事があるわ。力の弱い妖精は言わずもがな。覚えていてよ、あの日、国中から候補の娘達が王城へと来てからだわ。最近は下級精霊も、可怪しいかしら?ハッキリおっしゃいな。ある時期なんて濁さないで、国中から舞姫達が王都の神殿へやって来てーーー」
「ウオッホン!!!ゴフゲフッ」

ランジ様がわざとらしい咳払いでリンファ様の言葉を遮った。ちょっと汚い。

うわぁ、リンファ様の顔にあからさまに『このクソがっ』て書いてあるよ。

それよりも、これって木っ端女官が聞いてはいけないお話じゃ!?
ヨシ、私は今から全力で空気になります!

「フィアは女官仲間から何か聞いてるか?何でも良い、乙女候補のなんか、こうーーあるだろう?そんな感じの事とか」

のぉぉ!前世は日本人、空気読むスキルは装備済、しかし、空気になるにはーーーああ、エツコ様スキルも必要だったとは!

しかも何ですか?そんな感じって何!?

「イヤイヤイヤイヤ、下っ端の掃いて捨てる女官如きが知ってる噂なんて、きっと露ほどの欠片の真実も事実もないですよ!?」

それでもって•・・・うーん、あっ。

「本当にただの噂ですよ?私が知っている位なので、既にご存知ではないかと思うのですが」

え、構わないと?
ならば、と私も聞いただけだし、辻褄が合わなくてもその辺りの事は分からない、と前置きしてから話し始めた。

    
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