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一章 女神と花冠の乙女

1 古井戸の妖精

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ふわぁ、と欠伸をすると涙が滲む。
朝靄の濃い早朝に、私は仕度を急ぐ。
国中で盛り上がっているお祭り騒ぎの為に、勤め先が異常に忙しいのだ。

下級ではあるが、女官になって三年目の春先。推定十六歳。推定というのは幼い頃の記憶が無いからだ。
名前は保護された孤児院の尼僧にフィアと名付けられた。
私は、眠い目を擦りながら、食堂へ向かう。



アルディア王国は、初代花冠の乙女の出身国だと言われている。
故に、この国の民には、花冠の乙女の血が、アルディアの王族に流れていると、信じられているのだ。

その所為もあり、一月後に乙女候補選定の儀が行われる王城は勿論、国中が綺羅びやかな熱気に包まれている。
ここで選ばれると、大神殿に招かれ、舞を披露する栄誉にあずかれるのだ。
『花冠の乙女』はこの大神殿での舞で決められるという。
大神殿で舞う姿は神々も御覧じられ、見事とお褒めにあずかれば、神々より花冠を賜われるのだとか。


お陰で宮廷内は、上から下まで働き蜂の如くの忙しさだ。

それはある意味、表からは切り離された、ここ、後宮にも及んでいる。なんと、始業時間を1時間も早められたのだ。朝は5分ですら貴重だというのに。


まだ薄ぼんやりとした明るさの食堂は、眠気と戦う下級女官で溢れている。

先に席取りをしてくれた同室のカリンが、大きく手を振って呼んでいる。
湯気の立つトレーが二つ。気が利くなぁ。ありがたや。

面倒見が良いカリンは、新米女官として同室になってから直ぐに仲良くなれた。今では親友ポジに堂々と鎮座している。


「ねぇ、フィアってば!聞いてるの?」

私と同じ、頼まれたら『かしこまりました』しか言えない木っ端な下級女官である筈のカリンは、朝の食堂で、今が旬の噂話をそれはそれは熱心に聞かせてくれる。
元気ですね、カリンさん。

因みに彼女の食事はまだ手付かずだ。
私は視線でカリンに食を促す。

「聞いてる、聞いてる。うん、つまりその男爵だか子爵だかのゴレージョーサマが?公爵家の姫様差し置いて王子様と云々?」

「子爵令嬢ね」

私は、黒く硬い酸味の強いパンをふんぬーっと千切り、薄い塩味のスープにぶち込む。行儀が悪いとは思うけど、時間が無いのですよ。早くふやけないかな。

それでね、と始めるカリンの話をフンフンと聞きながら、ふやけたパンをスープと一緒に口に運ぶ。うん、相変わらず不味くはないけど、美味しくもないなぁ。

噂好きだけあって、カリンは話が上手だ。要点が、簡潔に、分かりやすくまとまっているので、とても聞きやすい。

私は相槌を打つと、グズグズになった最後のパンを飲み込む。これで成敗するのは、煮込み過ぎて溶けかけた人参だけになった。好きだけどね、人参。

カリンの話は、いよいよここからが佳境に入るらしくて、鼻の穴が膨らんでいる。

ふと見れば、カリンの皿は既に空になっている。
え、一体いつ食べたの?はやくない?子爵令嬢と王子の話よりも気になりますよ、カリンさんや。

あ、さっきよりも先輩女官の人数が増えてる!?

私は壁時計を確認すると、急いで人参をかき込む。

「カリンごめん、続きは夜に聞かせてくれる?もう行かないと。宝物庫ってここからが距離あるし」

途端、カリンの顔に心配の気配が滲んだ。

「ねぇ、本当に異動願い出さなくていいの?には専任の神官様がいらっしゃるじゃない。今更人手って必要なの?ずっと神官様がお一人で管理してらしたのに。私、嫌よ、同期同僚同室のアンタが怪異に触れて気が狂ってしまったなんて」

「あそこ、じゃなくて宝物庫、ね。それにまだ狂ってないから。神官様は結構なお年寄りのおじいちゃんで、人手は必要だと思う…たぶん。怪異はーーー私は魔力がないから大丈夫、らしいしね?」

安心させようと、微笑んで見せたけど、私の魔力無しの発言に、カリンの眉間に皺が寄っただけだった。












下級女官の宿舎前を通り、外側から北の回廊へと進む。後宮の内部を通れば、宝物庫までの道程を短縮出来るのだが、位によっては通れない廊下があるので仕方がない。

宿舎に一番近い井戸では、この春採用されたばかりの新米女官達が、悲鳴を上げて桶をひっくり返して尻もちを付いている。

この光景を見ると、春だなぁ、と思う。

毎年、新米女官が織りなす風物詩みたいなもので、一見普通の井戸に見えるが、存在自体はかなり古いらしくて、いたずら好きの妖精が住んでいる。

この妖精は食い意地が張っているので、井戸を使う前に1枚のビスケットを供えないと、桶をひっくり返されるのだ。

勿論、私もやられた口で。しかも盛大に水を頭から引っ被りました。
まぁ、その衝撃で、日本人として生きてた前世の記憶を思いだしたんだけどね。何処の誰だったかはわからないけど。

しかも、転生者として自覚した所為か、中々便利、しかし使いどころを間違うと危険なギフトの持ちである事が分かって、この世界の人には存在する筈の魔力が全く無いけど、何とかやっております。

そう言えば、妖精や精霊、神獣などの人為らざるものーーー纏めて聖霊とも呼ばれるーーーが視えるようになったのもこの時からだ。神獣はまだ見た事ないけど。

こっそりと、懐かしく見てると、古井戸妖精のチュウ吉先生(命名はこの私、フィアが致しました)がちゃんと乾かしてあげている。
うん、私がやられた際に、キレ散らかすと言う名の説教をした甲斐があったわ。
あの丸っこい、モフっとした、大福みたいなボディーを鷲掴みして、いえ、捻り潰そう何てしてませんよ?ええ、ええ。

あ、見ている場合じゃ無かった。急がないと。

足を早めたところで、何かモフっとした感触が頭にあったが、無視だ。無視。きっと気のせいよね。ペシペシ叩かれているけれども。微妙に前髪が引っ張られているけれども。

ーーーーーープツリ。

「ああああ、イッタァ!ちょ、チュウ吉先生、今髪抜いた?ねぇ、抜いたよね!?この大福ネズミ!」

ムンズ、とぽってり感のある頭上のネズミを掴む。
あ、やっぱり黒い数本の髪を握っている。
キリキリと締め上げれば、情けない声が
で言い訳をしてくる。

「く、苦しいぞ、元は其方が偉大なる我を無視するからであろうに!昨日もその前も、その前の前も来なかったであろう!薄情者めが!」

配属異動の準備もあったし、忙しくもあったが、避けていた事は認める。が、ちゃんと理由はある。
と言うか、ネズミは否定しないのね。

「契約はしないよ?」

そう、この自称偉大なる我様、チュウ吉様は、魔力も無い私と契約を結びたいらしいのだ。そんな私と契約しても、メリットなんてないでしょうに。

ーーーむしろ。

「私はずっと後宮、王城にいる訳じゃ無いもの。いずれは出ていくよ?妖精は生まれたその土地からは、遠く離れる事が出来ないって教わったけど。契約すると、その土地と切り離されて魔素を取り込めなくなる。だから代わりに契約者の魔力を貰うのでしょう?私と契約しても損しか無いどころか命の危機よ」

魔力無しの私じゃ先生に魔力の供給が出来ない。弱って消えてしまうとか、嫌です。

「其方のくれる菓子は美味じゃ。それだけでも損ではあるまい」

ホレホレ寄越せ、と小さな手を目の前で振られる。
ねぇ、チュウ吉先生話し聞いてた?

「それに、其方にとっては悪い話ではあるまいに。我はこの場所にずっと居ったからの。此処に王城なる物が建てられる以前からじゃ。後宮も然り。なれば宝物庫の怪異など赤子も同然よ。ホレホレ、手伝ってやる故に、我に菓子を寄越せ」

確かに居れば助かる事が多かった。
右も左も分からぬ新米の頃に出会ってから教わる事も多々あった。だから先生でもある。
でも、王城ができる前って言い過ぎじゃないかな、先生。それじゃいくら妖精でも長生きし過ぎだし。本当ならとっくに上級の精霊位にはなってるって。

真偽は置いといて、私が転生者だとチュウ吉先生にバレてからは特に、もの凄く助かったのは事実だ。
転生者特典のような普通ならあり得ないギフトを持っている事や、空間魔法を習得しなければ使えない筈の空間収納が使えるなどの規格外が露呈しないように、後宮での生活に慣れるまでは何かとフォローをしてくれた。

私は深い溜め息をついて、周りに人気が無いのを確認すると、腰に下げた巾着から取り出す振りをして、空間収納からキノコの形をした某メーカーのチョコレート菓子を一つチュウ吉先生に渡す。
そう、私のギフトの力は異世界の物を取り寄せる事が可能なのだ。私は『お呼び出し』と呼んでいる。


「おおお!これじゃ、これよ!真に美味じゃ!」

頬袋をパンパンにして頬張る姿は、非常に愛らしいハムスターそのもので、キュルルンと丸い瞳で見上げられてしまうと、ついついお代わりをあげてしまう。なごなご。

「契約もーーー「却下します!」ぬ、まだ最後まで言ってはおらぬではないかっ」

「しないって言ってるでしょう?聞き分けてよ」

ウルウルと見つめられると駄目だ。見てはいけない。うっかり頷いちゃうから!
くっ、これがあるから避けていたのに!

「ぬ?そういえば先程は我を妖精と申したか?」

キョトンとしたチュウ吉先生がめっちゃ可愛い。どうしてくれよう。

「え、だってチュウ吉先生、古井戸の妖精でしょ」

「なんと。認識に齟齬があったとは。のうフィアよ、我は妖精に非ず」

「ふへっ!?」

何ですかその設定。初耳ですよ。非ずって何?じゃぁ精霊なのかって聞くとそれも違うらしい。

「なんじゃ、その顔は。我は一度も妖精などと言った覚えはないぞ。視える人の子らが勝手に我を妖精と呼んでいただけじゃ」

ええええーーー。

そういえば、聖霊は視えるみえないは相性があって、人によっては全く見えなかったり、光の玉にしか見えなかったりするみたいだから、視えてもこんな小さなハムスター擬きや、ぼやけた光の玉なら妖精って思うよね。

「チュウ吉先生は妖精でもなくて、精霊でもない。あ、それはそうか。精霊は好んで人型を取るしね」

妖精は様々な姿をしているけどね。だけど、残るとすればーーー。

「ーーー神獣しかないけど。アハハ、真逆ねぇ。プッ」

「おお、そうじゃ。その神獣じゃ!」



ーーーーーーえ、どう見てもハムスターにしか見えないのですが、チュウ吉先生。

全く信じられないのですが。





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