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梅のお酒

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紅茶とパフェと漬物と

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俺はどこにでもいる普通の一般人。
毎日会社に行き仕事をして家に帰るの繰り返しだ。
別にこの生活が嫌ってわけではないが、楽しいことは何もない。

今日は日曜日で、俺は特に行く当てもなくぶらぶらと家の近くを歩いていた。
俺の働く会社は月火水木金が出勤日で土日が休み。週に2日休みがあるからブラックではない。
だが、重要なプレゼンとか人間関係とか色々面倒なこともあるのだ。
そんな平日を乗り越え迎える休日。
昨日は結局家に篭ってダラダラとしていたらいつのまにか終わってしまった。
今日こそは何か充実した休日を過ごさなければ。
そう思って、今日は重たい足を引きずってとりあえず外に出てみたわけなのだが。
はー、とため息が溢れる。
前は、趣味を見つけようと読書やゲーム、スポーツなどいろんなことを挑戦してみたのだが、どれも3日で飽きてしまった。
昔から何か一つのことに熱中するなんてこともなく、なあなあで過ごしてきたのが仇となっているのかもしれない。

ぼっーと歩いているうちにだいぶ遠くまで来たようで、いつの間にか辺りは知らない景色になっている。
ふとその景色の中に地味な喫茶店を見つけた。
路地の少し先にあり、よく見ないと見逃しそうな立地だ。
看板は古く、文字の所々が濁って見えずらくなっている。
カランコロン
俺はなんとなくその店に入った。
店内に客は居らず、白髪のマスターがカウンター席の向こうでグラスを拭いている。
「いらっしゃいませ」
俺は軽く会釈をして、店内を進む。
さて、どこに座ろうか。
こうもガラガラだと選択肢が多くて悩む。
別にどこでもいいのだが無意味に悩んで立ち尽くしていると、白髪のマスターがどうぞとカウンター席に招いてきた。
初対面の人に話すのがあまり得意じゃない俺は、普段ならカウンター席は避けるのだが、招かれてしまっては仕方がない。
俺はいそいそとカウンター席の端に座った。
軽くメニューを見て、注文をする。
「レモンティーとチョコレートパフェ、それときゅうりの漬物をください」
それを聞いて、店主はなぜか驚いた表情をした。
「えっと、どうしました?」
驚いて固まったマスターに声をかけてみる。
「いえ、ついあのお客さんと同じ注文をされたので」
「あのお客さん?」
「はい。前によく来てくれていた常連の方です。来ると必ずこの3つを注文されていました」
紅茶にパフェにきゅうり。
「自分で言うのもなんですけど珍しい組み合わせですね」
改めて自分の注文を思い出して苦笑いを浮かべる。
「ほんとそうですよ」
マスターは微笑んでこちらを見た。
あはははと空笑いがでる。

最初に出されたのはレモンティーだ。
紅茶とレモンが別々にあり、自分で絞るのがこの店流らしい。
俺はレモンを絞る前に一口紅茶をすする。
なんとも落ち着く香りが鼻から喉に充満し、幸せな気分を感じる。
次はレモンを絞って飲んでみる。
一気に雰囲気が変わった。
先程までの落ち着いた風味から変わって、爽やかさを感じる。
しばらくレモンティーを啜って喫茶店気分を満喫しているとチョコレートパフェが出された。
上に乗ったチョコレートムースからぱくり。
幸せだ。
もはやパフェの食レポは不要だ。
美味しいとしか表現のしようがないのだ。
甘くなった口の中を紅茶でリセットして、また一口目の感覚を味わう。

出されたものを一通り完食し切ると、最後にきゅうりの漬物が出された。
「実はこのきゅうりの漬物のメニューは先程話した常連の女性の案でできたものなんです」
きゅうりの漬物を見ながらマスターは話し出した。
「この店は開店してからあまり客が来なくていつもガラガラでした」
それゃこんなわかりづらいところにあったら、客も来づらかったんじゃ。
そんな感想は胸の内にしまっておく。
「あの日はいつも通り客はゼロで、閉店のことも考えていました。そんな時1人の女性が来店されたんです」
いつも通りって、個人経営も大変そうだ。
「その女性は最初、レモンティーを注文しました。
するといきなりレモンの風味が足りない、って言われました」
マスターは楽しげに続ける。
「それから紅茶とレモンを分けて、お客さん自身でレモンを感じていただく方法にしたんです」
俺は先程絞って、薄っぺらくなったレモンを見る。
「チョコレートパフェも最初はスポンジとクリームだけで、ムース状のものは後から改良したものなんですよ」
「あのムースすごい美味しかったです」
「値段は少し上げたんですけどね」
メニューを見るとパフェ1000円と書かれている。確かにちょっと高いかも。
マスターは少し悪戯じみた表情をした。
「あの女性はパフェを食べ終えた後、しょっぱいものが食べたいって言うんです。それでたまたま冷蔵庫に入っていたもので作ったのが、このきゅうりの漬物です」
「すごいわがままな客ですね」
「ほんとわがままで困りまくりでした。日頃の愚痴を聞かされたり、店の外装を勝手に変えたり、この店で爆睡したり。でも私はその女性が毎日のように店に来るのが嬉しくて、いつからか女性が必ず頼むこの3品を前もって用意したりしてました」
「なんか楽しそうですね」
マスターの表情を見て本当に楽しかったんだと伝わってくる。
しかし、そこからマスターの表情は曇っていった。
「しばらくして、それなりに多くのお客が来るようになりました。女性が変えた外装のデザインが目立ってお店の存在がわかりやすくなったのかもしれません。それと同時に女性が店に来る頻度が徐々に減っていきました」
「どうして、、」
俺は浮かび上がる疑問をそのまま口にした。
「わかりません。でも女性が店に来なくなる少し前から、徐々に元気がなくなっているように見えました。もしかしたら何かあったのかも」
「そうですか」
しばしの沈黙。
まだ残っているきゅうりをカリカリと音を立てて食べるのが申し訳なるくらいどんよりした空気だ。
「なんかすいません。重苦しくしてしまって」
「いえいえ、全然」
俺は少し気まずかったがなんでもないふりをする。

カランコロン
すると突然店のドアが開いた。
「お母さん、ここいい匂いがする」
1人の少女が店に駆け込んできて、大きく息を吸う。
その後ろから夫婦らしき男女も店に入っできた。
ぱりん。
前でグラスが割れる音がした。
マスターの方を見ると、来店してきた男女を見て口をパクパクさせている。
「お久しぶり、マスター。私が綺麗にデザインしてあげた外装、どうして元に戻しちゃたのよ」
女性がマスターに向けて、親しげな口調で話しかけた。
「いらっしゃい」
マスターは目に涙を浮かべてお決まりの挨拶をした。

夫婦らしき男女は少女を間に挟んでカウンター席に座る。
「それじゃレモンティーとチョコレートパフェときゅうりの漬物3つずつちょうだい」
「了解」
「マスターあんまり変わってないわね」
「君はすごく変わったね。オーダー以外は」
「そう?」
女性は口元に指を当て小悪魔めいた表情をつくる。
「ああ。ところで隣の2人は家族かい?」
マスターは隣の子供と男性を見て質問した。
「ええそうよ」
「そうか。きみが店に来なくなったのはそう言うことだったのか」
「そ。家族ができると何かと大変でね」
女性は少女の頭を撫でると、少女は嬉しそうに体を揺らす。
「それにしたってたまには顔を出してくれればよかったのに。私はてっきり店が繁盛して居づらくなったのかと思って外装を元に戻したり、何かの病気とか交通事故で亡くなっのかと」
女性はそれを聞いて声に出して笑う。
「大袈裟すぎ。どんだけ私のこと好きだったのよ」
「うるさいうるさい」
マスターは照れたのか俯いて3人にレモンティーとチョコレートパフェを出す。
「美味しいー」
少女はパフェを口いっぱいに頬張り、笑みを浮かべた。
「子供も大きくなったし、これからはちょくちょく顔出してあげるわ」
「相変わらず上から目線だね」
「マスターにだけよ」
「そうかい」
2人はどちらも楽しげに見える。
前もこんな感じで2人で話していたのだろう。

カランコロン
俺はこの場にいるのはお邪魔なような気がして、店を出た。
帰り道どっちだっけ。

また次の週がやってきた。
忙しい平日を乗り越え、だらだらした土曜日を終えた後の日曜日。
俺はまたあの喫茶店を訪れた。
外装は折り紙で作られた輪っかや星やハートの形のシールが貼られていて、以前よりよく目立っている。
いや、むしろ悪目立ちしているようにも思える。
まぁマスターがそれでいいならいいか。
カランコロン
「いらっしゃいませ」
店に入るとテーブル席に客が何人かいた。
マスターは忙しそうにせかせかと働いている。
俺は前と同じカウンター席に座る。

カウンターの向こうには、すでにレモンティーとチョコレートパフェ、そしてきゅうりの漬物が3つずつ用意されていた。
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