短編集

梅のお酒

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花火は夜を照らす

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俺はどこにでもいる普通の一般人。
毎日会社に行き仕事をして家に帰るの繰り返しだ。
別にこの生活が嫌ってわけではないが、楽しいことは何もない。

今俺は2泊3日の社員旅行として島根に来ている。
この社員旅行は強制で親睦を深めるために四年に一度行われている。
毎回島根というわけではなく、前回は青森だった。
前回の社員旅行の時俺はちょうど新卒でかなり緊張していたのを覚えている。
上司に気を使ってばかりで旅行を楽しんだ記憶は全くない。
そんなことを思い出してか今回も少し気が思いやられた。

「どした、浮かない顔して」
一つ上の先輩が俺の顔を見て心配そうに声をかけてきた。
「いえ、少し歩き疲れただけです」
「ならいいけど。せっかくの社員旅行だし楽しもうぜ」
「はい」
この先輩は異様に明るく社内のムードメーカー的な存在だったりする。
上司とも後輩とも仲が良く、この人のコミュ力はマネしたいものだ。

夕食は島根の名物出雲そばだ。
後輩が予約をしておいてくれていた店で、店内に入るとすぐに席に通された。
そういえば前回の社員旅行は俺が予約したんだった。
ありがとう後輩。
前回の社員旅行の苦労を知っている俺は気持ちだけで後輩を労う。
味は絶品で一つ上の先輩はお代わりしていた。
ちなみにお代わりは自腹らしい。

そんなこんなでやっと宿に着いた。
一日目にすることはもうなく、それぞれの部屋でくつろぐだけで終わる予定だ。
一人一部屋与えられているのはありがたい。
俺は荷物を置いてすぐ布団を広げ横になる。
この宿は源泉かけ流しの大浴場だと一つ上の先輩がなぜか自慢げに語っていた。
風呂は誰もいないときに入ろう。
この宿はいつでも風呂が開いているらしく、俺はみんなが風呂を入り終えるだろう時間まで寝ることにした。

ふぁーよく寝た。
時刻は午前3時。この時間はおそらくみんな寝ているだろう。
大浴場へ向かう道の廊下を音を立てないようにそっと進んでいく。
渡り廊下は屋外で、あたりの木々が風でなびく音を聞くのが心地いい。
旅行に心地よさを感じるほどには心に余裕が出ていた。
四年前から俺も多少は成長したのだろう。

大浴場の前に着くと女の更衣室の電気がついていた。
この時間にまだ起きている人がいるのか。
俺と同じような考えの人がほかにもいたようだ。
だが女風呂のほうなら問題はない。
俺は男と書かれたのれんをくぐり、服を脱ぐ。
昔ながらのドアをからからと開けると、大きな風呂から湯気がもくもくと上へと昇っていた。
もちろん誰もいない。貸し切り状態だ。
俺はわきにあるシャワーで体を洗い、ゆっくりと風呂につかる。
あったかい。
体の疲れが隅々からなくなっていくように感じる。
しばらく夜の森から聞こえてくる虫の音をに耳を澄まし、久しぶりの温泉を楽しむ。

いつからか虫の声に交じって、どこからかすすり泣く声が聞こえた。
最初はのぼせて幻聴が聞こえてきたのかと思ったが、意識して耳を澄ますとどうやら女風呂から聞こえる。
誰だろう。
しばらくその声が誰のものか気になり耳を澄ました。
しかし、なんとなく盗み聞きをしているような罪悪感を感じ、俺はそろそろ出ようと脱衣所へと向かう。
その時、俺は石鹸に足を滑らせ大きな音を立ててしりもちをついた。
「だれ?」
女風呂から慌てた声が聞こえてきた。
やばい、気づかれた。
俺はその質問を無視してもう一度脱衣所へ向かう。
急いで寝巻に着替え廊下に出る。
するとすでに廊下には一人の女性が立っていた。
女風呂の脱衣所の電気は消えている。
俺より早く着替えるって早すぎだろなんて考える暇もなく、頭にデコピンを食らった。
「あんた、私が泣いてるの聴いたでしょ」
聴いてくるだろう質問をされたのにぎくりとした。
「何のことでしょう?」
その後、問答無用とばかりにデコピンを3連発食らった。

俺は大浴場近くのテラス席に先ほどデコピンを食らわせてきた女性と座っている。
その女性は俺の上司であり、多くの部下から尾に上司と恐れられている人物だった。
「あんた盗み聞きはよくないわよ」
「いえ、別に盗み聞きをしていたわけでは、」
「嘘つき」
しばらくふくれっ面のままにらまれる。
「で、なんで泣いてたんですか?いつもはそんな姿想像もできない感じなのに」
「あら、あんた私がどんなふうに見えてるわけ?」
俺は、やばいと顔をこわばらせる。
「まあ、いいわ。許してあげるからこれだけ約束して」
「なんでしょう」
「一つ、今日風呂で見たものは忘れること。二つ、明日の自由行動は私についてくること。いいわね」
「はい」
つい威圧に負けて返事をしてしまった。
2日目は基本自由行動であり、好きな場所を観光していいことになっていたのだ。
ちなみに俺は前から島根に来たら松江城に行ってみたいと思っていたのだが、これではそれもかなわないだろう。
「あの一つ訂正してもよろしいでしょうか」
俺はいつもより丁寧に質問する。
「なんでしょう」
「聞いていただけで覗いていたわけではありません」
「嘘つき」
それだけ言うと女上司は一人で部屋へと戻っていった。
嘘じゃないのに、、

次の日、俺は先輩の背中にくっついて歩き続けた。
もう電車とバスを乗り継いでもう3時間ほど移動を続けている。
その間、女上司は終始無言。
一体どこへ向かうというのだろうか?
電車に揺られている間、ついため息がこぼれる。
すると横で俺な足を踏みつけにらんでくる女上司。
最悪だ。
今朝、同期に一緒に行動しようと誘われたのだが、断ったのだった。
同期と行っていれば今頃松江城が目の前にあったことだろう。
そんな楽しそうな光景を思い浮かべたら、再びため息が出た。
俺の足に激痛が走る。

電車を降りそこからまた2時間ほど歩き続けた。
森の中、土が固められた道を縫って進んでいく。
あたりはもう暗くなり始めていた。
ドン。と何か振動が伝ったその瞬間暗い森に光がともる。
俺はその音と光に心当たりがあった。もしかして。
ようやく森の先に出口の光が見えた。
「あそこよ」
ようやく女上司は口を開いて、出口に向かって駆け出す。

森を抜けるとそこからはきれいな花火が見えた。
そこから見える景色は絶景で、思わず言葉を失った。
それは女上司も同じのようで、普段からは想像もできないようなまんべんの笑みでこの絶景を見ている。
俺は今この瞬間ついてきて本当によかったと思った。
いつの間にかフィナーレを迎えてたようで、数えきれないほどの花火が一斉に打ちあがる。
今まで見た花火で一番きれいだった。
静寂が戻ってくる。
「帰りましょうか」
女上司はそれだけ言い、引き返そうとしたその時、アナウンスが聞こえてきた。


最後にメッセージ花火を一発打ち上げさせていただきます。
送り主は松田喜代で娘に捧ぐ一発です。

この花火が打ちあがるとき私はこの世にいないでしょう。
でもどうか悲しまないで。
笑顔でこの花火を見てほしい。
あなたのことが世界で一番好きなおばあちゃんより


隣で女上司は必至で涙をこらえ笑顔で最後の花火を見ていた。
静寂が戻る。
花火が見えなくなり、煙だけになっても見上げた空から目を離すことはできなかった。

「それじゃ、帰ろっか」
いつにもなく優しく声をかける女上司。
「はい」
それに俺はいつにもなく素直に返事をする。

帰り道、暗いはずの森は星の明かりに照らされていた
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