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聖女爆誕編

蝋燭は身を減らして人を照らす②

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 ——小夜が一通りの確認を終え、腕から針を抜こうとしたその時、部屋の扉が開いた。

「聖女様、食いモン持ってきたぜ」

 入って来たのは大きな袋を抱えたルッツだった。

「あら、ルッツ。ありがとう」
「いいって事よ。それよりも聖女さ——」

 ルッツはそこまで言って口を閉ざした。力の抜けた手からはドサリと音を立てて抱えていた麻袋が床に落ち、飛び出そうな程にブラウンの瞳を見開いている。
 そんな彼の視線は一心に小夜の左腕に向けられていた。

「せ、聖女様⋯⋯それ⋯⋯」

 震える指で針が刺さったままの小夜の腕を指差す。

「あんた⋯⋯遂に頭が可笑しくなっちまったのか?」
「失礼ね。私は何時だって正気よ」
「だって、それ⋯⋯!!」

 ルッツはわなわなと震えながら信じられないものを見るような目で小夜を凝視している。

「これは、注射k——」

 言いかけて、はたと口をつぐむ。

(ちょっと待って、ルッツの反応を見る限りこの国には注射器が無いんじゃないかしら⋯⋯?)

 よくよく考えれば病は呪いが原因と考えられ、著しく医療技術の進歩が遅れているエーデルシュタイン王国ではそれも納得の事である。そんな国に住む彼に本当の事を言っても理解を得られるかは分からない。
 それに、聖女と注射器は何ともミスマッチである。

「え、えーっと⋯⋯これは——」

 そう言いながら小夜は頭をフル回転させ、最善手を探る。そうして、導き出した解は冷静に考えてみれば実に頓珍漢なものであった。

「此れは⋯⋯そう、つえ⋯⋯杖よ!!」
「つ、杖!? コレが⋯⋯!?」

 自分で言っていても無理があるとは思ったものの、一度口にした事を撤回する選択肢など無い。
 小夜は元の世界ではそんな事を口に出せば即病院送りにされそうな荒唐無稽な論——注射器は杖である説を提唱し、大胆にもそれを貫き通す事にした。


「そうよ、何処からどう見ても杖じゃないの!」
「⋯⋯杖、あんたの腕に刺さってるけど」

 この光景にも慣れて来たのだろう、ルッツは目を細めながら言った。

「此れはそういう使い方をするのよ。そして此れこそが私の魔法なの」
「⋯⋯でも、さっきはそんな物使ってなかったよな?」

 ルッツは訝しげな視線を向けて来る。彼の言う『さっき』とは恐らく、小夜が出鱈目な呪文を唱えさせられた時の事だろう。
 小夜は深く息を吐き、自らの腕からゆっくりと針を抜いてからルッツに向き直る。

「⋯⋯あの時の事は忘れて。それに、私を召喚した魔女だって持っていたじゃないの。聖女だって杖くらい持つわよ」
「そういうモンなのか⋯⋯?」
「ええ。人間だって同じ人は一人として居ないわ。それは、聖女も同じこと。みんな違ってみんな良いじゃない」

 自分でも信じられない事に、それらしい言い訳が次から次へと口をついて出てきた。ルッツは突然もたらされた大量の情報に混乱しており、困惑顔である。
 そんな彼の様子を見た小夜はあと一押しで丸め込めそうだとほくそ笑んだ。

「聖女なんて伝承上の存在なんでしょう? だったら貴方が知らなくても無理ないわ」
「そう、か⋯⋯」

 ルッツはぎこちなくでは有るが、漸く頷いた。小夜が言いくるめた結果、多少は疑問が残るものの受け入れてくれたようだ。

(勝った⋯⋯!! ルッツが単純で助かったわ!)


 勝利を収めた小夜は次なる目的の為、新たな注射器に手を伸ばす。

「またそんなモン取り出してどうすンだ?」
「此れはね、こう! ブスッと刺して使うのよ! ⋯⋯アンタの腕にね」

 そう言いながらニィッと笑う。

「ひッ、ヒィ!?!?」

 それを見たルッツは引き攣った声を上げた。赤い髪を振り乱し、逞しい身体をこれでもかという程激しく震わせている。小夜を見る目はまるで出会ったばかりの時のように多分に怯えを含んでいた。
 ルッツは獰猛な獣と対峙するかのように小夜からは一瞬たりとも目を離さずに一歩、また一歩と後退る。

「慣れればどうって事無い痛みよ。まあ、筋肉注射はそれなりに痛いんだけどね」
「っ⋯⋯!?」

 ルッツは無言で背を向け、扉に向かって走り出そうとする。

「ルッツ~ゥ? 一体何処へ行くつもりなのかしら?」

 小夜は逃げようとするルッツの肩をガシリと掴み、にっこりと微笑む。

「次は貴方の番よ。いいから早く腕を出しなさいっ!」
「~~~~ッ!!」

 太陽が隠れすっかり夜も更けた頃、本部にはルッツの悲痛な叫び声が響き渡ったのだった。





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