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「元気だよね?」 Ⅱ

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 私が真剣な顔で悩んでいると、お屋形様が笑って仰った。

 「五平所、あなたは何故、奈々にそれほどやられるか分かっておりませんか?」
 「はい?」
 「あなたが一番でしょう。蓑原なども時折襲われますし、他の者も多少は」
 「まあ、そうですね。家の人間には多少なりともみな」
 「そうでしょう? その中でも、五平所は一番」
 「私はマジで死にそうですってぇ!」
 「オホホホホホ」

 私も自分のお茶を飲む。
 お屋形様がお隣に座るように手を向けられた。
 一礼して座らせていただいた。
 夜羽様がわたしに小さなお手を向けて下さる。
 あまりにも可愛らしいので、私もその手を優しく包んだ。
 夜羽様は、私の手を握りながら眠られた。
 二人で愛らしいその寝顔を見る。

 「わたくしもそうでしたが」
 「はぁ」

 そうだ、このお方にも散々やられた。

 「奈々にも、ハイファが試練を与えました」
 「!」

 どうやら私の勘違いのようだった。
 お屋形様は、「悪戯」の話をされたのではなかった。

 「まあ、多少は存じております」
 「ハイファの威圧によって、奈々は死を知りました」
 「そういうものなのですか」

 詳しいことは知らなかったが、道間家の者は生まれるとハイファから試練を与えられることは知っている。
 死を感ずるほどの恐ろしいものだということも。
 実際に死ぬ者までいたのだ。
 天狼様がお生まれになった時に、石神様の前でハイファが天狼様を殺し掛けた。
 もちろん試練であり、それで死んでしまえばそれまでなのだと。
 石神様は大層お怒りになっておられたが、道間家の人間として、私には少し分かっていた。
 天狼様の時に最も重い試練であり、奈々様にはもっと軽い試練であったようだ。
 だが、確実に本人に死を覚悟させるものであったか。

 「奈々は、その時に知ったのです」
 「何をですか?」
 「死を間近に知ることで、命の重さ、そしてその回転を自覚するのです」
 「なんと」
 「本当です。わたくしも幼い頃に浴びました。その時に、命というものが何であるのか、そして死を知ることで命が強くまた激しく回転することを知ったのです」
 「そうなのですか!」

 お屋形様が微笑んで私を見ていた。

 「旦那様は、もっともっと多くの死をその身に受けて来られました。あれほどにあの方が雄々しく、そしてあれほどに無辺にお優しいのはそのためです」
 「なるほど!」

 お屋形様が一層微笑まれている。

 「五平所、お前もですよ?」
 「はい? 私がなにか?」
 「奈々は、お前に元気に生きて欲しいのです」 
 「なんですと?」
 「死に掛けることで、お前に元気に生きてもらえると思っているのです」
 「!」
 「奈々はお前のことが大好きなのです。私もそうでしたから、よく分かります」
 「お屋形様!」
 「本当です。「悪戯」にしては少々激しいのですが」
 「激しすぎますぞ!」
 「オホホホホホホ!」

 お屋形様が明るく笑われた。
 その笑顔を見ては、私も自然に笑ってしまった。
 お屋形様と奈々様のご愛情を思い切り知ってしまったのだから。
 そしてどこかでそれを感じていた自分も自覚した。
 私が怪我をして寝込むと、お屋形様も奈々様もずっと枕元で心配そうに見ておられた。
 
 「奈々様は毎回激しすぎる「悪戯」をなさった後で、「五平所は元気だね?」とおっしゃいます」
 「そうでしょう」
 「意味が分からなかったのですが、あれはそういうことなのですね」
 「五平所が大好きなのです。そういうことですよ?」
 「なんと。でも、もしも私が本当に死んでしまったら……」

 「その時は奈々は激しく泣きながら、自分も死ぬでしょう」
 「!」

 お屋形様が真面目な顔でおっしゃった。

 「わたくしもそうでしたから分かります。だからお前は決して死んではいけません」
 「お屋形様!」

 思わず感動で大きな声を出してしまった。

 「なんですか、大きな声で。夜羽が起きてしまうではありませんか」
 「申し訳ありません」
 「そういうことです。五平所、頼みますよ」
 「はい! 絶対に死にません!」
 「当然です。他愛のない子どもの「悪戯」ごときですからね」
 「全然他愛なくはありませんがぁ!」

 お屋形様が大笑いされ、ついに夜羽様が眼を開けられた。
 大きなお声で泣かれる。

 「もう、五平所のせいですからね!」
 「アハハハハハハハ!」

 お屋形様が優しくあやし、私も一緒にあやした。
 夜羽様はそのうちにまた眠られた。

 「ところでお屋形様」
 「なんですか?」
 「天狼様からは一度も命を狙われたことがありません」
 「ああ、天狼はお前のことが嫌いですからね」
 「なんですと!」

 お屋形様がまた笑われた。
 今度は夜羽様をお起こししないように静かに。

 「冗談ですよ。これは道間家の女の性(さが)です」
 「そうなのですか?」
 「はい。一番身近で大切な人間を襲うという」
 「厄介な性でございますね」
 「光栄にお思いなさい。五平所、お前が大好きです」
 「お屋形様!」

 感動し泣きそうになった。
 しかし。

 「でも、本当に死にそうなのですが」
 「根性を出しなさい」
 「……」

 お屋形様が茶器を私の方へ手で押した。
 もう話はここまでということだ。
 そろそろ奈々様は目を覚まされるだろう。
 行ってお世話をせねば。
 お屋形様は優しく腕を揺らし、夜羽様をより深い眠りに誘っている。
 そのお顔は天女の様に慈しみに満ちておられる。
 道間家の本筋の唯一の人間となられた時、いや、それ以前に道間家を半ば外へ追われていた時にも、私は麗星様に一途な思いを抱いていた。
 この方を命の限りお守りしたい。
 道間の血筋として才の無かった麗星様であったが、私にとっては常に掛け替えの無い愛するお方だった。
 明るく朗らかで自由奔放なお方。
 何よりも私などを慕って下さったお優しい方。
 だから私も精一杯の忠義を捧げたいと願っていた。

 道間家の滅亡を目の前にし、麗星様は石神様と出会われた。
 私がどれほどお喜び申し上げたことか。
 そして石神様は想像以上の素晴らしいお方だった。
 麗星様の異質な愛情表現も笑って受け入れてくれ、その上愛して下さっている。
 それだけでもありがたいことだが、何しろ石神様は「神素」を持っていらした。
 道間家はその長きの歴史上で最高の位置に持ち上げられた。
 しかも、まだその道程にあるのだ!
 
 この先の一層の繁栄は確実だろうが、もう私には十分だと思っていた。
 ここまでの輝かしい未来を見させていただき、麗星様にお仕えして来た私の人生は大満足だ。
 石神様のお陰で言うことを利かなくなって来た身体も、ある程度は戻った。
 あとは出来るだけ、道間家に仕えて行こう。
 私は盆に茶器を乗せて行く前に、もう一度お屋形様と夜羽様を見た。

 《五平所、元気だよね?》

 先ほどの奈々様のお声が頭の中に響いた。

 「!」

 お屋形様が私を振り返って微笑んでおられた。
 そうだったのか……
 私は年を取り、いつのまにか人生に満足してしまっていたのか。
 でも、私はまだここでこうして生きている。
 石神様から頂いた「Ω」そして「オロチ」の粉末は、私に若さと活力を取り戻してくれたではないか!
 私は一体何を考え違いしていたのか。
 私はもっと年老いて身体が言うことを利かなくなっていたとしても、どうして大切な麗星様や天狼様、奈々様、夜羽様のために尽くさなくて良いことがあろうか!
 ああ、奈々様は、私にそれを教えて下さっていたのか。
 死は私にとって甘美な誘いになってはいた。
 でも、私はまだまだ歯を食いしばってでもやらねばならぬことがあるのだ。
 私の身体の奥底で、何かが燃え上がるのを感じた。
 これが生命の回転か!

 「五平所、頼みますよ?」
 「はい! 私にお任せ下さい!」

 私は胸を叩いて上を向いた。

 「五平所、後ろ」
 「はい?」

 振り向くと障子が僅かに開いていて、武骨なフラッシュサプレッサーが見えていた。

 「バレットM82ぃ!」

 奈々様が笑っているお顔が半分見えていた。
 慌てて盆を置いて縁側から庭に飛び降り、その上を巨大な銃弾が通過していった。
 午後の鍛錬に出ようとされていた天狼様が障子を開き、奈々様を叱っているのが聴こえた。
 夜羽様がまた激しく泣かれた。

 私は寸前まで感動していたのだが、一気に高ぶりは下がった。

 「……」

 今度は石神様にご相談しよう。
 私、まだ死にたくありません。
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