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轟翡翠 Ⅴ
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轟がニコニコして俺に言った。
「さて、佐野さん」
「おう、なんだ?」
「お蕎麦を食べに行きましょうね!」
「ああ、そうだったな!」
俺たちは現場を磯良たちに任せて、轟が探してくれた「松風」に行った。
俺は結構蕎麦が好きなので、「松風」が名店なのは知っていた。
轟がここがいいのではと言った時、すぐに決めた。
多少緊張する場面もあったが、全て上手く行った。
轟のお陰だ。
安心したせいか、空腹を強く感じた。
俺が安心できたのは、轟が無邪気に笑ったからだ。
轟の笑顔は実にいい。
俺を心底から嬉しくさせてくれる。
なんだろう、懐かしい感覚さえあった。
俺が嬉しそうにしているので、ますます轟が笑顔を見せてくれた。
大崎の駅前の駐車場に車を停め、歩いて店に向かう。
轟が予約してくれている。
店の入り口で轟が言った。
「では、私は外で待っていますので」
「なんだよ、一緒に入ろうぜ?」
「いいえ、私は食べませんので、お店の御迷惑になりますから」
「そんなこと言うなよ。どうせテーブルで食べるんだ」
俺がそう言っても、轟は店前で待っていると言って譲らなかった。
確かにデュールゲリエは食事をしない。
轟が言っていることも分かるのだが。
仕方なく俺は一人で店に入り、天ぷら蕎麦を食べた。
しばらく待たされて、注文の蕎麦が来た。
楽しみにしていたのに、もうさっきまでの嬉しさは消え失せていた。
せいろの蕎麦を汁に付けて啜った。
本来は美味い蕎麦なのだろうが、なんだか味気なかった。
先ほどまで程よく空いていたはずの腹が、何か重い気がして来た。
急いで蕎麦をすすった。
店を出ると、轟が笑顔で俺に聞いた。
「あれ、随分と早かったですね?」
「ああ、まあな」
「どうですか、美味しかったです?」
轟が楽しそうに俺に聞くので、俺も微笑んで答えた。
「いや、美味くなかったよ」
「え、そうなんですか?」
轟が、一瞬困った顔になった。
自分が調べた店が、俺の気に入らなかったのかと思っている。
「違うんだよ。お前が外で立ってると思うとよ、何の味もしなかったぜ」
「!」
「やっぱよ、相棒を寒い中に立たせてよ、俺だけ飯を喰ってもダメだぜ」
「佐野さん……」
「悪かったな、折角お前が見つけてくれた店なのによ」
「いいえ……私の方こそ……」
轟がしょ気ているのが分かる。
今度は轟が運転すると言った。
俺が疲れたと思っているのだろう。
ハンドルを握りながら、轟が暗い顔をしている。
こいつが落ち込んでいると、たまらない気持ちになった。
「おい、そんな顔をするな」
「いいえ、申し訳ありませんでした」
「だから、蕎麦は美味かったんだよ! だけど、なんだ、あれ、雰囲気っちゅうかよ。やっぱお前を外で立たせて喰う飯は美味くねぇ」
「はい」
「だから、今度は一緒にいてくれ」
「でも、お店の人に御迷惑が」
「それは俺が店の人に話す。別に金を二人分出したっていいんだ」
「え」
「な!」
「でも……」
「俺はトラから一生使い切れねぇ金を貰っちまったんだよ」
「石神様が?」
「そうだ! だから心配すんな!」
「はい!」
轟が嬉しそうに笑った。
悲しそうな顔からのいい笑顔だった。
その笑顔を見て、やっと分かった。
「ああ、そうだったか」
「はい?」
「いや、なんでもねぇよ。ちょっと思い出しただけだ」
「そうですか」
轟は俺が話したがらなければ、絶対に突っ込んでこない。
いい距離感を持っている。
「おい、ちょっとコーヒーが飲みたいな」
「はい! すぐに探しますね」
轟が嬉しそうな顔になった。
やっぱり、こいつはその方がいい。
「どこでもいいよ。お前とのんびりと話したいんだ」
「佐野さん!」
「な、ちょっとサボろうぜ」
「はい!」
轟が嬉しそうに笑い、任せて欲しいと言った。
もちろん俺は轟に全部任せ、途中の喫茶店に入った。
今度は二人一緒に入り、俺はブレンドを頼み、轟は何も頼まなかった。
俺が店員に話してそうしてもらった。
店員も別に何も言わなかった。
俺は轟に、トラとの思い出を話した。
話すことは幾らでもあった。
トラが虎のレイと仲良くなった話。
俺の女房と娘を助けてくれた話。
巡査の赤木の話。
警察署が過激派に襲撃された話。
婦警の佳苗をトラが助けた話。
若い巡査がパトカーで襲われたのをトラが助けた話。
トラがよく裸で走って掴まってた話。
隣の家の少女をトラが身を挺して助けた話。
山の教会の牧師と死闘を演じた話。
トラが洪水を起こした話。
トラがロケットを飛ばして大事になった話。
トラが……
トラが……
トラが……
何時間も喫茶店にいて、轟は笑いだし、泣き出し、感動していた。
帰りの車の中でも俺は話し続けた。
轟はずっと俺の話を聴きたがった。
話し出した俺は、トラとの思い出がどれほどあるのかと、自分でも驚いていた。
幾らでもトラの話が出来る。
轟はずっと嬉しそうにしていた。
トラ、お前、轟の顔をそうしたんだな。
さっき気づいたぜ、俺たちの娘にそっくりじゃねぇか。
なんで今まで気づかなかったかな。
「おい、轟、俺の家に寄ってけよ」
「え? いいんですか?」
「ああ、女房にもお前を紹介したいんだ」
「はい、喜んで!」
女房ならすぐに分かるだろう。
俺はそれが楽しみだった。
「あれ? 佐野さん笑ってます?」
「ああ、そうか?」
「笑ってますって! 嬉しそうに」
「そりゃまあな」
「なんですか?」
「後で話すよ」
「はい!」
轟が明るい顔で笑った。
アクセルが踏み込まれ、スピードが上がった。
「じゃあ、早く行きましょうね!」
「おい、安全運転で行け!」
「はい!」
まったくよ。
性格はトラに似てるか。
本当に嬉しそうに笑いやがる。
顔は娘だけどよ、笑顔はお前だよ。
いい笑顔だ、トラ。
「さて、佐野さん」
「おう、なんだ?」
「お蕎麦を食べに行きましょうね!」
「ああ、そうだったな!」
俺たちは現場を磯良たちに任せて、轟が探してくれた「松風」に行った。
俺は結構蕎麦が好きなので、「松風」が名店なのは知っていた。
轟がここがいいのではと言った時、すぐに決めた。
多少緊張する場面もあったが、全て上手く行った。
轟のお陰だ。
安心したせいか、空腹を強く感じた。
俺が安心できたのは、轟が無邪気に笑ったからだ。
轟の笑顔は実にいい。
俺を心底から嬉しくさせてくれる。
なんだろう、懐かしい感覚さえあった。
俺が嬉しそうにしているので、ますます轟が笑顔を見せてくれた。
大崎の駅前の駐車場に車を停め、歩いて店に向かう。
轟が予約してくれている。
店の入り口で轟が言った。
「では、私は外で待っていますので」
「なんだよ、一緒に入ろうぜ?」
「いいえ、私は食べませんので、お店の御迷惑になりますから」
「そんなこと言うなよ。どうせテーブルで食べるんだ」
俺がそう言っても、轟は店前で待っていると言って譲らなかった。
確かにデュールゲリエは食事をしない。
轟が言っていることも分かるのだが。
仕方なく俺は一人で店に入り、天ぷら蕎麦を食べた。
しばらく待たされて、注文の蕎麦が来た。
楽しみにしていたのに、もうさっきまでの嬉しさは消え失せていた。
せいろの蕎麦を汁に付けて啜った。
本来は美味い蕎麦なのだろうが、なんだか味気なかった。
先ほどまで程よく空いていたはずの腹が、何か重い気がして来た。
急いで蕎麦をすすった。
店を出ると、轟が笑顔で俺に聞いた。
「あれ、随分と早かったですね?」
「ああ、まあな」
「どうですか、美味しかったです?」
轟が楽しそうに俺に聞くので、俺も微笑んで答えた。
「いや、美味くなかったよ」
「え、そうなんですか?」
轟が、一瞬困った顔になった。
自分が調べた店が、俺の気に入らなかったのかと思っている。
「違うんだよ。お前が外で立ってると思うとよ、何の味もしなかったぜ」
「!」
「やっぱよ、相棒を寒い中に立たせてよ、俺だけ飯を喰ってもダメだぜ」
「佐野さん……」
「悪かったな、折角お前が見つけてくれた店なのによ」
「いいえ……私の方こそ……」
轟がしょ気ているのが分かる。
今度は轟が運転すると言った。
俺が疲れたと思っているのだろう。
ハンドルを握りながら、轟が暗い顔をしている。
こいつが落ち込んでいると、たまらない気持ちになった。
「おい、そんな顔をするな」
「いいえ、申し訳ありませんでした」
「だから、蕎麦は美味かったんだよ! だけど、なんだ、あれ、雰囲気っちゅうかよ。やっぱお前を外で立たせて喰う飯は美味くねぇ」
「はい」
「だから、今度は一緒にいてくれ」
「でも、お店の人に御迷惑が」
「それは俺が店の人に話す。別に金を二人分出したっていいんだ」
「え」
「な!」
「でも……」
「俺はトラから一生使い切れねぇ金を貰っちまったんだよ」
「石神様が?」
「そうだ! だから心配すんな!」
「はい!」
轟が嬉しそうに笑った。
悲しそうな顔からのいい笑顔だった。
その笑顔を見て、やっと分かった。
「ああ、そうだったか」
「はい?」
「いや、なんでもねぇよ。ちょっと思い出しただけだ」
「そうですか」
轟は俺が話したがらなければ、絶対に突っ込んでこない。
いい距離感を持っている。
「おい、ちょっとコーヒーが飲みたいな」
「はい! すぐに探しますね」
轟が嬉しそうな顔になった。
やっぱり、こいつはその方がいい。
「どこでもいいよ。お前とのんびりと話したいんだ」
「佐野さん!」
「な、ちょっとサボろうぜ」
「はい!」
轟が嬉しそうに笑い、任せて欲しいと言った。
もちろん俺は轟に全部任せ、途中の喫茶店に入った。
今度は二人一緒に入り、俺はブレンドを頼み、轟は何も頼まなかった。
俺が店員に話してそうしてもらった。
店員も別に何も言わなかった。
俺は轟に、トラとの思い出を話した。
話すことは幾らでもあった。
トラが虎のレイと仲良くなった話。
俺の女房と娘を助けてくれた話。
巡査の赤木の話。
警察署が過激派に襲撃された話。
婦警の佳苗をトラが助けた話。
若い巡査がパトカーで襲われたのをトラが助けた話。
トラがよく裸で走って掴まってた話。
隣の家の少女をトラが身を挺して助けた話。
山の教会の牧師と死闘を演じた話。
トラが洪水を起こした話。
トラがロケットを飛ばして大事になった話。
トラが……
トラが……
トラが……
何時間も喫茶店にいて、轟は笑いだし、泣き出し、感動していた。
帰りの車の中でも俺は話し続けた。
轟はずっと俺の話を聴きたがった。
話し出した俺は、トラとの思い出がどれほどあるのかと、自分でも驚いていた。
幾らでもトラの話が出来る。
轟はずっと嬉しそうにしていた。
トラ、お前、轟の顔をそうしたんだな。
さっき気づいたぜ、俺たちの娘にそっくりじゃねぇか。
なんで今まで気づかなかったかな。
「おい、轟、俺の家に寄ってけよ」
「え? いいんですか?」
「ああ、女房にもお前を紹介したいんだ」
「はい、喜んで!」
女房ならすぐに分かるだろう。
俺はそれが楽しみだった。
「あれ? 佐野さん笑ってます?」
「ああ、そうか?」
「笑ってますって! 嬉しそうに」
「そりゃまあな」
「なんですか?」
「後で話すよ」
「はい!」
轟が明るい顔で笑った。
アクセルが踏み込まれ、スピードが上がった。
「じゃあ、早く行きましょうね!」
「おい、安全運転で行け!」
「はい!」
まったくよ。
性格はトラに似てるか。
本当に嬉しそうに笑いやがる。
顔は娘だけどよ、笑顔はお前だよ。
いい笑顔だ、トラ。
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