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「ルート20」鬼の殿 榎本 Ⅱ

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 榎本が苦笑して言った。

 「じいちゃん、今年で97歳なんだぜ」
 「あ、俺の知り合いも何人かいる」
 「そろそろなぁ」
 「そうだよなぁ」
 「ふざけんなぁ!」

 じいちゃんが炬燵に入って来て、奥さんが笑いながらお猪口を持って来た。

 「普段は飲ませないんだよ」
 「まあ、年だからなぁ」
 「いや、そうじゃなくて、酔うとめんどくせぇから」
 「なんだとぉ!」

 榎本が笑ってじいちゃんに酒を注いだ。

 「今日はトラがいるからな。特別だ」
 「おうよ!」

 じいちゃんが嬉しそうに口を付けた。
 美味そうに喉を鳴らす。

 「トラ、お前ヤクザになったか?」
 「なってねぇよ!」
 「貧乏だったくせに、今じゃいい服着やがってよ」
 「どうでもいいだろう!」
 「じいちゃん、こいつは今お医者なんだよ」
 「マジかぁ!」
 「あんだよ!」
 「トラがガキの頃からそう言ってたろ? すげぇ高校でいつもトップだったじゃん」
 「そうだったか?」
 
 まあ、どうでもいい。

 「東京のでっかい病院で部長さんだよな?」
 「まあな」
 「トラがなぁ」

 しばらく昔話をした。
 じいちゃんが上機嫌でいろいろと威張りながら自慢話もする。
 榎本と二人で笑って楽しかった。
 じいちゃんがヘンな話題を振って来た。

 「そうだ、お前ら自分の真言って知ってるか?」
 
 生まれ年によって守り本尊があり、それぞれの真言がある。

 「俺らは文殊菩薩だから、真言は「オン・アラハシャ・ノウ」だよな?」
 「ほう、よく知ってやがるな」

 じいちゃんはちょっと驚いていた。
 榎本は元から興味が無い。

 「うちにはよ、うちだけの真言があるんじゃ」
 「そうなのか?」
 「おう! トラだから特別に見せてやる」
 「お願いします!」

 昔、偉いお坊さんに特別にもらった榎本家の真言らしい。
 別に俺も興味はねぇが、じいちゃんが嬉しそうなので合わせた。
 じいちゃんが部屋から大事そうに紙を持って来た。
 たとう紙の短冊だった。
 
 「これじゃ!」
 
 梵字なので、当然読めない。

 「じいちゃん、これなんて書いてあるんだ?」
 「ん?」

 じいちゃんが驚いている。
 あ、こいつ……
 俺を見て言った。

 「ババンババンバンバンじゃ!」

 俺と榎本が爆笑した。
 やはりじいちゃんは真言を忘れていた。
 恐らく、「バン」という読みはあったのだろう。
 じいちゃんは流石に誤魔化し切れなかったことを悟り、赤くなった。
 俺たちもそれ以上からかうことは無かった。
 その後もしばらく楽しく飲んで、じいちゃんは先に休んだ。
 大分ふらついていた。

 「じいちゃん、大丈夫か?」
 「あ、ああ」
 
 榎本が困った顔をしながら話した。
 
 「じいちゃんな、今年で97歳なんだよ」
 「おお、さっき聞いたな。すげぇよな」
 「でもな、去年から大分弱ってさ。入院してる」
 「え、今日退院したのか?」
 「いや、トラが来るって話したらよ、絶対に会うんだってな。無理矢理外出許可を取って、さっき来たんだ。検査の数値が悪けりゃ許可出来ないってことだったけどよ。でも、どうやら脱走して無理矢理出て来たみたいだなぁ」

 それでこの時間に来たのだろう。

 「そうだったのか」
 「きっとトラに会いたかったんだよ。明日、送るよ」
 「そっか」

 まあ、それだけの高齢だ。
 身体にガタが来てもしょうがない。

 「さっきも嬉しそうだったろ? トラに会えたからだよ」
 「そうだったか。もうちょっと優しくしてやりゃ良かったかな」
 「いいよ、あれで。じいちゃんも気を遣われるのは大嫌いだしな」
 「そっか」

 悲しいことだが、こういうことは仕方がない。
 俺に会いたがっていたというじいちゃんに顔を見せられて、榎本に感謝した。

 「トラ、今日は済まなかったな」
 「なにがだよ」
 「お前が物凄く忙しいのは分かってるんだ」
 「そんなこともねぇよ」
 「済まない。でも、俺も井上さんと同じなんだ」
 「え?」
 「俺もお前にちゃんと謝りたかった! あの時、お前が本当に苦しんでいた時、俺は何も出来なかった。本当に申し訳ない!」

 榎本が姿勢を正して畳に頭をすりつけた。

 「よせよ、榎本。あんなことはどうでもいい。俺は聖に助けてもらったんだしな。もうなんのこともねぇよ」
 
 榎本が泣いていた。

 「やっと言えた」
 「おい」
 「トラに謝れた」
 「何言ってやがる」

 榎本が涙のまま笑った。

 「悪いな、そんなことのために忙しいお前を呼びつけたんだ」
 「何もねぇよ。お前と酒を飲むのはいつだって大歓迎だ」
 「ありがとう、トラ」
 「こっちこそだ。ご馳走になった」

 俺はじいちゃんが持って来た真言の紙を撮影させてもらった。
 メールで柏木さんに送り、読めるならば教えて欲しいと頼んだ。






 翌朝、朝食を頂いて帰ることにした。
 じいちゃんも起きてきていた。

 「じいちゃん、昨日見せてもらった真言だけどさ。知り合いに読める人がいたよ」
 「ほんとか!」

 じいちゃんが大喜びだった。
 柏木さんはすぐに俺のメールに返信をくれていた。

 「昔はちゃんと覚えてたんだけどよ! 途中で忘れてどうにもならなくなったんじゃ!」
 
 ババンババンバンバンは忘れてやった。
 俺は、柏木さんからいただいたメールを見せた。


 《オン・バサラ・ダトバン》


 「オオ! そうじゃ! これじゃ!」
 「大日如来の真言だそうだよ。随分と大物をもらったな」
 「ああ、あの和尚がうちのためになぁ!」
 「へぇ、余程偉いお坊さんだったのか?」
 「そうじゃ、雲竜寺の和尚じゃ」
 「あの和尚!」

 俺も散々世話になったが、そんなに偉かったかどうかは知らん。
 でも、素晴らしい人だったのは確かだ。

 




 翌月、榎本から連絡があった。

 「じいさん、今朝亡くなったよ」
 「そうなのか」
 「ああ、大往生だ。自分でも満足してたよ。最期にトラに会えてよかったって言ってた」
 「そっか」

 榎本から葬儀の予定を聞いた。

 「トラは忙しいだろうから来なくていいからな」
 「いや、通夜は無理だけど、葬儀には行くよ」
 「いいって」
 「いや、行かせてくれ」

 榎本は遠慮していたが、俺が行きたかった。

 「じいちゃんな、トラに感謝してたよ」
 「え?」
 「お前が忘れてたうちの真言を調べてくれただろ? あれが本当に嬉しかったらしい。毎日唱えてたぞ」
 「そうか。まあ、喜んでもらえたのなら、俺も嬉しいよ」
 「トラはやっぱり最高だってさ」
 「なんだよ?」
 「じいちゃんさ、昔からお前のことが大好きだったんだ。だから、お前が来るって知ってどうしても会いたいってさ」
 「ああ、そんなことを聞いたな」
 
 榎本が言った。

 「俺がトラの話をすると、いつもニコニコして聞いてたんだ。結構頑固で自分中心の人だったんだけどな」
 「へえ」
 「トラの話だけは違った。もっと教えろって、いつも聞きたがってたよ」
 「そうだったか」

 よくは分からない。
 まあ、俺なんかのことで楽しんでもらえたのならば、それでいい。

 葬儀の日。
 近所の人たちも集まって、結構な人数に見送られた。
 みんな、思い出話は頑固な人だったとか言っていたが、みんなに愛されていたことが分かった。
 葬儀が終わり、榎本が息子の正雄を俺の前に連れて来た。

 「こいつ、うちで働くことになったんだ」
 「そうか! 良かったな!」
 「ああ。こいつはじいちゃんのことが大好きでな。じいちゃんの面倒を見るんだって働きもしねぇでよ」
 「そうだったのかよ」
 「甘ったれた奴だけどな。これからはビシビシやるぜ」
 「そうか、おい、正雄。お前頑張れよ」
 「はい!」

 正雄が真面目な顔で俺に頭を下げた。

 「まあ、榎本の子どもだな」
 「なんだ?」
 「自分よりも大事な人間ってな。ちょっとおかしな考え方をするけどよ」
 「なんだよ!」
 「ワハハハハハハハハ!」

 正雄も笑っていた。
 榎本も苦笑していた。

 俺はアヴェンタドールに乗り込み、榎本たちに手を振った。
 榎本が正雄の耳元で何か囁いているのが見えた。
 正雄の顔が輝き、俺に手を振って叫んだ。

 「石神高虎様! バンザーイ!」

 正雄が榎本に何を言われたのかは分からない。
 でも、正雄の顔が感激に満ちているのが見えた。
 俺も窓を開けて手を振って去った。
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