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奇跡の生存者 Ⅱ

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 北海道「無差別憑依」事件を終え、釧路平原にライカンスロープ化した人間たちを集めた。
 タマに全員を昏睡させ、蓮花研究所で彼らを元に戻す研究が始まっている。
 タマによれば、今はまだ人間と妖魔の意識は分離している状態らしい。
 しかし、いつそれが融合を始めるにかは分からない。
 釧路平原では収容施設が急ピッチで建造されている。
 俺は一度、子どもたちと共に東京へ戻った。

 気になることが一つあった。






 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■






 俺が夏休みを終えて仕事へ復帰した時、佐野原小夜子さんに相談事を持ちかけられた。
 俺は話を聞くために、「般若」に佐野原さんを連れて行った。
 「般若」はランチタイムを終えているが、結構人が入っている。
 俺は青に端のソファ席を頼んでいた。
 二人分のブレンドコーヒーが運ばれ、佐野原さんが口を開いた。

 「お仕事とは関係ないお話なのですが」
 「構いませんよ。何でもおっしゃってください」

 患者の家族のケアも仕事のうちだ。
 もちろん何でもするわけではないが。

 佐野原さんは、自分のお子さんの話をした。
 2年前から急に性格が変わり、何というか、狂暴性を増したということだった。
 佐野原稔、年齢は14歳の中学生。
 今はろくに学校にも行かず家に引きこもっているらしい。

 「何かお子さんが変わる切っ掛けはあるんですか?」
 「それがよく分からなくて。ある日家に帰ってから、急に人格が変わったのです」
 「いきなりですか」
 「丁度、あの渋谷で妖魔の事件があった日です」
 「え!」
 「渋谷へ出かけていたようなのですが、息子は無事で。本人はハチ公口には行かなかったと申しておるのですけど。でも、何か事件のショックで精神に影響があったのでしょうか」
 「それは……」

 俺はある想像をしていた。
 あの日渋谷にいたのであれば、もしかしたら妖魔の憑依を受けているのではないのか。
 早乙女の「アドヴェロス」を通じて、あの日渋谷駅にいた人間は全て捜査している。
 恐ろしい毒性のある感染症にかかっている可能性があるということで、自ら名乗り出てもらっていた。
 もちろん検査や治療費はすべて政府もちで、反対に見舞金を差し上げるようにしていた。
 しかし、それでも隠している人間がいる。
 稀にだったが、人間の姿へ戻って逃げ出した者もいた。
 そういう人間は、結局ライカンスロープ化して「アドヴェロス」に駆逐されているはずなのだが。
 稔君の場合は、どういうことなのか。
 もしかすると、自分が妖魔と一体化したことを隠しているのかもしれない。
 むしろ、その可能性が非常に高いことを考えていた。
 だが、ライカンスロープ化の衝動を抑えられるはすもないはずだ。

 「人格が変わったとおっしゃいましたが、具体的にはどのようなものなのですか?」
 「はい。時折話し方も乱暴になり、学校でも暴力を振るったのです。そんなことをする子どもではなかったのですが」
 「佐野原さんには?」
 「いいえ、私と妹には手を出したことはありません。多少きつい性格にはなったようですが、暴力や狂暴な面はありません。学校から連絡を受けてびっくりしているくらいでして」
 「そうですか」
 「同級生と喧嘩して相手に怪我を負わせたとか」
 「それは大変ですね」
 「ええ、でも相手が数人掛かりで稔を襲っていたようですので」
 「複数の相手をして勝ったのですか」
 「そのようです。相手の方は骨を折るような怪我をしたそうなのです。でも稔はそんなに喧嘩の強い子どもではありませんでした」
 
 それはおかしい。
 妖魔の思考は思い遣りや親子の情などは一切関係が無い。
 それなのに、稔君は家族には一切狂暴性を発揮していないようなのだ。
 あの「渋谷HELL」での怪物化した連中に比べ、あまりにも大人しすぎる。
 妖魔にもそういう性格もあるのだろうか。
 家族も何も、見境なく襲い掛かって不思議はない。
 むしろ、そうしていないことがどういうことか分からない。

 以前に憑依された「新宿悪魔」事件では、家族が真っ先に標的になり、その後も一切の人間的な感情は無かった。
 稔君は多少狂暴になり力も強くなったようだが、見境なく暴れることは無いようだ。
 理性を残しているということか。
 だが、それはあり得ないのだ。
 憑依されれば、自分の人格は奪われてしまう。
 だから人間の心が発動することはないのだ。
 これは、どういうことなのだろうか。
 今まで妖魔が身体に入って正常だったのは愛鈴と獅子丸のみだ。
 その二人には明確な理由がある。
 神獣と繋がっていたのだ。
 また、竹流の父・連城十三と俺の後輩・槙野だけは何とか理性を留めていた。
 しかしそれも、通常の人間のものではない。
 二人とも強い意志力を持っていたことと、人間として強い愛を抱いていたためだ。
 恐らく稔君もそうなのだろう。
 でも、それにしてもその抑制の度合いが高い気もするのだが。
 連城も凶暴化し、槙野も一時は最愛の妹を襲い掛けた。
 まだ幼い稔君が抑えられるはずもないのだ。
 
 「一度、稔君に会わせてもらえないでしょうか?」
 「え、本当に!」
 「ええ。お会いすれば、また何かが分かるかもしれません」
 「ありがとうございます! 是非お願いいたします!」

 俺は佐野原さんと約束し、お宅へ伺う約束をした。
 しかし、北海道で「無差別憑依」事件が起きて、8月の最後の土曜日に伺うことになった。
 あの事件でライカンスロープ化した人間たちの再生の研究を始めている。
 稔君も、もしも成果が出れば助けられるのだが。

 





 佐野原さんのお宅は世田谷の高級住宅地にあった。
 駐車場があるので車でも大丈夫と言われ、俺はアヴェンタドールで出掛けた。
 敷地は120坪くらいあり、資産家の家であることが分かる。
 周囲の家も同じように大きい。
 佐野原さんは華道の家元であることは聞いているが、亡くなられたご主人が資産家だったそうだ。
 近くで電話を入れておいたので、佐野原さんがガレージのシャッターを開けて待っていてくれた。
 2台が停められるガレージで、サーブが一台停まっていた。
 佐野原さんの移動用なのだろう。
 俺のアヴェンタドールに驚いている。

 「素敵なお車ですね」
 「まあ、車は好きなものですから」
 
 ガレージからそのまま室内へ入れるようになっている。
 廊下は大理石だった。
 うちと同じだ。
 最初に応接室へ通された。
 すぐにお茶が運ばれてくる。
 お茶請けはオークラの金柑の羊羹だった。
 糖分が程よく抑えられた銘品だ。

 「稔君とは会えますか?」
 「はい。大伯母が大変にお世話になっている先生だと話しましたら、素直に御挨拶したいと」
 「そうですか」
 
 やはり、妖魔を取り入れられた人間にしてはおかしい。
 中には表面上を誤魔化そうとする者もいるかもしれないが、その必要が無い人間とは極力接触したがらないだろう。
 俺と会う理由が、大伯母との関係だというのはあり得ない。
 それは、普通の人間の思考であり、しかも上等な教育を受けた者の考え方だ。
 人間的な感情や思考を排除した妖魔は、こういう過程でボロを出すはずだった。
 稔君はあまりにも人間的だ。
 学校で複数人に怪我を負わせるほどの暴力を振るったのであれば、何らかの力を手に入れたことは間違いない。
 しかしそれは、あの「渋谷HELL」で妖魔を体内に取り入れたことになるのだ。
 この矛盾は俺にもわけが分からなかった。
 俺は単に妖魔退治に来たのではない。
 「アドヴェロス」に任せなかったのは、俺が確認する必要があると考えたからだ。

 佐野原稔は「ライカンスロープ」ではない。
 
 それは普通はあり得ないことだったが。
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