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遠士 Ⅱ

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 五月がゴリラの餌を調べた。
 わしが命じたのではなく、自分で進んで調べたようだ。
 バナナも良いのだが、動物園では他にも様々な果物や野菜をやっているらしい。
 確かに栄養素のバランスは、いろいろなものを食べさせた方が良いだろう。

 「わたくしが揃えますので」
 「頼む」

 わしは千両に頼んで庭に小屋を作ってもらった。
 千万組の者たちがゴリラに驚いていた。

 「斬さん、こいつのための小屋ですか」
 「ああ。雨になれば困るからな」
 「はあ」

 わしのことを、千万組の連中が信じられないという目で見ていた。
 まあ、どうでもよい。
 プレハブの小屋が1日で出来上がった。
 丁度その日の夜に雨が降り、わしがゴリラを小屋に入れてやった。
 一部に毛布を何枚か敷いてやると、ゴリラが喜んだ。

 「うっほうっほ!」
 「おう、そこに寝れば良い」
 「うっほうっほ!」

 五月も出て来て小屋を覗き込み、嬉しそうな顔をした。

 「良かったね」
 「うっほ!」

 五月は意外にもゴリラを恐れなくなり、わしがいない時には自分で餌をやるようになった。
 ゴリラも五月にも懐き、五月を見掛けると嬉しそうに寄って行く。
 五月はゴリラの頭を撫でてやるようになり、ゴリラもそうされると喜んだ。
 まあ、元々気立ての良い女だ。
 時々一緒に遊んでいるのを見て、驚くこともあった。
 ゴリラは力が強い。
 人間の手足など簡単に引き抜く。
 しかし五月は少しも恐れず、ゴリラと仲良くなった。






 毎日庭で鍛錬をしていると、ゴリラがわしの「花岡」の動きを真似るようになった。
 もちろん基礎も出来ていない奴だから、形をなぞろうとするだけだ。
 しかし、わしはそれが面白かった。

 「おい、お前に「花岡」を教えてやる」
 「うっほ!」

 わしは「花足」から教えた。
 案外素直な奴で、すぐに覚えた。

 「ほう、なかなか筋がいいな」
 「うっほ!」
 
 ゴリラも楽しそうだった。

 石神が来た。
 蓮花から、わしがゴリラを飼うようになったと聞いたらしい。

 「おい、本当にゴリラを飼ってたのかよ!」
 「ふん!」

 ニヤけている。
 わしをからかうつもりなのが分かる。
 気に入らんが仕方がない。
 わしも自分で似合わぬことをしている自覚はある。
 一通りからかわれた後で、真面目な顔をして言った。

 「お前がなぁ。どうだよ、動物はカワイイだろう?」
 「ふん! ただのゴリラじゃ」
 「そうかぁ?」

 ゴリラがわしたちの前で「花足」を見せた。

 「おい! お前、こいつに「花岡」を教えてるのかよ!」
 「うるさい! 見様見真似でやっているだけじゃ!」
 「へぇー!」

 石神は面白がっていた。
 わしが教えていることはすぐに分かっただろうが、口にしなかった。
 ゴリラは初めて見た石神をまったく警戒しなかった。
 むしろ興味を持って石神に近づく。
 石神も顔を綻ばせてゴリラの頭を撫で、ゴリラはうっとりと目を閉じた。
 不思議な奴だ。
 石神がゴリラの身体を持ち上げ、首の周りで回転させる。
 ゴリラが喜び、地面に降ろされると興奮してバク宙をした。
 わしにさえ見せたことがない喜びようだった。

 「お前に懐いたな」
 「バカ、お前が主人だろう」

 言葉が分かったはずもないのだが、ゴリラが嬉しそうにしてわしの所へ走って来た。
 わしの前で上半身を回転させる。
 今、石神にやってもらったことが楽しかったと訴えているようだった。
 無心にわしにそれを伝えようとしている。
 
 「ほら、お前が一番なんだよ」
 「ふん!」

 石神がそろそろ帰ると言った。

 「じゃあよ、何かあったら言ってくれな」
 「ふん!」
 「あ、あの小屋って!」
 「うるさい! とっとと出て行け!」
 「ワハハハハハハ!」






 8月に入り、外は暑いのだが、ゴリラは木陰に入り涼んでいる程度だった。
 別段、日本の暑さはそれほど苦にはならないようだ。
 
 栞と士王が日本へ移住した。
 わしは大いに喜んだ。
 石神にまたからかわれたが、どうにも顔は繕えなかった。

 その翌日に、御堂の娘が蓮花の研究所の外壁を破壊した。
 大変なパワーだ。
 石神も驚いていた。
 そしてわしに頼んで来た。

 「なるべく早く修復するが、数か月かかると思う。お前、その間ここを守ってくれよ」
 「ああ、分かった」
 「石神家も呼ぶ。一緒に頼むな」
 「おお、あの連中か!」
 「まあ、鍛錬も一緒に出来るだろうよ」
 「そうじゃな! 楽しみじゃ!」
 「アハハハハハハハ!」

 栞と士王は数日石神が連れて行ったが、その後で研究所に住むようになった。
 わしも誘われたが、自分の屋敷で寝起きした。
 研究所にいても良かったのだが、あのゴリラがいる。
 仕方がない。
 一週間後、蓮花の研究所が襲われた。






 蓮花の研究所が襲われている時、《ロータス》がわしに屋敷で警報があったと言って来た。
 どうやらわしの屋敷にも数体の《デモノイド》が来たらしい。
 わしは襲撃の妖魔たちと戦っていたが、一旦屋敷に戻ることにした。

 五月は屋敷の中の頑丈な避難所に逃げていた。
 4人の《デモノイド》が庭に立っていた。

 「おい、じじぃが来たぞ?」
 「やっとかよ」
 「ヘンなペットしかいなかったからハズレかと思ったぜ」
 「まあ、やるか!」

 わしに向かって黒い大きなものを投げて来た。
 ゴリラの首だった。

 わしは《デモノイド》たちの手足を切り取った。
 ほんの一瞬のことだ。
 わしの接近すら気付けないボンクラ共だった。
 こんな奴らが……

 「おい!」

 奴らは慌てていた。
 これほどに実力差があるとは思わなんだのだろう。

 「待て!」
 「誰がやった」
 「なんだ!」
 「ゴリラをやったのは誰じゃ」
 「何を!」
 「まあいい」

 一人ずつ首を刎ねて、それを見せて行った。
 最後の一人は泣いていた。
 首を投げて来た奴だ。

 「悪かった! 謝る!」
 「ふん」

 首を刎ねた。
 屋敷にもう敵がいないことを確認し、五月を部屋から出した。

 「斬様!」
 「無事か」
 「はい! でもゴリラちゃんが!」
 「ああ」
 「あの、私を護ろうとして!」
 「なんじゃと?」
 「丁度庭でご飯をあげてたんです。そうしたら警報が鳴って」
 「そうじゃったか」
 「一緒に部屋に入ろうとしたんですが。ゴリラちゃんが私を押してから塀の方へ駆けて行って!」
 「そうか、分かった」

 あいつには敵の位置が分かったのだろう。
 野生動物の勘だ。
 五月を守ろうとしたのかどうかは分からん。
 でも、きっと……

 庭にゴリラを埋めた。





 石神が来た。
 研究所の襲撃は片付いたらしい。
 石神はそちらへは行かなかったのだが、わしの所へわざわざやって来た。
 戦闘の途中で抜け出し、そのまま戻って来ないわしを心配したのか。

 「おい、こっちは大丈夫だったか?」
 「ああ」
 「おい?」

 わしの顔を見て石神が不審そうな顔をした。
 庭を見回す。

 「おい、あのゴリラはどうした?」
 「ああ、五月を守って死んだ」
 「なんだと!」
 「もうそこへ埋めた」
 「……」

 庭の隅に小さな石を立てていた。
 石神がそこへ行って手を合わせた。
 そういう奴だ。
 何を言わずとも、他の人間の心をいつでも思っている。
 だから石神に頼んだ。

 「おい」
 「なんだ?」
 「名前を付けてくれんか」
 「名前?」
 
 石神が不思議そうな顔でわしを見ている。

 「わしはあいつを可愛がることもしなかった。名前すら付けてやらなかった」
 「お前がつけてやればいいだろう」
 「いや、お前は名前を付けるのが上手い。じゃから頼む」
 「頼むってなぁ」

 石神も困っていたが、やがて口にした。

 「遠士(えんし)。あいつ、遠い所から来たからな。それに勇敢な奴だった。お前に仕え、お前の大事な人間を守って死んだ」
 「遠士……いい名じゃ」
 「そうか」

 わしは立てた石に「龍指」で《遠士》と刻んだ。
 石神が「般若心経」を唱えてくれた。

 「何もしてやれなくてすまん」

 わしが呟くと石神が言った。

 「お前に一番懐いていたよ」
 「それはお前だろう」
 「いや、「花岡」を習いたがったのだろう?」
 「気まぐれじゃ」
 「そうじゃねぇよ。お前が大事なことをやってるのが、あいつにも分かったんだろう。だから自分も手伝いたがったんだよ」
 「……」

 「じゃあ、俺は行くな」
 「ああ」
 「斬、お前……」
 「……」






 石神が去った。
 雨が降って来た。
 そしてわしの足元だけ、地面を濡らした。
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