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真夏の別荘 愛する者たちと Ⅲ 誕生日

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 9月14日。
 その日が保奈美の誕生日だった。
 高校3年生の時。

 俺は女に何かをやることはなかった。
 まあ、金が無かったからだ。
 城戸さんの所で働いた収入は、俺の勉強道具とRZのガス代や維持費の他はほとんどお袋に預けていた。
 小学生以来、小遣いなどほとんど持っていなかった。
 ただ、保奈美だけは別だった。
 普段から世話になっているということもあったが、俺は保奈美を愛していた。
 他の女たちとは別格だった。
 だから、誕生日に何かをしてやりたかった。
 しかし金が無い。
 お袋に渡す分を減らすということは考えなかった。
 乾さんのお店を少し手伝わせてもらった。
 守安の家で、土方のバイトもした。
 何とか、5万円が手に入った。
 保奈美をデートに誘った。

 「おい、どっかで美味い物を喰おうぜ」
 「え! 何?」
 「たまにはいいだろう? お前の誕生日に行こう」
 「トラ!」

 保奈美が嬉しそうに俺に抱き着いて来た。

 「嬉しいよ!」
 「おい、何が喰いたい?」
 「え、なんだろう、フランス料理とか?」
 「おう!」
 「え、ウソだよ! そんな高い所行かないでも……」
 「俺に任せろ!」
 「トラぁ!」

 保奈美が俺にキスをして来た。
 俺は駅前にあるフランス料理店に予約を入れた。
 コース料理が2万円もする高級店だ。
 9月14日、金曜日の6時。
 あと四日後だ。





 保奈美が、茜が最近寄って来ないのだと言った。

 「いつもうるさいくらいにまとわりつくのに、最近じゃ顔を見掛けても笑って頭を下げるだけで」
 「なんだ?」
 「話そうとすると、「ちょっと今はー」って言って走ってっちゃうんだよ」
 「そうなのか」

 それはおかしい。
 茜は保奈美のことが大好きで、顔を合わせてまとわりつかないわけがない。
 
 「ちょっとさ、避けられてる感じもあるんだ」
 「それはねぇよ。あいつは保奈美に惚れ込んでるんだから」
 「あたし、何かしちゃったかな」
 「おいおい、お前がぶん殴ったって笑って抱き着いて来る奴だろう」
 「うん、でも……」

 「気にすんなよ。ちょっと今忙しいんじゃねぇのか?」
 「そうだね!」

 保奈美にはそう言ったが、気になっていた。
 あの茜が保奈美を避けるとは、尋常なことじゃない。
 あいつ、また何かのトラブルを負っているのではないか?
 前にも他のチームに因縁をつけられて一人で解決しようとしていた。
 学校の帰り、茜を探した。

 茜は家にいた。
 どこかへ出掛けることは少ない奴だ。
 うちほどではないが貧しい家庭で、病気がちのお母さんの面倒を見ていることが多かった。
 チャイムを鳴らすと、暗い顔をした茜が出て来た。

 「よう!」
 「トラさん!」
 「ちょっと出て来いよ」
 「はい」

 俺は近くの公園に茜を連れて行った。
 一緒にベンチに座る。

 「お前、最近何かあったろう」
 「え!」
 「保奈美から聞いた。お前がいつもと違うってよ」
 「保奈美さん……」
 「随分と心配してたぞ。何があった? 俺に話してみろよ」
 「あの……」

 茜は保奈美の誕生日にリングをプレゼントしたかったと言った。
 俺も保奈美も今年で高校を卒業だ。
 だから茜は奮発して高いものを買いたかったのだと俺に話した。

 「一緒に遊んでた時に、駅前に出来たジュエリーショップに寄ったんです。保奈美さんが気に入ったリングがあって」
 「そうか」
 「でも高かったんですよ、3万円。だから保奈美さんも笑って諦めてて」
 「そうか」

 それで茜は普段世話になっている保奈美のために、そのリングをプレゼントしようと思ったのだ。
 夏休みにバイトをして、何とか金を作った。

 「でも、母ちゃんがまた倒れちゃって」
 「なに?」
 「家に金が無いんで。だから自分のバイト代を……」
 「そういうことだったか」

 茜が泣き出し、俺は肩を抱き寄せた。

 「お前、頑張ったな」
 「いえ……トラさん……あたし……」
 「よくやった。俺もよ、保奈美のためにバイト増やしたんだ」
 「え?」
 「それがさ、随分と予定外に手に入ってよ。おい、良かったら俺の金を使ってくれよ」
 
 茜が泣き顔で俺を見上げた。

 「トラさん! それはダメですよ!」
 「いいじゃねぇか。俺たちは二人とも保奈美のためにバイトしたんだ。そのための金だろ?」
 「だって! そのお金はトラさんが稼いだんじゃないですかぁ!」
 「茜の金と一緒だよ。この金は保奈美を喜ばすためのお金だ。そうだろう?」
 「トラさぁーん!」
 「おい、もう泣くな。じゃあ、3万円な。早く買いに行けよ。ああ、お店に取り置きを頼んでおけ。こんなにお前が頑張ったのに、売れちゃってたらとんでもねぇからな」
 「トラさぁーん!」

 茜が大泣きし、しばらく抱き締めて泣き止むのを待った。
 茜は俺の金を受け取って、嬉しそうに帰って行った。





 9月14日。
 俺は保奈美と一緒にバスに乗って駅前に向かった。
 保奈美は可愛らしい花柄のワンピースを着て、少し化粧もしていた。
 俺は服が無いので、制服のブレザーだけ井上さんに借りたジャケットに替えていた。

 「トラ、カッコイイよ!」
 「そうか。井上さんに借りたんだ」
 「似合ってる!」
 「そう?」

 保奈美は上機嫌だった。
 ずっと俺と腕を組んで身体を密着させていた。
 40分程で駅前に着く。
 時間は丁度いい。

 「あそこだよね!」
 
 保奈美が嬉しそうに言って、俺の腕を引いた。
 店に入り、テーブルに案内された。
 大きなシャンデリアの下を通る時、保奈美が見上げてため息を吐いた。
 早い時間だったが、他に4つのテーブルに客がいた。
 みんないい服を着ている。
 そういう店なのだ。

 メニューが渡され、二人で眺めた。

 「わぁ! どんな料理か分かんないよ!」
 「俺もだよ」

 二人で笑った。
 実は俺には多少の知識はあった。
 城戸さんのお店で鍛えられていたからだ。
 保奈美に肉と魚とどっちがいいかと聞き、肉がいいと言った。
 他にも保奈美に前菜などを聞き、それを注文した。
 テーブルを離れて、俺の注文をウェイターに頼んだ。

 「なんだ、トラ詳しいじゃん!」
 「まあ、城戸さんの店で少しな」
 「あー、そうかぁ!」

 注文の料理が来た。
 保奈美が前菜に感動する。

 「どうやって食べるの!」
 
 俺はカトラリーの使い方を教え、保奈美が緊張しながら口にした。

 「おいしぃー!」
 「そうか!」

 俺はスープをゆっくりと飲んだ。
 保奈美はメインの子牛のステーキに感動していた。
 こんなに美味しいものは食べたことが無いと言った。
 そう聞いて俺も嬉しかった。
 そして、俺の方を見て、保奈美の顔が曇った。

 「トラ、まだそのスープを飲んでるの?」
 「ああ、今日はお腹一杯なんだ」
 「え?」
 「さっき、おにぎりを喰って来てさ。だからこのスープだけでいいんだ」
 「なに? それなに?」

 保奈美の顔が変わる。
 
 「お前に好きな注文をして欲しくてさ」
 「え! トラ、やっぱりお金がないの!」
 「ごめんな。お前一人が楽しんでくれれば……」

 保奈美が席を立って俺に抱き着いた。

 「トラ! ごめん! 無理させてごめん!」
 「おい、やめろって。本当に保奈美に美味いものを喰って欲しかったんだって」
 「ごめん! トラ! ごめんね!」

 保奈美が泣き出した。
 他のテーブルの客も俺たちを見て、店の人間も戸惑っていた。

 「違うんだよ。ほら、もっと食べてくれよ。お前の誕生日のために、俺、頑張ったんだぜ?」
 「トラぁ!」

 何とか保奈美を落ち着かせ、席に戻らせた。
 他のテーブルの人たちが俺たちを心配そうに見ていた。

 「騒がしくてすみません! 俺、高校生でお金がなくって。でもこの女は俺の最愛の奴で! 誕生日に是非ここで美味しい物を食べて欲しくて! すみませんでしたぁ!」

 他の客たちが拍手をしてくれた。
 お店の人も手を叩いている。

 「保奈美! 一杯食べてくれよ!」

 保奈美が泣きながらうなずいてくれた。
 お店の人が、バースデーのサービスだと鴨のコンフィを俺と保奈美にくれた。
 保奈美と二人で笑いながら食べた。





 バスに乗って家に戻ると、保奈美の家の前で茜が待っていた。

 「茜!」
 「保奈美さん! お誕生日おめでとうございます!」
 「え! あんた、それで待ってたの?」
 「はい!」

 茜が小さな包みを保奈美に渡した。
 リボンと包装を解く。

 「え! これって!」
 
 アクアマリンの石がついた、綺麗なリングだった。

 「あの時の! バカ! こんなに高いものを!」
 「エヘヘヘヘ、保奈美さんに似合ってましたから」
 「あんた! こんなに高いのはもらえないよ!」
 「ダメですよ! これ、トラさんと一緒に……あ……」
 「!」
 
 保奈美が俺を見た。

 「なに? トラがどうしたのさ!」
 「えーと、あの、トラさぁーん!」
 「このバカ!」

 保奈美に責められて、茜が全部喋りやがった。
 バイトを頑張った茜が、お袋さんが倒れて稼いだ金が無くなったこと。
 俺に話して、俺が指輪の代金をやったこと。
 保奈美が俺に抱き着いた。
 大泣きだった。
 折角の化粧が台無しになった。
 でも、本当に美しい顔だった。

 「トラ、愛してる。大好きだよ」
 「ああ、俺もだよ、保奈美」






 金が無くて、大したことをしてやれなかった俺。
 でも、確かにあの時、俺たちの間には何かがあったのだ。
 今も忘れられない、大切な何か。
 永遠に消えることのない、何か。
 保奈美も覚えているはずだ。
 そしていつか、きっと……

 「また来年も誕生日を祝おう」
 「トラ、ほんとう!」
 「ああ、約束だ。来年はちゃんとな」
 「ウフフフ、嬉しいよ!」

 




 しかし、俺は約束を守れなかった。
 俺は傭兵になり、保奈美と縁を切ってしまった。
 だから、俺はあれ以来、誰の誕生日も祝えなくなった。
 保奈美との約束を守れなかった俺が、どうして他の人間を祝えるというのか。
 付き合いでやったことはあるが、俺が本心で祝いたくてやったことはない。

 保奈美、あんなに嬉しそうにしていたのに。
 俺はダメな人間だ。
 でも、今でも保奈美の誕生日を祝ってやりたい。
 9月14日。
 俺はこの日を忘れたことはない。
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