上 下
2,441 / 2,840

あの日、あの時: 赤木巡査 Ⅴ

しおりを挟む
 「赤木さん……」

 俺が病院に見舞いに行くと、点滴を繋がれた赤木さんが俺を見て笑った。
 もちろん、大分やつれている。
 死んでおかしくない状況で、奇跡的に助かったのだ。

 しばらくは面会謝絶で、生死の境を彷徨っていた。
 両足をまっ平になるまで大型ハンマーで潰されたのだ。
 出血多量に加え、神経の甚大なショックで大変な状態だった。
 「外傷性ショック症状」というものだ。
 激甚な傷害によって、神経が過剰反応し血圧の低下などの症状を誘発する。
 実際にショックによる血圧の低下で死に至ることも多いのだ。
 心拍も小さく早くなり、意識障害を起こす。
 この症状は赤木さんも呈していた。
 そして血尿が出て腎不全に至ることもある。
 そうなると、全身に異常が起こり、やはり死に至ることや外傷箇所以外の障害も引き起こす。

 赤木さんは、そんな状態で俺を呼び止め、更に笑い掛けてくれていたのだ。
 それが無ければ、俺は馬路を殺していたに違いない。
 そうなれば、正当防衛も何もない。
 俺は殺人者だ。
 そんなことは全然構わなかったのだが。
 赤木さんの激痛と絶望、悲しさや悔しさを思えば馬路たちを皆殺しにしたかった。

 「トラ君、来てくれたんだ」
 「あの、俺……」
 「トラ君のお陰で助かったよ。君が飛び込んで来てくれなかったら、本当に殺されていた」
 「でも、俺……」

 赤木さんが俺に座るように言った。
 俺は黙ってうつむいたまま、丸イスに腰掛けた。
 俺は見舞いに持って来た果物のカゴを脇の台に置いた。
 赤木さんの、平らな下半身の布団を見て、俺はまたどうしようもなく感情が乱れた。
 
 「なんだよ、トラ君。無理しなくていいよ」

 金の無い俺のことなどを赤木さんは心配してくれていた。
 どうしてこの人は、こんなに優しく、他人のことばかり考えるのか。

 「いいえ、とんでもない。赤木さん、済みませんでした」
 「何が?」
 「俺なんかに関わったから、こんなことに」

 馬路は俺を狙っていた。
 赤木さんは俺と親しくしていたから狙われたのだ。

 「そんなことはない!」

 赤木さんが怒鳴った。
 そんな大声を出したのは初めて聞いた。
 俺は驚いて顔を上げて赤木さんの顔を見た。

 「僕は警察官だ。こういうことは覚悟していたよ!」
 「そんな、赤木さん……」
 「トラ君こそ無茶をして! あんな凶暴な連中の中に独りで飛び込んで来るなんて無茶だよ!」
 「すみません……」
 「本当に、もうあんなことはしないでね」

 赤木さんが優しく笑っていた。

 「赤木さんだったから」
 「え?」
 「赤木さんだったから、何が何でも助けなきゃって……」
 「トラ君!」

 赤木さんが俺を見詰めてから、目を覆った。

 「トラ君、それは嬉しいけどさ。本当に有難かったけどさ」
 「でも助けられなかった」
 「そんなことはないよ! 僕はこうして生き延びたんだ」
 「でも、足が……」
 
 赤木さんがまた笑った。
 明るい窓の方を向いて、目の涙を拭った。

 「僕はね、トラ君に憧れてたんだ」
 「え?」
 
 また赤木さんが俺を向いた。
 窓からの光が少し濡れた瞳に反射して美しかった。

 「トラ君は強いだろう?」
 「いえ、そんなことは」
 「強いしカッコイイし。ああ、頭もいいんだよね?」
 「いえ、バカですよ」
 「アハハハハハ!」

 赤木さんが声を出して笑った。

 「そうだね。他人のためには自分の命だって平気で捨てられる。だから僕は君のことを尊敬して憧れたんだ」
 「赤木さんの方こそ。赤木さんほど優しくて勇気のある人はいませんよ。だから俺、最初から赤木さんのことが大好きで……」

 俺の本心だ。
 誰にでも優しく、グレた不良たちにまで優しい。
 
 「ほら、前に僕の作ったフィギュアを見せたろ?」
 「ああ、素敵なものでしたよね!」
 「ありがとう。トラ君に憧れて、あのフィギュアを作ったんだ」
 「あー、俺のもありましたね」
 「あれからも作ってたんだよ」
 「え?」
 「トラ君のをさ。僕のずっと憧れだからね」
 「赤木さん……」

 申し訳なくて、俺は頭を下げて泣いた。
 俺なんかに関わって、赤木さんは両足を喪ったのだ。
 しかも、恐ろしく残酷な方法で潰された。

 「意識が無くなる時にね、僕はトラ君が助けに来てくれるって思ったんだ」
 「え?」
 「そうしたら本当にそうだった! あの真っ赤な特攻服でさ! 僕はあの姿に身体が痺れたよ」
 「何言ってんですか」
 「もう僕はあれを見たからいいよ」
 「赤木さん……」
 「あれは最高にカッコ良かった」
 「……」
 「本当だよ?」

 そう言って、赤木さんは泣いている俺の背中をさすってくれた。
 温かで優しい手だった。





 赤木さんは警察官を退官した。
 和久井署長や佐野さんたちは残るようにも勧めていたようだが、赤木さんは自分が警察官の職務に耐えられないと言った。
 赤木さんは、趣味でやっていたフィギュアや造形の仕事を始めた。
 入院中に、俺はその話を聞いた。
 俺に造形の仕事をすると決めたと話し、本当に嬉しそうだった。

 「僕ね、赤木って名前じゃない」
 「はい」
 「ほら、「赤虎」って同じ赤じゃない」
 「はい?」
 「だからちょっと嬉しかったんだよ!」
 「何言ってんですか!」

 赤木さんは入院中も明るかった。
 自分の運命を受け入れて、新しい人生を始めようと前向きだった。
 俺に気を遣っていたのかもしれない。
 
 「赤木さん、俺は本当は青が好きなんですよ」
 「そうなのかい!」

 赤木さんが驚いた。
 ちょっと残念そうな顔にもなった。
 本当に、俺に気を遣った冗談ではなく、赤虎と赤木で嬉しかったのか。

 「じゃあ、もしも造形師として有名になったら、名前を変えようかな」
 「そんなにですかぁ!」
 「うん! 青かぁ」
 「青木にしようかな」
 「ちょっと違うんじゃないですか?」
 「うーん」

 赤木さんは本気で考えていた。





 赤木さんは退院して少ししてから退官し、すぐに大手の造形専門の会社に移った。
 就職先がすぐに見つかったのは、和久井署長の伝手だと聞いた。
 もしかしたら、小島将軍が手を回してくれたのかもしれない。
しおりを挟む
感想 56

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

NPO法人マヨヒガ! ~CGモデラーって難しいんですか?~

みつまめ つぼみ
キャラ文芸
 ハードワークと職業適性不一致に悩み、毎日をつらく感じている香澄(かすみ)。  彼女は帰り道、不思議な喫茶店を見つけて足を踏み入れる。  そこで出会った青年マスター晴臣(はるおみ)は、なんと『ぬらりひょん』!  彼は香澄を『マヨヒガ』へと誘い、彼女の保護を約束する。  離職した香澄は、新しいステージである『3DCGモデラー』で才能を開花させる。  香澄の手が、デジタル空間でキャラクターに命を吹き込む――。

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

人形の中の人の憂鬱

ジャン・幸田
キャラ文芸
 等身大人形が動く時、中の人がいるはずだ! でも、いないとされる。いうだけ野暮であるから。そんな中の人に関するオムニバス物語である。 【アルバイト】昭和時代末期、それほど知られていなかった美少女着ぐるみヒロインショーをめぐる物語。 【少女人形店員】父親の思い付きで着ぐるみ美少女マスクを着けて営業させられる少女の運命は?

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

処理中です...