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退魔師 Ⅷ
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「私は群馬の花岡道場に行き、そこから離れたある屋敷に案内されました。当主の斬様から、危険があっても必ず守ると言われました」
「6歳児からですか?」
「はい。私にも訝しく思うことはあったのですが、何かあるのだろうとは思いました。斬様からは大きな闘気が感じられましたので」
「本気だったということですね」
「ええ。だから逆に、一体どのような子どもなのかと」
移動の車中で「業」の話を聞いたそうだ。
斬が話したのは、「業」が生まれつき邪悪であり、自分以外の全てを憎んでいること。
そしてついに殺人を犯したのだということだった。
「世話をしていた女中を、後ろから鋭利な鎌で首を斬ったそうです」
普通の子どもにはいろいろな意味で不可能だ。
筋肉の力も足りないし、第一姿勢の問題もある。
相手を屈ませるか自分が高い位置にいなければ不可能だ。
それをセッティングした。
また、物事の善悪も分からない子どもだったとしても、人を殺すということは大きな壁になるはずだ。
「業」は殺人に一切の禁忌も躊躇もなく、そしてそれを成し遂げる体力も知能も有していた。
そして柏木さんは、「業」に会った。
「一目で分かりました。これは人間ではどうにも出来ないモノなのだと。石神先生とは違った、巨大な運命の存在なのだと分かりました」
「それでも祈祷したのですか?」
「はい。無理とは分かっていても、万一があるかもしれないと。また僅かながらでも何か出来るかもしれないと思いました。それが私の道ですから」
「どうなったのですか?」
俺は話している柏木さんの身体が震えているのを見て、何かがあったことが分かった。
「短刀を隠し持っていました」
「え!」
「それで刺される寸前に、斬様に救われました。「業」は両目を失って畳の上で呻いていて」
「両目を?」
「はい、確かに。畳に抉られた両眼が確かに。しかし……」
「まさか……」
「業」は失明したのか。
では、俺が出会った「業」は一体……。
「斬様はすぐに私を連れて屋敷から出ました。斬様は「もう道間に任せるしかない」とおっしゃっていました」
「道間家ですか!」
「はい、道間家の当主の宇羅から連絡が来ていたそうです。「業」の邪悪を治めることが出来ると。でも、宇羅の様子がおかしかったので、斬様は何かを感じて断っていたそうです。そして私を呼んだのだと」
「道間宇羅……」
「業」の運命が決定する前日談であったか。
斬は万に一つの希望を持って、柏木さんを呼んだのだろう。
しかし届かなかった。
「駅まで送られ、斬様は私にお金の入った封筒を渡そうとしました。当然、魔祓いは失敗したのでお断りしました。でも」
「斬は渡したんですね?」
「そうです。「一つ分かったことがあるから」と仰いました。もう通常のことでは「業」を変えることは出来ない。「道間を頼るしかない」と」
「そうだったのですね」
そして斬は道間宇羅を呼び、「業」は大妖魔《大羅天王》をその身に宿した。
恐らく、その時に両眼も再生したのだろう。
柏木さんの話はまだ終わらなかった。
「その後、もう一度だけ斬様に呼ばれました。道間家の処置をどう見るのか教えて欲しいと」
「行ったのですね」
「ええ、私も気になっていましたので。でも、私が見たのは、本当に恐ろしいものでした」
「大妖魔と融合されていた」
「その通りです! 生まれながらの邪悪が、真の魔になっていた! 斬様にそう伝えると、怖いお顔になり、「業」を睨んでおりました」
「……」
どうして斬はその時に「業」を殺さなかったのか。
斬の力であれば、まだ未熟な「業」を殺すことも出来ただろう。
以前から気になっていたことだが、斬にも考えがあったのだろうと思っていた。
しばらくは、道間宇羅の言葉を信じていたのかもしれない。
「斬様にはまだ血を分けた孫に見えていたのだと思います」
「!」
思いもよらぬ言葉を柏木さんからもらった。
「どのような姿、存在になろうとも、斬様にとっては孫です。すぐには滅することは出来なかったのかと」
「そう思われますか?」
「はい。そうでなければ、退魔師の私など呼ばなかったでしょう。多分、道間宇羅様にも頼らなかった。何とかしたいとずっと思っていたのだと思います」
「そうですね」
冷酷非情の斬の中には、深い愛情が流れていたのだ。
花岡家の陰惨な血が「業」を生み出してしまった。
それでもなお、いや、それだからこそ、当主の自分が何とかしたかったのだ。
今、斬が思っていることが痛いほどに分かる。
自分が愛を抱いてしまったがゆえに、今世界が亡びるかもしれないのだ。
それを斬は「愛」とは思っていないだろう。
斬は自分のワガママ、弱さであったと考えているに違いない。
斬の苛烈な鍛錬、修行は、そのことへの痛烈な後悔なのだろう。
自分の身体を爆散する可能性の高い、「螺旋花」の全身展開。
そのような無茶も、自分の不始末で「業」を生み出してしまったことへの後悔なのだ。
何度も機会のあった「業」の抹殺を、何度も自分が躊躇してしまったことへの深い悔恨。
「私はあの斬様の凄まじいお顔を忘れたことはありません。鬼になろうとして、尚愛の残り火を消せない。そのことへの壮絶な怒りが感じられました」
「そうですか」
「そして私も誓いました」
「はい?」
「もしも「業」と戦う者が現われれば、私もまたその戦いに身を置こうと」
「……」
柏木さんは静かに微笑んだ。
「それは私の逃避でした。斬様はあの日、迷っておられた。でも私には分かっていました。斬様はきっといつの日か、その戦いを始めるのだと。私はそうではなかった。私には斬様のような事情は何一つとしてありませんでした。だからすぐにでも戦えば良かった。しかし私は時を置いてしまいました。この年になるまで、逃げ回っていたのです」
「いいえ、それは柏木さんの戦いではありませんから」
俺がそう言っても、柏木さんはうなずかなかった。
「いいえ。あの斬様のお顔を見て、一緒に戦おうとしないということのはずはないのです。私はあれこれと理由を付けて逃げてしまったのです。それが私の唯一の後悔です。エツコに何もしてやれなかったことも、師匠にとんでもない患いを掛けてしまったことも、私には自分の力不足と思えます。しかし、「業」のことは別です。あれは存在を赦してはならなかった。必ず滅するべきでした。それは人としての使命です」
「柏木さん、そんな……」
「私も人間の端くれです。やらねばならなかった。それをせずに、この年まで生きてしまいました」
「柏木さんはご立派な方ですよ。「業」と戦うなんて、普通は出来ませんよ」
「でも、石神先生はなさろうとしているのですよね?」
「それは俺の運命です。「業」と関わった者が全て戦うというものではありません」
俺の言葉は柏木さんに届いただろうか。
柏木さんは目を閉じて表情を消してしまわれた。
そして言葉を重ねた。
柏木さんの苦衷を少しでも和らげたかった。
「あれは巨大な災厄です。人間の使命などではありません。私も人間を背負って戦うわけではない。戦う運命があったからですよ」
「石神先生……」
「思い悩む必要はありません。柏木さんはご自身のやるべきことをやればいいのです。師匠の長谷川さんも言っていたじゃないですか。まだ柏木さんが退魔師が出来るのだと」
「師匠……」
「それが柏木さんの使命ですよ。きっと長谷川さんもそれを喜んでいる。私は門外漢ですが、あの嬉しそうな長谷川さんのお顔を見て、長谷川さんが柏木さんが今まで通りに退魔師として活動されることを喜んでおられるのだと思います。「業」との戦いなんて」
「石神先生……それでいいのでしょうか?」
「もちろんです。柏木さんはいろいろな方の苦しみを手助けしていって下さい」
「はい、ありがとうございます」
柏木さんは納得されるだろうか。
だが、柏木さんは戦う人ではない。
もっと別にやるべき道がある。
これまでも、多くの人間の人生を助けて来たのだろう。
それは俺にもよく分かる。
そして、柏木さんのオペの日となった。
俺が執刀医としてオペ室に入った。
「6歳児からですか?」
「はい。私にも訝しく思うことはあったのですが、何かあるのだろうとは思いました。斬様からは大きな闘気が感じられましたので」
「本気だったということですね」
「ええ。だから逆に、一体どのような子どもなのかと」
移動の車中で「業」の話を聞いたそうだ。
斬が話したのは、「業」が生まれつき邪悪であり、自分以外の全てを憎んでいること。
そしてついに殺人を犯したのだということだった。
「世話をしていた女中を、後ろから鋭利な鎌で首を斬ったそうです」
普通の子どもにはいろいろな意味で不可能だ。
筋肉の力も足りないし、第一姿勢の問題もある。
相手を屈ませるか自分が高い位置にいなければ不可能だ。
それをセッティングした。
また、物事の善悪も分からない子どもだったとしても、人を殺すということは大きな壁になるはずだ。
「業」は殺人に一切の禁忌も躊躇もなく、そしてそれを成し遂げる体力も知能も有していた。
そして柏木さんは、「業」に会った。
「一目で分かりました。これは人間ではどうにも出来ないモノなのだと。石神先生とは違った、巨大な運命の存在なのだと分かりました」
「それでも祈祷したのですか?」
「はい。無理とは分かっていても、万一があるかもしれないと。また僅かながらでも何か出来るかもしれないと思いました。それが私の道ですから」
「どうなったのですか?」
俺は話している柏木さんの身体が震えているのを見て、何かがあったことが分かった。
「短刀を隠し持っていました」
「え!」
「それで刺される寸前に、斬様に救われました。「業」は両目を失って畳の上で呻いていて」
「両目を?」
「はい、確かに。畳に抉られた両眼が確かに。しかし……」
「まさか……」
「業」は失明したのか。
では、俺が出会った「業」は一体……。
「斬様はすぐに私を連れて屋敷から出ました。斬様は「もう道間に任せるしかない」とおっしゃっていました」
「道間家ですか!」
「はい、道間家の当主の宇羅から連絡が来ていたそうです。「業」の邪悪を治めることが出来ると。でも、宇羅の様子がおかしかったので、斬様は何かを感じて断っていたそうです。そして私を呼んだのだと」
「道間宇羅……」
「業」の運命が決定する前日談であったか。
斬は万に一つの希望を持って、柏木さんを呼んだのだろう。
しかし届かなかった。
「駅まで送られ、斬様は私にお金の入った封筒を渡そうとしました。当然、魔祓いは失敗したのでお断りしました。でも」
「斬は渡したんですね?」
「そうです。「一つ分かったことがあるから」と仰いました。もう通常のことでは「業」を変えることは出来ない。「道間を頼るしかない」と」
「そうだったのですね」
そして斬は道間宇羅を呼び、「業」は大妖魔《大羅天王》をその身に宿した。
恐らく、その時に両眼も再生したのだろう。
柏木さんの話はまだ終わらなかった。
「その後、もう一度だけ斬様に呼ばれました。道間家の処置をどう見るのか教えて欲しいと」
「行ったのですね」
「ええ、私も気になっていましたので。でも、私が見たのは、本当に恐ろしいものでした」
「大妖魔と融合されていた」
「その通りです! 生まれながらの邪悪が、真の魔になっていた! 斬様にそう伝えると、怖いお顔になり、「業」を睨んでおりました」
「……」
どうして斬はその時に「業」を殺さなかったのか。
斬の力であれば、まだ未熟な「業」を殺すことも出来ただろう。
以前から気になっていたことだが、斬にも考えがあったのだろうと思っていた。
しばらくは、道間宇羅の言葉を信じていたのかもしれない。
「斬様にはまだ血を分けた孫に見えていたのだと思います」
「!」
思いもよらぬ言葉を柏木さんからもらった。
「どのような姿、存在になろうとも、斬様にとっては孫です。すぐには滅することは出来なかったのかと」
「そう思われますか?」
「はい。そうでなければ、退魔師の私など呼ばなかったでしょう。多分、道間宇羅様にも頼らなかった。何とかしたいとずっと思っていたのだと思います」
「そうですね」
冷酷非情の斬の中には、深い愛情が流れていたのだ。
花岡家の陰惨な血が「業」を生み出してしまった。
それでもなお、いや、それだからこそ、当主の自分が何とかしたかったのだ。
今、斬が思っていることが痛いほどに分かる。
自分が愛を抱いてしまったがゆえに、今世界が亡びるかもしれないのだ。
それを斬は「愛」とは思っていないだろう。
斬は自分のワガママ、弱さであったと考えているに違いない。
斬の苛烈な鍛錬、修行は、そのことへの痛烈な後悔なのだろう。
自分の身体を爆散する可能性の高い、「螺旋花」の全身展開。
そのような無茶も、自分の不始末で「業」を生み出してしまったことへの後悔なのだ。
何度も機会のあった「業」の抹殺を、何度も自分が躊躇してしまったことへの深い悔恨。
「私はあの斬様の凄まじいお顔を忘れたことはありません。鬼になろうとして、尚愛の残り火を消せない。そのことへの壮絶な怒りが感じられました」
「そうですか」
「そして私も誓いました」
「はい?」
「もしも「業」と戦う者が現われれば、私もまたその戦いに身を置こうと」
「……」
柏木さんは静かに微笑んだ。
「それは私の逃避でした。斬様はあの日、迷っておられた。でも私には分かっていました。斬様はきっといつの日か、その戦いを始めるのだと。私はそうではなかった。私には斬様のような事情は何一つとしてありませんでした。だからすぐにでも戦えば良かった。しかし私は時を置いてしまいました。この年になるまで、逃げ回っていたのです」
「いいえ、それは柏木さんの戦いではありませんから」
俺がそう言っても、柏木さんはうなずかなかった。
「いいえ。あの斬様のお顔を見て、一緒に戦おうとしないということのはずはないのです。私はあれこれと理由を付けて逃げてしまったのです。それが私の唯一の後悔です。エツコに何もしてやれなかったことも、師匠にとんでもない患いを掛けてしまったことも、私には自分の力不足と思えます。しかし、「業」のことは別です。あれは存在を赦してはならなかった。必ず滅するべきでした。それは人としての使命です」
「柏木さん、そんな……」
「私も人間の端くれです。やらねばならなかった。それをせずに、この年まで生きてしまいました」
「柏木さんはご立派な方ですよ。「業」と戦うなんて、普通は出来ませんよ」
「でも、石神先生はなさろうとしているのですよね?」
「それは俺の運命です。「業」と関わった者が全て戦うというものではありません」
俺の言葉は柏木さんに届いただろうか。
柏木さんは目を閉じて表情を消してしまわれた。
そして言葉を重ねた。
柏木さんの苦衷を少しでも和らげたかった。
「あれは巨大な災厄です。人間の使命などではありません。私も人間を背負って戦うわけではない。戦う運命があったからですよ」
「石神先生……」
「思い悩む必要はありません。柏木さんはご自身のやるべきことをやればいいのです。師匠の長谷川さんも言っていたじゃないですか。まだ柏木さんが退魔師が出来るのだと」
「師匠……」
「それが柏木さんの使命ですよ。きっと長谷川さんもそれを喜んでいる。私は門外漢ですが、あの嬉しそうな長谷川さんのお顔を見て、長谷川さんが柏木さんが今まで通りに退魔師として活動されることを喜んでおられるのだと思います。「業」との戦いなんて」
「石神先生……それでいいのでしょうか?」
「もちろんです。柏木さんはいろいろな方の苦しみを手助けしていって下さい」
「はい、ありがとうございます」
柏木さんは納得されるだろうか。
だが、柏木さんは戦う人ではない。
もっと別にやるべき道がある。
これまでも、多くの人間の人生を助けて来たのだろう。
それは俺にもよく分かる。
そして、柏木さんのオペの日となった。
俺が執刀医としてオペ室に入った。
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