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退魔師 Ⅵ

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 事件が起きたのは、年末のことだった。
 私が魔祓いの仕事から帰ると、家の前に警察官が立っていた。
 この寒空の下で、ずっと私の帰りを待っていたのだろう。
 寒さで辛そうだったが、私の顔を見ると、表情を引き締めた。

 「柏木さんですか?」
 「はい、そうですが」
 「長谷川仁間さんのお知り合いですね」
 「ええ、長谷川は私の師匠です。何かありましたか?」

 嫌な予感がした。

 「落ち着いて聞いて下さい。長谷川さんが今日の昼頃に殺害されました」
 「なんですって!」
 「惨い殺され方で。署の方にいらしていただきたく、お待ちしていました」

 全身から血の気が引いた。
 まさか師匠が誰かに殺されるなど、考えもしなかった。
 警察官と一緒に警察署へ行き、師匠のことをいろいろと聞かれた。
 誰かに恨みを買っていないかということが中心だった。
 師匠は上野の仕事現場で誰かに襲われたらしい。
 一人で大掛かりな祈祷の準備をしていたはずだ。
 だから犯人は誰も見てはいない。

 私は思った。
 こんな仕事だ。
 どこかで恨みを買うこともあるかもしれない。
 しかし、私の中では一人の男が明確に浮かんでいた。
 あの小野木という男だ。
 あの日師匠にこっぴどく追い返され、あの男は師匠のことを酷く恨んでいただろう。
 それに、あの男は人を殺すのに躊躇は無い。
 何の証拠も無いことだったが、私は小野木だろうと思った。
 取り調べの刑事さんにも師匠と小野木との確執を話した。
 刑事さんは、小野木を探ってくれると言ってくれた。
 
 警察署での取り調べが終わり、刑事さんに近くの病院へ連れていかれた。

 「最初にご遺体にご案内したかったのですが、取り調べがありましたので申し訳ありません」
 「いいえ、ご案内ありがとうございます」

 霊安室だった。
 師匠の身体には白いシーツがかぶせられ、刑事さんに断って遺体を見た。
 首が胴体から切り離されるという惨い殺され方だった。

 「鋭利な刃物のようです。しかも包丁の類ではありません。もっと刃渡りの長い刃物と思われます」
 「日本刀のようなものですか?」
 「そうですね。そういうものならば」

 小野木がやったのだろうか。
 私の勘は違うと告げていた。
 小野木はおよそ肉体的な鍛錬は感じられなかった。
 しかし、師匠はきっと小野木によって殺されたのだ。
 小野木の命令か、その罠にはめられて。

 師匠の両手に、独鈷所が握られていた。

 「これは相当堅く握りしめていたようで、離そうとしても指が動かなかったんです」
 「そうですか。師匠の護身具だったのですよ」
 「なるほど。犯人と格闘になって、握りしめたのですかね」

 私はそうではないと思った。
 日本刀を相手に、独鈷所でどうにかなるものではないだろう。
 師匠は死ぬ寸前に、何かを期したのではないだろうか。
 それがどういうものなのかは、私にも分からなかったが。
 私が師匠の手の独鈷所に触れると、はらりと指が解けた。
 見ていた刑事さんが驚いたが、何も言わなかった。
 こういうことがあると、仕事柄知っていたのかもしれない。
 刑事さんに断って、師匠の独鈷所を頂いた。

 小野木は次は私を狙うだろう。
 師匠を残酷に殺した奴だ。
 私もどんな殺され方をするのか。

 私に恐怖は無かった。
 私などが小野木に敵うわけもない。
 殺されるのは仕方がない。
 私は、その最後の日まできちんと生きるだけだ。






 師匠の死によって、私の仕事は激減した。
 私自身もそこそこの評価は得ていたが、何しろ師匠の名によって仕事を受けていたのだ。
 師匠は多くの人の信頼を得て、だからこそ弟子の私も仕事の依頼が来ていた。
 私は今までお世話になった方々を回り、祈祷などの仕事を何とか頂いていった。
 小石川から引っ越し、安いアパートへ移った。
 それでも当初は収入の少なさに参ったが、徐々に信頼を得て行って何とか糊口を凌いだ。

 しかし、1年後に不味い状態に気付いた。
 それまでありありと見えていた霊感が衰え、感じにくくなってしまっていった。
 師匠に拾われたのは、私が生まれつき霊や波動を感じる力が強いことだった。
 修行によってそれは更に高まり、私の退魔師としての能力の中心になっていたのだ。
 その力が衰えている。
 原因は分からず、自分でも大いに悩んだ。
 それでも祈祷は出来る。
 だから誠心誠意で仕事をこなしていった。
 だが退魔は出来ない。
 霊が見えなければそれに見合った退魔の儀式は出来ない。
 徐々に見えなくなっていく自分に苦しんだ。

 その上、体調を崩して行った。
 最初は腰の痛みであり、それが徐々に広がり、背中全体が痛むようになった。
 やがてそれは激痛になり、動くことも出来ない日が続いて行った。
 吉原さんが訪ねてくれなければ、終わっていたかもしれない。

 「あんた、呪詛を掛けられているよ」
 「!」

 そう言われた瞬間に、私は霊視が出来なくなったことも、その後の体調の悪化も、全てが呪詛のせいだと分かった。
 それと同時に、誰が私に呪詛を向けているのかということも。

 「段階を踏んでやられたね。最初はあんたの霊感を弱め、その上で恐ろしい呪詛を組まれた。霊感があれば早々に分かっただろうに、とんでもない奴だよ」
 「小野木だと思います。以前から私を憎み、殺したがっていましたから」
 「ああ、座馬の悪童か」

 吉原さんも知っていた。
 私は最初の小野木と関わってからの経緯を吉原さんに話した。
 高虎君の家で、父親にこっぴどく追い返されたことも。

 「虎影さんにやられたか。ザマァ! 虎影さんには手出しは出来ないだろうからね。あんたに狙いを絞ったか」
 「師匠にも怒鳴られたんですよ。それを恨んで、師匠を殺したのだと思います」
 「あいつは裏稼業の人間と繋がってるからね。そいつらを使ったんだろうよ」
 「やはりそうですか」

 私の思っていた通りだった。

 「あんたは師匠の仇を討とうとは思わないんだね」
 「ええ、私は自分の力は誰かを助けるために使いたいんです」
 「そうだね、あんたはそういう人間だ。その通りだ。怨みで人に何かするんじゃない。この件は私が預かるよ。でもその前に、あんたのことだ」
 「はい」
 「このままじゃ死ぬよ?」
 「そうですか」

 吉原さんが微笑んだ。

 「それも受け入れるんだね」
 「すみません。こういう生き方しか出来ないもので」
 「そうか。あんたへの呪詛は神を利用したものだ」
 「そうですか」

 私にもその意味は分かった。
 神を使った呪詛となれば、人間に祓うことは出来ないのだ。
 自分の運命が決したことを理解した。

 「でもね、何とかしてみるよ。呪詛を祓うことは出来なくても、弱めることは出来る」
 「それは!」
 「必ず何とかする。それに、小野木のガキは放置できない」
 「……」
 「呪詛返しをする。そうすれば小野木も無事ではいられない」
 「はい」

 私も何度も呪詛返しをしてきた。
 そうすれば、呪った人間に呪詛が返り、その人間は多くの場合死ぬことになる。

 吉原さんは早速呪詛返しの儀式を用意してくれた。
 神を使った呪詛は、恐ろしく強大だ。
 だから時間も掛かる。
 数時間が経過し、暗くなってきた。

 その時、私のアパートの戸口を叩く音がした。
 吉原さんはそれを無視して祈祷を続けていた。
 私の中で徐々に霊感が戻って来る感覚があった。
 だからドアを叩く訪問者が誰であるのかも分かった。

 「開けろ! ここを開けろ! お前、何をしている!」

 小野木が叫んでいた。
 しかし声は弱弱しく、また苦し気だった。

 「開けろ! おい! 頼むから開けてくれ!」

 吉原さんが祈祷を終え、玄関のドアを開けた。
 足をひきずりながら小野木が姿を見せた。

 「よくもこの俺を……」

 私も玄関へ行き、小野木を近くで見た。
 顔面が蒼白で、脂汗を全身に流している。
 臭いが酷い。
 汚物を体中に塗りたくったかのように、恐ろしく臭い。
 そして顔や見えている手先に、梵字のような文様が浮かび上がっていた。
 これが呪詛返しをされた報いなのか。
 私も初めてそれを見た。

 「お前ら……許さんぞ」

 小野木が渾身の力で立ち上がろうとした。
 その時、私の着物の胸元が膨らんだ。

 「!」

 私の胸から、師匠の長谷川仁間の首が出て来た。
 小野木も驚いている。
 そして師匠の首が喋った。

 「お前。今度姿を見せたらぶっ殺すと言ったよな?」

 生前の、あの師匠の声と喋り方だった。

 「お前、どうして……」

 私の腹から右手が伸びた。
 独鈷所を握っていた。
 右手は、その独鈷所を小野木の額に打ち付けた。

 「ギヤァァァァァーーー!」

 小野木の凄まじい悲鳴が響き、小野木の額から黒い筋が拡がって行った。
 そして玄関の向こうの小野木の倒れた地面から数多くの黒い腕が伸びて来て、小野木の頭や顔、肩から両腕、胴体、足を掴んで行く。
 そのまま小野木は向こうへ引きずられ、地面に引きずり込まれて行った。
 小野木の顔は真っ黒になり、それを最後に消えてなくなった。

 「地獄へ直行だよ。あのガキ、相当なことをやって来たんだねぇ」
 「……」

 私には何も言えなかった。
 ただ、師匠がずっと私のことを護ってくれていたのだということだけが嬉しかった。

 「師匠が……」
 「ああ、長谷川さんはあんたのことをずっと気にしていたんだね。あのガキにあんたが悪さをされて、心配でしょうがなかったんだろう」
 「師匠は私のために殺されてしまった……」
 「仕方がないよ。あんたにも運命があったんだ。長谷川さんは、そういうあんたのために全てを捧げたんだ。立派な人じゃないか」
 「はい」

 玄関に、独鈷所が落ちていた。
 それはやけに重く、そして冷たかった。

 「師匠、助かりました。ありがとうございます」

 涙が手を伝い、独鈷所を濡らした。
 その瞬間、独鈷所が少し軽くなったように感じた。

 「長谷川さんも逝ったね。これでやっと安心した。いずれ成仏出来るだろう」
 「そうですね」

 私にも分かった。
 私に、霊感が戻っていた。





 その後、以前にお会いした刑事さんから、小野木の遺体が発見されたことを知らされた。
 小野木のマンションの部屋で、全身が引き千切られた死体になっていたそうだ。
 あの日、私のアパートの玄関にいたはずの小野木が、どうして自宅で死んでいたのかは分からない。

 小野木の死体は数百もの断片になっていた。
 それだけのことを、小野木はして来たのだろう。
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