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退魔師 Ⅱ

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 翌日から柏木さんの検査が始まり、結果は概ね俺が予見した通りだった。
 91歳という高齢ではあるが、体力は中年の人間よりもある。
 特に免疫系の力は高く、もっと難手術であっても耐えられると感じた。
 心肺機能も申し分ない。
 骨密度も非常に高く、老齢とは思えない身体だった。
 
 俺は響子に柏木さんのことを話した。

 「吉原龍子のノートにも載っていた人なんだ。ずっと退魔師をしてたんだよ」
 「タイマシって何?」
 「悪い霊とかを祓う人だ。麗星のような霊感があるんだよ」
 「へぇー! 凄い人だね!」
 「それでな、柏木さんはレイに会ったって言うんだ」
 「レイに!」
 「うん。レイが様子を見に行ったらしいよ。そうしたら響子に会ってもいいって言ったらしい」
 「ほんとに!」
 「響子、レイに確認してくれるか?」
 「うん!」

 俺にはレイと話が出来ないが、響子は出来る。
 俺の隣の空間に向かって話していた。
 隣にいたのかよ!

 「タカトラ、本当だって! 凄く綺麗な人なんだって!」
 「そうか! じゃあ会ってみるか?」
 「うん!」

 俺は検査を終えた柏木さんの所へ響子を連れて行った。
 六花も一緒だ。
 柏木さんはベッドでノートパソコンのキーボードを叩いていた。
 退魔師がパソコンを使うとは思ってもいなかった。

 「柏木さん、すいません。響子を連れて来たんですが」
 「ああ! どうぞいらして下さい!」

 響子が柏木さんのベッドに近づく。

 「響子です。はじめまして」
 「柏木天宗です。よくいらしてくれました」

 柏木さんは子どもの響子にも丁寧な口調だった。

 「ああ、あなたが! なるほど、あの虎が大事にするわけだ」
 「レイと会ったんですね!」
 「はい。美しく高貴な虎です。今も一緒にいらっしゃいますね?」
 「分かるんですね!」
 「はい」

 響子が嬉しそうに笑った。
 レイが見える人間は、柏木さんが初めてだろう。
 麗星にも見えないのだから、相当な能力者だ。
 まあ、麗星の場合は見えても黙っているだけなのかもしれないが。

 「石神先生と、虎のレイさんがこの病院を守っているのですね」
 「レイは響子の守護神獣なんです。だから響子の周辺は常に見張っています」
 「なるほど。石神先生がこの神獣を呼んだのですか」

 そういうことまで分かるようだ。

 「不思議な縁がありましてね」

 俺は高校時代のレイとの出会いを話した。
 長い話になったが、柏木さんは嬉しそうに聞いてくれた。

 「素晴らしいお話しでした」
 「そんな。レイはサーカスでみんなに愛されていたそうです。最後は火事になったサーカスのテントから人々を助け出して、その場で死にました」
 「そうなんですね。立派な虎だったんですね」
 「まあ詳しいことは話せないんですが、そういうことがあって、レイは神獣になり響子を護ってくれるようになったんです」
 「はい。今レイさんからもお話を伺いました。石神先生が大好きなのだと」
 「アハハハハハハ!」

 柏木さんが更に言った。

 「レイさんはもう一人おられますね?」
 「!」
 「まだ私にも姿は見せてくれませんが。そっちのレイさんも石神先生を愛しておられる」
 
 「タカトラ!」

 響子が俺を見て叫んだ。
 俺が泣いていたからだ。

 「ああ、大丈夫だ。ちょっと驚いたな」
 「うん! レイのことまで分かるなんて!」
 
 俺は柏木さんに、詳しいことは話せないのだと言った。

 「それは申し訳ありませんでした。いやあ、この仕事を長年していて人の心の機微に疎くなりやすくて。ずけずけと踏み込んでしまって済みませんでした」
 「いいえ。柏木さんの驚くべき能力に感嘆いたしました」
 「あの、お返しというわけではないのですが、私がずっと抱えて来たことをお話しします」
 「はい?」

 柏木さんが話された。





 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■





 敗戦の年。
 柏木さんは13歳だった。
 東京に住んでおり、あの地獄の東京大空襲を何とか生き延びた。
 一面の焼け野原の中で、師匠と一緒にあるヤクザの所有するビルに住まわせてもらうようになる。
 そのヤクザの親分は師匠のことを尊敬し、生活の面倒まで見てくれていた。

 師匠は優秀な拝み屋であり、失せモノや加持祈祷、はては葬儀の経文まで引き受けて結構な稼ぎを得ることが出来るようになった。
 柏木さんも師匠について修行をし、仕事を手伝っていた。
 師匠は戦災孤児を集めるようになった。
 誰も面倒を看る者のいない戦災孤児は、焼け野原で盗みをしながら糊口を凌いでいた。
 しかしそれでも生き延びれずに死んでいく子どもも多かった。
 師匠はそういう子どもたちを集め、面倒を見ていくようになる。
 もちろん無限には出来ない。
 柏木さんには当時は分からなかったが、師匠はある目で子どもたちを選別していたようだった。
 後に柏木さんが感じたのは、「生きるべき人間かどうか」だったろうと思った。
 その人間の持つ運命のようなものが、師匠には見えていたのだろうと。

 集められた孤児の中で、8歳ほどの女の子がいた。
 他の孤児と同様に痩せ細っている。
 しかも、その子は戦災のショックからか、口がまともに利けなかった。
 話そうとすると言葉に詰まり、喋れない。
 師匠はその子「エツコ」のことを、相当な酷い目に遭ったのだろうと言っていた。
 喋れないエツコはあまり手伝いも出来ず、毎日みんなの洗濯物を集めて洗うようになった。
 真冬の寒い時期も、水で洗う。
 たちまちエツコの小さな両手は真っ赤に腫れ上がり、アカギレで常に血が滲んでいる。
 柏木さんはエツコを憐れに思い、暇を観てはエツコの両手を握っていた。
 少しでも温かくしてやりたかった。
 エツコはそのたびに柏木さんに微笑み、何かを喋ろうとした。

 「あ、あ、あっ……」

 ありがとうと言いたかったのか。
 でも、言葉にはならなかった。

 「うん、ちょっとは温かいか?」
 
 エツコは嬉しそうにうなずいた。
 ある寒い日の夜。
 エツコが暗くなっても洗濯をしていた。
 誰かに急ぐように言われたのだろう。
 時々そういう日があった。
 柏木さんはエツコの洗濯を手伝い、一緒に洗い物を干した。
 エツコの手はますます腫れ、アカギレから血が流れていた。
 柏木さんは思わず涙を零し、エツコを連れて自分の布団で一緒に寝た。
 エツコの冷たい手を脇に挟み、少しでも手を温めてやろうとした。

 「あ、あ、あっ……」

 またエツコが一生懸命に喋ろうとし、柏木さんはエツコの頭を優しく撫でた。
 そうすることしか出来なかった。

 翌日、柏木さんは師匠に断って、エツコのために軍手を探しに出掛けた。
 当時は商店などまだほとんどない。
 柏木さんはあちこちで声を掛け、どこかで軍手が手に入らないかを聞いて回った。
 折よく工事の人足頭から一足譲ってもらえることが出来た。
 急いで戻ってエツコに軍手を渡した。

 「ほら、洗濯をしない時にはこれをはめていろよ。温かいぞ!」
 
 エツコが驚いた顔で柏木さんを見た。
 そして両目から大粒の涙を零した。

 「泣くな。これはお前のものだ。大したものじゃなくてごめんな。そのうちにちゃんとした手袋を見つけて来るからさ」
 「あ、あ、あっ……あぁ!」

 エツコが泣き、柏木さんは抱き締めてやった。

 「今は辛いけどな。そのうちにきっと良くなる。頑張って生きような」
 
 エツコが泣きながらうなずいた。





 その翌月にエツコは死んだ。
 米軍の車に跳ねられての事故だった。
 柏木さんたちがエツコの遺体を引き取った時、その手に真っ白な軍手がはめられているのを見た。
 毎日軍手を洗濯し、大事にしていたことが分かった。





 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■





 「なんであんなにいい子がと思いました。心が真っ白で、綺麗な魂だった。他に汚い人間が一杯いるのに、どうしてエツコがと。でも師匠に言われたんです。生きるも死ぬも大した違いはないのだと。大事なのは、心を綺麗にしたままでいることだけだと。死ぬまでそうしなければいけないのだと言われ、エツコは立派にそうしたのだと思うようになりました」
 「そうですね」

 響子は大泣きだった。
 俺は抱き締めて響子の震える身体を落ち着かせようとした。
 六花も泣きながら響子を抱き締めた。

 「すみませんでした。戦後の話など、悲しいだけでしたね」
 「いいえ、素晴らしいお話でした、ありがとうございます」
 「私は、エツコのお陰で何とか歪まずにここまで生きて来られたと思います。最後まで美しい心を持ち続けることを、エツコに教わりました。毎日それに感謝しています」
 「そうですか」
 「石神先生もそうですよね?」
 「いいえ、俺なんかは」
 「私などより、余程辛い目に遭われている。そちらの六花さんもそういう経験がおありですね」
 
 六花が驚いて柏木さんを見た。

 「随分と若い女性がお傍におりますね。親しいお友達ですか。あなたを見守ってますね。それに嬉しそうにしている。六花さんがまっすぐに頑張っているのが嬉しいようです」
 「紫苑!」

 六花が大泣きした。
 響子も泣いたまま六花に抱き着いた。

 二人を落ち着かせ、響子の部屋へ戻った。
 柏木さんは本物だ。
 しかも、相当高い霊能力を持っている。
 俺はこの出会いが偶然ではないことを感じ始めていた。
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