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退魔師
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6月の中旬に、うちの病院に転院してきた患者さんがいた。
柏木天宗(かしわぎてんしゅう)という、もう90歳以上の高齢の男性は、長年退魔師をしていたという。
俺もあまり関わることの無い職業だ。
道間家や吉原龍子など、そういう関連の人間に近年関わるようにはなったが、本格的に憑き物や呪い返しを専門にする人間は初めてだった。
世に拝み屋、祈祷師、占い師、などといった、霊感や特殊能力を使う人間たちがいる。
特に退魔師ともなれば、霊障を解消したり、呪詛を跳ね除けたり、除霊なども行なう、霊能で戦う人間のこととなる。
柏木さんは膵臓ガンだった。
長年膵炎を患っていたが、それが本格的に腫瘍になった。
ご高齢ということもあり、傘下の病院からうちを紹介され転院して来たのだ。
そして、俺は柏木さんのことを以前から知っていた。
かなり特殊な経歴の人物であり、病気は元より何よりも高齢であることもあり、院長から俺が担当するように言われた。
転院初日に、俺は柏木さんに挨拶に行った。
「初めまして。柏木さんの手術を担当することになった石神と申します」
「そうですか、どうぞよろしくお願いします」
柏木さんは腰の低い人だった。
身長は170センチくらいで、年代的には背の高い方だろう。
病気のためか今は痩せているが、以前はかなり筋肉質だったことが、俺には見て取れた。
骨格が太い。
仕事柄か顔は険しいが、目元と口元には優しい雰囲気がある。
91歳という年齢だが、老いを感じさせない精悍さがあった。
もちろん皺やシミなどは多少あるが、気力の充実が伺える顔だった。
そしてその顔から、非常に真面目で優しい人なのだとすぐに分かる。
人間は顔に人生が滲み出る。
長年の膵炎からのガンであったが、病気を感じさせない雰囲気もあった。
精神力がとにかく高いのだ。
こう言っては何だが、退魔師、拝み屋、祈祷師、除霊師などには、随分とインチキも多い。
普通の人間には感じられない領域のことを扱うのだから、幾らでも騙せる。
高額の依頼料で適当なことをやれるし、問題が起きれば行方をくらませばいい。
多少の霊感なりを持った人間もいるから、ある程度は功を奏することもある。
吉原龍子は横のネットワークが充実していた。
本物の実力者をネットワークに入れ、繋がりを持っていた。
吉原龍子が俺のために残したノートを見るに、まるで俺のためにネットワークを築いていた感もある、
そのノートの中に、柏木天宗の名前もあった。
それで面識は無かったが、以前から知っていた人物だったのだ。
能力のこともあったが、とにかく誠実で信頼できる人物と評価されていた。
ただ、実力としては上位ではあるが、「業」との戦いには向かないと俺は考えていた。。
だからこれまで接触はしていなかった。
だが、吉原龍子の高い評価を受けている人物であるからには、何かの事態で俺が協力を求めるに値する、ということだったのだろう。
その吉原龍子の評価の通りの人物だった。
俺は不思議な縁を感じていた。
柏木さんは部屋へ入った俺をしばらく見詰めていらっしゃった。
何か霊能で俺のことを確認しているのだろうとも思った。
早速オペの説明をし、入院期間の長さなども俺の経験上から話して行った。
「これからうちでも精密検査をしますが、カルテを拝見する限り、大丈夫だと思いますよ」
「そうですか」
「入院は3ヶ月は最低でもと思っていて下さい。抗がん治療と共に、再発も徹底的に見張って行きますから」
「はい、先生の言う通りにいたします」
俺は話を終え、明日から検査をすることを伝えた。
すると柏木さんが微笑んで俺に言った。
「あの、ここの病院は随分と綺麗ですね」
「そうですか。建て増した部分もあるのですが、以前からの随分と年数の経つ部分もあるんですよ」
「そうですか。でも、これほど綺麗な病院は私は知りません」
「ああ、随分と何度も入院されているんですよね?」
俺は病院の清潔さを柏木さんが話しているのかと思っていた。
柏木さんは40代から膵炎に罹り、数十回も入退院を繰り返していることはカルテで読んでいる。
相当辛い闘病の人生だったと思う。
膵炎は激痛が伴う。
退魔師の仕事をしながら、そうやって病気と闘って来られたのだろう。
「はい、もう数えきれない程。大体1週間から数週間で退院しましたが、無理をするとすぐに悪化しまして」
「そうですか」
柏木さんが俺を見て言った。
「病院というのは仕方がないのですが、どうしても心残りが在ってしまう場所ですから」
「はい?」
「どこの病院でも、必ず悪いものがあります。私も入院生活でそういうものが一番弱りました」
「そうなんですか」
やっと俺にも柏木さんが言っている意味が分かった。
退魔師をされてきた柏木さんだ。
普通の人間には見えないものが見えてしまうのだろう。
病院は人間が多く死ぬ場所だ。
また病気や怪我によっては随分と苦しいことも多い。
そういうものが場所に残り、柏木さんのような人間には見えてしまうのだろう。
医者として安易に同調するわけにもいかなかったが。
柏木さんは、さらに突拍子も無いことを話した。
「石神先生のお陰なんですね」
「え?」
「先生は火の柱の中におられる。私もここまでの方は他に知りません」
「!」
「石神先生がおられるから、悪いものはここに近寄れませんね。有難いことです」
「いえ、そんな……」
驚きはしたが、柏木さんは本物の退魔師だ。
俺のことも分かるのだろう。
そして一層驚くべきことを口にした。
「それに、ここには大きな虎がいますね」
「!」
「先ほど、私を見に来ました。私のことを悪いものかどうか、確認に来たようです」
「そうですか」
「何とか認めてもらえたようで! あれは相当高い存在ですね。私もあそこまでの存在は初めてです」
柏木さんが嬉しそうに微笑んでいた。
「虎を見たんですか?」
「ええ。響子さんと会っても良いと言われました」
「え!」
「私ならば許すと」
「……」
俺は答えることが出来なかった。
柏木さんが良い方だとは思うが、まだ会ったばかりだ。
レイが本当に認めたのだろうか。
そんなことは過去に聞いたことはない。
まあ、レイが見える人間もいないし、またレイの言葉を聞ける人間も響子以外にはいなかったのだが。
だが、嘘を言う人ではないことも分かっている。
「柏木さんは相当見える人なんですね?」
「子どもの頃に、師匠に見出されまして。それから修行をさせられました」
「そうだったんですか」
宮城県の出身とのことだった。
同じ町に住む拝み屋がその師匠であり、農家で兄弟も多かった柏木さんは、その師匠の家に出されたそうだ。
口減らしの意味もあったのかもしれない。
「親兄弟とも引き離され、子どもの頃は随分と悲しい思いもしました。ですが、師匠のお陰でこうやって少しは世の中の役に立つ仕事が出来た。感謝しています」
「立派な方だったんですね」
「はい。私はずっと師匠に感謝しています」
「そうですか」
初日の話としては、幾分深くなり過ぎた。
医者と患者の関係だ。
非常に興味はあるが、あまりにも踏み込み過ぎた。
でも俺は、最初から柏木天宗という人物に惚れ込んでいた。
戦前の生まれの、得難い誠実な人格の人だった。
戦後の教育を受けた人間には持ち得ない、人間として大事な何かを抱き続けて来た人だ。
俺にはそれが分かっていた。
俺と柏木さんはすぐに打ち解け、親しく話をするようになった。
俺の悪い癖で、柏木さんとは医者と患者の関係を超えて付き合うようになった。
吉原龍子は、そういうことも見通してノートに柏木さんの名前を残していたのかもしれない。
本当に素晴らしい出会いだった。
柏木天宗(かしわぎてんしゅう)という、もう90歳以上の高齢の男性は、長年退魔師をしていたという。
俺もあまり関わることの無い職業だ。
道間家や吉原龍子など、そういう関連の人間に近年関わるようにはなったが、本格的に憑き物や呪い返しを専門にする人間は初めてだった。
世に拝み屋、祈祷師、占い師、などといった、霊感や特殊能力を使う人間たちがいる。
特に退魔師ともなれば、霊障を解消したり、呪詛を跳ね除けたり、除霊なども行なう、霊能で戦う人間のこととなる。
柏木さんは膵臓ガンだった。
長年膵炎を患っていたが、それが本格的に腫瘍になった。
ご高齢ということもあり、傘下の病院からうちを紹介され転院して来たのだ。
そして、俺は柏木さんのことを以前から知っていた。
かなり特殊な経歴の人物であり、病気は元より何よりも高齢であることもあり、院長から俺が担当するように言われた。
転院初日に、俺は柏木さんに挨拶に行った。
「初めまして。柏木さんの手術を担当することになった石神と申します」
「そうですか、どうぞよろしくお願いします」
柏木さんは腰の低い人だった。
身長は170センチくらいで、年代的には背の高い方だろう。
病気のためか今は痩せているが、以前はかなり筋肉質だったことが、俺には見て取れた。
骨格が太い。
仕事柄か顔は険しいが、目元と口元には優しい雰囲気がある。
91歳という年齢だが、老いを感じさせない精悍さがあった。
もちろん皺やシミなどは多少あるが、気力の充実が伺える顔だった。
そしてその顔から、非常に真面目で優しい人なのだとすぐに分かる。
人間は顔に人生が滲み出る。
長年の膵炎からのガンであったが、病気を感じさせない雰囲気もあった。
精神力がとにかく高いのだ。
こう言っては何だが、退魔師、拝み屋、祈祷師、除霊師などには、随分とインチキも多い。
普通の人間には感じられない領域のことを扱うのだから、幾らでも騙せる。
高額の依頼料で適当なことをやれるし、問題が起きれば行方をくらませばいい。
多少の霊感なりを持った人間もいるから、ある程度は功を奏することもある。
吉原龍子は横のネットワークが充実していた。
本物の実力者をネットワークに入れ、繋がりを持っていた。
吉原龍子が俺のために残したノートを見るに、まるで俺のためにネットワークを築いていた感もある、
そのノートの中に、柏木天宗の名前もあった。
それで面識は無かったが、以前から知っていた人物だったのだ。
能力のこともあったが、とにかく誠実で信頼できる人物と評価されていた。
ただ、実力としては上位ではあるが、「業」との戦いには向かないと俺は考えていた。。
だからこれまで接触はしていなかった。
だが、吉原龍子の高い評価を受けている人物であるからには、何かの事態で俺が協力を求めるに値する、ということだったのだろう。
その吉原龍子の評価の通りの人物だった。
俺は不思議な縁を感じていた。
柏木さんは部屋へ入った俺をしばらく見詰めていらっしゃった。
何か霊能で俺のことを確認しているのだろうとも思った。
早速オペの説明をし、入院期間の長さなども俺の経験上から話して行った。
「これからうちでも精密検査をしますが、カルテを拝見する限り、大丈夫だと思いますよ」
「そうですか」
「入院は3ヶ月は最低でもと思っていて下さい。抗がん治療と共に、再発も徹底的に見張って行きますから」
「はい、先生の言う通りにいたします」
俺は話を終え、明日から検査をすることを伝えた。
すると柏木さんが微笑んで俺に言った。
「あの、ここの病院は随分と綺麗ですね」
「そうですか。建て増した部分もあるのですが、以前からの随分と年数の経つ部分もあるんですよ」
「そうですか。でも、これほど綺麗な病院は私は知りません」
「ああ、随分と何度も入院されているんですよね?」
俺は病院の清潔さを柏木さんが話しているのかと思っていた。
柏木さんは40代から膵炎に罹り、数十回も入退院を繰り返していることはカルテで読んでいる。
相当辛い闘病の人生だったと思う。
膵炎は激痛が伴う。
退魔師の仕事をしながら、そうやって病気と闘って来られたのだろう。
「はい、もう数えきれない程。大体1週間から数週間で退院しましたが、無理をするとすぐに悪化しまして」
「そうですか」
柏木さんが俺を見て言った。
「病院というのは仕方がないのですが、どうしても心残りが在ってしまう場所ですから」
「はい?」
「どこの病院でも、必ず悪いものがあります。私も入院生活でそういうものが一番弱りました」
「そうなんですか」
やっと俺にも柏木さんが言っている意味が分かった。
退魔師をされてきた柏木さんだ。
普通の人間には見えないものが見えてしまうのだろう。
病院は人間が多く死ぬ場所だ。
また病気や怪我によっては随分と苦しいことも多い。
そういうものが場所に残り、柏木さんのような人間には見えてしまうのだろう。
医者として安易に同調するわけにもいかなかったが。
柏木さんは、さらに突拍子も無いことを話した。
「石神先生のお陰なんですね」
「え?」
「先生は火の柱の中におられる。私もここまでの方は他に知りません」
「!」
「石神先生がおられるから、悪いものはここに近寄れませんね。有難いことです」
「いえ、そんな……」
驚きはしたが、柏木さんは本物の退魔師だ。
俺のことも分かるのだろう。
そして一層驚くべきことを口にした。
「それに、ここには大きな虎がいますね」
「!」
「先ほど、私を見に来ました。私のことを悪いものかどうか、確認に来たようです」
「そうですか」
「何とか認めてもらえたようで! あれは相当高い存在ですね。私もあそこまでの存在は初めてです」
柏木さんが嬉しそうに微笑んでいた。
「虎を見たんですか?」
「ええ。響子さんと会っても良いと言われました」
「え!」
「私ならば許すと」
「……」
俺は答えることが出来なかった。
柏木さんが良い方だとは思うが、まだ会ったばかりだ。
レイが本当に認めたのだろうか。
そんなことは過去に聞いたことはない。
まあ、レイが見える人間もいないし、またレイの言葉を聞ける人間も響子以外にはいなかったのだが。
だが、嘘を言う人ではないことも分かっている。
「柏木さんは相当見える人なんですね?」
「子どもの頃に、師匠に見出されまして。それから修行をさせられました」
「そうだったんですか」
宮城県の出身とのことだった。
同じ町に住む拝み屋がその師匠であり、農家で兄弟も多かった柏木さんは、その師匠の家に出されたそうだ。
口減らしの意味もあったのかもしれない。
「親兄弟とも引き離され、子どもの頃は随分と悲しい思いもしました。ですが、師匠のお陰でこうやって少しは世の中の役に立つ仕事が出来た。感謝しています」
「立派な方だったんですね」
「はい。私はずっと師匠に感謝しています」
「そうですか」
初日の話としては、幾分深くなり過ぎた。
医者と患者の関係だ。
非常に興味はあるが、あまりにも踏み込み過ぎた。
でも俺は、最初から柏木天宗という人物に惚れ込んでいた。
戦前の生まれの、得難い誠実な人格の人だった。
戦後の教育を受けた人間には持ち得ない、人間として大事な何かを抱き続けて来た人だ。
俺にはそれが分かっていた。
俺と柏木さんはすぐに打ち解け、親しく話をするようになった。
俺の悪い癖で、柏木さんとは医者と患者の関係を超えて付き合うようになった。
吉原龍子は、そういうことも見通してノートに柏木さんの名前を残していたのかもしれない。
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