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挿話: 猪又一平の後悔 Ⅱ
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朝礼の後で、本多先生が俺を音楽室に呼び出して、問い質した。
あの温厚な人が、俺の胸倉を掴み、いきなり殴った。
俺は動じることも、怒ることも無かった。
本多先生は俺がやったことを分かっているのだ。
俺は日曜日の宿直当番を、他の先生と代わった。
石神の絵を盗むためだ。
本多先生はそういうことも調べて、俺がやったと確信したのだろう。
すぐに俺が犯人だと分かるだろうとは思っていたが、本多先生が俺を独りで問い詰めるとは思っていなかった。
安田先生が朝礼で全校生徒の前で言ったこと。
俺はショックを受けていた。
安田先生は「返して欲しい」と言っていたが、もう遅かった。
俺は石神の絵をもう燃やしてしまっていたのだ。
俺は一切合切を本多先生に話した。
そして死にたいと思った。
石神にこれほどのことをして、もう生きている資格は無いと思っていた。
「あなたは! あなたという人は! 何をやっているんだ!」
「申し訳ない!」
本多先生は涙を流しながら俺を罵倒した。
「あなただって、石神君がどんな人間なのか分かっていたはずだ!」
「はい……」
知っている。
俺はよく知っている。
「石神君は自分のことはどうなってもいいと思っている。いつでも誰かのために何かをやろうとする」
「はい……」
本多先生は涙を拭おうともせずに、話し続けた。
「石神君と同じクラスの横倉さんは、幼い頃の事故で全身に酷い火傷を覆っている。だからずっとクラスメイトに馴染めず、友達もいなかった。時にはいじめられることもあった」
「はい……」
「それを石神君が救った」
「……」
知っている。
石神はそういう立派な奴だ。
「石神君が横倉さんをいじめる連中をやめさせ、横倉さんの友達になった。だから石神君を慕うクラスメイトが横倉さんも大事にするようになって、横倉さんはいつも笑うようになったよ」
「はい……」
石神は優しい、最高の奴だ。
そんなあいつが、俺は大好きだったのに。
それなのに俺は……
「猪又先生! あなたもそうだったじゃないか!」
「!」
本多先生が叫んだ。
俺は初めてショックを受けた。
「あなたも横倉さんを気にしていた。クラスに馴染めるように、横倉さんに算数のセンスがあるって言っていたよね?」
「……」
「そして横倉さんに特別にいろいろな算数の問題を出してあげてたじゃないか。横倉さんが職員室のあなたの所へしょっちゅう来てた。嬉しそうに問題が解けたとあなたに見せていた! あなたも喜んで横倉さんを褒めてあげていたじゃないか!」
「……」
「僕は見ていたよ。あなたは本当は立派な教師だった。生徒のことを思い、生徒のために考えて色々とやっていた。僕は知っているよ!」
「本多先生……」
「あなたはそういう立派な教師だった! だのに、何故こんなことを! あなたは石神君とも楽しそうに話していたじゃないか! 僕はあなたのそういう姿勢をいつも尊敬していたんだ! なのにどうして!」
本多先生が泣き、俺も堪え切れずに泣いた。
「猪又先生は指導が厳しい面もあった。でも、その裏側では、生徒を想う優しい気持ちがあった。他にも僕は見ている。あなたは立派な教師だった」
「本多先生……」
「石神君が同級生の星君を窓から投げてしまった時! あなたは懸命に星君のご両親に、石神君が普段は優しい生徒なのだと説明していた。木林さんのお父さんにも、石神君が決して暴力的な人間じゃないと話していたじゃないか!」
「……」
「本間君とのことも心配して、時々後を付けたりしていたのを僕は知っているよ! 猪又先生、あなたはそういう愛情のある教師だったじゃないか!」
俺は泣きながら全てを告白した。
大神田先生が石神を褒めるので嫉妬していたこと。
相手は小学生だったが、石神は違った。
石神という子どもは、子どもの範疇に納まらないと思ってしまった。
最初は自分の器量の小ささを恥じながら、でもそのまま石神とは付き合えないと思って遠ざけた。
石神が見せた悲しそうな顔を忘れられなかった。
でも、そうすると、今度は石神をもっと悲しませたいと考えるようになってしまった。
俺は地獄へ堕ちたのだ。
あさましいモノになってしまった。
だけど自分ではどうしようもなく、誰かに停めてもらうしか無かった。
だから、石神の絵を燃やした。
あいつを悲しませることに加えて、俺を止め、俺を蔑んでもらいたかった。
本多先生は黙って俺の薄汚い告白を聞いてくれた。
「猪又先生。石神君が言っていたんだ」
「はい?」
「あの、自分が傷つくのを気にしない石神君がね。あなたに絵を盗まれて言っていた。「どうしてこんなに嫌われちゃったかな」って。あの子はまだ小学生だ。他人の前では強く見せてはいても、やっぱり傷ついていたんだよ」
「石神……」
「そしてね。石神君はお母さんが真面目で優しい人なのに、自分がこんなにも他人に憎まれる人間で申し訳ないってね。泣いていたよ」
「うぅ……石神!」
俺は本当に死にたかった。
石神をそんなに傷つけてしまったことを、申し訳なく思った。
俺はもう死にたいと本多先生に言った。
この世から、俺のようなバカで汚い男は消え去りたかった。
「猪又先生、それはダメだ」
「……」
「石神君は今もあなたのことを慕っている。感謝している。やられた酷いことは何も思ってない。してもらったことだけしか覚えていない」
「!」
「僕にも分からないよ。あんなにあなたに酷いことをされたのに、石神君は猪又先生に感謝している。あんな子どもは見たことがない」
「石神……」
「それなのに、あなたという人はこんなことをしてしまった」
俺は本多先生と一緒に校長室へ行った。
担任の島津先生と安田先生にも謝って、一緒に来てもらった。
教頭も来た。
全員の前で自分がやったことを告白し、絵は焼却炉で燃やしてしまったことも話した。
安田先生が俺に掴み掛り、島津先生と本多先生に停められた。
俺は石神に謝り詫びをしたいと言った。
それは校長に止められた。
本多先生と同じことを言われた。
石神のためにならないと。
石神をこれ以上苦しめるのは違うと。
石神は俺がやったと知れば、そのことで苦しむ。
あいつはそういう奴だと。
だから精一杯のことをするということになった。
俺は何もしないように言われた。
でも俺にもやらせて欲しいと必死に頼んだ。
石神の絵は二度と戻らない。
だから残った写真をせめて、と。
俺は必ずそうすると誓った。
石神に許してもらえるはずもない。
でも、俺は石神のためにやりたかった。
あの温厚な人が、俺の胸倉を掴み、いきなり殴った。
俺は動じることも、怒ることも無かった。
本多先生は俺がやったことを分かっているのだ。
俺は日曜日の宿直当番を、他の先生と代わった。
石神の絵を盗むためだ。
本多先生はそういうことも調べて、俺がやったと確信したのだろう。
すぐに俺が犯人だと分かるだろうとは思っていたが、本多先生が俺を独りで問い詰めるとは思っていなかった。
安田先生が朝礼で全校生徒の前で言ったこと。
俺はショックを受けていた。
安田先生は「返して欲しい」と言っていたが、もう遅かった。
俺は石神の絵をもう燃やしてしまっていたのだ。
俺は一切合切を本多先生に話した。
そして死にたいと思った。
石神にこれほどのことをして、もう生きている資格は無いと思っていた。
「あなたは! あなたという人は! 何をやっているんだ!」
「申し訳ない!」
本多先生は涙を流しながら俺を罵倒した。
「あなただって、石神君がどんな人間なのか分かっていたはずだ!」
「はい……」
知っている。
俺はよく知っている。
「石神君は自分のことはどうなってもいいと思っている。いつでも誰かのために何かをやろうとする」
「はい……」
本多先生は涙を拭おうともせずに、話し続けた。
「石神君と同じクラスの横倉さんは、幼い頃の事故で全身に酷い火傷を覆っている。だからずっとクラスメイトに馴染めず、友達もいなかった。時にはいじめられることもあった」
「はい……」
「それを石神君が救った」
「……」
知っている。
石神はそういう立派な奴だ。
「石神君が横倉さんをいじめる連中をやめさせ、横倉さんの友達になった。だから石神君を慕うクラスメイトが横倉さんも大事にするようになって、横倉さんはいつも笑うようになったよ」
「はい……」
石神は優しい、最高の奴だ。
そんなあいつが、俺は大好きだったのに。
それなのに俺は……
「猪又先生! あなたもそうだったじゃないか!」
「!」
本多先生が叫んだ。
俺は初めてショックを受けた。
「あなたも横倉さんを気にしていた。クラスに馴染めるように、横倉さんに算数のセンスがあるって言っていたよね?」
「……」
「そして横倉さんに特別にいろいろな算数の問題を出してあげてたじゃないか。横倉さんが職員室のあなたの所へしょっちゅう来てた。嬉しそうに問題が解けたとあなたに見せていた! あなたも喜んで横倉さんを褒めてあげていたじゃないか!」
「……」
「僕は見ていたよ。あなたは本当は立派な教師だった。生徒のことを思い、生徒のために考えて色々とやっていた。僕は知っているよ!」
「本多先生……」
「あなたはそういう立派な教師だった! だのに、何故こんなことを! あなたは石神君とも楽しそうに話していたじゃないか! 僕はあなたのそういう姿勢をいつも尊敬していたんだ! なのにどうして!」
本多先生が泣き、俺も堪え切れずに泣いた。
「猪又先生は指導が厳しい面もあった。でも、その裏側では、生徒を想う優しい気持ちがあった。他にも僕は見ている。あなたは立派な教師だった」
「本多先生……」
「石神君が同級生の星君を窓から投げてしまった時! あなたは懸命に星君のご両親に、石神君が普段は優しい生徒なのだと説明していた。木林さんのお父さんにも、石神君が決して暴力的な人間じゃないと話していたじゃないか!」
「……」
「本間君とのことも心配して、時々後を付けたりしていたのを僕は知っているよ! 猪又先生、あなたはそういう愛情のある教師だったじゃないか!」
俺は泣きながら全てを告白した。
大神田先生が石神を褒めるので嫉妬していたこと。
相手は小学生だったが、石神は違った。
石神という子どもは、子どもの範疇に納まらないと思ってしまった。
最初は自分の器量の小ささを恥じながら、でもそのまま石神とは付き合えないと思って遠ざけた。
石神が見せた悲しそうな顔を忘れられなかった。
でも、そうすると、今度は石神をもっと悲しませたいと考えるようになってしまった。
俺は地獄へ堕ちたのだ。
あさましいモノになってしまった。
だけど自分ではどうしようもなく、誰かに停めてもらうしか無かった。
だから、石神の絵を燃やした。
あいつを悲しませることに加えて、俺を止め、俺を蔑んでもらいたかった。
本多先生は黙って俺の薄汚い告白を聞いてくれた。
「猪又先生。石神君が言っていたんだ」
「はい?」
「あの、自分が傷つくのを気にしない石神君がね。あなたに絵を盗まれて言っていた。「どうしてこんなに嫌われちゃったかな」って。あの子はまだ小学生だ。他人の前では強く見せてはいても、やっぱり傷ついていたんだよ」
「石神……」
「そしてね。石神君はお母さんが真面目で優しい人なのに、自分がこんなにも他人に憎まれる人間で申し訳ないってね。泣いていたよ」
「うぅ……石神!」
俺は本当に死にたかった。
石神をそんなに傷つけてしまったことを、申し訳なく思った。
俺はもう死にたいと本多先生に言った。
この世から、俺のようなバカで汚い男は消え去りたかった。
「猪又先生、それはダメだ」
「……」
「石神君は今もあなたのことを慕っている。感謝している。やられた酷いことは何も思ってない。してもらったことだけしか覚えていない」
「!」
「僕にも分からないよ。あんなにあなたに酷いことをされたのに、石神君は猪又先生に感謝している。あんな子どもは見たことがない」
「石神……」
「それなのに、あなたという人はこんなことをしてしまった」
俺は本多先生と一緒に校長室へ行った。
担任の島津先生と安田先生にも謝って、一緒に来てもらった。
教頭も来た。
全員の前で自分がやったことを告白し、絵は焼却炉で燃やしてしまったことも話した。
安田先生が俺に掴み掛り、島津先生と本多先生に停められた。
俺は石神に謝り詫びをしたいと言った。
それは校長に止められた。
本多先生と同じことを言われた。
石神のためにならないと。
石神をこれ以上苦しめるのは違うと。
石神は俺がやったと知れば、そのことで苦しむ。
あいつはそういう奴だと。
だから精一杯のことをするということになった。
俺は何もしないように言われた。
でも俺にもやらせて欲しいと必死に頼んだ。
石神の絵は二度と戻らない。
だから残った写真をせめて、と。
俺は必ずそうすると誓った。
石神に許してもらえるはずもない。
でも、俺は石神のためにやりたかった。
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