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挿話:ICHIE TRAININ

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 一江がマウンテンバイクを買った。
 《M55 Bike》というものらしいが、何と600万円以上だと言う。
 まあ、一江の資産からすれば何と言うこともないのだが。
 
 「運動のために買いました」
 「へぇー」

 前に地下鉄でライカンスロープに襲われ、非力な一江は何も抵抗出来なかった。
 大森の必死の救出でなんとか生き延びたが。
 それ以来、一江は自分の非力を恥じ、ジムに通ったりジョギングなんかも始めた。
 まあ、悪い事ではない。
 大した事にもならないが。
 それでも俺が半分以上お愛想で「お前、ちょっと引き締まってきたか?」と言うと喜んでいた。
 まあ、確実に運動不足の一江にそのまま続けて欲しかったのだが。

 そして今回、通勤で使えるようなマウンテンバイクを買ったということのようだった。
 
 「部長、一度見て下さいよ!」
 「いいよ、興味ねぇ」
 「あー! そんなこと言わずに」
 「げろげろ」

 本当に興味はないのだが、大森も「是非」と言うので仕方なく見に行った。
 驚いたことに、驚いた。

 「オォー! なんだこれぇ!」
 「ね、いいでしょ?」
 「カッチョイイじゃねぇか!」
 「そう思います?」
 「うん!」

 正直、想像していなかった。
 マウンテンバイクなんて興味も無いしどうでも良かったのだが、これはいい。
 アヴァンギャルドな逸品だ。
 一江の好みで部品を交換しながら組み上げているらしいが、ボディの中央の太い形がなんともいい。
 また後部のスタンドが1枚の板になっていて、それもカッチョイイ。
 
 「何でこんなにボディが太いんだ?」
 「ああ、電動自転車なんですよ」
 「あ? お前、体力づくりにマウンテンバイクを買ったんじゃねぇのか?」
 「電動でも、ちゃんと体力は付きますよ!」
 「そう?」
 「はい!」

 まあ、そこはどうでもいい。
 大体俺は一江の体力にまったく期待していない。
 
 「部長、乗ってみます?」
 「おう!」

 乗った。
 想像以上に軽く、電動アシストはちょっとした脚力の掛け方にスムーズに反応する。
 道路に出て、思い切り漕ぐとどんどんスピードが出る。

 「面白ぇ!」
 
 デジタルの速度計がグングン上がって行く。
 時速70キロ近くまで出た。
 随分と速い。

 満喫して駐車場に戻ると一江が怒っていた。

 「どんだけ乗るんですか!」
 「ワハハハハハハ!」

 一江のマウンテンバイクにはナンバープレートが付いていた。
 道路交通法で、電動アシストの速度制限があり、この《M55 Bike》はそれを大きく上回っているために原動機付きと判断されるためらしかった。
 まあ、一江も自動車免許は持っているので問題は無い。
 でも、だったら原付バイクでも良かったのではないか。
 そう言うと、一江はあくまでも体力作りなのだと言う。

 「これに乗って走ってるとみんなが注目するんですよ!」
 「お前の顔面に?」
 「違いますよ!」

 まあ、一江が喜んでいるので構わない。

 「部長も買います?」
 「いやいいよ」
 「一緒にツーリングに行きましょうよ」
 「誰と?」
 「私とに決まってるじゃないですか!」
 「ワハハハハハハ!」

 行くわけねぇだろう。
 一江がその後、六花や響子、鷹に自慢していた。

 「タカトラ! 私も乗る!」
 「辞めとけよ」
 「どうして?」
 「お前に自転車は無理だよ」
 「そんなことないよ!」

 響子が一江に借りて乗ってみた。
 10メートル走ると止まった。

 「きついよ」
 「そうだな」
 
 電動アシスト付きなのだが。
 六花が腰をポンポンしてやった。

 



 それ以来、一江は本当にマウンテンバイクで時々通勤するようになった。
 ヘルメットを被り、リュックを背負って走って来る。
 他の部下たちも知っていて、一江に声を掛ける。
 
 「副部長! 今日も《M55 Bike》ですか!」
 「うん! 気持ちいいのよ!」

 大森も誘われているらしいが、自分には似合わないと最初は断っていた。
 まあ、一江も別に似合っているわけじゃねぇんだが。
 だが一江のガードをするために、大森はロードスポーツの自転車を買った。
 最初は恥ずかしがっていたが、一江と一緒に走ることが楽しくなったようだ。
 まあ、それもいい。
 一緒に通勤するようになった。

 一江は青山に住んでいるので、マウンテンバイクで走って来るには丁度いいのかもしれない。
 心なしか体力も付いて来たようだった。
 ヘルメットは髪型が崩れるので、被らないことも多くなった。
 髪型と言えるほどのものでもないのだが。

 「お面を被れよ」
 「なんでですよ!」

 まあ、どうでもいい。
 一江はマウンテンバイクに乗って近所も回るようになった。
 そのうち結構遠くまで乗り回すようになる。
 休日に俺の家まで来たこともあった。

 「何しに来たんだよ!」
 「ちょっと近所まで来たので」
 
 喉が渇いたと言うので、庭の水道に案内してやった。

 「……」

 仕方なく家に上げてウッドデッキで麦茶を飲ませた。
 亜紀ちゃんが持って来て、一江の《M55 Bike》を見つける。

 「カッケェー!」
 「でしょ?」
 「乗って見ていいですか!」
 「うん!」

 どうやら、そういう自慢とかがやりたかったらしい。
 亜紀ちゃんが庭で乗り出したので、外で走れと言った。
 門を開けて出て行く。

 「あー、疲れちゃった」
 「へぇ」
 「何か甘いものが欲しいなー」
 「……」

 小皿に角砂糖を持って来てやった。

 「……」

 一江が一つ口に放り込んだ。
 亜紀ちゃんが帰って来て、興奮している。

 「一江さん! 最高!」
 「エヘヘヘヘ」

 柳が鍛錬で降りて来て、やはりマウンテンバイクが素敵だと言った。
 双子も来て乗らせてもらった。
 運動神経が抜群な二人が、すぐに様々なトリックを魅せる。
 そのうちルーが運転し、ハーが腕を組んで胡坐をかいた姿勢でルーの頭に倒立した。

 「「キャハハハハハハ!」」
 「……」

 一江が面白くない顔になった。

 「そろそろ帰りますね」
 「おう」

 自慢しに来たのだろうが。
 まあ、楽しくやっているようでいい。





 6月に入り、気温も上がって来た。
 月曜日。
 一江が救急車で運ばれて来た。
 俺に連絡が来て、処置室へ行く。
 両手を激しく擦りむき、顔面が打撲で酷い有様だった。
 右足の踵の捻挫。
 左足の脛部の骨折(ヒビ)。

 「敵か!」
 「ふがふが」

 口が上手く回らない。
 鼻と口を強打したようだ。
 そばにいた大森が説明する。

 「今日はヘルメットじゃなくて帽子を被ってたんです」
 「そうか」
 
 キャップを被って来ることもあるのは知っている。

 「今日は風が強くて」
 「そうか?」
 「帽子が飛びそうになったんです」
 「ほう」
 「一江がそれを押さえたんです」
 「そうだな」
 「両手で」
 「……」

 アホなのか。
 物凄い転び方だったようだ。
 時速20キロ。
 死ななくて良かった。





 一江はマウンテンバイク《M55 Bike》をうちに譲ってくれた。
 自分は以前と同じ地下鉄とタクシーで通勤するようになった。
 
 時々子どもたちが遊びで乗っている。
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