上 下
2,281 / 2,840

院長夫妻と別荘 Ⅲ クマタカ・パッション

しおりを挟む
 俺が今の病院へ移って、3年を経過した頃。
 蓼科文学第一外科部長の下で、毎日必死で修業していた。
 一応は週休二日であり、週二日の夜勤明けは帰っていいことになっている。
 しかし実際は休日や夜勤明けは必ずどこかの病院へ出向となり、俺は月に一日の休みさえ怪しいことになっていた。
 
 自分で蓼科文学に惚れ込んで来たのだから、俺はきつい状況に耐え、何とかやっていた。
 医者修行であれば文句も言わない。
 だが、俺にも言いたいことがあった。

 それはおよそ医療に関係の無い仕事だった。
 蓼科部長の個人的なものだ。
 自宅へ呼んでくれるようなことは、喜んで伺った。
 そうではない、個人的な買い物や用事や送迎など。
 俺は奴隷じゃない。
 仕事は文句も言わずにやるが、個人の用件は時々愚痴となった。

 20代後半の頃、蓼科部長から一つの用事を言い渡された。

 「夕べ、ドキュメンタリーを観ててよ」
 「はぁ」
 
 鷹匠のドキュメンタリーだったようだ。

 「俺が子どもの頃に、知り合いに鷹匠の人がいてな」
 「へぇ」

 頭を殴られた。

 「真面目に聞けぇ!」
 「えぇ!」

 蓼科部長によると、その鷹匠が随分と自分を可愛がってくれたそうだ。
 お猿のペットと思っていたんだろう。

 「俺は次男で、みんな兄貴の方へ行っていたんだけどな。その鷹匠の人は俺を可愛がって、俺に鷹狩なんかも見せてくれた。腕に鷹を止まらせてくれたりもしたんだ」
 「そうなんですかぁ」

 全然興味はねぇ。

 「それでな。夕べのテレビを観て、どうしても鷹を飼いたくなった」
 「なんですってぇ!」
 「鷹はカワイイんだよ。うちには子どももいないからな。ああいうカワイイ動物を育てるのもいいんじゃないかってなぁ」
 「そりゃ無茶でしょうが!」
 「何でだよ」
 「猛禽類ですよ?」
 「カワイイぞ?」

 ダメだ。
 話が通じねぇ。
 とにかく、蓼科部長は俺に鷹を探して、飼育に必要なことを調べるように言った。
 めんどくさいことこの上ない。

 俺も鷹のことなどまったく知らない。
 ゼロからの話になった。

 まず飼育法。
 当時はインターネットなど無い。
 幾つかのペットショップに問い合わせたが、大した情報は無かった。
 扱いももちろん無い。

 やっと鷹の飼育を知っているというペットショップを見つけた。

 「餌はね、ネズミとかの小動物。ああ、そういうのは冷凍で売ってるよ」
 「そうなんですか!」
 「だけどね、鷹は警戒心が強いんだ」
 「そうでしょうね」

 そんな気はする。

 「だから、必ず餌をやる人間は一人。その人間に慣れさせないと、餌も食べてくれないよ」
 「そうなんですか!」

 うーん、蓼科部長がやるのだろうか。
 仕事で忙しいから、静子さんになるのか。
 でもそうすると、部長には慣れないだろう。
 そもそも、静子さんが襲われて怪我でもしたら大変だ。
 いろいろ教えてもらい、飼育法自体は分かった。
 次に法的な面だ。

 豊島区役所に問い合わせた。
 幾つか部署をたらい回しにされ、やっと担当者を捕まえた。

 「猛禽類の場合、金網のケージか檻に入れる必要があります」
 「そうなんですか」
 「登録が必要なので、市役所の人間が確認に行きます」
 「分かりました」

 大変だ。
 まあ、庭にでも作れるか。
 あー、それも俺がやるんだろうなぁ。
 部長が観たという番組の問い合わせで、鷹匠の連絡先も教えてもらった。
 電話すると親切な方で、いろいろとアドバイスしてくれたが、素人には難しいだろうと言われた。
 その方はネズミを自分で繁殖させて餌にしているらしい。
 他にもいろいろなものを与えているそうだ。
 大変参考になった。

 次に入手法。
 これは先日飼育法を教わったペットショップに聞いた。

 「あー、日本の国内だと、保護鳥になっているんで猛禽類を新たに捕獲してはいけないんだ」
 「なるほどー」
 
 面白い話を聞いた。
 鷹匠は国に登録しており、鷹が死んでしまうともう入手出来なくなるそうだ。
 だから死んでもその届けをせずに、次の鷹を捕まえている人もいるらしい。
 恐ろしく長生きの鷹がいる。

 「だからね、一般向けは海外から輸入しているんだ」
 「そうなんですか」
 「でもね、今は難しいんだよ」
 「はい?」

 折しも、世間は「SARS」で騒がれており、鳥インフルエンザの世界的な流行の時期だった。
 だから鳥類は一切輸入されていない。
 そうすると、今国内のペットショップにいるものを探して購入するしかない。

 「まず無理だね」
 「はぁー」

 大体まとまった。
 蓼科部長に報告した。

 「まあ、お前ならどこかで探して来るだろう」
 「え!」
 「ケージとかも頼むな」
 「あのですね!」
 
 その問題はともかく、餌をやったり世話は誰がするのかということだ。

 「まあ、俺と静子でやるよ」
 「だから独りじゃないとダメなんですって」
 「可愛がれば大丈夫だろう」
 「もう!」

 聞いてくれない。
 当時は蓼科部長も若く、自分が正しいという考え方をする人だった。
 俺なんかの言うことは聞かず、自分で考えて正しい答えを導くのだという。
 困ったことになった。

 「ああ、ケージはいいけどよ。時々外に出して遊ばせてもいいんだよな?」
 「ダメですよ!」

 市役所の人間にも聞いたが、鷹匠のように外へは連れ出せない。
 
 「じゃあ、ケージの中だけで飼うのかよ!」
 「そうですよ!」
 「可哀そうだろう!」
 「だからそういう問題じゃないんですってぇ!」

 胸倉を掴まれた。

 「お前は鷹が可愛くないのかぁ!」
 「はい、全然!」

 突き飛ばされた。
 もう!

 「分かった、そのことはもういい」
 「部長」
 「あんだよ」
 「まさかとは思いますけどね」
 「なんだ?」
 「こっそり外へ飛ばそうだなんて思ってないですよね?」
 「……」

 蓼科部長が目をそむけた。
 鳩じゃねぇんだ。

 「あぁー! やっぱりやるつもりでしょう!」
 「なんだよ、だって可哀想だろう!」
 「あのですね。鷹が小学生とか襲ったらどうすんですかぁ!」
 「そ、それは」
 「人間の指くらいの爪なんですよ? 眼球に入ったりすれば大変です!」
 「ま、まあ、そうかもな」
 「絶対ダメですからね!」
 「う、うるせぇ!」

 仕方なく、最後の手段に出た。 
 自分のデスクに戻り、静子さんに電話した。

 「あの、実はですね。部長が鷹を飼いたいと……」

 詳しい事情を話した。
 餌や世話は部長と静子さんがすると言っているが、間違いなく静子さんの仕事になると。

 「文学ちゃんに替わって」
 「はい!」

 部長に静子さんの電話だと言った。
 物凄い顔で俺を睨んで電話を受けた。

 「ああ、うん。分かった。今日は早目に帰るよ……ああ、分かってる! 石神にももう辞めると言ったんだ!」

 俺は部長室のガラス越しに、顔の両側で指をパラパラさせた。

 「石神ぃ! あ、いや、何でもないんだ! あいつが今ちょっと! あ、ああ、分かった。今晩な」

 蓼科部長が俺を手招いたが、俺はダッシュで逃げた。





 翌日、蓼科部長がゲッソリした顔で出勤してきた。
 散々静子さんに叱られたのだろう。
 
 でも、この件はまだ終わらなかった。
しおりを挟む
感想 56

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

NPO法人マヨヒガ! ~CGモデラーって難しいんですか?~

みつまめ つぼみ
キャラ文芸
 ハードワークと職業適性不一致に悩み、毎日をつらく感じている香澄(かすみ)。  彼女は帰り道、不思議な喫茶店を見つけて足を踏み入れる。  そこで出会った青年マスター晴臣(はるおみ)は、なんと『ぬらりひょん』!  彼は香澄を『マヨヒガ』へと誘い、彼女の保護を約束する。  離職した香澄は、新しいステージである『3DCGモデラー』で才能を開花させる。  香澄の手が、デジタル空間でキャラクターに命を吹き込む――。

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

人形の中の人の憂鬱

ジャン・幸田
キャラ文芸
 等身大人形が動く時、中の人がいるはずだ! でも、いないとされる。いうだけ野暮であるから。そんな中の人に関するオムニバス物語である。 【アルバイト】昭和時代末期、それほど知られていなかった美少女着ぐるみヒロインショーをめぐる物語。 【少女人形店員】父親の思い付きで着ぐるみ美少女マスクを着けて営業させられる少女の運命は?

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

処理中です...