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挿話: 金愚 Ⅱ

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 土曜日に、早乙女と一緒にハマーで出掛けた。
 西条さんの家は白金台にあった。
 30分ほどで到着する。
 一応ハマーには皇紀に金網のケージを作らせて乗せている。
 床は柔らかなマットと毛布を敷いているので、移動の間もストレスはないだろう。

 具合の悪い西条さんにはこちらから部屋に挨拶すると伝えていたが、玄関に出て来られていた。
 大きなコルセットを巻いている。

 「動かないで下さいよ。そう言ったでしょう」
 「いや、石神さんがいらっしゃるんだ。そうは行きませんよ」
 「もう!」

 西条さんは笑って俺たちを応接室へ案内した。
 すぐにコーヒーを奥さんが運んできた。

 「本当にわざわざすみませんです」
 「とんでもない。俺も土佐犬の王者を見たかったんですよ。だから早乙女に頼んでね」
 「石神……」

 西条さんが、金愚について話してくれた。

 「うちの本家は高知で網元を代々してましてね」
 「そうなんですか!」
 
 名士の家だとは思っていたが、そういうことだったか。
 聞くと、今も相当大勢の漁師たちを束ねているらしい。

 「下の兄貴と私は東京で暮らしてますが、一番上の兄が今も向こうで。それで闘犬が好きなもので、自分でも犬を育ててましてね」

 金愚は、金儲けなどはくだらない、という意味で名付けられたそうだ。
 闘犬としての生き方をさせたいと。
 その願い通りに、金愚は途轍もない強さで連戦連勝を続けて行き横綱になった。
 しかしあまりにも強すぎて、もう闘う相手がいなくなった。
 それで引退して種犬としては役に立たず。
 そこまでは早乙女に聞いていた。

 その後は、殺処分か「かませ犬」だそうだ。
 他の若い闘犬のために負けることを強要され、全身傷だらけになって死んでいく。
 流石に飼い主は、それは可哀そうだと思った。
 金愚のプライドを守ってやりたかった。
 だから殺処分を考えていたようだが、今度は西条さんがそれを知り、自分が引き取ると言った。

 「私も闘犬は好きでしてね。幼いころから知ってます。闘犬は引退すれば悲惨なことももちろん知ってました。だから金愚を自分が引き取ろうと」
 「随分な決意ですね」
 「まあ。でも放ってはおけなかったんですよ。幸い、金愚はすぐに私に懐いてくれました。家族にも吠えません」
 「そうですか」
 「早乙女君には無理を言いましたが、他に頼れる人間もいないもので」
 「西条叔父さん、任せてください」
 「ありがとう」

 一服して、俺たちは庭に案内された。
 庭の一角に太い鉄格子がはまった檻があった。
 近づくと大きな土佐犬が鉄格子の前に立っていた。
 俺を見ても吠えない。
 俺をジッと見ていた。

 檻の中は非常に清潔で、西条さんが大事に金愚の世話をしていることが分かる。
 エサは家族もやっているのだろうが、散歩や掃除は西条さんしか出来ないだろう。
 大変な作業だ。

 「やはり、石神さんには吠えませんね」
 「そうですね」

 ゴールドがいるからなー。

 俺は鉄格子の間から腕を伸ばした。
 西条さんと早乙女が緊張するが、金愚は俺の腕の匂いを嗅ぎ、腕を舐め始めた。

 「石神凄いな」
 「ワハハハハ!」

 大丈夫そうなので、金愚を外に出してリードを繋いだ。
 ナイロンを何枚か重ねた頑丈なものだ。
 それを早乙女に持たせ、金愚をハマーまで連れて行く。
 俺が小屋の中の布団や餌皿、トイレなどを運ぶ。
 早乙女にリードを持たせたのは、早乙女が主人になることを示すためだ。
 
 西条さんが金愚に声を掛けて安心するように言った。
 金愚も大人しくしていた。

 ハマーの荷台のケージに入れ、早乙女の家に向かった。
 金愚は多少は緊張もあったろうが、敷いてやった毛布に臥せっていた。
 




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■





 「おい、お前の家に檻は作ってあるのか?」
 「いや、無いよ?」
 「おい、金愚が家族に慣れなかったらどうすんだよ!」
 「え、ドアのある部屋に閉じ込めて」
 「お前なぁ。あの体格だと、木製のドアなんかぶち破るぞ」

 俺は出入りの間に逃げることもあると言った。

 「90キロもあるんだぞ! しかも横綱だった闘犬だ。お前なんか簡単にぶっ飛ばされる」
 「えぇ!」
 「まあ、お前はモハメドが守ってくれるけどよ。でも、それって、金愚が死ぬってことだぞ?」
 「あぁ!」
 「アホ」
 「すまん!」
 「まあ、しょうがねぇ。家族にどう反応すんのか、見届けてやるよ。ダメならうちで檻を用意するからな」
 「頼む、石神!」
 「まったくよ!」

 西条さんはどう考えていたのだろうか。
 あの人に限って、見落としはないとは思うが。
 まあ、早乙女の家族には慣れているのか。
 何度も来ているだろうからな。

 早乙女の家に戻って、玄関前にハマーを停めた。
 俺がケージから出している間に、雪野さんたち全員を連れてくるように言った。
 その間に、俺は金愚をケージから出してリードを付けて握った。
 雪野さんが久留守を抱き、早乙女が怜花の手を繋いで来た。
 
 「全員だ! 「柱」もランたちもハムもだ!」
 「あ、ああ!」
 
 早乙女が走って行き、最初に雪野さんを向き合わせた。
 大丈夫そうだ。
 やはり、雪野さんも怜花も久留守も、金愚に会って馴染んでいるようだ。
 怜花は脅えもせずに、金愚の頭を撫でた。
 俺が注意しながら久留守を近づけると、金愚がちょっと怯えた感じがした。
 なんだ?

 早乙女がランたちを連れて来て、ハムも抱いてきた。
 まあ、大丈夫そうだ。
 逆に、吼えはしないが少し緊張している感じがある。
 というか、脅えているのか?
 闘犬の横綱がそんなこともないだろうが。
 でも、金愚は尾を腹の下に仕舞ってちょっと震えていた。
 金愚がいきなり大勢と会ったせいか、ちょっと疲れたようになっている。
 意外と繊細な性格なのかもしれない。
 「柱」と「小柱」には明らかに怯えていた。
 まあ、俺もちょっとコワイ。

 早乙女にリードを持たせ、俺も一緒に家の中へ入った。
 金愚は広い廊下を緊張しながら歩いている。

 「早乙女、金愚が満足するまでこの周辺の臭いを嗅がせろ」
 「分かった」

 俺たちは先に上に上がった。
 1階で一通り臭いを覚えれば、他の場所も慣れるのは早いだろうと思った。

 「石神さん、お昼を召し上がって行って下さい」
 「え、いいですよ」
 「そんなことおっしゃらずに。こんなにお世話になってしまって」
 「まー、じゃあ。お茶漬けで」
 「ウフフフフフ」

 「朝から鰻を食べたんでね。昼はサッパリしたもので」
 「じゃあ、お寿司をとりますね?」
 「カッパ巻きをお願いします!」
 「はい!」

 早乙女が金愚と上がって来た。
 金愚も少し慣れたようで、早乙女の顔を時々見ながら歩いてくる。

 「よう、金愚! ちょっとは落ち着いたか?」
 「ガウ!」

 怖い鳴き方だが、それが金愚の常態なのだろう。
 雪野さんが寿司を取ると早乙女に言っていた。
 
 「石神、食べて行ってくれな!」
 「分かったよ!」

 俺は早乙女に、金愚の部屋にするつもりの場所へ案内させた。
 1階のバルコニーに面した部屋だった。
 まあ、庭が近い方がいいだろう。
 早乙女と、金愚のベッドや餌皿などを運んだ。

 特上寿司を二人前と、カッパ巻きが俺の前に置かれた。
 実は今朝寝坊して朝食を食べていなかったので、ありがたく全て頂いた。
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