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一番隊隊長 槙野 Ⅵ ケッチの音
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病室に備え付けの椅子が小さいので、俺は槙野の巨大化した身体を窓際の床に座らせた。
大丈夫だと言っていた槙野は、荒い息をついていた。
「トラさん。あいつらに花の心臓移植が出来るって言われて」
「ああ」
「騙されたんですね」
「そうだな」
槙野が俺を見ながら、大粒の涙を零した。
槙野は花のために必死に心臓移植の出来る団体を探していたはずだ。
日本では決して実現出来ないことだったが、槙野は諦めることは無かっただろう。
俺は槙野の絶望の日々を思った。
槙野の隣の床に俺も座った。
「花が生きてれば、何もいらなかったんですよ」
「ああ、分かってる」
「花が笑うと、俺は何も辛いことも怖いことも無かった」
「ああ、そうだったろうな」
花は助けられない。
槙野の身体から力が抜けた。
上体が床に倒れる。
俺は慌てて抱き上げた。
完全に槙野の身体には力が入っていない。
「おい、槙野!」
「トラさん……」
俺は急いで早乙女に磯良たちを追い掛けるように言い、今運び出した白衣の連中に問い合わせさせた。
「槙野の身体がおかしい! 何が起きたか聞いてくれ!」
「分かった!」
しばらくして早乙女が電話で連絡してきた。
「もうダメだと。脳髄を喰わなかったライカンスロープは身体が崩壊するそうだ!」
「なんだとぉ!」
「メタモルフォーゼが解けた、それは脳髄を喰うことを理性が停めたということなんだ」
「どういうことだぁ!」
「そうすると、自身の身体を崩壊させる! そういう処置の機構が……」
「ふざけんなぁー!」
俺はすぐに槙野のメタモルフォーゼした部分を指で押して触診した。
筋肉の触感が無かった。
壊死どころか、細胞の崩壊が始まっていた。
もう力も入らないようで、槙野の四肢はただだらりと下がっている。
「槙野! しっかりしろ!」
「トラさん。俺……」
「喋るな! すぐに運ぶ!」
「いえ、もういいんです。トラさんが来てくれた」
「何言ってんだ!」
槙野の全身から力がどんどん抜けて行った。
表情も緩慢なものになっていく。
「槙野!」
「俺、花がいただけで幸せでした」
「おい! しっかりしろ! まだお前を助けられる!」
「いいんです。もう、十分……一緒にいた……」
「おい! 負けるんじゃねぇ! お前は一番隊の……」
槙野が最後の力で俺に倒れてきた。
「うん、トラさん。楽しかった……トラさんと一緒に……家には花……がいて……」
「槙野ォォォォーーー!」
槙野は目を閉じて眠った。
やけに幸せそうに笑っていた。
俺は槙野の最後の命が消えるまで、槙野の身体を抱き締めていた。
俺にはそれしかしてやれなかった。
早乙女たちが病室に戻って来た。
槙野は完全に崩壊していた。
「石神……」
俺は早乙女を睨みつけた。
「早乙女!」
「なんだ」
「さっきの連中に全て吐かせろ!」
「分かった!」
「絶対に許さん! 必ず皆殺しにしてやる!」
「石神……」
「行け! あいつらをもう生かしてはおかん! 早く吐かせろ!」
早乙女が黙って去って行った。
磯良たちには、俺の顔と名前はタマが以前から認識疎外をしているはずだった。
俺の姿はもちろん、早乙女が呼んだ俺の名前すら記憶では曖昧なものになっていく。
俺の怒りは、磯良や愛鈴にどのように映っていたのだろうか。
ただ、磯良たちも震え上がっていた。
俺の本当の怒りを見たのだ。
花は1か月後に逝った。
日々衰えて行く花を、俺は槙野の代わりに毎日見舞いに行って見守った。
槙野は助かって療養中だと花には伝えておいた。
花は「分かりました」と言った。
「良かった」と喜ばなかった。
花には分かっていたのかもしれない。
花が最期に意識を喪う前に、俺は病院に間に合った。
「石神さん……」
「花、苦しいか?」
「いえ。にーにのこと、ありがとうございました」
「いや、あいつは大事な仲間だからな」
「にーにも喜んでます」
「そうかな」
花が微笑んだ。
もう最期が近いことは自分でも分かっているだろう。
もしかしたら、花は槙野の運命をもう知っているのかもしれないと思った。
死に瀕し、花は何かを見ていたのかも。
「また、次に生まれてもにーにの妹になりたいな」
「お前らは最高の兄妹だからな」
「そうですか?」
「ああ、俺も他に見たことねぇよ。最高だ」
「エヘヘヘヘ」
花は笑って逝った。
意識を喪っても、うっすらと微笑んでいるような、奇跡的に苦しみのない最期だった。
誰か……花の心臓を穏やかに終わらせてくれた存在に感謝した。
槙野花の葬儀は俺が取仕切った。
昔の「ルート20」の仲間も大勢集まった。
槙野は事故で少し前に死んだとみんなに話した。
槙野の骨壺はほんの少しの槙野の遺灰と髪を数本入れて俺が用意した墓に入れてある。
特別な処置だ。
俺たちの規定では許されない。
でも、俺がやった。
納骨まで仲間たちが付き合ってくれた。
俺が墓に骨壺を納めると、墓所の前の道を一台のバイクの爆音が走り去った。
「おい、あれケッチの音じゃねぇか?」
誰かが言った。
2ストロークの甲高い音。
しかも3本マフラーが奏でる独特の排気音。
俺も間違いなくカワサキKH400の音だと思った。
今時、誰も乗る人間などいないはずだ。
みんなが押し黙っていた。
槙野の愛車だった。
「あいつ、妹が大好きだったもんな」
「そりゃ来るべ」
「そうだよな」
「そうだそうだ」
仲間たちが静かに語り合った。
目に涙を浮かべながら。
槙野の死がどのようなものだったのか、誰も俺に聞かなかった。
語った時の俺の顔をみんなが見ていたためかもしれない。
槙野の死を語れない俺を、昔の仲間たちは察してくれた。
しばらく墓石にみんなが語り、そろそろ帰ろうということになった。
後ろから声を掛けられた。
「トラさん! ありがとう!」
振り返ると、数人が俺の後ろにいた。
振り向いた俺をみんな不思議そうに見ている。
槙野の声に似ていた。
俺は前を向いて歩きだした。
またどうしようもなく、涙が零れた。
俺は、いつだって何もしてやれない。
大丈夫だと言っていた槙野は、荒い息をついていた。
「トラさん。あいつらに花の心臓移植が出来るって言われて」
「ああ」
「騙されたんですね」
「そうだな」
槙野が俺を見ながら、大粒の涙を零した。
槙野は花のために必死に心臓移植の出来る団体を探していたはずだ。
日本では決して実現出来ないことだったが、槙野は諦めることは無かっただろう。
俺は槙野の絶望の日々を思った。
槙野の隣の床に俺も座った。
「花が生きてれば、何もいらなかったんですよ」
「ああ、分かってる」
「花が笑うと、俺は何も辛いことも怖いことも無かった」
「ああ、そうだったろうな」
花は助けられない。
槙野の身体から力が抜けた。
上体が床に倒れる。
俺は慌てて抱き上げた。
完全に槙野の身体には力が入っていない。
「おい、槙野!」
「トラさん……」
俺は急いで早乙女に磯良たちを追い掛けるように言い、今運び出した白衣の連中に問い合わせさせた。
「槙野の身体がおかしい! 何が起きたか聞いてくれ!」
「分かった!」
しばらくして早乙女が電話で連絡してきた。
「もうダメだと。脳髄を喰わなかったライカンスロープは身体が崩壊するそうだ!」
「なんだとぉ!」
「メタモルフォーゼが解けた、それは脳髄を喰うことを理性が停めたということなんだ」
「どういうことだぁ!」
「そうすると、自身の身体を崩壊させる! そういう処置の機構が……」
「ふざけんなぁー!」
俺はすぐに槙野のメタモルフォーゼした部分を指で押して触診した。
筋肉の触感が無かった。
壊死どころか、細胞の崩壊が始まっていた。
もう力も入らないようで、槙野の四肢はただだらりと下がっている。
「槙野! しっかりしろ!」
「トラさん。俺……」
「喋るな! すぐに運ぶ!」
「いえ、もういいんです。トラさんが来てくれた」
「何言ってんだ!」
槙野の全身から力がどんどん抜けて行った。
表情も緩慢なものになっていく。
「槙野!」
「俺、花がいただけで幸せでした」
「おい! しっかりしろ! まだお前を助けられる!」
「いいんです。もう、十分……一緒にいた……」
「おい! 負けるんじゃねぇ! お前は一番隊の……」
槙野が最後の力で俺に倒れてきた。
「うん、トラさん。楽しかった……トラさんと一緒に……家には花……がいて……」
「槙野ォォォォーーー!」
槙野は目を閉じて眠った。
やけに幸せそうに笑っていた。
俺は槙野の最後の命が消えるまで、槙野の身体を抱き締めていた。
俺にはそれしかしてやれなかった。
早乙女たちが病室に戻って来た。
槙野は完全に崩壊していた。
「石神……」
俺は早乙女を睨みつけた。
「早乙女!」
「なんだ」
「さっきの連中に全て吐かせろ!」
「分かった!」
「絶対に許さん! 必ず皆殺しにしてやる!」
「石神……」
「行け! あいつらをもう生かしてはおかん! 早く吐かせろ!」
早乙女が黙って去って行った。
磯良たちには、俺の顔と名前はタマが以前から認識疎外をしているはずだった。
俺の姿はもちろん、早乙女が呼んだ俺の名前すら記憶では曖昧なものになっていく。
俺の怒りは、磯良や愛鈴にどのように映っていたのだろうか。
ただ、磯良たちも震え上がっていた。
俺の本当の怒りを見たのだ。
花は1か月後に逝った。
日々衰えて行く花を、俺は槙野の代わりに毎日見舞いに行って見守った。
槙野は助かって療養中だと花には伝えておいた。
花は「分かりました」と言った。
「良かった」と喜ばなかった。
花には分かっていたのかもしれない。
花が最期に意識を喪う前に、俺は病院に間に合った。
「石神さん……」
「花、苦しいか?」
「いえ。にーにのこと、ありがとうございました」
「いや、あいつは大事な仲間だからな」
「にーにも喜んでます」
「そうかな」
花が微笑んだ。
もう最期が近いことは自分でも分かっているだろう。
もしかしたら、花は槙野の運命をもう知っているのかもしれないと思った。
死に瀕し、花は何かを見ていたのかも。
「また、次に生まれてもにーにの妹になりたいな」
「お前らは最高の兄妹だからな」
「そうですか?」
「ああ、俺も他に見たことねぇよ。最高だ」
「エヘヘヘヘ」
花は笑って逝った。
意識を喪っても、うっすらと微笑んでいるような、奇跡的に苦しみのない最期だった。
誰か……花の心臓を穏やかに終わらせてくれた存在に感謝した。
槙野花の葬儀は俺が取仕切った。
昔の「ルート20」の仲間も大勢集まった。
槙野は事故で少し前に死んだとみんなに話した。
槙野の骨壺はほんの少しの槙野の遺灰と髪を数本入れて俺が用意した墓に入れてある。
特別な処置だ。
俺たちの規定では許されない。
でも、俺がやった。
納骨まで仲間たちが付き合ってくれた。
俺が墓に骨壺を納めると、墓所の前の道を一台のバイクの爆音が走り去った。
「おい、あれケッチの音じゃねぇか?」
誰かが言った。
2ストロークの甲高い音。
しかも3本マフラーが奏でる独特の排気音。
俺も間違いなくカワサキKH400の音だと思った。
今時、誰も乗る人間などいないはずだ。
みんなが押し黙っていた。
槙野の愛車だった。
「あいつ、妹が大好きだったもんな」
「そりゃ来るべ」
「そうだよな」
「そうだそうだ」
仲間たちが静かに語り合った。
目に涙を浮かべながら。
槙野の死がどのようなものだったのか、誰も俺に聞かなかった。
語った時の俺の顔をみんなが見ていたためかもしれない。
槙野の死を語れない俺を、昔の仲間たちは察してくれた。
しばらく墓石にみんなが語り、そろそろ帰ろうということになった。
後ろから声を掛けられた。
「トラさん! ありがとう!」
振り返ると、数人が俺の後ろにいた。
振り向いた俺をみんな不思議そうに見ている。
槙野の声に似ていた。
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俺は、いつだって何もしてやれない。
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