上 下
2,132 / 2,806

一番隊隊長 槙野 Ⅱ

しおりを挟む
 「槙野健司さんですね」
 「はい、宜しくお願いします!」

 JOT(日本臓器移植ネットワーク)に当たり、他の民間の類似の団体も探した。
 ある民間の臓器移植コーディネイトの団体から、心臓移植の可能性のある病院を紹介された。
 早速そこへ行った。
 白衣を着た医師が、話をしてくれた。

 「妹さんの状態はよく分かりました。しかし、一般には心臓移植は非常に難しいのです」
 「はい、それはもう分かっています! でも、何とかしなければ!」
 「御気持ちはよく分かりますよ。それで一つの提案があるのですが」
 「どんなことですか!」

 アメリカの医療団体だと説明された。
 そこでは、治験に承諾すれば、優先的に心臓移植を手配してもらえるのだと。

 「本当ですか!」
 「はい。大手の製薬メーカーが運営する団体で、そこの新薬の治験を受けてもらえれば、向こうのネットワークから優先的にドナーを回してもらえます」
 「アメリカは臓器移植が盛んですよね!」
 「よく御存知で。その通りです。日本の比ではありません。必ず妹さんは助かりますよ」
 「ありがとうございます!」

 俺は二つ返事で引き受け、すぐに用意された書類にサインをしていった。

 「来週から、約1か月間の治験があります。それで宜しいですか?」
 「はい、構いません」
 「今回の治験は、肝臓病の薬のようです。副作用は恐らくありませんが、100%保証するものではありません」
 「はい、分かりました」
 「もちろん、何らかの副作用が万一出た場合には、全面的に費用を負担して治療いたしますので」
 「はい!」

 丁寧な説明と応対で、俺も安心した。
 会社には1か月の休職を申し出たが、社長が有給扱いにしてくれると言ってくれた。
 もう俺の有給は妹の入院でほとんど使い切ってしまっていたのだが、特別に計らってくれ、有難かった。

 花の手術や渡航の費用は、治験の費用と差し引きにしてくれるらしい。
 俺も貯金があまりないので、助かる。
 もうダメかと思い始めていたが、本当に良い所を見つけることが出来た。
 借金など何でもないが、とにかく花が助かる。
 それで十分だ。



 
 治験には何も持って行く必要が無いと言われた。
 下着の替えすらいらないらしい。
 逆に、携帯電話などは持ち込めないそうだ。
 極秘の内容であるため、治験の期間は外部と連絡は出来ない。
 花には心配いらないと連絡し、俺は出掛けて行った。

 治験の場所は静岡の小さなホテルだった。
 その場所も誰にも伝えてはならないと言われていた。
 駅から送迎のバスが待っていて、同じ治験を受ける人間だろう5人と一緒に乗り込んだ。
 2時間も乗って、ホテルに着いた。
 白衣を着た人たちに出迎えられ、食堂で食事を頂いた。
 食事の後で番号札を渡され、治験の説明を受けた。
 別に難しいことはなく、毎朝朝食後に注射を打たれ、幾つかの薬を飲み、その後で検査を受ける。
 午前中で全部終わり、あとは自由にしていていいそうだ。
 食事は三食出て、部屋にはテレビやゲーム機などもある。
 雑誌や漫画などもたくさんあった。
 外出は流石に禁止で、酒も飲めない。
 自動販売機は無料で、酒でなければ自由に飲んでいいそうだ。
 治験を受けるのは、今バスで一緒だった5人。
 お互いに自由に話すのも良いらしい。
 
 自己紹介をし、下は19歳で、俺が一番年上だった。
 全員男性で、治験を何度か経験している人がいた。
 いつもこのようにのんびりしてお金が貰えるのだと教えてくれた。
 
 「今まで副作用とかは無いですよ。検査で完璧に見ていてくれますしね」
 「そうなんですか」
 「これまで無かったけど、万一副作用の兆候が出たら、そこで治験は終了です。もちろん、お金は全額もらえます」
 「へぇ、じゃあ安全なんですね」
 「そうですよ!」

 35歳というその経験者は、今回の肝臓の薬はどういうものだと思うと幾つかの薬品の名前を挙げていた。
 本当に詳しい人らしい。
 それに俺と年齢が近く、他は10代と20代だったので、俺に親し気に話してくれた。
 近藤さんというその人は、話し好きな明るい人だった。

 その日は検査を少しした程度で、そのままみんな自室にこもった。
 夕飯でまた一緒になり、互いにいろいろ話して仲良くなった。
 これから1か月も一緒にいるのだ。
 
 近藤さんが俺の部屋を訪ねて来た。

 「槙野さん、ホテルの出口が全部施錠されてました」
 「え?」
 「まあ、外出は禁止なので不思議ではないのですが、僕が開けようとしたら警備の人が来て」
 「そうなんですか」
 「結構厳重ですね。これは相当規模の大きな製薬ですよ」
 「はぁ」

 少し話して、近藤さんは出て行った。
 よくは分からないが、まあ1か月の辛抱だ。
 俺はその後の花の渡航や、自分もついていくことになるだろうと考えていた。
 会社は多分続けて休まなければならない。
 でも、花が治るのならば、どうでもいい。
 社長にはお世話になっているので申し訳ないが、話せば分かってくれるだろう。

 俺は安心したせいか、久し振りにぐっすりと眠った。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 三週間が過ぎ、俺も他の治験者ものんびりと過ごしていた。
 食事は毎回美味しく、欲しい物は大抵手に入り、漫画に飽きた俺は、昔トラさんに借りたモーリアックの『テレーズ・デスケルウ』を読み始めた。
 そういうものも、言えばすぐに手に入った。
 起床時刻は決まっていたが、就寝時刻は自由だった。
 だからゲームを一晩中やっている人間もいる。
 午後には好きに寝れるので、支障は無いようだ。
 アダルトDVDなどもあった。
 近藤さんは、普通は自慰行為は禁じられるので、珍しいと言って喜んでいた。
 俺は『テレーズ・デスケルウ』を夢中で読んだ。
 昔は分からなかったが、今読み返すと、トラさんが言っていたことがよく分かった。

 「槙野、これは神を喪った現代社会の物語なんだよ」
 「そうなんっすか」
 「神に従うことが昔の人間の幸福だった。でも現代は自分で考えるようになった」
 「はぁ」
 「だから、自分の好き嫌いで物事を判断するってな。そうなりゃ人間関係は終わりよ」
 「なるほど」

 当時は全然分からなかったが、トラさんが言う自分の考えが不幸を招くということが良く分かった。
 俺たちは神を喪ったのだ。
 
 「槙野、だけどな、今だって自分以外のものを大事にする奴は幸せになれるよ」
 「そうなんですか!」
 「自分が大事なら「好き嫌い」しかねぇ。でも、お前には花ちゃんがいるだろ?」
 「はい!」
 「花ちゃんを大事にしろよ。そうすりゃ、お前の人生は完成だ」
 「はい!」

 本当にトラさんの言う通りだった。
 俺は花のために生きて来た。
 そうしたら、俺は毎日が幸せだった。
 トラさんはやっぱり最高だ。

 「花……」

 無性に花に会いたかった。
 病気でやつれてしまった花。
 もう少し待っていてくれ。
 俺が必ず助けるから。

 その夜、花がトラさんと一緒にいて笑っている夢を見た。
 最高の夢だった。



 
 そして翌朝、俺は変貌した。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 槙野の行方は杳として知れなかった。
 探偵事務所を使い、早乙女にも頼んで警察に協力してもらった。
 槙野があちこちの臓器移植の団体を訪ねていたことは分かった。
 相当な労力を払っていた。
 妹の花のために必死だったのだろう。

 槙野が花や会社の社長さんに言っていた「一ヶ月」になろうとしていた。

 俺は槙野を見つけた。




 見つけたくはなかった。 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

まさか、、お兄ちゃんが私の主治医なんて、、

ならくま。くん
キャラ文芸
おはこんばんにちは!どうも!私は女子中学生の泪川沙織(るいかわさおり)です!私こんなに元気そうに見えるけど実は貧血や喘息、、いっぱい持ってるんだ、、まあ私の主治医はさすがに知人だと思わなかったんだけどそしたら血のつながっていないお兄ちゃんだったんだ、、流石にちょっとこれはおかしいよね!?でもお兄ちゃんが医者なことは事実だし、、 私のおにいちゃんは↓ 泪川亮(るいかわりょう)お兄ちゃん、イケメンだし高身長だしもう何もかも完璧って感じなの!お兄ちゃんとは一緒に住んでるんだけどなんでもてきぱきこなすんだよね、、そんな二人の日常をお送りします!

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?

すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。 病院で診てくれた医師は幼馴染みだった! 「こんなにかわいくなって・・・。」 10年ぶりに再会した私たち。 お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。 かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」 幼馴染『千秋』。 通称『ちーちゃん』。 きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。 千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」 自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。 ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」 かざねは悩む。 かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?) ※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。 想像の中だけでお楽しみください。 ※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。 すずなり。

イケメン歯科医の日常

moa
キャラ文芸
堺 大雅(さかい たいが)28歳。 親の医院、堺歯科医院で歯科医として働いている。 イケメンで笑顔が素敵な歯科医として近所では有名。 しかし彼には裏の顔が… 歯科医のリアルな日常を超短編小説で書いてみました。 ※治療の描写や痛い描写もあるので苦手な方はご遠慮頂きますようよろしくお願いします。

処理中です...