1,989 / 2,840
新宿悪魔 Ⅳ
しおりを挟む
「片桐課長、また土曜日も出勤されていたんですか?」
出庁して自分のデスクに腰かけると、部下の土谷美津が声を掛けて来た。
明るい性格で、課のムードメーカー的なものがある30代前半の女性だ。
「うん、ようやく賞与の修正データが終わったよ」
「大変でしたね。お疲れ様です」
「いやいや」
俺は休日出勤をした自分を労う部下に微笑んだ。
「庄司さんのミスで、大変なことになりましたよね」
「うん、でもそれも終わったから。これで部長に報告して、賞与の差額分は今月の給与支給で調整するよ」
「ええ。でも庄司さん、まだ連絡が付かないんですよね?」
「そうだね。先週、警察にも被害届を出した。ああ、他のみんなには黙っててね」
「はい、もちろんです」
職員の賞与支給を担当していた庄司和美が、全員の支給額から一部を抜き取っていたことが判明した。
10年前の社会保険料と源泉税のテーブルを使って、差額分を別にプールし、密かに自分の口座へ送金していた。
賞与支給と同時に行われ、数千万円の金を着服したまま行方をくらました。
何人もの人間から支給額の計算がおかしいと言われ、判明した時には、もう庄司和美の姿はなかった。
「庄司さん、真面目な人だと思っていたんですけど」
「そうだよね。僕も信頼して任せていたんだ」
地味なタイプで、仕事には真面目に取り組んでいた。
20年も務めており、みんなからの信頼も厚かった。
「何かお金に困っていたんですかね」
「分からないよ。これから警察が調べて行くでしょう」
「そうですね」
「この話はここまでで。仕事を始めましょう」
「はい、あ! 土曜日に大変な事件があったって!」
都庁に併設している都議会議事堂で大量殺人があった。
「うん、僕も後から知って驚いたよ」
「片桐課長が無事でよかったです!」
「ありがとう。僕はまったく知らずに仕事をしていたけどね。後から知って本当に驚いた。僕も警察の人にいろいろ聞かれたよ」
「そうだったんですか!」
土谷を手招いて小声で話した。
「ここだけの話だけどね」
「はい」
「あれって、例の怪物化した人間の犯行らしいよ」
「ライカンスロープ!」
「うん、そう言うんだったね」
「私たち、大丈夫なんでしょうか!」
「それは専門の部隊の人が来て、もうこの辺にはいないから大丈夫だって」
「ああ、「アドヴェロス」の人ですね」
「土谷さんは詳しいね。うん、そこの特殊能力を持った人が安心して下さいって言ってたそうだ」
「良かったー!」
「じゃあ、そろそろ本当に仕事に戻って下さい」
「はい! あ、片桐課長」
「なにかな?」
「今日、一緒にランチを如何ですか?」
「ああ、いいよ」
「やったぁー!」
土谷がニコニコして自分のデスクへ戻った。
その日、一緒にランチを食べ、夕飯にも誘った。
土谷は嬉しそうに承諾した。
つばめグリルに行った。
「ここって美味しいですよね!」
「まあ、そんなに高くないしね」
「アハハハハ!」
二人で注文し、ワインも頼んだ。
「前にここで素敵な人たちを見たんですよ」
「へぇー」
「長身の物凄くカッコイイ男性が、部下の人らしい二人の女性を連れて入って来たんです」
「そうなの」
「テーブルが近かったんで、話が聞こえたんですよ。そうしたら、女性の一人がホストクラブにはまっちゃってたみたいで」
「ほんとに!」
「はい。それを上司のその男性が辞めさせたみたいなんですね。もう一人の女性がその女性の親友だったみたいで」
「そうかぁ」
「良かったって泣いちゃって。上司の男性が優しそうな人でしてね」
「ふーん」
興味のない話だったが、笑顔で付き合っていた。
「片桐課長のことを思い出しちゃいました」
「え、僕の?」
「片桐課長も優しいじゃないですか。あんな酷いことした庄司さんを全然責めないし。私たちにも凄くいつも優しいし」
「僕なんてそんな」
「それにカッコイイし!」
「え!」
土谷がニコニコして俺を見ていた。
「ねぇ、片桐課長」
土谷が今度は真剣な顔で俺を見詰めた。
「なんだい?」
「あの、奥さんとお子さんはまだ見つからないんですか?」
「ああ、そのことか」
「すいません、私なんかがこんなことを聞いちゃって」
「いいよ。まあ、僕みたいな詰まらない人間じゃ、愛想を尽かされても仕方が無いよ」
「そんなことありません! 片桐課長は素敵な方です!」
「おい、ちょっと声が大きいよ」
「すいません!」
土谷はまだ俺を見ている。
「あの、私じゃダメですか?」
「え?」
「私、片桐課長のことがずっと前から好きでした」
「何を言っているんだい」
「本当です! 奥様がいらっしゃったので、これまでは何も言いませんでしたけど」
「おい、土谷さん」
「でも、片桐部長を捨てて出て行ったんなら! じゃあ、私じゃいけませんか!」
「困ったな」
「あの、私は御嫌いですか……」
土谷がみるみる落ち込んで行く。
余程思い切って切り出したことなのだろう。
「そんなことはないよ。土谷さんは素敵な女性だ」
「ほんとですか!」
「ああ。そろそろ、妻のことは忘れた方がいいのかもしれない」
「嬉しい!」
俺は週末にまた土谷を誘った。
今度は俺のマンションにだ。
土谷は躊躇なく受けた。
俺も土谷のことが我慢出来なかった。
まったく、申し訳ないという心は無かった。
俺はそのことが嬉しかった。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「早乙女さん、只今戻りました」
「ああ、成瀬。中断させて悪かったな」
「いいえ。大変な事件ですから」
北海道で調査を進めていた成瀬と葛葉を呼び戻した。
いろいろ検討した結果、成瀬の情報分析の能力が必要だと判断した。
データを送るわけにはいかなかったので、成瀬に資料を見せながら説明した。
成瀬は資料に目を通し、すぐに状況を把握した。
「一番気になるのは、便利屋さんが言っていたことですね」
「恐ろしい奴だってことか?」
「それもありますが、「気配はもう無いけど、なんだか近くにいるような気もする」って」
「ああ!」
やはり成瀬を呼んで良かった。
俺はまったく気に留めていなかった。
「あの人って、索敵には物凄い能力があるじゃないですか」
「そうだな!」
「もしかしたら、今度のライカンスロープは気配を断つことに相当長けているんじゃないでしょうか」
「なるほど!」
「そして恐ろしく強い」
「うん」
俺は当日あの周辺にいた人間を洗い出すことを提案した。
「特に都庁と議事堂にいた人間ですね」
「そうだな。犯行は結構派手なものだ。ガイシャの状況を探っても、短時間で攫われて殺されたことが分かっている。だったら、あの近くに住んでいる、もしくは仕事をしていた人間の可能性が高いな」
「はい。逃げるにしても、今はあちこちの監視カメラがあります。怪しまれずにいられる環境と考えるべきですね」
「お前は優秀だな!」
「アハハハハ」
俺はすぐに調査班を呼び、都庁にいた人間を探すように命じた。
そして周辺住民の調査だ。
そちらは新宿署や他の署からも応援を頼もう。
やるべきことが明確になった。
成瀬がもう一つの方針を口にした。
まったくの盲点だった。
俺は震撼した。
出庁して自分のデスクに腰かけると、部下の土谷美津が声を掛けて来た。
明るい性格で、課のムードメーカー的なものがある30代前半の女性だ。
「うん、ようやく賞与の修正データが終わったよ」
「大変でしたね。お疲れ様です」
「いやいや」
俺は休日出勤をした自分を労う部下に微笑んだ。
「庄司さんのミスで、大変なことになりましたよね」
「うん、でもそれも終わったから。これで部長に報告して、賞与の差額分は今月の給与支給で調整するよ」
「ええ。でも庄司さん、まだ連絡が付かないんですよね?」
「そうだね。先週、警察にも被害届を出した。ああ、他のみんなには黙っててね」
「はい、もちろんです」
職員の賞与支給を担当していた庄司和美が、全員の支給額から一部を抜き取っていたことが判明した。
10年前の社会保険料と源泉税のテーブルを使って、差額分を別にプールし、密かに自分の口座へ送金していた。
賞与支給と同時に行われ、数千万円の金を着服したまま行方をくらました。
何人もの人間から支給額の計算がおかしいと言われ、判明した時には、もう庄司和美の姿はなかった。
「庄司さん、真面目な人だと思っていたんですけど」
「そうだよね。僕も信頼して任せていたんだ」
地味なタイプで、仕事には真面目に取り組んでいた。
20年も務めており、みんなからの信頼も厚かった。
「何かお金に困っていたんですかね」
「分からないよ。これから警察が調べて行くでしょう」
「そうですね」
「この話はここまでで。仕事を始めましょう」
「はい、あ! 土曜日に大変な事件があったって!」
都庁に併設している都議会議事堂で大量殺人があった。
「うん、僕も後から知って驚いたよ」
「片桐課長が無事でよかったです!」
「ありがとう。僕はまったく知らずに仕事をしていたけどね。後から知って本当に驚いた。僕も警察の人にいろいろ聞かれたよ」
「そうだったんですか!」
土谷を手招いて小声で話した。
「ここだけの話だけどね」
「はい」
「あれって、例の怪物化した人間の犯行らしいよ」
「ライカンスロープ!」
「うん、そう言うんだったね」
「私たち、大丈夫なんでしょうか!」
「それは専門の部隊の人が来て、もうこの辺にはいないから大丈夫だって」
「ああ、「アドヴェロス」の人ですね」
「土谷さんは詳しいね。うん、そこの特殊能力を持った人が安心して下さいって言ってたそうだ」
「良かったー!」
「じゃあ、そろそろ本当に仕事に戻って下さい」
「はい! あ、片桐課長」
「なにかな?」
「今日、一緒にランチを如何ですか?」
「ああ、いいよ」
「やったぁー!」
土谷がニコニコして自分のデスクへ戻った。
その日、一緒にランチを食べ、夕飯にも誘った。
土谷は嬉しそうに承諾した。
つばめグリルに行った。
「ここって美味しいですよね!」
「まあ、そんなに高くないしね」
「アハハハハ!」
二人で注文し、ワインも頼んだ。
「前にここで素敵な人たちを見たんですよ」
「へぇー」
「長身の物凄くカッコイイ男性が、部下の人らしい二人の女性を連れて入って来たんです」
「そうなの」
「テーブルが近かったんで、話が聞こえたんですよ。そうしたら、女性の一人がホストクラブにはまっちゃってたみたいで」
「ほんとに!」
「はい。それを上司のその男性が辞めさせたみたいなんですね。もう一人の女性がその女性の親友だったみたいで」
「そうかぁ」
「良かったって泣いちゃって。上司の男性が優しそうな人でしてね」
「ふーん」
興味のない話だったが、笑顔で付き合っていた。
「片桐課長のことを思い出しちゃいました」
「え、僕の?」
「片桐課長も優しいじゃないですか。あんな酷いことした庄司さんを全然責めないし。私たちにも凄くいつも優しいし」
「僕なんてそんな」
「それにカッコイイし!」
「え!」
土谷がニコニコして俺を見ていた。
「ねぇ、片桐課長」
土谷が今度は真剣な顔で俺を見詰めた。
「なんだい?」
「あの、奥さんとお子さんはまだ見つからないんですか?」
「ああ、そのことか」
「すいません、私なんかがこんなことを聞いちゃって」
「いいよ。まあ、僕みたいな詰まらない人間じゃ、愛想を尽かされても仕方が無いよ」
「そんなことありません! 片桐課長は素敵な方です!」
「おい、ちょっと声が大きいよ」
「すいません!」
土谷はまだ俺を見ている。
「あの、私じゃダメですか?」
「え?」
「私、片桐課長のことがずっと前から好きでした」
「何を言っているんだい」
「本当です! 奥様がいらっしゃったので、これまでは何も言いませんでしたけど」
「おい、土谷さん」
「でも、片桐部長を捨てて出て行ったんなら! じゃあ、私じゃいけませんか!」
「困ったな」
「あの、私は御嫌いですか……」
土谷がみるみる落ち込んで行く。
余程思い切って切り出したことなのだろう。
「そんなことはないよ。土谷さんは素敵な女性だ」
「ほんとですか!」
「ああ。そろそろ、妻のことは忘れた方がいいのかもしれない」
「嬉しい!」
俺は週末にまた土谷を誘った。
今度は俺のマンションにだ。
土谷は躊躇なく受けた。
俺も土谷のことが我慢出来なかった。
まったく、申し訳ないという心は無かった。
俺はそのことが嬉しかった。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「早乙女さん、只今戻りました」
「ああ、成瀬。中断させて悪かったな」
「いいえ。大変な事件ですから」
北海道で調査を進めていた成瀬と葛葉を呼び戻した。
いろいろ検討した結果、成瀬の情報分析の能力が必要だと判断した。
データを送るわけにはいかなかったので、成瀬に資料を見せながら説明した。
成瀬は資料に目を通し、すぐに状況を把握した。
「一番気になるのは、便利屋さんが言っていたことですね」
「恐ろしい奴だってことか?」
「それもありますが、「気配はもう無いけど、なんだか近くにいるような気もする」って」
「ああ!」
やはり成瀬を呼んで良かった。
俺はまったく気に留めていなかった。
「あの人って、索敵には物凄い能力があるじゃないですか」
「そうだな!」
「もしかしたら、今度のライカンスロープは気配を断つことに相当長けているんじゃないでしょうか」
「なるほど!」
「そして恐ろしく強い」
「うん」
俺は当日あの周辺にいた人間を洗い出すことを提案した。
「特に都庁と議事堂にいた人間ですね」
「そうだな。犯行は結構派手なものだ。ガイシャの状況を探っても、短時間で攫われて殺されたことが分かっている。だったら、あの近くに住んでいる、もしくは仕事をしていた人間の可能性が高いな」
「はい。逃げるにしても、今はあちこちの監視カメラがあります。怪しまれずにいられる環境と考えるべきですね」
「お前は優秀だな!」
「アハハハハ」
俺はすぐに調査班を呼び、都庁にいた人間を探すように命じた。
そして周辺住民の調査だ。
そちらは新宿署や他の署からも応援を頼もう。
やるべきことが明確になった。
成瀬がもう一つの方針を口にした。
まったくの盲点だった。
俺は震撼した。
1
お気に入りに追加
228
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
NPO法人マヨヒガ! ~CGモデラーって難しいんですか?~
みつまめ つぼみ
キャラ文芸
ハードワークと職業適性不一致に悩み、毎日をつらく感じている香澄(かすみ)。
彼女は帰り道、不思議な喫茶店を見つけて足を踏み入れる。
そこで出会った青年マスター晴臣(はるおみ)は、なんと『ぬらりひょん』!
彼は香澄を『マヨヒガ』へと誘い、彼女の保護を約束する。
離職した香澄は、新しいステージである『3DCGモデラー』で才能を開花させる。
香澄の手が、デジタル空間でキャラクターに命を吹き込む――。
双葉病院小児病棟
moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
人形の中の人の憂鬱
ジャン・幸田
キャラ文芸
等身大人形が動く時、中の人がいるはずだ! でも、いないとされる。いうだけ野暮であるから。そんな中の人に関するオムニバス物語である。
【アルバイト】昭和時代末期、それほど知られていなかった美少女着ぐるみヒロインショーをめぐる物語。
【少女人形店員】父親の思い付きで着ぐるみ美少女マスクを着けて営業させられる少女の運命は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる