上 下
1,955 / 2,808

橘弥生と『虎は孤高に』 Ⅱ

しおりを挟む
 3時10分前に家に着くと、丁度橘弥生の乗ったタクシーが目の前に停まった。
 今日は俺の家に泊まるので、いつもの運転手は置いて来たのだろう。
 慌ててシボレー・コルベットを降りて門まで出迎えに行く。

 「お待ちしてました!」
 「あなた、今戻った所でしょう」
 「はい!」

 橘弥生が呆れた顔をする。

 「今日はお世話になるわね」
 「いいえ! 大したおもてなしも出来ませんが!」
 「トラ」
 「はい!」
 「あなた、あんな車に乗っているの?」
 「!」

 しまった。
 橘弥生はでかいスーパーチャージャーが飛び出て、虎縞のペイントのでかい虎顔のコルベットを眺めていた。

 「まるで暴走族ね」
 「あはははは」

 急いで橘弥生の荷物を持って玄関に案内し、亜紀ちゃんとロボが駆け降りて来る。
 ロボは意外にも橘弥生に懐いていた。
 足元で身体をこすり付けて歓迎している。
 橘弥生も優しい顔でロボを撫でていた。

 二人に任せて、俺はコルベットを車庫に入れた。
 2階に上がろうとすると、楽しそうに話す声が聞こえる。
 まったく亜紀ちゃんは凄い。
 俺は顔を出して着替えて来ると言った。
 スーツを脱いで、白地のボーダーのパンツに履き替えた。
 シャツとネクタイはそのままだ。
 
 下に降りると、お茶の準備が出来ていた。
 橘弥生が俺に手土産を渡して来た。
 ラ・メゾン・デュ・ショコラの《アソルティモン メゾン》だった。
 随分と高価なチョコレートだ。

 「こんな高いものを」
 「私はチョコレートは苦手なの。皆さんで食べてね」
 「ありがとうございます!」

 俺は亜紀ちゃんに最上等来客用に取っておけと言った。

 「はい!」

 まあ、そんな区分けはうちには無いのだが。
 マックウッズの紅茶とグラマシーニューヨークの杏仁豆腐を出した。
 
 「マックウッズのダージリンね」
 「はい!」
 「トラ、ありがとう」
 「いいえ!」
 「この杏仁豆腐も美味しいわ」
 「はい!」

 マックウッズはイギリスのロイヤルファミリーやローマ教皇も愛飲している老舗ブランドだ。
 マクシミリアンが紅茶に詳しいので聞いておいた。
 橘弥生もよく分かるものだ。

 「あ! 美味しい!」

 亜紀ちゃんが言う。

 「おい! いつも飲んでるフリをしろ!」
 「あ!」
 
 橘弥生が笑っていた。
 俺が聞いてみた。
 橘弥生は毎日何時間もピアノの練習をするのが欠かせない日課だ。

 「この後は、少し弾かれますか?」
 「いいえ、今朝十分にやって来たわ」
 「そうですか」

 折角調律師を呼んだのにー。

 「じゃあ、夕飯までゆっくりなさってください」
 「あなたの演奏が聴きたいわ」
 「いいですね!」

 叫ぶ亜紀ちゃんを睨む。

 「分かりましたー」

 まあ、今日はなんでもサービスするつもりではいた。
 橘弥生が亜紀ちゃんに『虎は孤高に』の話をした。

 「面白いドラマだったわ」
 「観ましたか!」
 「ええ、全話観たわよ」
 「凄いです!」

 何がだよ。

 「あれがトラの話だったとはね」
 「そうなんですよ!」

 亜紀ちゃんが南の話をした。
 俺と小学生時代に一緒にクリスマスを過ごし、大人になって作家となり、俺の物語を書いたのだと。

 「そうなの! トラが大好きだったのね」
 「はい! 最初にタカさんが南さんとのクリスマスの話をしてくれて、感動してたんです。それで南さんに連絡を取って、そうしたらうちに来てくれて!」
 「まあ! 再会したのね!」
 「そうなんです! 南さんもタカさんも泣いちゃって!」
 「俺は泣いてねぇ!」

 みんなが笑った。

 「南さんね、今はあまり書けなくなってたって。でもタカさんと再会してまた書き始めたんですよ!」
 「トラ! 良かったわね!」
 「はい、まあ」

 南が書き始めたのは良かったのだが。

 「ヤマトテレビで南さんにドラマ化の話を持って行ったんです。もう毎週スゴイ視聴率なんですよ!」
 「ええ、私は知らなかったけど、話題になっているそうね」
 「はい!」

 俺は恥ずかしかったが辞めろとは言えなかった。
 橘弥生が楽しそうに話しているからだ。

 「橘さん、クリスマスの回も観ました?」
 「ええ、もちろん」

 柳も加わった。

 「あの時の「クリスマスツリー」にした木を、南さんが今でも大切にしているそうですよ」
 「ほんとに!」

 橘弥生が俺を見ていた。

 「まあ、うちは御存知の通りとんでもない貧乏でしたからね。あんなクリスマスしか出来なくて」
 「いいクリスマスだったわ。あなたと南さんの友情が美しかった」
 「そうですか」

 橘弥生もミユキとの話や杉本との話が良かったと言っていた。
 
 「トラの周りの人間はみんな幸せね」
 「そんなことは」

 口には出さなかったが、門土を思い出しただろう。
 あいつも俺のすぐ傍にずっといてくれた大事な友達だったのだから。
 そして、門土の回が良かったとも口にしなかった。
 そんなことは当たり前だ。
 子どもたちも話さない。




 お茶を終えて、俺は橘弥生を連れて地下へ行った。
 亜紀ちゃんも付いて来る。
 《イグナシオ・フレタ》を調弦する。

 「何かリクエストはありますか?」
 「ブロード・ハーヴェイでやる曲を聴きたいわ。もう出来ているのでしょう?」
 「分かりました」

 俺は弾き始めた。
 亜紀ちゃんがソニーの録音機をそっと置いた。
 橘弥生が微笑んで亜紀ちゃんに頭を下げた。
 橘弥生が目を閉じて俺の演奏を聴いている。
 
 俺はずっと弾き続けた。
 俺が止めるものではない。
 橘弥生が決めればいい。




 俺はいつまでも弾き続けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

まさか、、お兄ちゃんが私の主治医なんて、、

ならくま。くん
キャラ文芸
おはこんばんにちは!どうも!私は女子中学生の泪川沙織(るいかわさおり)です!私こんなに元気そうに見えるけど実は貧血や喘息、、いっぱい持ってるんだ、、まあ私の主治医はさすがに知人だと思わなかったんだけどそしたら血のつながっていないお兄ちゃんだったんだ、、流石にちょっとこれはおかしいよね!?でもお兄ちゃんが医者なことは事実だし、、 私のおにいちゃんは↓ 泪川亮(るいかわりょう)お兄ちゃん、イケメンだし高身長だしもう何もかも完璧って感じなの!お兄ちゃんとは一緒に住んでるんだけどなんでもてきぱきこなすんだよね、、そんな二人の日常をお送りします!

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

処理中です...