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蓼科文学・静子

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 楽しく食事を終え、午後7時になっていた。
 みんなで幻想都市《アヴァロン》へ行った。
 街の中心の広場で電動移送車を降りて散策する。
 来る途中も《アヴァロン》の優美な景観をみんなで眺めて来た。

 「いい街だな」
 「そうでしょう。パピヨンという都市構想の専門家がデザインしたんですよ。「幻想」ということを中心にして、都市にいる人間が非日常の世界を感じるようにね」
 「素晴らしい。俺はこんな男だが、感動したぞ」
 「院長のお顔にも負けませんよ」

 院長が笑いながら俺の頭をはたいた。

 「お前はいつも俺たちを楽しませてくれるな」
 「そんなことは」
 「いつだって、昔からそうだった。俺の家に呼ぶと、いつもお前は静子を笑わせてくれた」
 「そりゃ、静子さんが大好きですからね!」
 「ウフフフ」

 静子さんが笑った。

 「病院でもな。とんでもないことばかりして俺を怒らせ、笑わせてくれた」
 「まあ、院長のことも嫌いじゃないですからね」
 「このやろう」

 院長が笑い、静子さんと街の景観を眺めた。

 「あのニューヨークの夜景とはまた違った感動だ。ニューヨークは俺たちには眩しい。だから離れて眺めるのが良かったな。でも本当にここはいい場所だな」
 「ありがとうございます」

 双子が院長と静子さんの手を握って、みんなでゆっくりと歩いた。

 「都市が機能だとすれば、ああいう無駄な空間は作りません」
 
 ぽっかりと開いた広場を指した。
 樹木と洒落たベンチと街灯だけしかない。
 人間が座って休むだけの空間だ。

 「ああいう場所があちこちにあります。それに建物なんかも」

 俺は10メートル四方のガラス張りのビルを指差した。
 細長い4階建てのそのビルは床面以外は全てスケルトンになっている。
 その床面も薄い金属の板なので、横から見ると分からない。
 エレベーターも無く、そこだけは色付きの強化ガラスの階段で昇り降りする。

 「まあ、トイレもないんですけどね」

 みんなが笑ったが、その不思議で幻想的な建物に見惚れた。
 今は誰もいないが、照明は煌々と灯っていて、幾つかの事務デスクや全階で異なるガラスの階段の色が美しい。
 響子が昇って見たいと言った。

 「もう人が入っちゃってるからな。俺たちは入れないよ」
 「そっか」

 デザイナーとIT会社の人間が入っているはずだ。
 ビルの機能としては不味いのだが、全面ガラスという幻想的な空間が良いのだ。
 そのまま散策していく。
 モニュメントや彫刻なども多い。
 いつも立ち寄る、ガラス張りの平屋のカフェに寄った。
 俺の顔を知っているマスターが嬉しそうに駆け寄って来て、俺たちを窓際の席に案内してくれた。
 みんなで好きな物を注文する。
 院長たちには、俺がホットチョコレートを頼んだ。

 「院長もこっちへ来たら、こういうお店に静子さんを連れて来るんですよ!」
 「わ、分かった」

 静子さんが「お願いします」と言っていた。
 嬉しそうだった。

 「ああ、こういう飲み物もあるんだな」
 「院長、それ相当ですよ?」
 「なんだ?」
 「静子さんに、これまで何もして来なかったでしょう!」
 「う!」
 「静子さんはこんなに院長のために一生懸命なのに」
 「それは本当にすまん!」

 院長が素直に謝り、みんなが笑った。

 「静子さん、帰ったらもううちで暮らして下さいね」
 「まあ、どうしようかしら」
 「お袋に出来なかったことを全部静子さんにやりますから」
 「それは楽しそうね!」

 院長が辛そうな顔をしていた。
 冗談だと分かっていても、本当に自分が何もして来なかったことを痛感している。
 まあ、いじめ過ぎた。

 「冗談ですって! 院長だってエルメスのケリーバッグを買ったりしてるじゃないですか」
 「あ、ああ」
 「あれは素敵でした」
 「それによく一緒に出掛けるようになったじゃないですか」
 「そ、そうか」
 「まあ、ほとんど俺が誘ってですけどね!」
 「ウフフフフ」

 静子さんが笑い、院長が苦い顔をした。

 「それでもね、院長夫妻は俺の理想の夫婦ですよ」
 「石神……」
 「こんな話をしましたけどね。俺は基本的に家族サービスなんて大嫌いで。うちの子どもたちも俺の奴隷で、栞なんか月に1度くらいしか会ってないし」
 「そうだよ!」

 栞が腕を上げて叫んだ。
 俺は笑った。

 「子どもたちを連れて何度か海外も行きましたけどね」
 「一杯ぶっ殺しましたよね!」

 院長がホットチョコレートに咽た。
 静子さんが背中をさすって笑っている。
 亜紀ちゃんの頭を引っぱたいた。

 「まあ、こんななんで鷹にも見限られて、あいつ一江たちと温泉に言ってますよ」

 みんなが笑った。
 鷹は青森に行っている。
 霊素レーダーの基地選定のためだ。
 一江と大森と一緒で、遊行も兼ねてのことだが。
 亜紀ちゃんたちが以前に「カタ研」の合宿で食事が絶品だったと聞き、三人で出掛けた。
 俺たちと来ることを迷っていたが、俺がたまには仲の良い三人で行って来いと言った。
 
 「旅行か。そうだな、数える程だったな」
 「十分ですよ」

 海外の学会に何度か一緒に出掛けたのは知っている。
 ただ、それももう20年も前のことだ。
 それに多分院長だと、それほど出歩かなかっただろう。

 「新婚旅行は?」
 「ああ、伊豆に行ったな」
 「はぁ」

 昔の新婚旅行の定番が伊豆と熱海だった。

 「よし、みんな静かにしろ! これから院長と静子さんが新婚旅行のお話をして下さるぞ!」
 「おい、石神!」

 みんなが笑って拍手をした。

 「勘弁しろ! もう30年以上も前のことだぞ!」
 「俺もよく、そんな頃の話を子どもたちにしてますよ?」
 「お前!」
 
 双子がお二人の背中に回って、肩に手を置いた。

 「おい、石神の話と違って全然面白くもないぞ」
 
 みんながまた拍手をした。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 蓼科文学は29歳で見合いをし、早瀬静子に一目惚れをした。
 見合いは広島の実家が持ち掛け、当時懇意にしていた名古屋の豪商の娘を文学に引き合わせた。
 東京の帝国ホテルのレストランで初めて静子を見た文学は、頭が真っ白になるほどの衝撃を受けた。

 学生時代から、女性とはまったく縁が無かった。
 興味が無いということではなかったが、自分には無縁の存在と思っていた。
 女性が好む顔では全くない。
 子どもの頃からそう思っていたので、女性とろくに話したこともない。
 だから女性が喜ぶようなことを全く知らなかった。

 「俺なんかと結婚したら、相手の女性が可哀そうだ」
 
 本気でそうとまで思っていた。
 だから実家の命令で見合いは受けるとしても、結婚する気は無かった。
 むしろ、相手から断られるだろうことに幽かな痛みすら抱いていた。
 自分などが嫌なのは分かっている。

 「文学、こちらが早瀬静子さんだ」
 「……」
 「今日はお忙しい中をお時間を頂きましてありがとうございます」
 「……」

 静子が挨拶をしても、文学は呆然と静子さんを見詰めるだけだった。

 「おい、文学?」

 父親が文学の背中を叩く。

 「おい! お前、聞いちょるのかぁ!」
 「ぶち(とても)綺麗じゃ……」
 「なに?」
 「こんな綺麗な人、見たこと……」
 「おい、たいがいにせぇよ!」

 静子さんと早瀬家の両親が笑った。
 文学は思わず広島弁で話していた。
 食事の間中、文学が口を開くことは無かった。
 文学の両親と早瀬家の両親がいろいろと話したが、文学は生返事をするばかりだった。
 文学の父親は、この見合いは失敗だと感じていた。

 「このぽんすー(バカ)が」

 とてもではないが、一人前の男とは思えない覇気の無さは、到底夫婦生活は出来ないと感じられるだろう。
 食事が終わる頃、文学の母親が言った。

 「文学も何か話しんさい」

 文学が両手をテーブルに付いて額を思い切りぶつけた。

 ガン!

 「ワリャァ! なんならぁ!」

 父親が怒鳴った。

 ガン!

 もう一度文学が額をテーブルにぶつけた。
 父親が襟元を掴んで顔を引き上げた。
 文学が泣いていた。

 「お、おんどりゃ……」

 全員が黙り込んだ。

 「俺はこんな素晴らしい方に何も言えん」
 「おまんは……」
 「何も言えん! こんな俺などは何も望めん! だけど俺は……俺は!」
 「落ち着け」

 父親が文学を座らせた。
 全員が文学の気持ちが伝わっていた。
 「好き」という言葉が言えない文学の、心の叫びを聞いた。

 「あの、蓼科様」
 「はい?」

 涙を流し口を噤んでいる文学の替わりに父親が返事をした。

 「わたくし、文学様と結婚したく思います」
 「はい?」
 「どうぞ宜しくお願い致します」

 文学が大泣きした。
 人前で泣いたことなど無い男だった。
 早瀬家の三人は微笑み、文学の両親も不器用過ぎる我が子に笑った。

 「良かったな、文学」

 文学がまたテーブルに額を打ち付けた。

 ガン!

 「もうそれはいい!」

 みんなが笑った。 
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