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魚籃坂にて

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 5月2日。
 今日は午後から院長夫妻が来る。
 俺は朝食を食べて、ロボを連れてウッドデッキでのんびりした。
 椅子を2つ並べて、そこにクッションを置き、ロボが寝そべっている。
 俺はコーヒーを飲みながら本を読んでいた。
 子どもたちは掃除や洗濯とそれぞれのことをやっている。
 亜紀ちゃんと柳は大学のレポートや課題をやり、「カタ研」の活動などを話し合っている。
 双子は様々な研究を進める。
 皇紀がいないので、代わりに防衛システムの遠隔点検や様々なデータ解析。
 蓮花との連絡も、双子がやっていた。
 皇紀はフィリピンでの敵対勢力の壊滅がもう大詰めになっていた。
 あいつも流石に軍事基地の土地選定よりも、俺たちの敵になる勢力を潰すことが大きな任務だと気付いている。
 最初に言わなかったのは、あいつが無理矢理に戦闘を強制された時にどう反応するのかを見るためだ。
 皇紀はやはり、一言も愚痴も文句も言わずにやってくれている。
 まあ、早々に髪型は変えるかと思っていたが、今でもちゃんとポンパドールのリーゼントにしているようだ。
 ワハハハハハハ!

 柳が庭に出て来た。

 「石神さん!」
 「よう、鍛錬か?」
 「はい! 見てて下さいね!」
 「おう」
 「ロボもね!」
 
 ロボは目を閉じたまま、大きな尾を振った。
 聴いてるという合図だ。

 俺は本を置いて、柳の鍛錬を何となく見ていた。
 柳は頑張っている。
 本当に真面目で、一つのことに集中していく。
 いい女だ。

 全然知らなかった料理を覚え、慣れない東京での生活の中で、ちゃんと俺たちの家族になった。
 俺が顕さんの家の管理を任せると、泣く程喜んだ。
 そしてこれ以上は無いくらいにちゃんとやってくれている。
 顕さんはいつ戻って来るのか分からない。
 大きな商業施設は完成したが、それが大好評でそのまま別な仕事を命じられた。
 フィリピンでの顕さんへの信頼は篤く、会社も顕さんにそのまま残って欲しいと懇願した。
 顕さんも向こうで愛する女を得て、日本へすぐに帰りたいわけでも無くなった。
 俺は寂しいし、他にも日本で顕さんを慕っている人間は多いだろうが。
 でも、顕さんが幸せにやっているのならば、仕方が無い。
 
 柳が鍛錬を一段落し、俺の所へ来た。
 俺は椅子に座らせ、中からコップと氷を持って来て、アイスコーヒーを柳に作った。

 「ありがとうございます!」
 「お前には本当に頭が下がるぜ」
 「そんな! 私は好きでやってるだけですよ」
 「ありがとうな」

 のんびりと庭を見た。

 「もうすぐクチナシが咲きますねー!」
 「そうだな」
 「私、あの季節が一番好きです! 凄くいい香り!」
 「そうか」
 
 柳は花が好きだ。
 他の子どもたちも多少は興味を持って来たが、全然違う。
 まあ、別に構わないが。

 「あ、こんな時間! 石神さん、ご馳走様でした!」
 「いいよ」

 柳は昼食の支度で上がって行った。
 双子が結構忙しいので、亜紀ちゃんと柳が昼食を作る。

 俺は目を閉じて、椅子に座ったままで少し寝た。
 


 夢を見た。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 俺は渋谷からバスに乗って、魚籃坂へ向かっていた。
 古くからある弓具店へ行くためだ。
 夏休みに奈津江と銀座のデパートでアルバイトをし、結構な金が手に入った。
 以前から先輩たちに自分の弓をそろそろ持てと言われていた。
 先輩からの情報で、Y弓具店に戦前の肥後三郎のいい竹弓があると聞いた。
 電話で予約し、その弓を見せてもらうことになっていた。

 今はグラスファイバーの弓が主流で、特に学生は金が無いのと手入れが簡単なので、多くがグラスファイバーの弓を使っている。
 うちの弓道部もほとんどがそうだった。
 佐藤先輩は本格的な竹弓を持っており、時々貸してもらった。
 振動が全然違う。
 グラスファイバーの弓は振動が強く、手の中でヘンな暴れ方をするのが分かった。
 しかし、竹の弓は矢を射るために動くのだと感じた。
 上手く射ると、振動が気持ちいい。
 幾つかの構造を貼り合わせているために、そういうことになるのだということも分かった。
 グラスファイバーの弓は、ただ型に流し込むだけだ。

 バスなどほとんど乗らない俺は、気を付けていた。
 魚籃坂も初めてだ。
 先輩に描いてもらった地図を頼りに、バス停から歩いた。
 三田と高輪の間にある土地だが、都内にしては特色の無い場所だった。
 ビルは多いが、それほど高いものは少ない。
 ランドマークがほとんどない。
 先輩の地図も曖昧で、俺は道に迷った。

 弱った俺は、道を歩く人に尋ねてみた。

 「この辺にY弓具店という店があると思うんですが、ご存じありませんか?」
 「ああ!」
 
 日傘を差した着物姿の女性だった。
 そういう服装なので、この辺りの人と俺は思った。

 「知ってますよ」
 「良かった! 教えて頂けませんか?」
 「御案内しますよ」
 「え!」
 「どうぞこちらです」

 綺麗な人で、年齢は40代前後。
 9月でまだ暑い盛りで、白地に青いススキと黄色のスペクタピリスの鮮やかな花が背中から垂れている。
 歩き出した女性に礼を言い、「石神高虎」だと名乗った。

 「高虎さん、素敵なお名前ですね」
 「ありがとうございます!」

 俺は歩きながら大学で弓道をやっており、今日はY弓具店で弓を見せてもらうのだと話した。

 「そうですか。でも、高虎さんは弓よりも剣の方でしょう?」
 「はい?」

 生憎剣道はやっていないと話した。
 女性が笑った。

 「そうですね、もう御身の中にありますものね」
 「はぁ」

 よく分からないことを言う人だった。
 でも不思議と話していて楽しい人だった。
 だからいろいろな話をした。

 「喧嘩がお好きでしょう?」
 「え! 参ったな。まあ、そうなんですが、そう見えますか?」
 「それはもう。高虎様から戦いを取ったらもう。まあ、お優しいですけどね」
 「なんですか?」

 本当に分からないことを言う人だったが、俺のことを褒めてくれるので気持ちが良かった。
 ベタベタした、お愛想の褒め方ではなく、本当に俺の本質を見抜いて褒めてくれるからだ。

 少し長いこと歩いていた。

 「あの、まだですかね?」
 「もうすぐですよ」

 用事を済ませて食事でもして帰ろうと思っていたが、もう昼を回ってしまった。
 おかしい。
 長くは歩いたが、まだ20分程度の間隔だった。
 でも、時計は既に1時を過ぎていた。



 そのことに、俺は不思議とも思っていなかった。
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