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桃の枝 Ⅱ

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 「お前、身体の具合はどうだ?」

 院長はベッドで横になっている静子さんに聞いた。

 「はい、すみません、まだ起きれそうにもなくて」
 「いいんだよ! ちゃんと寝て休んでくれ!」
 「申し訳ありません」

 院長が忙しくしている間に、静子さんは子どもを流産した。
 まずは養生と思って黙っていたが、静子さんが執拗に聞くので、もう子どもは産めないことを話した。
 静子さんは乱れることもなく、ただ院長に謝った。
 静子さんはどれほど辛かったことか。
 院長のために子どもを産むことが妻の最大の役目と思っていた。
 当時はそういう時代だ。
 やっと最初の子を身ごもったのに、それを喪ってしまった。
 そして静子さんが願う最大の役目を果たせなくなってしまった。
 不注意でも何でもなかったのだが、静子さんは自分を責めていたのだろう。
 院長も忙しい身体で静子さんの体調を見逃していたことを強く後悔していたのだが。

 静子さんはしばらく入院し、院長は毎日顔を出した。
 自分の病院では他の人間にも知られてしまうので、最初に運ばれた家の近くの病院にそのまま入院させた。
 その方が静子さんも精神的に楽だっただろう。
 院長は多忙ではあったが、なるべく毎日病院に顔を出した。



 「俺はズボラで料理など一切出来ない。リンゴの皮を剥いてやることすら出来なかった」

 院長は後に俺にそう語っていた。

 「いつも丸かじりですもんね」
 「石神!」



 院長は静子さんの少しでも慰めになればと時々花を買って行き、慣れない手で花瓶に活けた。
 多分ただ突っ込んだだけで、静子さんが後で直していただろうことは想像出来る。
 今も昔も、互いの思いを大切にする夫婦だ。

 1週間が過ぎ、そろそろ退院をと考えられた頃。
 まだ静子さんは精神的に参っていた。
 二日前には泣きながら院長に謝り、離婚して欲しいとさえ言った。
 もちろん、院長は断り、静子さんと死ぬまで一緒にいるのだと言った。
 静子さんがそれまで見せたことの無いほどに激しく泣いた。
 恐らく、あの人が乱れたのはその時だけだっただろうと俺は思う。

 院長がその日は他の花と共に、桃の蕾花の枝を持って行った。
 細長く茶紙に包まれたものを見て、静子さんが院長に尋ねた。

 「あの、その包はなんですか?」
 「ああ、花屋に寄ったらなんだか可愛らしい花を見つけてな」
 「そうなんですか」

 院長はもちろん花のことは分からない。
 だから毎回店員に頼んで見繕ってもらっていたことは、本人も静子さんに話していた。
 その院長が「可愛らしい」と思って買って来た花。
 静子さんはそのことで、きっと嬉しかっただろうと思う。

 院長がいつものように花を替えるために花瓶をもって水場へ行った。
 花瓶を洗い、新しい水を入れて来る。
 静子さんのために、そういうことを覚えた。
 病室で院長は他の花を入れて、茶紙の包みを解こうとした。
 セロハンテープをはがし、軽く縛ってあったヒモをハサミで切った。

 「あ!」

 中にあった枝が勢いよく弾けて、その力で茶紙を解いてしまった。
 桃の花だった。

 「あー! 店員の人に気を付けるように言われてたんだったー!」
 「まあ」

 強い枝だったようで、弾ける力が強くて、桃の蕾はほとんど落ちてしまっていた。
 桃の蕾はみんな弱い。

 「ちくしょう、失敗した」

 申し訳なく思い、院長は静子さんを見た。
 折角静子さんに喜んでもらおうと思ったのに、不注意で台無しにしてしまった。
 静子さんは驚いて見ていたが、やがて可笑しそうに笑った。

 「ウフフフフ! あなたがびっくりされてますよ」
 「あ、ああ。そうだな」
 「ウフフフフ」
 「アハハハハハハ!」

 二人で笑った。
 塞ぎ込んでいた静子さんがやっと笑ってくれた。

 院長は涙が零れて来たので、静子さんに背を向けて一生懸命に蕾のほとんどなくなった桃の枝を活けた。
 しばらく時間が掛かった。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 その後、俺は院長夫妻から養子縁組の話をされた。
 断ったが、内心俺の中では複雑だった。
 お袋が死に、俺は天涯孤独となったと思っていた。
 そこへ、俺の最愛の二人が俺にそんなことを言ってくれた。
 そして、その夜に静子さんが休まれた後で、院長と長く話した。
 その時に、静子さんが流産したことと共に、あの桃の枝の話を聞いた。

 そういうことを亜紀ちゃんと柳に話した。

 「そうだったんですか」
 
 亜紀ちゃんと柳が悲しそうな顔をしていた。

 「3つだったそうだ」
 「え?」
 「桃の蕾だよ。3本の枝の1本だけで、下の方でやっと3つだけ残っていたそうだ」
 「ああ!」
 「その3つの蕾はちゃんと花を咲かせてな。それを見て静子さんが元気を取り戻して退院した」

 二人が俺を見ていた。

 「その枝を今も大切にしているんだな」
 
 柳がしんみりして言った。

 「静子さんを元気づけてくれたからですね」
 「そうだ。そして俺は思うんだ」
 「はい?」
 「院長と静子さん、そして生まれることが出来なかった子ども。その花が咲いたかのようにな」
 「あ!」

 俺にも分からない。
 院長と静子さんが、それぞれにどのように感じていたのか。

 「後にガラス工芸の人と俺が知り合ってな」
 「ああ! あの早乙女さんの家に贈ったランプの所の!」

 亜紀ちゃんが叫んだ。

 「そうだ。あそこに俺が頼んで、桃の枝のケースを作ってもらった。今はそのケースに入れているよ」
 「タカさん! いいことやったぁー!」

 俺は生意気だと亜紀ちゃんの頭を引っぱたいた。
 亜紀ちゃんがすいませんと謝った。
 柳が笑った。

 無理を言って、台に普通は手に入らない桃の木を使ってもらった。
 俺が木場の銘木店に頼んで入手した。
 今も大きな桃の樹木だった台の上に、細い枝が横たわっている。
 
 


 お二人が毎日見てくれているだろう。
 それだけで俺も嬉しい。
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