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《デンドロビューム》

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 「紅六花ビル」から家に戻ったのは、午後1時半だった。
 子どもたちが荷物を運び、片付けて行く。
 昼食は途中のサービスエリアで済ませている。

 「タカさん、お昼どうしよっか」

 言ったハーの頭をはたいた。
 まあ、喰うなとは言わない。
 好きにすればいい。
 響子は六花に連れられ、俺のベッドで少し眠る。
 ロボも吹雪も一緒だろう。
 多分六花も。

 「石神さん」

 柳が来た。

 「これから顕さんの家に行こうと思います」
 「おい、帰ったばかりなのにかよ」
 「大丈夫ですよ! 運転はずっと石神さんがして下さいましたし」
 「じゃあ、俺も行こうかな」
 「はい!」

 柳が嬉しそうに笑った。

 「じゃあ、お庭のデンドロビュームを少し頂いていいですか?」
 「もちろんだ!」

 奈津江が好きだった花だ。
 だから庭にも花壇を作っている。
 うちのものは、奈津江が好きだった紫色の花だ。
 柳が花ばさみを持って庭に出た。
 俺も一緒に行く。
 いい感じに咲いているものを切り、切り口を湿らせたタオルで巻いてその上からアルミホイルをまた巻いた。

 「他のお花はどうしましょうか」

 俺は花ばさみを受け取って、庭の幾つかの花や枝を切った。
 同様に巻いて支度をする。
 柳がアルファードを出した。





 「奈津江さんはデンドロビュームがお好きだったんですよね?」

 運転しながら柳が俺に聞いて来た。
 運転も随分と上手くなっている。
 俺に話し掛けながら、余裕をもって操縦していた。

 「ああ。もちろん他の花も好きだったけどな」
 「特別だったんですか?」
 「そうだな」

 柳がもっと聞きたがっているのが分かった。
 まあ、こいつには顕さんの家も奈津江の墓も世話になっている。

 「お母さんが好きだったようだよ」
 「そうなんですか!」

 俺は柳に話してやった。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 奈津江は小学校5年生の時に母親を亡くした。
 4月の初めに突然倒れ、そのまま意識を取り戻すことなく2週間後に亡くなった。
 脳溢血だったようだ。
 ほとんど母親と過ごしていた奈津江は、突然の死に大きなショックを受けた。
 しばらくは呆然として過ごした。
 父親は葬儀には帰って来たが、忙しい商社マンのため、すぐにまた出て行った。
 南アフリカで自動車の販売を始めたばかりで、妻の葬儀とはいえゆっくりとは出来なかった。
 大学を卒業して顕さんは都内にマンションを借りていた。
 だが、奈津江のために実家へ戻り、奈津江の面倒を見るようになった。
 しかし顕さんの帰りはいつも遅い。
 奈津江は昼間はずっと一人で過ごしていた。
 寂しさで押しつぶされそうになっていた。
 そしてそのことを誰にも話せずにいた。

 当初は顕さんが夕飯を近所の親戚に頼んでいた。
 奈津江は口には出さなかったが、ほとんど食事に口を付けることはなかった。
 一人で食べる夕飯が、堪らなく嫌だった。
 寂しかった。
 悲しかった。
 顕さんと一緒に食べる朝食と学校の給食が全て。
 給食も残すことが多かった。

 夕飯を残していると顕さんが心配する。
 だから庭に捨てるようになった。
 その日も皿を持って庭に出た。
 6月の初旬。
 温かくなった庭に出ると、ほんの少し奈津江の気分が晴れた。

 「叔母さん、ごめんなさい」

 そう言って庭に穴を掘ろうとした時、一凛だけ咲いている花に気付いた。
 紫色の可愛らしい花。

 「あ!」

 思い出した。
 母親が好きだったデンドロビュームだった。

 「うちの庭にも咲いてたんだ」

 全然知らなかった。
 時々母親は花を買って帰り、テーブルに活けて楽しそうにしていた。
 その日は鉢植えだった。




 「奈津江、このお花はデンドロビュームっていうのよ」
 「そうなんだ」
 「私がね、一番好きな花」
 「へぇー!」

 奈津江もその花が綺麗で可愛らしいと思った。
 紫色が花弁の外側を彩って、内側の白へ段々と淡く変化していく。

 「綺麗だね!」
 「そうよね!」

 母親も喜んだ。
 二人でいつまでも眺めた。




 「あの花だ。どうして一本だけ……」

 ずっとその花を眺めた。
 あの日、母親と一緒に眺めたことが思い出されたからだ。
 眺めていれば、あの時の母親と繋がっているような気がした。

 「奈津江?」

 いつまでそうしていたのだろう。
 兄の顕さんが帰って来て、庭にいる自分を見つけた。

 「お兄ちゃん!」
 「何をしているんだ?」
 「え?」

 奈津江は夕飯の皿を脇に置いていた。
 恐らく顕さんはそれを見て、奈津江がやっていたことを悟った。
 しかし、それを咎めることは全く無かった。

 「奈津江、中へ入りなさい」
 「う、うん」

 奈津江は皿を隠すことも出来ず、そのまま家の中へ入った。
 顕さんが皿を持って洗った。

 「明日から僕が家に帰るから」
 「え?」
 「一緒に夕飯を食べよう」
 「え!」

 顕さんが微笑んで奈津江を見ていた。

 「だって、お仕事が……」
 「大丈夫だよ。一度帰るだけだから。奈津江と一緒に食べたら、また会社に戻ればいいよ」
 「でも、それじゃお兄ちゃん……」

 顕さんが奈津江を抱き締めた。
 奈津江は泣き出した。

 「ごめんね。僕な何も気づかなかった」
 「お兄ちゃん……」
 「奈津江が一番大事なんだ。他のことはどうでもいいんだ」
 「うん……」

 落ち着いた奈津江を座らせ、顕さんは簡単な夕飯を作った。
 奈津江は喜んで食べた。

 「お兄ちゃん、庭にデンドロビュームが咲いてたの」
 「ああ!」
 「全然知らなかった。お母さんが大好きなお花だったのよ?」
 「知ってる。そうか、やっと咲いたんだ」
 「え?」

 顕さんが奈津江に話した。

 「前にさ、奈津江に見せたら大喜びだったって聞いたよ。自分も一番好きな花だったから、嬉しかったんだって」
 「そうなの!」
 「だからさ、母さんは庭で育てようと思ったんだよ。去年の秋頃だったかな」
 「え!」

 奈津江は驚いていた。

 「でも、ちょっと難しいらしくてね。うちの庭との相性もあるようで。鉢植えだったら出来そうだったんだけど、庭で育てたいって母さんは考えたんだ」
 「どうして?」
 「一杯咲かせて、奈津江を喜ばせたかったんだって。だから咲いてから驚かすつもりで黙ってたんだよ」
 「!」

 奈津江が大泣きした。

 「今年はダメだったって言ってた。でも、ちゃんと咲いたんだな」
 「うん!」

 泣きながら奈津江が返事をした。

 「咲いたよ! お母さん! 咲いてるよ!」
 「ああ、そうだな」

 二人で庭に出た。
 美しいデンドロビュームを二人で眺めた。

 

 後から奈津江も自分で調べて、デンドロビュームが3月から5月に咲く花だと知った。
 季節外れのあの一輪は、奈津江に特別な思い出を与えた。
 まるで母親が自分を元気づけるために会いに来てくれたかのように……




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 「おい! 泣いてんじゃねぇ!」

 柳がハンドルを握りながら大泣きしていた。
 脇に車を停めさせる。
 俺が運転を代わった。

 「危ねぇな、まったく!」
 「だって、石神さん……」

 俺は左手で柳の頭を撫でてやった。

 「まあ、流石に俺の奈津江だよな! 花一つにこんな思い出を持ってるんだからなぁ!」
 「はい」

 柳はまだ泣いていた。
 ハンカチで何度も目を拭っている。

 「石神さんは、お庭で咲かせたんですね」
 「あたぼうよ! 奈津江が一番好きな花で、そのお母さんが庭で咲かせて奈津江を喜ばせたいって思ってたんだからな!」
 「流石私の石神さんです!」
 「このやろう!」

 柳がやっと笑った。



 顕さんの家を簡単に掃除し、奈津江の墓に行った。
 二人で丁寧に花を活けた。

 「石神さんの一番好きは花はなんですか?」
 「柳だな!」
 「嬉しい!」

 柳が笑う。

 「まあ、全然パッとしねぇんだよなぁ、アレ」
 「え!」
 「ちっちゃいのが一杯咲くんだけどよ」
 「酷いですよ!」
 「ネコヤナギなんか、ロボも見向きもしねぇ」
 「もう!」

 柳が俺の腕を叩いた。
 昔、よく奈津江がそうしていた。

 「じゃあ帰るか」
 「はい!」

 夕飯はなんでしたっけと言う柳に、俺は大笑いした。

 「お前はそれでいいよ」
 「はい!」

 柳も微笑んだ。

 「あ!」
 「どうしたんです?」
 「今日はカレーだったはずだ!」
 「え! じゃあ急いで戻らないと無くなっちゃいますよ!」
 「だな!」

 二人で楽しく笑った。

 俺はアクセルを踏み込んだ。
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