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般若の男 Ⅱ

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 青が貸した金の取り立てを終えて事務所に帰る途中。
 ベンツを駐車場に入れて鞄を持つと、女の悲鳴が聞こえた。
 その方角を向くと、女が地面に倒れて、「カバンを返して」と叫んでいた。
 歩道を原付バイクが疾走し、こちらへ向かっている。
 青は立ちはだかり、バイクに乗った男の首筋にラリアットをかました。
 男が吹っ飛んで地面に叩きつけられる。
 股間を蹴って失神させた。
 手に握っていた布製のトートバッグを取り返し、女の所へ歩いて行った。
 可愛らしいチューリップのプリント柄の下に、縫い取りで女の名前が入っていることに気付いた。
 見た所30前の若い女性が、子どものような名入りのバッグで、青は奇妙に思った。
 何と無しに、名前を読んだ。
 
 《篠山明穂》

 「ほら、取り返したぜ」
 「ありがとうございます!」

 女は盗られた時に転んだせいで、膝を擦りむいていた。
 そして、女が折れた盲人用の白杖を握っていたのに気付いた。
 バッグに名前が入れてある意味が分かった。

 「あんた、目が悪いのか」
 「はい」

 青は女に手を貸し、立たせてやった。
 女が顔を上げ、また礼を言った。
 その時、青は全身が痺れるほどの衝撃を受けた。
 美しい女だった。
 長いストレートの髪。
 細く痩せた顔はやけに白く、鼻が高い。
 細い眉に広い額。
 誰かにやってもらっているのか、薄い化粧が清楚な印象を強めている。
 目は閉じているが、青が立たせた時に見開いた。
 美しい瞳だった。

 「あの、その辺にサングラスがありませんでしょうか?」
 「あ、ああ」

 青が探すと、車道の隅にサングラスを見つけた。
 落ちた衝撃で、レンズが割れていた。

 「見つけましたが、割れてしまったようです」
 「そうですか、ありがとうございます」

 女は受け取って、また礼を言い、割れたサングラスを指でなぞった。
 悲しそうな顔をした。
 青はその顔を胸が抉れるほどに痛々しく感じた。
 安そうなサングラスだったが、女にとっては大事なものだったことがよく分かる。
 自分のように好きに幾らでも買える人間ではない。
 警察が来て、二人でパトカーに乗って警察署へ行った。
 事情聴取を受け、女・篠山明穂は病院へ連れて行かれ、処置を受けた。
 随分と時間が経ち、やっと解放されたのは夜の7時だった。
 青はずっと付き添っていた。
 酷い目に遭った女を放っては置けなかった。

 「あの、良ければお送りしますよ」
 「でも……」

 篠山明穂は遠慮した。
 青のことは悪い人間ではないと思ってはいるが、何しろ初対面の男だ。
 警戒は当たり前だった。
 
 「杖が折れてしまって、お困りでしょう」
 「ええ、まあ」
 
 警察が送ってくれるとも思ったが、青は自分が家まで送りたいと思った。
 少しでも長く、篠山明穂と一緒にいたかった。
 何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな悲しい目に遭うのか。
 青はそのことに憤り、そして同情していた。
 篠山明穂もやがて、青を信頼しその申し出を受け入れた。
 青は自分のベンツを出し、清澄白河にある篠山明穂のアパートへ行った。
 古いアパートで、2階建ての1階に住んでいた。

 「どうぞ、お上がり下さい」
 「いいえ、ここで失礼しますよ」
 「あの、せめてお茶でも」
 「でも、女性のお宅に……」
 
 篠山明穂が微笑んだ。

 「どうぞ」
 「じゃあ、ちょっとだけ」

 車の中で、篠山明穂が一人暮らしなのを聞いた。
 目の不自由な人間が一人で暮らせるのかと、青は思った。
 お茶を頂きながら、少し話をした。
 自分の部屋の中では、目が見えないこともさして苦労ではないようだ。
 そのように生きて来た苦労を、青はまた思った。
 篠山明穂は現在事務系の仕事をしているそうだ。
 新橋の設計事務所でコピーやデータ入力などをしている。
 国や区から障害手当を受けているが、とてもそれでは生活出来ない。
 治療費も掛かるのだと聞いた。
 家族はおらず、親戚も疎遠だそうだ。
 青は篠山明穂がどれほどの苦労をして生活しているのかを思った。
 涙が流れた。

 「あの、柴葉さん?」
 「すみません。自分なんかが泣いたってしょうがないのに」
 「いいえ」
 「すみません」
 「いいえ」

 青が顔を上げると、篠山明穂が微笑んでいた。

 それから、青は時々篠山明穂の勤め先やアパートに顔を出し、帰りを送ったり何かを届けたりした。
 篠山明穂はしきりに遠慮していたが、青が強く言ってやらせてもらっていた。
 新たにサングラスと白杖を渡すと、涙を流して感謝した。
 やはり、生活は大変そうだった。
 そして、青の中で篠山明穂への思いが募っていった。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 「そういうことなんだ」
 「どういうことだよ!」

 親しくしているのなら、何が問題なのか。
 しかし、青は俺に縋った。

 「俺はよ、硬派でここまで来たんだ」
 「おう」

 単にヘンな面とヤクザな商売で女にモテないだけだろう。

 「お前と違ってな」
 「てめぇ! 俺に頼る気があんのか!」
 「す、すまん」

 青は、俺に篠山明穂とどうしたらいいのかと尋ねた。

 「お前はどうなりたいんだよ?」
 「一緒に暮らしたい」
 「!」

 青は真っ赤な顔で苦々しく俺を睨んだ。

 「俺はこんなだよ。こんな俺があんないい人と一緒になりたいなんてよ」
 「お前、人間の面じゃねぇもんな」
 「お前にやられたんだぁ!」
 「俺を殺しに来たんだから文句を言うなぁ!」

 俺たちが怒鳴るので、店の人間が静かにして欲しいと言って来た。

 「だったら、プロポーズしろよ」
 「……」
 「どうした?」
 「赤虎、お前、一緒に来てくれよ」
 「バカ!」
 「頼む!」

 「ピエロ」のヘッドとして散々暴れ回った青が、こんなにも小さくなっている。
 俺はバカバカしいと思いながらも、青の中の純情に触れてしまった。

 「お前、相手はカタギの人間だろう」
 「ああ」
 「お前は今の仕事を続けるのか?」
 
 まあ、そうでも俺は構わないと思うのだが。

 「いや、真っ当な仕事を探すよ」
 「お前がかよ?」
 「そうだ。明穂さんと一緒になれば、あんなヤクザな仕事は出来ねぇ」
 「ヤクザなって、お前ヤクザだろう?」
 「そうだけどな。そっちも足を洗うよ」
 「抜けられるのか?」
 「やる。俺は決めたんだ」

 「ふーん」

 青は覚悟を決めていた。

 「じゃあ、明日行くぞ」
 「どこへだ?」
 「バカヤロウ! 篠山明穂の家に決まってるだろう!」
 「明日かよ!」
 「俺は忙しいんだぁ!」
 「わ、分かった」

 俺たちは店を出た。
 二人で地下鉄に向かおうとしたが、青が俺を誘った。
 安い酒を飲ませただけで、青も心苦しかったのかもしれない。

 「赤虎、サウナに寄らないか?」
 「あ?」
 「お前、嫌いか?」
 「いや、別に。でもよ、俺の身体ってなぁ……」

 酷い疵だらけだ。
 
 「大丈夫だ。俺らが入っても文句の出ない店がある」
 「へー」

 何だか分からなかったが、暑い時期でもあり、サウナも行ってみたかった。
 俺は公衆浴場は避けていたからだ。





 路地裏にあるその店は、青の行きつけのようだった。
 料金は青が払ってくれた。
 二人で脱衣所で脱いだ。

 青は背中にでかい般若の顔の刺青を入れていた。
 ヤクザになるしか無かった男だ。
 その決意もあったのだろう。

 「……」

 俺は何も言わずに自分も脱いだ。

 「赤虎、お前やっぱすげぇ奴だったんだな」
 「ふん!」

 俺の身体に驚く青を無視して、サウナルームに入った。
 中にいた一般の人間が俺たちに驚くが、ここでは見慣れたものなのか、出て行くことは無かった。

 「お前、ギョクも喰らってたのか」
 「傭兵やってたって話したろう?」
 「あ、ああ」

 しばらく黙って熱に耐えた。
 やがて、青がポツリポツリと話した。

 幼い頃に母親を亡くし、父親一人に育てられた。
 グレた自分は父親に見放され、父親は真っ当な妹を可愛がった。
 自分も妹が可愛くて面倒を見た。

 「でも、あいつは死んじまった。俺にはもう何も残ってないと思ったよ」
 「そうかよ」

 そして篠山明穂に出会い、自分にもまだ何かがあることに気付いたと。
 俺にも同じような経験がある。

 「まあ、目が見えないんじゃお前の潰れた面も気にしないわな」
 「そうだな」

 言い返すと思ったが、青は笑っていた。
 背中の刺青も篠山明穂は気にしないだろう。




 サウナを出て、また飲みに行こうと言う青に、今日は早く寝ろと言った。
 明日の朝に篠山明穂に連絡し、話があると言っておけと伝えた。

 「分かった。明日は宜しく頼む」
 「おう!」

 青が地下鉄に降りて行き、俺はタクシーで帰った。
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