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代官山の喫茶店 Ⅱ

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 1時間もかけて代官山に着いた。
 期待以上に綺麗な街だった。
 本当にお洒落な店があちこちにある。
 俺たちは喜んで街を歩き、路地を探索した。
 綺麗なアクセサリーの店。
 高級ブティック。
 骨董品の店。
 ガラス細工の店。
 俺たちは覗いて回った。
 もちろん、一つも買えなかった。

 「おい、喉が限界だぞー!」
 「おう!」

 俺たちはお洒落な喫茶店を探した。
 外に洒落たメニュー台が大抵置いてあり、その金額にビビる。

 「なんでコーヒーが1500円なの?」
 「あ、前にネコのウンコのコーヒーが高いんだって聞いた」
 「え! みんなウンチコーヒーなの!」
 
 奈津江は「ウンチって言う派」だった。
 歩き回って、やっとブレンドが500円の店を見つけた。
 代官山だから店の雰囲気はいい。
 一杯500円という値段も、俺たちには高級だ。
 二人で頷き合って入った。

 「いらっしゃいませ」

 初老のマスターが迎えてくれる。

 「すいません、ここ一杯500円で間違いないですよね?」
 「ええ、そうですよ」

 マスターが笑顔で言った。

 「俺たち学生で、あんまりお金がなくて」
 「そうなんですか」
 「他のお店って、みんな1000円以上でしょ?」
 「アハハハハハ!」

 大笑いされ、奈津江に腕を殴られた。

 「どうぞ、こちらへ」
 
 カウンターに案内された。
 店内に他の客はいなかった。
 小さな店で、カウンターの他は小さなテーブルが4脚。

 「美男美女の学生さんだね」
 「エヘヘヘヘ」

 奈津江が喜んだ。

 「この辺に住んでるの?」
 「いいえ。代官山はお洒落な店が多いって聞いて」
 「歩いて来たんです」

 マスターがまた大笑いした。

 「どこから歩いて来たの?」
 「東大の駒場キャンパスからです」
 「ああ、東大生なんだ」
 「「はい!」」

 マスターが丁寧にコーヒーを淹れてくれた。
 豆を挽くことから始める。
 時間を掛けてくれ、いい香りの中で俺たちはゆったりと店の雰囲気を味わった。

 「僕はね、ここで30年この店をやってるんだ」
 「だからカッコイイんですね!」

 俺が言うと、マスターが笑った。

 「な、お洒落な街だからだよ!」
 「そうだね!」

 奈津江も同意する。

 「ありがとう。でも僕はこの街が大好きなんだ」
 「そうですよね!」
 「どこも高いけどね!」
 「おい!」

 奈津江が恥ずかしがる。

 「若い時にはみんなお金は無いよ。でも、それでいいじゃないか」
 「そうですね」
 「君たちは幸せそうに見えるよ」
 「「はい!」」

 コーヒーが出された。
 
 「美味しい!」
 「ほんと! 今までこんなに美味しいの飲んだことないよ!」
 「ありがとうございます」

 マスターがにこやかに礼を言った。
 あまりにもいい人だったので、話し込んだ。

 「あの、お金を使わないデートってありますかね」
 「アハハハハハ!」

 俺が聞くと大笑いされた。
 奈津江が俺の腕を殴る。
 俺は羽田空港へ行くとか今までのデートを話した。

 「ああ、羽田か。いいじゃないか」
 「そうですか!」
 「あと明治神宮とか」
 「あそこもいいね」
 「でもあんまりしょっちゅう行くんで、奈津江が小石の数まで数え終わっちゃって」
 
 マスターに爆笑された。
 その後で、中目黒や自由が丘などもいい街だと教えてもらった。
 奈津江と喜んで、今度行ってみると言った。

 「でもね、君たちは一緒にいれば、どこでも楽しいんじゃないかな?」
 「「はい!」」

 笑って奈津江と返事をした。
 コーヒーを飲み終え、是非また来ると約束した。
 本当に楽しい時間になった。
 代官山に来て良かったと言うと、マスターは嬉しそうに「是非また」と言ってくれた。




 翌月。
 夏休み前に、奈津江とまた代官山に行った。
 前に見なかった店を回り、二人で楽しんだ。
 少し小遣いを溜め、今度はブレンドではないちょっと高いコーヒーを飲もうと話した。
 ケーキも出来れば食べたいと。

 夕方まで街を回り、俺たちはあの喫茶店に向かった。
 奈津江はもう絶対にケーキも食べると決め、嬉しそうに俺に腕を絡めた。

 シャッターが降りていた。

 「あぁ、今日はお休みだったかぁー」

 奈津江が残念がった。
 店の前まで行くと、シャッターに張り紙があった。

 《喪中》

 二人で驚いた。
 隣のパン屋に入り、店主の男性に事情を聴いた。

 「五日前にね。突然倒れてそのまま。いい人だったんだけどねぇ」

 心臓発作らしかった。

 「奥さんも以前に亡くなられててね。お子さんもいなくて。寂しいねぇ」
 「そうだったんですか」

 俺たちは先月にお店に来て、本当に楽しく過ごしたのだと言った。

 「ああ、あんたたちだったのか! 里山さんね、なんか嬉しそうに話してたよ! 素敵な若いカップルが来たんだって。東大生でお金が無いから、ここまで歩いて来たってさ! 気持ちのいい二人で、随分と話し込んで楽しかったって」

 奈津江が大泣きした。

 「あんたたちかぁ。里山さんがね、喫茶店をやってると、ああいう人間に出会うからってさ。自分は幸せだよって言ってた。あんたたち、ありがとうね」
 「いいえ、俺たちは何も。マスターに本当に親切にいろいろ教えて頂いて」
 「うんうん、そういう人だったよね」

 もう葬儀は済んで、パン屋の店主が鍵を預かっていると言った。
 俺たちは特別に中へ入れてもらい、葬儀も終わった仏壇に案内された。
 綺麗な花に囲まれ、ご位牌と骨壺があった。
 遺影で、あの優しいマスターの里山さんが素晴らしい笑顔で写っていた。
 線香を上げさせてもらい、俺が般若心経を唱えた。
 奈津江は泣きながら手を合わせていた。

 「里山さん、若いあの二人が来てくれたよ。良かったね」

 店主がそう言い、俺も涙を流した。




 たった一度の出会い。
 でも、俺も奈津江も里山さんを忘れることは無かった。
 あの日以来、俺たちは代官山へは行かなかった。
 あの素敵なお店が変わってしまうのを観たくなかった。
 俺たちの心の中に、あのお店は永遠にある。

 俺の中で、いつでも奈津江と一緒にいたあの店を思い出せる。
 本当に楽しいひと時。
 俺たちの永遠の思い出。
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