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偽高虎

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 新人ナース研修の講演の翌日、火曜日。
 俺が6時で上がって帰ろうとすると、新人ナース3人が俺の部の前で待っていた。
 3人とも俺を見てニコニコしている。


 「よう、どうしたんだ?」
 「今日はどちらでご馳走してくれるんですか?」
 「もう、一日中楽しみで!」
 「もう帰れるんですよね?」

 「なんだ?」
 「え、今日の午前中に、銀座で食事をしようって誘って下さったじゃないですか!」
 「あ?」

 そんなことはしていない。
 大体、今日は朝の8時からオペだった。
 交通事故で運ばれた患者の緊急オペだったのだ。
 昼過ぎまで、俺はオペ室にいた。
 そういうことを話すと、3人が驚き、反発した。

 「だって、石神先生が確かに!」
 「3人で見たんですよ?」
 「折角楽しみに待ってたのに!」

 3人は信じなかった。
 俺は一江を呼んで、俺がずっとオペだったことを話させた。
 最初は俺が誤魔化しているのかと疑っていた3人も、一江が本気で怒り出すとやっと納得した。

 「部長は他のナースを誘って食事になんか行かないの! あのね、もしそんなことをしてたら、この病院は大混乱になるのよ? 分かるでしょう! みんなが一日中部長を追い掛けることになる。そんなこと、部長がするわけないでしょう!」

 3人は謝ってきた。
 俺も別に怒っているわけではない。

 「君たちが嘘を言っているとは全く思っていないよ。本当に誰かに言われたんだろう。どういうことかは俺には分からんけどな」

 新人ナースたちにはそれしか言えなかった。
 俺は3人にオークラのロビーで待っているように言った。
 一江は文句を言いたげだったが、俺は後から行き、3人と「ベルエポック」で食事をした。
 3人は喜んでくれ、また俺に礼を言って来た。

 食事をしながら、俺の子どもたちの話をし、大爆笑させた。
 そして、3人を誘った「俺」についての話を聞いた。

 「本当に石神先生だったんですよ!」
 「どんな服装だった?」
 「スーツでした」
 「どんなスーツだ?」

 色と柄などを聞いた。
 
 「俺のスーツはいつもブリオーニやダンヒルのビスポークが多いんだ。波動が違うからな」

 立ち上がってよく見せた。
 3人が言われてみると、全然違うと言っていた。

 「靴も磨き上げている。靴はラッタンジーやベルルッティが多い。時計も高級だ。今日はランゲ&ゾーネだけどな。見れば分かる。今後は注意して見てくれ」
 「「「わかりました!」」」
 
 何しろ顔や髪型はそっくりだったようなので、他に見分け方は言えない。

 「声や喋り方はどうだった?」
 「お声は石神先生のままでした」
 「喋り方は……食事をお誘い頂いただけなので、あまり分かりません」
 「そうか」

 俺はナースたちに言った。

 「今度俺に話し掛けられたら、「言われた通りに結核の患者さんに、ミノファーゲンの内服薬を処方しました」と言ってみてくれ」
 「はい、ミノファーゲンですね?」
 「そうだ。俺が「それでいい」と言ったら、すぐに俺か俺の部へ連絡してくれ」
 「分かりました!」

 ミノファーゲンは肝硬変の患者への治療薬であり、しかも注射薬だ。
 医師として、間違えるわけはない。
 俺は容姿だけを似せた偽物と考えていた。
 俺たちは食事を終えて店を出た。

 「石神先生! ご馳走様でした」
 「ああ、またいつかな」
 「「「はい!」」」

 3人は喜んで帰って行った。

 家には8時頃に着いた。
 子どもたちをリヴィングに集めた。

 「どうも俺の偽物が出たらしい」
 「「「「!」」」」

 病院で新人のナースたちが俺の偽物に誘われた話をした。

 「姿形は俺にそっくりらしい。服装まで真似できてるかは分からん。だけど十分に注意しろ」
 「「「「はい!」」」」
 「多分妖魔か何かだ。不意に俺に会ったら、疑ってかかれ!」
 「「「「はい!」」」」

 厄介なことになった。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 4月最後の土曜日午前10時。

 「石神さん!」

 俺は伊勢丹の近くで石神さんのお姿を見掛け、挨拶した。

 「よう」
 「今日は伊勢丹ですか?」
 「ああ、ちょっと観たいものがあってな」
 「そうですか。お車じゃないんですね」
 「たまにはな」
 「はい、何かあったらいつでも仰って下さい」
 
 俺は頭を下げて立ち去ろうとした。

 「おい」
 「はい?」
 「これからヒマか?」
 「すいません、安藤の見舞いに行くことになってまして」
 「そうか」
 「石神さんの見舞い、喜んでましたよ」
 「いや、俺なんかで良ければいつでも顔を見せるさ」
 「はい?」
 「なんだ?」
 「いいえ」

 俺はそのまま立ち去った。
 違和感を覚えた。
 俺はキャバ嬢を庇って腕を骨折した安藤へ、石神さんが多額の「見舞金」を渡したことを話した。
 でも、石神さんは自分が病室へ見舞いに行ったと言った。
 おかしい。
 それに、今日の石神さんは随分と普通の格好をしてらっしゃった。
 あのお洒落の塊のような石神さんが、だ。
 ジーンズにスニーカーだった。
 伊勢丹のメンズ館へ行くのに、石神さんはあんな服装でいらっしゃるのだろうか?

 (俺の名前を一回も呼ばなかった)

 それも不思議と言えばそうだ。
 石神さんは、俺なんかにもいつも気さくに話して下さる。
 俺が新宿のシマを取り仕切っているのを知っていて、会えば必ず「貝原、変わりはないか」と聞いて来る。
 今日は聞かれなかった。
 
 若頭の桜さんには、何か少しでも変わったことがあれば報告するように言われている。
 どんな些細なことでもだ。
 石神さんの敵は恐ろしい連中だ。
 小さなことを見逃して、とんでもないことになりかねない。
 
 桜さんに電話をした。

 「貝原か。何かあったか?」
 「はい、実は……」

 桜さんに石神さんと新宿の伊勢丹近くでお会いしたことを話した。
 安藤の見舞いの件での話の食い違いや、石神さんの服装のことなどを話した。

 「そうか、よく報告してくれた」
 「はい」
 「俺から石神さんへ話しておくよ」
 「はい、お願いします」

 桜さんも何か感じられたようだった。
 でも、あれは確かに石神さんだった。
 どういうことかは分からない。

 俺は安藤の見舞いに行き、やはり石神さんは来ていないことを確認した。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 みんなで朝食を食べ、亜紀ちゃんがまだ興奮していた。

 「夕べの『虎は孤高に』! いよいよ鬼愚奈巣との抗争ですよー!」

 みんな笑っている。
 みんなで楽しみに観ているが、亜紀ちゃんの興奮度は頭一つ抜けて高い。

 「保奈美さん! やっぱいーなー! 最高の人ですよね!」
 「亜紀ちゃん、もういいよ。俺が恥ずかしいよ」
 「ワハハハハハハ!」

 夕べは倍の人数のいる暴走族「鬼愚奈巣」との前哨戦だった。
 俺のために必死で情報を集める保奈美が、敵に掴まり、俺に助け出される所で終わった。
 保奈美が自分を犠牲にして仲間を逃がし、喧嘩の弱い武市が保奈美のために恐ろしい集団に突っ込んで行った。
 暴走族の抗争だが、その中に確かにあった美しいものが画面から流れて来た。
 いつまでもドラマのことで興奮している亜紀ちゃんをみんなで見ていると、桜から電話があった。

 「よう、どうした?」
 「実は……」

 貝原が俺に先ほど会ったという話をされた。
 もちろん、出掛けていない。

 「石神さん、それじゃやっぱり」
 「ああ、数日前にもうちの病院でナースが俺の偽物を見ているんだ。服装はどうだった?」
 「それがジーパンにスニーカーだったようで。上は白のTシャツです」
 「なんだよ、そりゃ! 裸の方がマシだろう!」
 「アハハハハハ!」

 別にそういう格好でもいいのだが。
 
 「一応重要な連中には知らせているんだがな。お前らはどうでもいいから教えなかった」
 「アハハハハハ!」
 「まあ、今後は注意させてくれ」
 「分かりました」

 俺の周辺の人間を狙うもののはずだ。
 だからナースや子どもたち、御堂や早乙女にも注意させていた。
 最初にナースを誘い出したことから、洗脳なりをするつもりなのだろう。
 千万組では俺に接近出来ない。
 それに、あいつらは「芝居」が出来ない。
 そういうことで、桜にも連絡はしていなかった。
 今回出会ったのは偶然だろう。
 偽物も、貝原を誘いもしなかった。

 ならば、偽物はあそこで何をしていたのか。
 子どもたちに、また俺の偽物が現われたと話した。



 
 子どもたちが全員、獰猛な顔で笑った。
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