富豪外科医は、モテモテだが結婚しない?

青夜

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グラスの音

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 お茶を飲み終える頃、「ブロード・ハーヴェイ」の総支配人と、今回の企画を立てた脚本家が来た。
 本格的なことは明日からの予定だが、まずは挨拶ということだろう。
 事前に静江さんに腕のいい通訳を頼んでいたが、まだ来ない。
 緑子は英語はさっぱりだし、俺の英語は真面目な人が激怒する。
 亜紀ちゃんが一番出来るが、やはり専門の人間が必要だ。

 「あの、通訳の方は?」
 
 俺が静江さんに聞くと、自分を指差していた。

 「はい、ここにおりますよ!」
 「……」

 「あら、突っ込んで下さらないのね?」
 「あのですね」

 静江さんが是非自分でやりたいのだと言った。
 レイのためだろう。
 この企画を是非成功させたいのだ。

 「しょがないですね」
 「はい!」

 静江さんが笑った。
 俺と緑子が挨拶し、名刺を交換した。
 俺たちは今回のために英文での名刺を作っている。
 これからいろいろと配る可能性があるからだ。
 亜紀ちゃんは俺の娘とだけ紹介する。

 総支配人と脚本家が俺の脚本を素晴らしいと言い、また緑子の美しさを褒め称えた。
 緑子がたちまち微笑んだ。
 やはり欧米の人間は、こういう所が非常に上手い。

 「緑子さんの劇団の方から、舞台の映像を頂きました。本当に素晴らしい!」
 
 字幕付きのようだった。
 頑張ったのだろう。

 「言葉が喋れなくなってからのミス・ツボウチの演技は本当に素晴らしい」
 「あれは石神が考えてくれたんですよ」
 「はい」

 緑子が自分から、あの脚本が出来た経緯を話した。
 今一つ上に上がれなかった自分のために、俺が書いてくれたのだと。

 「こいつ、私のために一生懸命にやってくれたんです」
 「そうだったんですか!」
 「私、気が強くて共演者と上手く芝居が出来なくて。それで、喋らない人間を石神が」
 「なるほど!」
 「驚きました。そんな発想があるなんて! すぐに劇団の人に脚本を読んでもらいました。そして上演が決定したんですが、石神はお金はいらないと」
 「え? それではお困りでしたでしょう?」
 「そうなんですよ。だから何か無いかと聞いたら、こいつ、私の主演を約束してくれって! たったそれだけだったんですよ!」
 「「!」」

 「いや、ちゃんと100万ドルもらったじゃん」
 「あげてないわよ!」

 俺のジョークに緑子が真面目に反応し、みんなが笑った。

 「ミスター・イシガミ。私共はちゃんと100万ドルをご用意してますから」
 「だからいりませんってぇー!」
 「「ワハハハハハ!」」

 緑子の緊張も解けたようだった。
 緑子は主演女優のサンドラ・カーンのことを聞いた。

 「カーンもこの脚本を気に入ってましてね。先日、先ほどの上演の映像を見せたら、やっぱり感動していました。早く自分でも舞台でやりたいと」
 「そうですか! でも、私などが演技指導などほとんど出来ませんよ」
 「いいえ! カーンもあなたの演技を観て、ミス・ツボウチを待ち望んでいます。あなたにいろいろと聞きたいそうです」
 「そうですか。何かお役に立てればいいのですが」
 「御心配なく。気位は高い人間ですが、演技のことでは常に謙虚に追い求める人間です」
 「精一杯に勤めさせて頂きます」

 二人が帰り、緑子がため息を吐いた。

 「あー、本当にやるのね」
 「そのために来たんだろう」
 「石神、今日はちょっと飲むから付き合ってね」
 「分かったよ」

 



 夕飯はまたロドリゲスの渾身の料理だった。
 俺たちはイタリアンだが、亜紀ちゃんは当然のようにステーキ大会だ。
 絶品の魚介類のパエリアを食べながら、ステーキを次々に口に入れて行く。
 緑子も大笑いしていた。

 「相変わらずね」
 「進化したよ」

 夕飯の後で、静江さんが屋敷内の静かなバーラウンジに招待してくれた。
 俺も初めて入った。

 「石神さんはいつも外に飲みに行かれますものね」
 「ええ、子どもたちが一緒なことも多くて、いつも食堂ですからね」

 ゴシック風の窓がある、落ち着いた部屋だった。
 100平米ほどで、テーブルが今は一つしか出ていない。
 重厚なメイプルの一枚板だ。
 8人掛けほどの大きさで、落ち着いて飲める。
 バーテンダーもいる。

 緑子がカクテルを頼んだ。
 指定は無かったが、バーテンダーはすぐにエメラルドクーラーを作って来た。
 「緑子」という名前の意味を聞いていたのかもしれない。
 俺はジントニックを濃いめで頼み、亜紀ちゃんも同じものにさせる。
 静江さんはダイキリを頼んだ。

 静かに飲み始める。

 レイの話になった。
 静江さんがレイとの出会いからの話をする。

 「御両親が突然に事故で亡くなったんです。それからうちで引き取って、レイは頑張ったわ」
 
 大学を飛び級で卒業し、海軍に入ったが、そこで嫉妬されてロックハート家に戻った。
 
 「セブンスターという船をレイが作ったんだ。ジェットエンジンで高速航行するというな。最初に俺が見た時にバカにしたんだよ。随分と怒っていたよなぁ」
 「怒ってたのではなく、ショックだったんですよ。大好きな石神さんにバカにされたんですから」
 「アハハハハハ!」

 俺は双子が漂流し、ロックハート家に助けられたと話した。

 「あのルーちゃんとハーちゃんが!」
 「ああ、まあ詳しいことは話せないんだが、拉致されたようでな。メキシコに放り出されて、自力でアメリカへ辿り着いた」
 「エェー!」
 「逞しいんだよ、あいつらは。それで不法入国だったんだけど、ロックハート家の方々が何とかしてくれてな。その時に日本へ送り届けてくれたのが、レイだったんだ」
 「そうだったの!」
 「それから静江さんが俺の家に寄越してくれてな」
 「え、どうして?」

 静江さんが笑顔で言った。

 「レイは石神さんに一目惚れだったんですよ」
 「石神!」
 「まあ、変わった女だったからな」
 「石神! あんた!」

 静江さんがまた笑いながら言った。

 「レイが言っていたの。「恋をするために日本へ来た」って。ね、石神さん?」
 「ああ、言ってましたね」

 俺はまだ胸が疼いたが、緑子は微笑んでくれた。

 「まあ、分かりますよ。石神は魅力的ですからね」
 「お前にはフラれたけどな!」
 「あんたみたいなのは、私には無理よ!」
 「俺もだよ!」

 腕をはたかれた。

 「俺にはもったいないくらいのいい女だった」

 俺がそう言うと、緑子が俺を見詰めていた。

 「あんなにいい女は他にいない。いつでも俺のために一生懸命だった。俺は一生忘れない」
 「石神、あんたもレイが好きだったのね」
 「当たり前だ。レイは俺にとって特別だ。奈津江と共にな」
 「あんたも、なかなか幸せになれないね」
 「そうだな」

 静江さんも誰もいない空間を見ていた。
 レイはこの世にはもういない。
 俺たちは、何もない場所を観るしか無かった。

 「レイに乾杯!」

 亜紀ちゃんが言った。
 俺たちはグラスを合せた。





 小さなグラスのぶつかる音がして、その澄んだ美しい音はすぐに虚空へ消えた。
 しかし、俺たちはその幽かな音を忘れない。
 決して忘れることは無い。
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