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CD録音 Ⅴ
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俺たちの演奏が終わり、技師たちが出て来た。
みんなが拍手してくれる。
西木野さんは泣きながら思い切り拍手をしてくれた。
「素晴らしかった! 最高だった! 俺は生きていて良かった!」
「そんな、最後までお付き合い下さってありがとうございました」
他の方々からも、お褒めの言葉を頂いた。
「素晴らしい演奏でした! 最高の音が録れましたよ!」
そう技師のトップの方から言われ、俺は頭を下げた。
「僕は以前に西平貢さんのレコードも録音しましてね。あの時以上の興奮です」
「いえ、そんな。貢さんは最高ですから」
全員が握手を求めて来た。
「徳川先生、大丈夫ですか?」
「ええ、もう思い残すことは無いわ」
「辞めて下さいよ!」
みんなが笑った。
橘弥生が嬉しそうに笑顔でいた。
こんなに優しい顔は見たことがない。
「橘さん、本当にありがとうございました」
「いいえ、私の方がお礼を言う立場だわ。トラ、よくやったわ。本当に最高だった」
「橘さんの演奏こそ。何度も打ちひしがれそうになりましたよ」
俺がそう言うと、橘弥生がまた嬉しそうに笑った。
「私も全力を尽くした。さっきの演奏は音楽ではなかったわね」
「はい、俺も何も考えずに弾いていました」
「CDに入れるべきかどうか迷うわ。徳川先生、いかが思われますか?」
徳川さんは笑って言った。
「あなたたちがお決めなさい。あなたたちの音なのだから」
「そうですね」
また3時間くらい演奏していた。
橘弥生は2時間半から演奏を辞めていた。
全てを出し切ったのだろう。
そういうことも含めて、セッションと呼ぶには随分と歪だった。
それに、お互いの調和も考えていなかった。
それでも音楽的な形になっていたのは、お互いの音楽性だろう。
特に橘弥生の力だと俺は思う。
聴く人間は、どのように感じ、受け止めるだろうか。
まあ、俺はとにかくやり切った。
清々しい達成感のようなものさえあった。
「終わりましたね」
流石に疲労も溜まり、俺は帰って早く寝たかった。
もう、それしか考えられない。
しかし、橘弥生が信じられないことを言った。
「ええ。じゃあ、少し休んでから、トラの歌を録って行くわね?」
「ゲェッーーー!」
「なによ、トラ?」
「まだやるんですかぁー!」
「当たり前じゃない。あなたは歌も上手いって言ったわよね?」
「聴いてません!」
「タカさん、確かに橘さんが言ってましたよー」
「お前! 誰に育てられてるんだぁー!」
「アハハハハハ!」
亜紀ちゃんが明るく笑い、スタッフがコーヒーを淹れるのを手伝いに行った。
「トラ、このCDは世界中で称えられるわ」
コーヒーを待っている間に橘弥生が俺に言った。
「そんなことありませんよ。ド素人の演奏なんですから」
またコワイ顔になった。
「この私が言っているのよ?」
「分かりましたよー! すいませんでしたー!」
「もう!」
コーヒーが来た。
プラスチックのカップに入っている。
俺は砂糖とミルクを入れて飲んだ。
「タカさん、珍しいですね!」
「疲れたんだよ!」
そう言うと、亜紀ちゃんが砂糖のスティックを何本も抱えて来た。
「そんなにいらねぇ!」
でも、もう一本砂糖を入れた。
まだ糖分が足りない気がするが、最後の見栄で止めた。
「亜紀ちゃん、近くのコンビニでチョコレートを買って来てくれ」
「はーい!」
ダッシュで亜紀ちゃんが買って来る。
安いチョコレートだが、俺は3枚ほど食べた。
「トラ、太るわよ?」
「こんなに働くデブはいませんよ!」
またみんなが笑った。
7時から、また3時間以上録音した。
俺がギターを弾きながら歌った。
今回のギター演奏の曲を中心に歌ったが、他にもあればと言われ、好きなように歌った。
亜紀ちゃんがいたので『島原の子守歌』も歌った。
「それ、いいですよ!」
技師の人が叫び、亜紀ちゃんが喜んだ。
「トラ、歌詞まで全部覚えているのね?」
「そりゃ、歌が好きですからね」
「弥生ちゃん、こういう方なのよ」
「はい」
徳川さんに言われ、橘弥生も頷いていた。
11時になり、やっとすべてが終わった。
リテイクしたものはほとんど無かった。
「トラ、じゃあ全部聴き直すわよ?」
「ほんとに勘弁して下さい!」
橘弥生が笑って、じゃあ自分に任せるように言った。
「お願いしますってぇー!」
みんなが笑っていた。
橘弥生の冗談だったことが分かった。
本気で分かりにくい人だ。
この後、技師たちが音を調整していくらしい。
橘弥生はその工程の後で、もう一度聴くと言った。
本当にお任せすると俺は頼んだ。
片づけをしている間、俺と亜紀ちゃんは待たされ、全員で銀座の三井ガーデンホテルの『E VOLTA』へ行った。
橘弥生が予約していた。
全員では無いが、今回録音をして下さった技師やスタッフ、そして古賀さんと西木野さんも一緒に来た。
古賀さんはずっと興奮気味で、西木野さんはずっと泣いていた。
俺の隣に亜紀ちゃんと橘弥生が座り、前に古賀さんと西木野さん、それに技師のトップの横羽さんが座った。
徳川さんは橘弥生の隣だ。
「サイヘーさんも喜んでいるだろうな」
古賀さんが言った。
「どうですかね。あの人はあの世でもずっと弾いてるだけじゃないんですか?」
「そんなことないよ。今日も来てるよ」
「あははは」
古賀さんが鞄から貢さんの遺影を出した。
「石神さんが気にするといけないからね。ずっと見えないように持ってた」
「そうだったんですか」
徹夜明けのせいだ。
俺は少し泣いてしまった。
貢さんが傍で聴いてくれたとしたら、どんなに嬉しいか。
みんなが俺を見ているので恥ずかしかった。
話題を変えようと思って言った。
「そういえば、あのすりこぎはどうなったんですかね、西木野さん?」
「え? すりこぎ?」
「ほら! 貢さんがいつもすりこぎで殴って来たじゃないですか!」
「え? ああ、僕の時には菜箸だったよ」
「エェー!」
「痛かったなぁ。よく痣になってたっけ」
「ずるいですよ!」
「へ?」
「俺なんて、いつも血だらけでしたから!」
「ほんとにすりこぎで殴られてたの?」
みんなが笑った。
「西木野さんがもうちょっと踏ん張っててくれればぁ! 俺も菜箸だったのにぃー!」
「ワハハハハハハ!」
みんなで楽しく食事をした。
亜紀ちゃんも普通の量で、ずっと笑って食べていた。
帰りは亜紀ちゃんの運転で、アヴェンタドールに乗って帰った。
いつの間にか、怪物マシンで一人前の運転をするようになっていて驚いた。
俺の知らない所で、みんなちゃんとやっている。
俺は流れる景色を見ながら、満足していた。
みんなが拍手してくれる。
西木野さんは泣きながら思い切り拍手をしてくれた。
「素晴らしかった! 最高だった! 俺は生きていて良かった!」
「そんな、最後までお付き合い下さってありがとうございました」
他の方々からも、お褒めの言葉を頂いた。
「素晴らしい演奏でした! 最高の音が録れましたよ!」
そう技師のトップの方から言われ、俺は頭を下げた。
「僕は以前に西平貢さんのレコードも録音しましてね。あの時以上の興奮です」
「いえ、そんな。貢さんは最高ですから」
全員が握手を求めて来た。
「徳川先生、大丈夫ですか?」
「ええ、もう思い残すことは無いわ」
「辞めて下さいよ!」
みんなが笑った。
橘弥生が嬉しそうに笑顔でいた。
こんなに優しい顔は見たことがない。
「橘さん、本当にありがとうございました」
「いいえ、私の方がお礼を言う立場だわ。トラ、よくやったわ。本当に最高だった」
「橘さんの演奏こそ。何度も打ちひしがれそうになりましたよ」
俺がそう言うと、橘弥生がまた嬉しそうに笑った。
「私も全力を尽くした。さっきの演奏は音楽ではなかったわね」
「はい、俺も何も考えずに弾いていました」
「CDに入れるべきかどうか迷うわ。徳川先生、いかが思われますか?」
徳川さんは笑って言った。
「あなたたちがお決めなさい。あなたたちの音なのだから」
「そうですね」
また3時間くらい演奏していた。
橘弥生は2時間半から演奏を辞めていた。
全てを出し切ったのだろう。
そういうことも含めて、セッションと呼ぶには随分と歪だった。
それに、お互いの調和も考えていなかった。
それでも音楽的な形になっていたのは、お互いの音楽性だろう。
特に橘弥生の力だと俺は思う。
聴く人間は、どのように感じ、受け止めるだろうか。
まあ、俺はとにかくやり切った。
清々しい達成感のようなものさえあった。
「終わりましたね」
流石に疲労も溜まり、俺は帰って早く寝たかった。
もう、それしか考えられない。
しかし、橘弥生が信じられないことを言った。
「ええ。じゃあ、少し休んでから、トラの歌を録って行くわね?」
「ゲェッーーー!」
「なによ、トラ?」
「まだやるんですかぁー!」
「当たり前じゃない。あなたは歌も上手いって言ったわよね?」
「聴いてません!」
「タカさん、確かに橘さんが言ってましたよー」
「お前! 誰に育てられてるんだぁー!」
「アハハハハハ!」
亜紀ちゃんが明るく笑い、スタッフがコーヒーを淹れるのを手伝いに行った。
「トラ、このCDは世界中で称えられるわ」
コーヒーを待っている間に橘弥生が俺に言った。
「そんなことありませんよ。ド素人の演奏なんですから」
またコワイ顔になった。
「この私が言っているのよ?」
「分かりましたよー! すいませんでしたー!」
「もう!」
コーヒーが来た。
プラスチックのカップに入っている。
俺は砂糖とミルクを入れて飲んだ。
「タカさん、珍しいですね!」
「疲れたんだよ!」
そう言うと、亜紀ちゃんが砂糖のスティックを何本も抱えて来た。
「そんなにいらねぇ!」
でも、もう一本砂糖を入れた。
まだ糖分が足りない気がするが、最後の見栄で止めた。
「亜紀ちゃん、近くのコンビニでチョコレートを買って来てくれ」
「はーい!」
ダッシュで亜紀ちゃんが買って来る。
安いチョコレートだが、俺は3枚ほど食べた。
「トラ、太るわよ?」
「こんなに働くデブはいませんよ!」
またみんなが笑った。
7時から、また3時間以上録音した。
俺がギターを弾きながら歌った。
今回のギター演奏の曲を中心に歌ったが、他にもあればと言われ、好きなように歌った。
亜紀ちゃんがいたので『島原の子守歌』も歌った。
「それ、いいですよ!」
技師の人が叫び、亜紀ちゃんが喜んだ。
「トラ、歌詞まで全部覚えているのね?」
「そりゃ、歌が好きですからね」
「弥生ちゃん、こういう方なのよ」
「はい」
徳川さんに言われ、橘弥生も頷いていた。
11時になり、やっとすべてが終わった。
リテイクしたものはほとんど無かった。
「トラ、じゃあ全部聴き直すわよ?」
「ほんとに勘弁して下さい!」
橘弥生が笑って、じゃあ自分に任せるように言った。
「お願いしますってぇー!」
みんなが笑っていた。
橘弥生の冗談だったことが分かった。
本気で分かりにくい人だ。
この後、技師たちが音を調整していくらしい。
橘弥生はその工程の後で、もう一度聴くと言った。
本当にお任せすると俺は頼んだ。
片づけをしている間、俺と亜紀ちゃんは待たされ、全員で銀座の三井ガーデンホテルの『E VOLTA』へ行った。
橘弥生が予約していた。
全員では無いが、今回録音をして下さった技師やスタッフ、そして古賀さんと西木野さんも一緒に来た。
古賀さんはずっと興奮気味で、西木野さんはずっと泣いていた。
俺の隣に亜紀ちゃんと橘弥生が座り、前に古賀さんと西木野さん、それに技師のトップの横羽さんが座った。
徳川さんは橘弥生の隣だ。
「サイヘーさんも喜んでいるだろうな」
古賀さんが言った。
「どうですかね。あの人はあの世でもずっと弾いてるだけじゃないんですか?」
「そんなことないよ。今日も来てるよ」
「あははは」
古賀さんが鞄から貢さんの遺影を出した。
「石神さんが気にするといけないからね。ずっと見えないように持ってた」
「そうだったんですか」
徹夜明けのせいだ。
俺は少し泣いてしまった。
貢さんが傍で聴いてくれたとしたら、どんなに嬉しいか。
みんなが俺を見ているので恥ずかしかった。
話題を変えようと思って言った。
「そういえば、あのすりこぎはどうなったんですかね、西木野さん?」
「え? すりこぎ?」
「ほら! 貢さんがいつもすりこぎで殴って来たじゃないですか!」
「え? ああ、僕の時には菜箸だったよ」
「エェー!」
「痛かったなぁ。よく痣になってたっけ」
「ずるいですよ!」
「へ?」
「俺なんて、いつも血だらけでしたから!」
「ほんとにすりこぎで殴られてたの?」
みんなが笑った。
「西木野さんがもうちょっと踏ん張っててくれればぁ! 俺も菜箸だったのにぃー!」
「ワハハハハハハ!」
みんなで楽しく食事をした。
亜紀ちゃんも普通の量で、ずっと笑って食べていた。
帰りは亜紀ちゃんの運転で、アヴェンタドールに乗って帰った。
いつの間にか、怪物マシンで一人前の運転をするようになっていて驚いた。
俺の知らない所で、みんなちゃんとやっている。
俺は流れる景色を見ながら、満足していた。
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