1,852 / 2,808
CD録音 Ⅲ
しおりを挟む
昼食後、夕方まで掛かって、まだ録音は終わらなかった。
「トラ、まだ大丈夫よね?」
「つかれたよー」
「うるさい!」
正直に答えて頭ごなしに怒られた。
じゃあ、なんで聞いたんだよ。
しかし、本当に俺も疲れていた。
あの世界最高のピアニストの一人、橘弥生の前でギターを弾くのだ。
しかも、俺がこの世で恐れるトップ5の一人だ。
一瞬たちとも気を抜く瞬間が無かった。
怖くて俺が何も言わないので、最初は休憩すら取ってもらえなかった。
橘弥生は真剣に俺の演奏を聴き、満足そうな顔をしているだけだった。
その顔を変える勇気は俺には無かった。
やっと徳川さんが気を遣って、休憩が必要ではないかと俺に聞いてくれた。
「欲しいですー!」
俺が叫ぶと、やっと橘弥生が気付き、もっと早く言えとまた怒られた。
「あなた! 最高の演奏をする気がないでしょう!」
「そんなことないですよ!」
本当にそんな恐ろしいことは考えていない。
橘弥生は俺にとって自分がどんなにコワイ存在なのか分かっていない。
それから逆に、演奏が終わるたびに休憩が必要かと尋ねられ、おっかない顔なのでやっぱりなかなか欲しいと言えなかった。
流石にヘトヘトになって、俺が「きゅーけー!」と言った。
俺も限界だった。
これ以上は演奏に支障を来す。
夜の八時になっており、俺たちは一旦食事にすることにした。
俺の演奏はあと2曲で、オリジナル曲『御堂』(仮称)と同じくオリジナル曲『聖』(仮称)だけになった。
残りは橘弥生とのセッションだった。
ご高齢の徳川さんもまだいる。
もう80代の後半だったはずだ。
既に12時間近く俺に付き合って下さっている。
「徳川さん、お疲れじゃないですか?」
「いい音楽を聴いていれば、いつまでも大丈夫よ?」
「アハハハハハ」
笑うしかねぇ。
でも本当に元気そうなので、自由にしていただくことにした。
橘弥生から、夕飯はまた俺の希望を聞かれた。
「牛丼屋で食べたいです」
「トラ、ふざけないで」
超真面目な橘弥生が俺を物凄くコワイ顔で睨む。
冗談の通じる人間ではない。
俺は橘弥生にご馳走になることがものすごいストレスなのだと話した。
「私のことは気にしないでいいわ」
「気になっちゃうんですよ!」
「とうして?」
「ものすごく食べるから、こいつが」
亜紀ちゃんを見た。
「私ですか!」
「そうだろうよ!」
昼も寿司を散々喰った。
まあ、本気はあんなものじゃないが。
でも、他人から比較すれば十分以上に大食いだ。
付き添いの分際で、あんなに喰う奴はいない。
「わ、わたしもうご飯はいりませんから!」
「いや、亜紀ちゃんはそろそろ帰れよ」
超大食いの亜紀ちゃんがいないのならば、食事もいい。
「ヂャガザーン!」
いきなり大泣きしやがった。
なんでだよ!
あまりにも勢いよく泣くので、周囲の人間が驚く。
「トラ、かわいそうなことを言うものじゃないわ!」
「あのですね!」
「石神さん、一緒にいさせてあげて」
徳川さんまで慌てて俺に言う。
優しい人で、亜紀ちゃんの肩を撫でている。
亜紀ちゃんは大粒の涙をどんどん零しながら拭いもしない。
俺を見ている。
「ヂャガザン。ヴォデガイジバズー」
「分かったよ! 俺が悪かったよ!」
「バダジ、ボウダベバゼンガラー!」
俺は橘弥生に頼んだ。
「あの、俺に支払いさせて下さい。そうじゃないとこいつも好きに食べられないんで」
「分かったわ。あなたの好きなようにして」
狙ったわけではないのだが、結果的に亜紀ちゃんの大泣きによって橘弥生が折れてくれた。
良かった。
俺はスタッフの人たちにレストランを聞いて、近くにあるイタリアンに向かった。
徳川さんと橘弥生にメニューを決めてもらい、俺と亜紀ちゃんはコースを頼んだ。
亜紀ちゃんは3人前。
別途亜紀ちゃん用にステーキを10キロ。
流石に二人が驚いた。
「あなたたち、そんなに食べるの?」
「俺じゃないですよ。こいつだけです」
「「!」」
料理が来て、本当に亜紀ちゃんがバクバク喰うので二人とも呆然としていた。
「おい、追加しようか?」
「タカさーん! そんな、もういいですよ!」
「いや、さっきは悪かったよ。もっと食べてくれ」
「はい! ありがとうございます!」
亜紀ちゃんにもう5キロ喰わせた。
俺もア・ラ・カルトで何品か頼み、会計は58万だった。
とても他人様には出させられない。
「亜紀ちゃん、満足か?」
「はい!」
俺に手を絡めて甘えてきた。
「あともう一息頑張りましょうね!」
「おう!」
後ろで二人が笑っていた。
俺だけの演奏曲目が終わり、一旦休憩に入った。
夜の11時過ぎになっていた。
誰も疲れた顔を見せない。
技師たちは大変だったと思うが、恐ろしいほどの集中力はずっと続いていた。
俺は偉大なプロたちのお世話になっていることを、改めて痛感した。
やはり橘弥生が揃える人間は違う。
スタッフの一人がコーヒーを持ってきて、亜紀ちゃんが手伝って配る。
橘弥生がいない。
「弥生ちゃんはね、今集中しているの」
徳川さんもまったく疲れた様子はなく、俺に説明してくれた。
「私、今日はね、この後の演奏を聴きたくてずっと我慢していたの」
「我慢ですか?」
「そう。本当は最初にやってって言いたかったの」
「アハハハハハ!」
「でも、今がいい。この時にやるのがいい。それは分かっていたの。だから我慢してたのよ?」
「そうなんですか」
まるで少女のように悪戯っぽく笑う徳川さんに、俺も微笑んだ。
そして、橘弥生の鬼のような波動が、ここにいても感じられた。
先ほどまでニコニコしていた亜紀ちゃんも、緊張している。
俺は瞼を閉じて、その時を待った。
「トラ、まだ大丈夫よね?」
「つかれたよー」
「うるさい!」
正直に答えて頭ごなしに怒られた。
じゃあ、なんで聞いたんだよ。
しかし、本当に俺も疲れていた。
あの世界最高のピアニストの一人、橘弥生の前でギターを弾くのだ。
しかも、俺がこの世で恐れるトップ5の一人だ。
一瞬たちとも気を抜く瞬間が無かった。
怖くて俺が何も言わないので、最初は休憩すら取ってもらえなかった。
橘弥生は真剣に俺の演奏を聴き、満足そうな顔をしているだけだった。
その顔を変える勇気は俺には無かった。
やっと徳川さんが気を遣って、休憩が必要ではないかと俺に聞いてくれた。
「欲しいですー!」
俺が叫ぶと、やっと橘弥生が気付き、もっと早く言えとまた怒られた。
「あなた! 最高の演奏をする気がないでしょう!」
「そんなことないですよ!」
本当にそんな恐ろしいことは考えていない。
橘弥生は俺にとって自分がどんなにコワイ存在なのか分かっていない。
それから逆に、演奏が終わるたびに休憩が必要かと尋ねられ、おっかない顔なのでやっぱりなかなか欲しいと言えなかった。
流石にヘトヘトになって、俺が「きゅーけー!」と言った。
俺も限界だった。
これ以上は演奏に支障を来す。
夜の八時になっており、俺たちは一旦食事にすることにした。
俺の演奏はあと2曲で、オリジナル曲『御堂』(仮称)と同じくオリジナル曲『聖』(仮称)だけになった。
残りは橘弥生とのセッションだった。
ご高齢の徳川さんもまだいる。
もう80代の後半だったはずだ。
既に12時間近く俺に付き合って下さっている。
「徳川さん、お疲れじゃないですか?」
「いい音楽を聴いていれば、いつまでも大丈夫よ?」
「アハハハハハ」
笑うしかねぇ。
でも本当に元気そうなので、自由にしていただくことにした。
橘弥生から、夕飯はまた俺の希望を聞かれた。
「牛丼屋で食べたいです」
「トラ、ふざけないで」
超真面目な橘弥生が俺を物凄くコワイ顔で睨む。
冗談の通じる人間ではない。
俺は橘弥生にご馳走になることがものすごいストレスなのだと話した。
「私のことは気にしないでいいわ」
「気になっちゃうんですよ!」
「とうして?」
「ものすごく食べるから、こいつが」
亜紀ちゃんを見た。
「私ですか!」
「そうだろうよ!」
昼も寿司を散々喰った。
まあ、本気はあんなものじゃないが。
でも、他人から比較すれば十分以上に大食いだ。
付き添いの分際で、あんなに喰う奴はいない。
「わ、わたしもうご飯はいりませんから!」
「いや、亜紀ちゃんはそろそろ帰れよ」
超大食いの亜紀ちゃんがいないのならば、食事もいい。
「ヂャガザーン!」
いきなり大泣きしやがった。
なんでだよ!
あまりにも勢いよく泣くので、周囲の人間が驚く。
「トラ、かわいそうなことを言うものじゃないわ!」
「あのですね!」
「石神さん、一緒にいさせてあげて」
徳川さんまで慌てて俺に言う。
優しい人で、亜紀ちゃんの肩を撫でている。
亜紀ちゃんは大粒の涙をどんどん零しながら拭いもしない。
俺を見ている。
「ヂャガザン。ヴォデガイジバズー」
「分かったよ! 俺が悪かったよ!」
「バダジ、ボウダベバゼンガラー!」
俺は橘弥生に頼んだ。
「あの、俺に支払いさせて下さい。そうじゃないとこいつも好きに食べられないんで」
「分かったわ。あなたの好きなようにして」
狙ったわけではないのだが、結果的に亜紀ちゃんの大泣きによって橘弥生が折れてくれた。
良かった。
俺はスタッフの人たちにレストランを聞いて、近くにあるイタリアンに向かった。
徳川さんと橘弥生にメニューを決めてもらい、俺と亜紀ちゃんはコースを頼んだ。
亜紀ちゃんは3人前。
別途亜紀ちゃん用にステーキを10キロ。
流石に二人が驚いた。
「あなたたち、そんなに食べるの?」
「俺じゃないですよ。こいつだけです」
「「!」」
料理が来て、本当に亜紀ちゃんがバクバク喰うので二人とも呆然としていた。
「おい、追加しようか?」
「タカさーん! そんな、もういいですよ!」
「いや、さっきは悪かったよ。もっと食べてくれ」
「はい! ありがとうございます!」
亜紀ちゃんにもう5キロ喰わせた。
俺もア・ラ・カルトで何品か頼み、会計は58万だった。
とても他人様には出させられない。
「亜紀ちゃん、満足か?」
「はい!」
俺に手を絡めて甘えてきた。
「あともう一息頑張りましょうね!」
「おう!」
後ろで二人が笑っていた。
俺だけの演奏曲目が終わり、一旦休憩に入った。
夜の11時過ぎになっていた。
誰も疲れた顔を見せない。
技師たちは大変だったと思うが、恐ろしいほどの集中力はずっと続いていた。
俺は偉大なプロたちのお世話になっていることを、改めて痛感した。
やはり橘弥生が揃える人間は違う。
スタッフの一人がコーヒーを持ってきて、亜紀ちゃんが手伝って配る。
橘弥生がいない。
「弥生ちゃんはね、今集中しているの」
徳川さんもまったく疲れた様子はなく、俺に説明してくれた。
「私、今日はね、この後の演奏を聴きたくてずっと我慢していたの」
「我慢ですか?」
「そう。本当は最初にやってって言いたかったの」
「アハハハハハ!」
「でも、今がいい。この時にやるのがいい。それは分かっていたの。だから我慢してたのよ?」
「そうなんですか」
まるで少女のように悪戯っぽく笑う徳川さんに、俺も微笑んだ。
そして、橘弥生の鬼のような波動が、ここにいても感じられた。
先ほどまでニコニコしていた亜紀ちゃんも、緊張している。
俺は瞼を閉じて、その時を待った。
1
お気に入りに追加
228
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
まさか、、お兄ちゃんが私の主治医なんて、、
ならくま。くん
キャラ文芸
おはこんばんにちは!どうも!私は女子中学生の泪川沙織(るいかわさおり)です!私こんなに元気そうに見えるけど実は貧血や喘息、、いっぱい持ってるんだ、、まあ私の主治医はさすがに知人だと思わなかったんだけどそしたら血のつながっていないお兄ちゃんだったんだ、、流石にちょっとこれはおかしいよね!?でもお兄ちゃんが医者なことは事実だし、、
私のおにいちゃんは↓
泪川亮(るいかわりょう)お兄ちゃん、イケメンだし高身長だしもう何もかも完璧って感じなの!お兄ちゃんとは一緒に住んでるんだけどなんでもてきぱきこなすんだよね、、そんな二人の日常をお送りします!
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件
森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。
学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。
そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……
俺の幼馴染がエロ可愛すぎてヤバい。
ゆきゆめ
キャラ文芸
「お〇ん〇ん様、今日もお元気ですね♡」
俺・浅間紘(あさまひろ)の朝は幼馴染の藤咲雪(ふじさきゆき)が俺の朝〇ちしたムスコとお喋りをしているのを目撃することから始まる。
何を言っているか分からないと思うが安心してくれ。俺も全くもってわからない。
わかることと言えばただひとつ。
それは、俺の幼馴染は最高にエロ可愛いってこと。
毎日毎日、雪(ゆき)にあれやこれやと弄られまくるのは疲れるけれど、なんやかんや楽しくもあって。
そしてやっぱり思うことは、俺の幼馴染は最高にエロ可愛いということ。
これはたぶん、ツッコミ待ちで弄りたがりやの幼馴染と、そんな彼女に振り回されまくりでツッコミまくりな俺の、青春やラブがあったりなかったりもする感じの日常コメディだ。(ツッコミはえっちな言葉ではないです)
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
イケメン歯科医の日常
moa
キャラ文芸
堺 大雅(さかい たいが)28歳。
親の医院、堺歯科医院で歯科医として働いている。
イケメンで笑顔が素敵な歯科医として近所では有名。
しかし彼には裏の顔が…
歯科医のリアルな日常を超短編小説で書いてみました。
※治療の描写や痛い描写もあるので苦手な方はご遠慮頂きますようよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる