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CD録音 Ⅱ
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何度か橘弥生からストップが掛かり、弾き直したりということはあった。
しかしそれは俺のミスと言うよりも、ミキサーなどでの調整を指摘していたようだ。
流石に物凄い耳を持っている。
俺は不安にも思っていたが、俺の演奏自体は直されることもなかった。
本当は、何度もテイクを取られることが一番嫌だった。
しかしそういうことは全くと言っていいほどに無かったので、安心した。
もちろん橘弥生はミキサーと同じくヘッドフォンを耳に当ててずっと真剣に聴いていてくれた。
他の人間はスピーカーからの音を聴いていた。
向こうの音はブースには一切入らないらしい。
まあ、当たり前なのだろうが。
俺は静かな空間で、自分の奏でるギターの音だけを聴いていた。
午前中に『ソルヴェイグの子守歌』、グリーグ『ピアノ協奏曲イ短調』、『水の上で歌う』の録音が終わった。
毎回録音の音をみんなで聴いて確認したのでこのペースだ。
「トラ、どう?」
「これでいいですよ」
次の録音で同じことを言うと怒られた。
「あなた! 真剣に聴いてるの!」
「聴いてますよ!」
「ならいいわ」
文句があるのかよ!
西木野さんは硬い表情でいた。
声を掛けたかったが辞めた。
俺が何かを話すべきではないと思った。
昼食の休憩に入る。
俺は亜紀ちゃんと近くで何か適当に食べようと思っていたが、橘弥生から誘われた。
「トラ、何が食べたい?」
「え、何でもいいですけど」
「何かないの?」
「えーとー、徳川さんは?」
「まあ、私!」
「はい。俺は何でもいいんで、お好きな物をご一緒したいと思いますが」
「じゃあね、お寿司はどう?」
「ああ、いいですね!」
橘弥生が笑っていた。
歩ける距離にいい寿司屋があるということで、みんなでそこへ行った。
古賀さんも西木野さんも一緒だ。
技師の方々は別に食べると言う。
今録音したものを確認したいということだった。
申し訳なく思う。
土曜日だったので、寿司屋は空いていた。
いつもは周辺のサラリーマンなどが大勢いるのだろう。
「トラ、好きな物を注文しなさい」
「はい!」
ご馳走してもらえるようだ。
俺はマグロの赤身を中心に、貝やアナゴなども頼み、30貫ほどお願いした。
亜紀ちゃんも同じで頼む。
遠慮はしないことにした。
俺が遠慮すれば、絶対にまた怒られる。
この人は本当に怖い。
ちょっと不安だったが、亜紀ちゃんは俺が言った注文に文句も言わずにニコニコしていた。
良かった。
徳川さんも12貫ほど頼む。
橘弥生も他の人間もそんな程度だ。
「トラ、よく食べるわね」
「アハハハハハ!」
本当は亜紀ちゃんがスゴイのだが。
とてもじゃないが、本気は見せられないのだが。
亜紀ちゃんがたちまち食べるので、俺の桶から喰うように言った。
「あら、お嬢さんはまだ足りないのね」
「いいえ、とんでもない! どうかここまでにして下さい!」
「遠慮しないでいいのよ?」
おまけで着いて来た人間に、他の人間よりも食わせるわけにはいかない。
俺は沼津の寿司屋で1千万円以上喰うのだと正直に話した。
「別に栄養的にはこれで十分なんです! こいつ、おかしいんですよ!」
みんなが笑った。
亜紀ちゃんも笑っていた。
「まあいいわ。でも足りなければもっと食べてね」
亜紀ちゃんに絶対に辞めろと言った。
「うちの子どもらって、肉なら一人20キロも喰うんですよ。焼き肉屋も1千万円超えですからね」
「凄いのね」
「俺が普通のサラリーマンだったら、こいつらに喰われてますって」
またみんなが笑った。
橘弥生が、勝手にマグロの赤身を40貫注文した。
「ありがとうございます!」
亜紀ちゃんが輝く笑顔で礼を言った。
「あの、夕飯は俺に出させて下さいね」
「トラ、何を言っているの? 今日は私があなたにお願いしたんじゃない」
「いや、でも」
「あなたは演奏のことだけ考えていなさい」
どうも、この人は本当に苦手だ。
絶対に逆らえない。
昼食後、1時間の休憩となった。
俺はすることも無いので、ギターを弾いていた。
西木野さんが来た。
「君のギターは本当に素晴らしい。世界でこんなギターを弾く人間がいたなんて」
「貢さんのことを知ってますもんね」
「そうだ。あの人が亡くなって、もうあんなギタリストはいなくなったと思ったよ」
「そうですね」
西木野さんが笑った。
「ねえ、君のことを話しているんだけど」
「え?」
西木野さんがもっと弾いてくれと言った。
俺も笑ってギターを弾いた。
エスタス・トーネを弾いた。
西木野さんが驚き、橘弥生が飛んで来た。
「トラ! それは何!」
「え、俺の好きなギタリストの曲ですが」
「それも録音するわよ!」
「ちょっと! 著作権がありますよ!」
橘弥生は何とかすると言う。
俺は困ると言った。
「じゃあ、即興でそういうものを弾きなさい」
「!」
無茶苦茶を言う。
「出来るわね?」
「分かりましたよ!」
もう知るか!
亜紀ちゃんが飛んで来た。
突然『亜紀ちゃん大好きソング』を歌い始めた。
まったく、恐れを知らない奴だ。
仕方なく、俺はそれに伴奏を付けてやった。
「トラ、それはいいから」
「はい」
「タカさーん!」
亜紀ちゃんが泣きそうな顔で俺の肩を掴んだ。
「ダメだってよ」
「えーん」
しょうがねぇだろう。
頼むからこれ以上は余計に混乱させないでくれ。
亜紀ちゃんは「いい曲なのに」と呟いていた。
やれやれ。
しかしそれは俺のミスと言うよりも、ミキサーなどでの調整を指摘していたようだ。
流石に物凄い耳を持っている。
俺は不安にも思っていたが、俺の演奏自体は直されることもなかった。
本当は、何度もテイクを取られることが一番嫌だった。
しかしそういうことは全くと言っていいほどに無かったので、安心した。
もちろん橘弥生はミキサーと同じくヘッドフォンを耳に当ててずっと真剣に聴いていてくれた。
他の人間はスピーカーからの音を聴いていた。
向こうの音はブースには一切入らないらしい。
まあ、当たり前なのだろうが。
俺は静かな空間で、自分の奏でるギターの音だけを聴いていた。
午前中に『ソルヴェイグの子守歌』、グリーグ『ピアノ協奏曲イ短調』、『水の上で歌う』の録音が終わった。
毎回録音の音をみんなで聴いて確認したのでこのペースだ。
「トラ、どう?」
「これでいいですよ」
次の録音で同じことを言うと怒られた。
「あなた! 真剣に聴いてるの!」
「聴いてますよ!」
「ならいいわ」
文句があるのかよ!
西木野さんは硬い表情でいた。
声を掛けたかったが辞めた。
俺が何かを話すべきではないと思った。
昼食の休憩に入る。
俺は亜紀ちゃんと近くで何か適当に食べようと思っていたが、橘弥生から誘われた。
「トラ、何が食べたい?」
「え、何でもいいですけど」
「何かないの?」
「えーとー、徳川さんは?」
「まあ、私!」
「はい。俺は何でもいいんで、お好きな物をご一緒したいと思いますが」
「じゃあね、お寿司はどう?」
「ああ、いいですね!」
橘弥生が笑っていた。
歩ける距離にいい寿司屋があるということで、みんなでそこへ行った。
古賀さんも西木野さんも一緒だ。
技師の方々は別に食べると言う。
今録音したものを確認したいということだった。
申し訳なく思う。
土曜日だったので、寿司屋は空いていた。
いつもは周辺のサラリーマンなどが大勢いるのだろう。
「トラ、好きな物を注文しなさい」
「はい!」
ご馳走してもらえるようだ。
俺はマグロの赤身を中心に、貝やアナゴなども頼み、30貫ほどお願いした。
亜紀ちゃんも同じで頼む。
遠慮はしないことにした。
俺が遠慮すれば、絶対にまた怒られる。
この人は本当に怖い。
ちょっと不安だったが、亜紀ちゃんは俺が言った注文に文句も言わずにニコニコしていた。
良かった。
徳川さんも12貫ほど頼む。
橘弥生も他の人間もそんな程度だ。
「トラ、よく食べるわね」
「アハハハハハ!」
本当は亜紀ちゃんがスゴイのだが。
とてもじゃないが、本気は見せられないのだが。
亜紀ちゃんがたちまち食べるので、俺の桶から喰うように言った。
「あら、お嬢さんはまだ足りないのね」
「いいえ、とんでもない! どうかここまでにして下さい!」
「遠慮しないでいいのよ?」
おまけで着いて来た人間に、他の人間よりも食わせるわけにはいかない。
俺は沼津の寿司屋で1千万円以上喰うのだと正直に話した。
「別に栄養的にはこれで十分なんです! こいつ、おかしいんですよ!」
みんなが笑った。
亜紀ちゃんも笑っていた。
「まあいいわ。でも足りなければもっと食べてね」
亜紀ちゃんに絶対に辞めろと言った。
「うちの子どもらって、肉なら一人20キロも喰うんですよ。焼き肉屋も1千万円超えですからね」
「凄いのね」
「俺が普通のサラリーマンだったら、こいつらに喰われてますって」
またみんなが笑った。
橘弥生が、勝手にマグロの赤身を40貫注文した。
「ありがとうございます!」
亜紀ちゃんが輝く笑顔で礼を言った。
「あの、夕飯は俺に出させて下さいね」
「トラ、何を言っているの? 今日は私があなたにお願いしたんじゃない」
「いや、でも」
「あなたは演奏のことだけ考えていなさい」
どうも、この人は本当に苦手だ。
絶対に逆らえない。
昼食後、1時間の休憩となった。
俺はすることも無いので、ギターを弾いていた。
西木野さんが来た。
「君のギターは本当に素晴らしい。世界でこんなギターを弾く人間がいたなんて」
「貢さんのことを知ってますもんね」
「そうだ。あの人が亡くなって、もうあんなギタリストはいなくなったと思ったよ」
「そうですね」
西木野さんが笑った。
「ねえ、君のことを話しているんだけど」
「え?」
西木野さんがもっと弾いてくれと言った。
俺も笑ってギターを弾いた。
エスタス・トーネを弾いた。
西木野さんが驚き、橘弥生が飛んで来た。
「トラ! それは何!」
「え、俺の好きなギタリストの曲ですが」
「それも録音するわよ!」
「ちょっと! 著作権がありますよ!」
橘弥生は何とかすると言う。
俺は困ると言った。
「じゃあ、即興でそういうものを弾きなさい」
「!」
無茶苦茶を言う。
「出来るわね?」
「分かりましたよ!」
もう知るか!
亜紀ちゃんが飛んで来た。
突然『亜紀ちゃん大好きソング』を歌い始めた。
まったく、恐れを知らない奴だ。
仕方なく、俺はそれに伴奏を付けてやった。
「トラ、それはいいから」
「はい」
「タカさーん!」
亜紀ちゃんが泣きそうな顔で俺の肩を掴んだ。
「ダメだってよ」
「えーん」
しょうがねぇだろう。
頼むからこれ以上は余計に混乱させないでくれ。
亜紀ちゃんは「いい曲なのに」と呟いていた。
やれやれ。
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