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影 Ⅵ
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生まれつき、病弱だった。
冬は寝ていることがほとんどだった。
サンクトペテルブルクの郊外で農業を営んでいる両親。
兄弟は姉が一人。
貧しい暮らしではあったが、何とか食べて行けた。
両親は病弱な僕に細心の注意をして世話をし、姉はそんな僕に嫉妬していた。
両親の愛情を、僕が全て受けているように見えたのだろう。
僕はそんな姉に、いつも申し訳なく思っていた。
「あんたなんか生まれなければ良かったのに!」
両親がいない時に、よく姉からそんなことを言われた。
そんなことは無いと思いながら、姉に何も言えなかった。
両親が出掛けた。
遠くの街に作物を売りに行くので、2日間戻らないと言っていた。
僕は10歳、姉は13歳だった。
姉が僕を放っておいて、表に遊びに出た。
夕方になっても戻らなかった。
1月の厳冬期のことだった。
姉が用意するはずだった昼食もなく、僕は独りで寒い部屋の中で待っていることしか出来なかった。
しかし、薄暗くなっても戻らない姉のことが心配になっていた。
何かあったのではないか。
森の中は雪に覆われ、よく人が雪を踏み抜いて崖に落ちることがあった。
そういうことを心配し、姉を探しに出掛けた。
セーターの上に革の厚いコートを着込み、マフラーを顔の周りに巻いた。
ロープを持った。
もしも崖に姉が落ちていたら、助けるのにロープが必要だ。
そう考えた。
外は寒いと言うよりも、痛い。
風が強い日で、目の辺りがすぐに耐えられない程に痛む。
なるべくマフラーを顔に巻いて、細い視界にして進んだ。
森に入ると風が遮られ、少し楽になった。
今度は足先が痛んで来て、やがて手先も痛んで来た。
姉の名前を叫びながら歩いた。
いつもは愛称の「ロニー」と僕には呼ばせてくれなかった。
でも、今は必死に姉を求めて叫んだ。
「ヴェロニカー! ロニー!」
雪に声が吸い込まれて行く。
3時間も歩き、辺りは真っ暗になっていた。
もう手足の痛みを感じることもなく、やがて歩けなくなった。
気が付いた時には、僕は病院にいた。
姉が僕の傍で泣いている。
「ロニー! 無事だったんだね!」
「キリル! 本当にごめん!」
姉が寝ている僕に抱き着いた。
僕も姉を抱き締めようと思ったが、出来なかった。
僕の両腕と両足が無くなっていた。
両親も病院に来て、僕の手足は凍傷で喪われたのだと言われた。
壊死していたため、切断するしかなかったのだ。
「ロニーが無事で良かったよ」
その話を聞いてからそう言うと、また姉が泣いた。
姉は友達の家で遊んでいたそうだ。
家に帰ると僕が居ないので、近所の大人たちと森に探しに行った。
僕が森に入るのを見ていてくれた人がいた。
奇跡的に発見され、僕の命は助かった。
最初は僕が勝手に家を出てしまったと思われていたらしい。
でも、僕が家を出た理由は、僕が手に持っていたロープが全てを物語っていた。
姉は、自分を助けに来た弟が手足を喪ったのだと知ってしまった。
それから僕は本当に何も出来なくなった。
両親と姉に世話されながら生きた。
姉が一番僕のために世話を焼いてくれた。
そしてあの日、ロシア軍が来た。
警察の人が、ロシア軍が近付いて来るので、すぐに荷物をまとめて逃げるようにと通りをスピーカーで訴えていた。
町の人間は逃げ出そうとした。
両親と姉が戸口でまとめた荷物を持っていた。
「キリルはどうするの!」
姉が叫んでいた。
「静かにしなさい。行くぞ」
「キリルはどうするの!」
姉が父に殴られた。
強引に手を引かれて行った。
すぐに分かった。
僕を背負っていくことは出来ない。
何も出来ない、世話を掛けるばかりの僕を連れてはいけない。
三人で逃げるのに精いっぱいだ。
僕は歌を歌った。
ここに僕がいることを知れば、三人が逃げる時間を稼げるかもしれない。
戸口に兵士が立った。
銃を向けながら、部屋の中を探っていた。
僕は歌を歌い続けた。
「おい、歌っているぞ」
「じゃあ、こいつなのかもな」
二人の話声が聞こえた。
僕に手足が無いことを知り、兵士の一人が僕を背負った。
「間違いないな」
「ああ」
僕には何のことか分からなかった。
でも、逃げた三人のために、僕はずっと歌を歌った。
家から50メートルほど先で、死んでいる人たちがいた。
両親とロニーだった。
僕は歌うことをやめた。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「「業」様、ついに手に入れました」
「そうか、よくやった」
「あの者の申す通り、歌を歌っていたそうです。そして手足の無い子ども。間違いありません」
「そうか」
「これで、あのケムエルと融合させられるはずです」
恐ろしい部屋にいることが分かった。
「業」と呼ばれた男は、人間ではなかった。
何かの模様の描かれた床に寝かされた。
そしてもう一人の男が何かを唱え始め、「業」が動いた。
僕の中に何かが入って来たが、すぐにその感覚が無くなった。
歩けなかった僕が立ち上がり、力強い両腕を振るった。
僕は「僕」で無くなり、もう何も考えなくて良いことを知った。
「やはり一部だけだったな」
「はい。隠形に優れた能力のようです」
「神に破壊され、その影しか残らなかったということか」
「その通りでございます。影に潜み、石神たちを殺せるかと」
「まあよい。上手くやれ」
「はっ!」
「業」という男が部屋を出て行った。
僕は「ソレ」に全てを預けていた。
もう、僕にはやることが無かったから。
両親とロニーを逃がすことが、僕の最後のやるべきことだった。
それはもう終わった。
だから、僕にはもう何も無い。
《それは違う》
「ソレ」が言った。
《神のために、あいつらを殺せ。さすれば、神の恩寵により、我らは甦ることが出来る》
甦る?
《そうだ。我はまたいと高き者へ、お前は喪ったものを全て取り返すことが出来る》
僕は喜んだ。
ならば、行こう。
僕は「ソレ」、ケムエルと呼ばれた者と一緒になった。
自由に動く身体、そして希望が僕のものになった。
冬は寝ていることがほとんどだった。
サンクトペテルブルクの郊外で農業を営んでいる両親。
兄弟は姉が一人。
貧しい暮らしではあったが、何とか食べて行けた。
両親は病弱な僕に細心の注意をして世話をし、姉はそんな僕に嫉妬していた。
両親の愛情を、僕が全て受けているように見えたのだろう。
僕はそんな姉に、いつも申し訳なく思っていた。
「あんたなんか生まれなければ良かったのに!」
両親がいない時に、よく姉からそんなことを言われた。
そんなことは無いと思いながら、姉に何も言えなかった。
両親が出掛けた。
遠くの街に作物を売りに行くので、2日間戻らないと言っていた。
僕は10歳、姉は13歳だった。
姉が僕を放っておいて、表に遊びに出た。
夕方になっても戻らなかった。
1月の厳冬期のことだった。
姉が用意するはずだった昼食もなく、僕は独りで寒い部屋の中で待っていることしか出来なかった。
しかし、薄暗くなっても戻らない姉のことが心配になっていた。
何かあったのではないか。
森の中は雪に覆われ、よく人が雪を踏み抜いて崖に落ちることがあった。
そういうことを心配し、姉を探しに出掛けた。
セーターの上に革の厚いコートを着込み、マフラーを顔の周りに巻いた。
ロープを持った。
もしも崖に姉が落ちていたら、助けるのにロープが必要だ。
そう考えた。
外は寒いと言うよりも、痛い。
風が強い日で、目の辺りがすぐに耐えられない程に痛む。
なるべくマフラーを顔に巻いて、細い視界にして進んだ。
森に入ると風が遮られ、少し楽になった。
今度は足先が痛んで来て、やがて手先も痛んで来た。
姉の名前を叫びながら歩いた。
いつもは愛称の「ロニー」と僕には呼ばせてくれなかった。
でも、今は必死に姉を求めて叫んだ。
「ヴェロニカー! ロニー!」
雪に声が吸い込まれて行く。
3時間も歩き、辺りは真っ暗になっていた。
もう手足の痛みを感じることもなく、やがて歩けなくなった。
気が付いた時には、僕は病院にいた。
姉が僕の傍で泣いている。
「ロニー! 無事だったんだね!」
「キリル! 本当にごめん!」
姉が寝ている僕に抱き着いた。
僕も姉を抱き締めようと思ったが、出来なかった。
僕の両腕と両足が無くなっていた。
両親も病院に来て、僕の手足は凍傷で喪われたのだと言われた。
壊死していたため、切断するしかなかったのだ。
「ロニーが無事で良かったよ」
その話を聞いてからそう言うと、また姉が泣いた。
姉は友達の家で遊んでいたそうだ。
家に帰ると僕が居ないので、近所の大人たちと森に探しに行った。
僕が森に入るのを見ていてくれた人がいた。
奇跡的に発見され、僕の命は助かった。
最初は僕が勝手に家を出てしまったと思われていたらしい。
でも、僕が家を出た理由は、僕が手に持っていたロープが全てを物語っていた。
姉は、自分を助けに来た弟が手足を喪ったのだと知ってしまった。
それから僕は本当に何も出来なくなった。
両親と姉に世話されながら生きた。
姉が一番僕のために世話を焼いてくれた。
そしてあの日、ロシア軍が来た。
警察の人が、ロシア軍が近付いて来るので、すぐに荷物をまとめて逃げるようにと通りをスピーカーで訴えていた。
町の人間は逃げ出そうとした。
両親と姉が戸口でまとめた荷物を持っていた。
「キリルはどうするの!」
姉が叫んでいた。
「静かにしなさい。行くぞ」
「キリルはどうするの!」
姉が父に殴られた。
強引に手を引かれて行った。
すぐに分かった。
僕を背負っていくことは出来ない。
何も出来ない、世話を掛けるばかりの僕を連れてはいけない。
三人で逃げるのに精いっぱいだ。
僕は歌を歌った。
ここに僕がいることを知れば、三人が逃げる時間を稼げるかもしれない。
戸口に兵士が立った。
銃を向けながら、部屋の中を探っていた。
僕は歌を歌い続けた。
「おい、歌っているぞ」
「じゃあ、こいつなのかもな」
二人の話声が聞こえた。
僕に手足が無いことを知り、兵士の一人が僕を背負った。
「間違いないな」
「ああ」
僕には何のことか分からなかった。
でも、逃げた三人のために、僕はずっと歌を歌った。
家から50メートルほど先で、死んでいる人たちがいた。
両親とロニーだった。
僕は歌うことをやめた。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「「業」様、ついに手に入れました」
「そうか、よくやった」
「あの者の申す通り、歌を歌っていたそうです。そして手足の無い子ども。間違いありません」
「そうか」
「これで、あのケムエルと融合させられるはずです」
恐ろしい部屋にいることが分かった。
「業」と呼ばれた男は、人間ではなかった。
何かの模様の描かれた床に寝かされた。
そしてもう一人の男が何かを唱え始め、「業」が動いた。
僕の中に何かが入って来たが、すぐにその感覚が無くなった。
歩けなかった僕が立ち上がり、力強い両腕を振るった。
僕は「僕」で無くなり、もう何も考えなくて良いことを知った。
「やはり一部だけだったな」
「はい。隠形に優れた能力のようです」
「神に破壊され、その影しか残らなかったということか」
「その通りでございます。影に潜み、石神たちを殺せるかと」
「まあよい。上手くやれ」
「はっ!」
「業」という男が部屋を出て行った。
僕は「ソレ」に全てを預けていた。
もう、僕にはやることが無かったから。
両親とロニーを逃がすことが、僕の最後のやるべきことだった。
それはもう終わった。
だから、僕にはもう何も無い。
《それは違う》
「ソレ」が言った。
《神のために、あいつらを殺せ。さすれば、神の恩寵により、我らは甦ることが出来る》
甦る?
《そうだ。我はまたいと高き者へ、お前は喪ったものを全て取り返すことが出来る》
僕は喜んだ。
ならば、行こう。
僕は「ソレ」、ケムエルと呼ばれた者と一緒になった。
自由に動く身体、そして希望が僕のものになった。
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