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橘弥生の告白
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門土が死んで、私は一層ピアノにのめり込んだ。
そうしなければ、私は私ではなくなるという恐怖のようなものがあった。
ピアニストの私を追い、ピアニストを断念しなければならなかった門土。
その悲しみを生んだのは、全て私のせいだ。
だから、私はピアニストとして一層の高みに昇らなければならない。
それが門土を悲しみの人生にさせた償いにはならないことは分かっている。
でも、私にはそうすること以外に何も出来ない。
だから必死に毎日ピアノを弾いた。
後から、私が間違った数々のことが浮き出して来る。
最も大きなことは、あの石神高虎、トラと門土を引き離したことだ。
もしもあのまま二人に好きなようにやらせていれば、門土はいつまでも楽しくピアノを弾いていたと思う。
今なら分かるが、私には出来なかった、門土の成長を、あのトラはきっと成し遂げてくれただろう。
それに夢のような妄想だが、トラだったら門土が危ない時にはきっと助けてくれたとすら思う。
そんなことはあるはずもないが、トラだったら、きっと……
そんなことを考える自分を叱咤するように、ピアノを弾いた。
しかし、そうすればするほど、トラと門土を引き裂いたことが私の中で重い塊になっていった。
トラのことが忘れられなくなった。
トラに謝りたかった。
門土に謝りたかった。
私はとんでもない間違いを冒した。
門土の葬儀の日、門土が最後に書いていた楽譜をトラに渡した。
部屋で見つけて、すぐにそれが何なのか分かった。
トラを家に呼んだ最初の日に、私がテストのつもりで一緒にやったセッションの楽譜だった。
友人の西平貢の弟子だと聞いて、年回りも同じだったので呼んでみた。
サイヘーが自慢する弟子だった。
まだ未熟だが、魂の入った演奏をする子どもだった。
すぐに気に入り、どこまでやるのか確かめるために、セッションをした。
非常に面白い奴だった。
門土と仲良くするように言い、門土もトラのことをすぐに気に入った。
二人がよく一緒にいるようになった。
サイヘーの所にもしょっちゅう行っていた。
門土の音楽が一気に拡がったのが感じられ、私も満足だった。
だけど、トラはギタリストになるつもりはなかった。
私は門土の成長を妨げることになるだろうと思い、二人に二度と会わないように言った。
トラは悲しそうな顔をしたが、私の言うことを理解してくれた。
あの日のトラの顔が忘れられない。
私の後悔と共に。
後からもう夜中だったことに気付き、トラを送って行こうと思って外に出た。
トラが門の前で泣いていた。
嗚咽を漏らしながら、それでも必死で耐えて私の家に頭を下げて歩き出した。
声を掛けられなかった。
門土もトラとの別れを乗り越えて、ピアノに専念してくれた。
私は安心した。
でも、デヴュー公演の前に、門土が私に話してくれた。
「母さん。実はね、母さんにトラと会うなと言われた後も、何度かトラに会いに行ったんだ」
「え!」
「でもね、トラに叱られた。あの凄いピアニストの橘弥生が決めたんだと。それには絶対に意味があることなんだって。最後は殴られたよ。あいつ、喧嘩が凄いじゃない。思い切りやられた」
「そんなことが……」
「それでね、トラは自分も一生弾き続けるからって。もうギターとは離れられないからってさ。いつか、一緒にまたやろうって言ってくれた。だから僕も頑張ろうと思ったんだ」
「トラ……」
私は泣いた。
私が酷いことをしたトラは、門土のために必死に励ましてくれていた。
私がトラのチケットを用意すると言うと、門土が喜んでくれた。
もうほとんど売れてしまっていたので、最後尾の席しか取れなかった。
門土はそれでもいいと言ってくれた。
あのトラが来てくれるなら、もうそれで十分だと。
門土のデヴュー公演は大成功だった。
あの子は普段以上の実力を発揮して、見事な演奏をした。
トラの名前をステージで呼んだ。
来てくれたことは分かっていた。
でも、トラは遠慮してステージには現われなかった。
私との約束を、まだ守っていた。
門土が事故に遭い、ピアニストとしての道を閉ざされた。
トラにすぐに連絡した。
門土を救ってくれるのはトラしかいないことが分かっていた。
私などではダメだ。
トラだけだ。
トラはすぐに来てくれた。
トラは、門土に作曲家の道を示してくれた。
私はトラになんと礼を言いたかったか。
でも、今更私などの顔は見たくもないだろう。
自分の勝手な思い込みで二人を引き裂き、今更どう言って許してもらおうと言うのか。
門土は退院し、すぐに作曲を始めた。
でも、ピアニストになれないという現実が、門土を苦しめ続けた。
今なら思う。
あの時も、もっとトラに門土の傍にいてくれと頼んでいたら、あの子は死ななかったんじゃないかと。
本当に私はダメな親だった。
トラが私との約束を気にしながらも、時々門土に連絡してくれていたようだ。
でも、決して会いに来ようとはしなかった。
最後に一度だけ。
門土がトラを家に呼んだ。
私はその日は家に帰らないようにした。
私がいれば、トラが遠慮する。
門土と思うままに、昔のように楽しんで欲しいと思った。
門土がトラとの別れを済ませたのだとは、門土が死んでから分かった。
またしばらく私はトラのことを忘れようと努めた。
忘れられるはずが無かった。
門土のことが忘れられないのだから。
門土とトラはずっと一緒だった。
一緒にいるべき人間だった。
門土の十三回忌。
私はトラの病院の傍に会場を借り、門土のために演奏しようと思った。
トラに来て欲しくて、その場所を借りた。
トラが来てくれた。
私は渾身の演奏をし、私を育ててくれた徳川先生にもお褒めの言葉を頂いた。
ただ、その徳川先生がトラのことを一目で気に入っていた。
思わずトラを怒鳴った。
徳川先生は私にとって特別な方だ。
後から思えば、門土がトラを好きになったように、また大事な人間がトラを好きになることが、私の中で耐えられなかったのだろう。
どこまでもバカな自分に呆れた。
でも、トラとのセッション。
私は門土のために、あの日を再現するためにやるだけのつもりだった。
しかし、トラは信じられない成長を遂げていた。
あの最初の日に私が感じた、魂の演奏が一層飛躍し、この私が圧倒されるほどの見事な演奏だった。
私の中で、抑えがたい衝動が生まれた。
トラはプロのギタリストではない。
それがどうした!
トラほどのギタリストは、西平貢のような超一流の人間しかいない。
トラの演奏は、世界中の人間が聴くべきものだと確信した。
私は門土とトラを引き離したことが、本当に間違いだったと今更ながらに痛感した。
もう二度と間違わない。
案の定、トラは必死に抵抗した。
でも私も必死に縋った。
トラもやっと観念してくれた。
素人の、アマチュアでさえないトラのCDを出すことは難しかった。
私はインディーズでも良いかと考え始めた。
私が推薦すれば、多分それなりの人間が注目してくれる。
音楽雑誌にも伝手はあった。
そこでも記事を書いてもらおう。
しかし、予想外のことが起きた。
トラが引き取った子どもの一人が、京都で『ミュージック・フレンズ』の常務の古賀ちゃんと偶然知り合ったのだ。
古賀ちゃんは私が親しくしていた編集だった。
トラと西平貢との話を聞いた古賀ちゃんは、大感激でその記事を書きたがっていた。
私の所へ古賀ちゃんから連絡が来た。
門土とのことで、記事にしたいのだと言った。
驚いた私は、運命を感じた。
門土がトラのCDを出したがっている!
私は記事に協力すると言い、トラの音源を古賀ちゃんに送った。
古賀ちゃんも驚き、これをCDにしたいと言って来た。
全てが上手く回り、トラのCDが大手レコード会社から出ることになった。
世界中で500万枚が売れる大ヒットになった。
売れ行きはどうでも良かった。
トラがCDを出してくれたことが嬉しかった。
門土が喜んでいると思う。
それだけが、私の全てだ。
そうしなければ、私は私ではなくなるという恐怖のようなものがあった。
ピアニストの私を追い、ピアニストを断念しなければならなかった門土。
その悲しみを生んだのは、全て私のせいだ。
だから、私はピアニストとして一層の高みに昇らなければならない。
それが門土を悲しみの人生にさせた償いにはならないことは分かっている。
でも、私にはそうすること以外に何も出来ない。
だから必死に毎日ピアノを弾いた。
後から、私が間違った数々のことが浮き出して来る。
最も大きなことは、あの石神高虎、トラと門土を引き離したことだ。
もしもあのまま二人に好きなようにやらせていれば、門土はいつまでも楽しくピアノを弾いていたと思う。
今なら分かるが、私には出来なかった、門土の成長を、あのトラはきっと成し遂げてくれただろう。
それに夢のような妄想だが、トラだったら門土が危ない時にはきっと助けてくれたとすら思う。
そんなことはあるはずもないが、トラだったら、きっと……
そんなことを考える自分を叱咤するように、ピアノを弾いた。
しかし、そうすればするほど、トラと門土を引き裂いたことが私の中で重い塊になっていった。
トラのことが忘れられなくなった。
トラに謝りたかった。
門土に謝りたかった。
私はとんでもない間違いを冒した。
門土の葬儀の日、門土が最後に書いていた楽譜をトラに渡した。
部屋で見つけて、すぐにそれが何なのか分かった。
トラを家に呼んだ最初の日に、私がテストのつもりで一緒にやったセッションの楽譜だった。
友人の西平貢の弟子だと聞いて、年回りも同じだったので呼んでみた。
サイヘーが自慢する弟子だった。
まだ未熟だが、魂の入った演奏をする子どもだった。
すぐに気に入り、どこまでやるのか確かめるために、セッションをした。
非常に面白い奴だった。
門土と仲良くするように言い、門土もトラのことをすぐに気に入った。
二人がよく一緒にいるようになった。
サイヘーの所にもしょっちゅう行っていた。
門土の音楽が一気に拡がったのが感じられ、私も満足だった。
だけど、トラはギタリストになるつもりはなかった。
私は門土の成長を妨げることになるだろうと思い、二人に二度と会わないように言った。
トラは悲しそうな顔をしたが、私の言うことを理解してくれた。
あの日のトラの顔が忘れられない。
私の後悔と共に。
後からもう夜中だったことに気付き、トラを送って行こうと思って外に出た。
トラが門の前で泣いていた。
嗚咽を漏らしながら、それでも必死で耐えて私の家に頭を下げて歩き出した。
声を掛けられなかった。
門土もトラとの別れを乗り越えて、ピアノに専念してくれた。
私は安心した。
でも、デヴュー公演の前に、門土が私に話してくれた。
「母さん。実はね、母さんにトラと会うなと言われた後も、何度かトラに会いに行ったんだ」
「え!」
「でもね、トラに叱られた。あの凄いピアニストの橘弥生が決めたんだと。それには絶対に意味があることなんだって。最後は殴られたよ。あいつ、喧嘩が凄いじゃない。思い切りやられた」
「そんなことが……」
「それでね、トラは自分も一生弾き続けるからって。もうギターとは離れられないからってさ。いつか、一緒にまたやろうって言ってくれた。だから僕も頑張ろうと思ったんだ」
「トラ……」
私は泣いた。
私が酷いことをしたトラは、門土のために必死に励ましてくれていた。
私がトラのチケットを用意すると言うと、門土が喜んでくれた。
もうほとんど売れてしまっていたので、最後尾の席しか取れなかった。
門土はそれでもいいと言ってくれた。
あのトラが来てくれるなら、もうそれで十分だと。
門土のデヴュー公演は大成功だった。
あの子は普段以上の実力を発揮して、見事な演奏をした。
トラの名前をステージで呼んだ。
来てくれたことは分かっていた。
でも、トラは遠慮してステージには現われなかった。
私との約束を、まだ守っていた。
門土が事故に遭い、ピアニストとしての道を閉ざされた。
トラにすぐに連絡した。
門土を救ってくれるのはトラしかいないことが分かっていた。
私などではダメだ。
トラだけだ。
トラはすぐに来てくれた。
トラは、門土に作曲家の道を示してくれた。
私はトラになんと礼を言いたかったか。
でも、今更私などの顔は見たくもないだろう。
自分の勝手な思い込みで二人を引き裂き、今更どう言って許してもらおうと言うのか。
門土は退院し、すぐに作曲を始めた。
でも、ピアニストになれないという現実が、門土を苦しめ続けた。
今なら思う。
あの時も、もっとトラに門土の傍にいてくれと頼んでいたら、あの子は死ななかったんじゃないかと。
本当に私はダメな親だった。
トラが私との約束を気にしながらも、時々門土に連絡してくれていたようだ。
でも、決して会いに来ようとはしなかった。
最後に一度だけ。
門土がトラを家に呼んだ。
私はその日は家に帰らないようにした。
私がいれば、トラが遠慮する。
門土と思うままに、昔のように楽しんで欲しいと思った。
門土がトラとの別れを済ませたのだとは、門土が死んでから分かった。
またしばらく私はトラのことを忘れようと努めた。
忘れられるはずが無かった。
門土のことが忘れられないのだから。
門土とトラはずっと一緒だった。
一緒にいるべき人間だった。
門土の十三回忌。
私はトラの病院の傍に会場を借り、門土のために演奏しようと思った。
トラに来て欲しくて、その場所を借りた。
トラが来てくれた。
私は渾身の演奏をし、私を育ててくれた徳川先生にもお褒めの言葉を頂いた。
ただ、その徳川先生がトラのことを一目で気に入っていた。
思わずトラを怒鳴った。
徳川先生は私にとって特別な方だ。
後から思えば、門土がトラを好きになったように、また大事な人間がトラを好きになることが、私の中で耐えられなかったのだろう。
どこまでもバカな自分に呆れた。
でも、トラとのセッション。
私は門土のために、あの日を再現するためにやるだけのつもりだった。
しかし、トラは信じられない成長を遂げていた。
あの最初の日に私が感じた、魂の演奏が一層飛躍し、この私が圧倒されるほどの見事な演奏だった。
私の中で、抑えがたい衝動が生まれた。
トラはプロのギタリストではない。
それがどうした!
トラほどのギタリストは、西平貢のような超一流の人間しかいない。
トラの演奏は、世界中の人間が聴くべきものだと確信した。
私は門土とトラを引き離したことが、本当に間違いだったと今更ながらに痛感した。
もう二度と間違わない。
案の定、トラは必死に抵抗した。
でも私も必死に縋った。
トラもやっと観念してくれた。
素人の、アマチュアでさえないトラのCDを出すことは難しかった。
私はインディーズでも良いかと考え始めた。
私が推薦すれば、多分それなりの人間が注目してくれる。
音楽雑誌にも伝手はあった。
そこでも記事を書いてもらおう。
しかし、予想外のことが起きた。
トラが引き取った子どもの一人が、京都で『ミュージック・フレンズ』の常務の古賀ちゃんと偶然知り合ったのだ。
古賀ちゃんは私が親しくしていた編集だった。
トラと西平貢との話を聞いた古賀ちゃんは、大感激でその記事を書きたがっていた。
私の所へ古賀ちゃんから連絡が来た。
門土とのことで、記事にしたいのだと言った。
驚いた私は、運命を感じた。
門土がトラのCDを出したがっている!
私は記事に協力すると言い、トラの音源を古賀ちゃんに送った。
古賀ちゃんも驚き、これをCDにしたいと言って来た。
全てが上手く回り、トラのCDが大手レコード会社から出ることになった。
世界中で500万枚が売れる大ヒットになった。
売れ行きはどうでも良かった。
トラがCDを出してくれたことが嬉しかった。
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それだけが、私の全てだ。
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