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みんなで冬の別荘 X 伊達教授

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 俺が九州大学に伺ったのは、真夏の一応俺の夏季休暇という名目でのことだった。
 蓼科文学は徹底的に俺を鍛え上げるつもりだったのは、とっくに分かっている。
 俺も蓼科文学に付いて行くつもりだったので、必死に耐えた。
 まあ、きついことは多いが、死ぬことはないだろうとも思っていた。
 
 「だけどよー。俺も人間だからちょっとは休みが欲しいぜ」

 真夏の福岡空港に降り、その熱気につい愚痴が出た。
 地下鉄を乗り継いで行ってもそう遠くないのだが、あまりの暑さに面倒になった。
 空港のタクシー乗り場を探し、タクシーで向かった。
 まあ、金は結構貰えるようにはなっていた。
 蓼科文学辺りならば送迎の車も出るのだろうが、俺はまだまだ下っ端だ。
 世界的に有名な外科医の伊達教授が下っ端の俺なんかに会って、数日間オペなどを見学させてもらえること自体が破格だった。
 蓼科文学の人脈のお陰だ。

 「だけどよー。疲れたよー」

 飛行機や移動時間ではずっと眠っていた。
 昼前に九州大学病院キャンパスへ着き、受付で名乗って伊達教授の部屋へ案内された。
 



 どんな人かと思っていたが、蓼科文学とは違って実直で優しそうな方だった。
 俺は丁寧に挨拶し、手土産の鈴伝の栗菓子を手渡した。

 「君が石神高虎君だね。蓼科先生から話は聞いているよ」
 「今回は大変お世話になります! 御高名な伊達先生のお話を伺えるだけで光栄です!」

 本当にそう思っていた。
 病院は大学病院を頂点としたピラミッド構造だ。
 特に国立大学ではその傾向が一層強い。
 そして国立大学の中でも最も多くの予算を奪い取って行く東京大学は、他の国立大学から良く思われていないことが多かった。
 だから九州大学の教授が東大系列の病院の俺を歓迎してくれることは稀なことなのだ。
 
 昼時だったので、伊達教授に昼食を誘われた。
 近所の寿司屋に連れて行かれた。

 「石神君は身体が大きいんだから、一杯食べてね」
 「いいえ! ウサギのように少食です!」

 伊達教授が笑っていた。
 俺が遠慮すると思ったのだろう。
 伊達教授がどんどん注文して俺に食べさせた。
 もちろん伊達教授の奢りだ。

 「ウサギってね、結構大食いなんだよ?」
 「そうなんですか!」

 優しく笑う、本当に良い方だった。

 伊達教授はその日から早速オペを見せてくれた。
 離れて立っている俺を呼んで、よく手元を説明してくれた。
 俺が時々質問すると、嬉しそうに説明してくれた。
 本当に見事なオペだった。
 何か見えているかのように、躊躇なくメスで切ってオペを進めて行く。
 ミケランジェロが「自分は彫刻などしていない。岩の中にいる神を掘り出しているだけだ」と言っていた。
 同じことを伊達教授がやっているように感じた。

 オペの後で俺がそういう感想を言うと喜んで下さった。

 「まあ、ミケランジェロじゃないけどね。でもある程度は透視してもいるよ」
 「やっぱりそうですか!」
 「これは経験だよ」
 「そうですよね!」

 俺にもその感覚が育ちつつあった。
 蓼科文学に膨大なオペを命じられ、必死に毎日こなしていたからだ。
 外の病院へやられる時も、最も救急搬送が多い「〇尾戦場」と呼ばれる病院へよくやられた。
 まったく寝る間が無かった。
 二人のオペを同時進行でやったこともある。

 オペが終わり、俺は伊達教授が手配してくれたホテルへ行った。
 非常にいいホテルで、もう宿泊代は支払われていた。
 蓼科文学だった。

 夜はちゃんと眠れるし、食事も美味かった。
 大満足で俺は数日を伊達教授のオペの立ち合いをさせてもらった。
 大変に有意義な時間を過ごした。
 伊達教授以外にも数人の人間と会って親しくなることが出来た。

 最後の夜に、伊達教授に夕飯を誘われ、喜んで御受けした。
 高級な割烹のお店で、伊達教授の行きつけらしかった。
 珍しい高級魚「アラ」を食べたのはその時が初めてだ。
 俺はまたオペについていろいろ質問し、伊達教授を喜ばせた。

 「石神君は熱心だし、この仕事に夢中なんだね」
 「まあ、死んだ恋人が俺に立派な医者になって欲しいって言ってましたから」
 「そうなのか」

 誰にも話せなかった奈津江の名前を、伊達教授には不思議と自然に口に出していた。 
 伊達教授は遠くを見つめるような顔になった。

 「石神君。外科医に必要なことって何だと思う?」
 「はい。やはり膨大な経験だと思います。理屈や理論じゃない。本当に患者と向き合って体当たりで行かないと、経験は振り向いてくれない」
 
 俺の実感だった。

 「その通りだ。僕もね、若い頃にそういう経験をしたんだ」
 「そうですか!」

 俺の考えに伊達教授ほどの方が同意してくれたのが嬉しかった。
 しかし、俺の甘い想像を超えた話を伊達教授はしてくれた。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 太平洋戦争でアメリカの猛攻によって大日本帝国が負けて行くようになった時期。
 兵士の絶対数を欲した軍部は、兵役の年齢を引き下げて学生たちを戦場へ送り出した。
 学徒出陣だ。

 当初は国立大学の学生は将来を有望視されて免除されていたが、やがて戦況がひっ迫して彼らも出陣して行った。
 若き伊達青年も徴兵され、地獄の南方戦線へ軍医として送られた。

 そこは本当に酷い状況だった。
 海軍はミッドウェイ海戦で敗北して逃げ、レイテ沖海戦でも失敗し、そこから急激に南方諸島の拠点を喪って行った。
 既に制海権はほとんど米軍に握られ、弾薬はおろかほとんどの物資さえ届かなくなっていく。
 軍医として経験も無かった伊達青年は、それでも必死に任務に邁進した。
 しかし、続々と運ばれてくる負傷兵や厄介な感染症に冒された兵士たちに打つ手がない。
 薬は枯渇し、包帯も何もかも足りず、衛生環境すら維持できなかった。
 
 「先生」

 まだ本来は学生であった伊達青年は「先生」と呼ばれることが辛かった。
 自分にもっと実力があれば、もっと救える命があるはずだと。

 「先生、自分はもう楽になりました。薬は戦友たちのために使って下さい」
 「はい、分かりました」

 そう言う兵士が多かった。
 自分のことよりも、他の苦しむ人間にとみんなが訴えていた。
 その薬が無いことに、伊達青年は一層辛かった。

 出来るのは受けた弾丸や砲弾の破片を取り除いたり、壊疽を起こした部分を切除する外科手術など。
 麻酔薬も消毒薬も無い中で、煮沸した布を皮膚に充てて消毒の代用にしたりした。
 体力を喪った負傷兵にはなるべく負担を掛けられない。
 細心の注意で、最小のオペで成果を出さなければならない。
 だが、経験の浅い伊達青年の術式は拙いことも多かった。
 大体が、設備も道具も薬品すらない野戦病院でのオペなど無理なことだった。

 死にゆく兵士がまた伊達青年に感謝する。

 「先生、ありがとうございました!」
 「先生、お世話になりました!」

 みんなそう言いながら死んで行った。
 伊達青年は泣く暇すらなかった。
 心の中で膨大な涙を流し、死んで行った方々に詫び続けるしかなかった。

 


 いよいよ、伊達青年がいた島にも米軍が押し寄せてこようとしていた。
 残った兵士たちは、全員が玉砕戦をする覚悟でいた。
 伊達青年もそれに従うつもりだった。
 これでやっと楽になれる、仲間たちと一緒に行けるのだと思った。

 部隊長の大佐に呼ばれた。

 「一機だけ動力を積んだボートがあるんだ」
 「はい?」

 「君はそれに乗ってここを出て行け」
 「何をおっしゃるんですか!」

 伊達青年は大佐に喰らいついた。

 「自分もここの兵隊です! みなさんと一緒に玉砕するんです!」

 大佐は涙を湛えた目で伊達青年を見た。

 「分かっている。でも、誰か一人でもここから生き延びて、俺たちの出来なかったことをして欲しいんだ」
 「大佐!」
 「君はまだ若い。本来は君のような若者を、この地獄のような場所に送っちゃいかん。君は今日まで本当によくやってくれた。君のお陰で、みんな安らかに旅立つことが出来た。感謝する」
 「ダメです! 僕も一緒に残ります!」

 大佐は異議を正して言った。

 「命令! 伊達邦夫軍医は通達書を必ず本国の参謀本部へ届けることを命ずる!」
 「はい!」

 伊達青年は敬礼して応じるしかなかった。




 大佐が用意したボートは木製で、後部にスクリューエンジンが搭載されていた。
 お世辞にも外洋を渡れるものではない。
 オールもあり、燃料が尽きたら手こぎで進めと言うことだ。
 伊達青年を確実に助けるものでは全く無かった。

 夜明け前に出発することになっていた。
 伊達青年がボートの場所に行くと、大勢の兵士が集まっていた。

 「みなさん!」
 「軍医殿! どうか御武運を!」
 「俺たちはここで立派に散華致します!」
 「お世話になりました!」
 「戦友が感謝してました! あいつ、笑って逝きました!」

 「みなさん!」

 大きな声を出すなと言われ、みんなに笑われた。

 「おさらばです!」
 「どうそ御無事で!」

 様々に声を掛けられながら、伊達青年はボートに乗り込んだ。
 シートをめくると、精一杯の貴重な水や食糧を後で見つけた。
 もう自分たちには必要ないということだったのだろう。
 



 伊達青年は2週間の漂流の後に、偵察中の海軍の駆逐艦に発見され、一命を取り留めた。
 伊達青年の乗っていたボートの方角が鈍く光っていたと後から駆逐艦の観測員から言われた。

 その日、伊達青年のいた島で玉砕戦が敢行され、全員が散華した時間だと後に知った。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



 「石神君。僕はね、あの人たちに救われたんだ」
 「はい」

 俺は聞きながら思わず泣いてしまっていた。

 「経験が必要だというのは、その通りだよ。でもね、その向こう側には、多くの人たちの命があるんだ。自分が経験を積もうとする理由というのかな」
 「はい!」
 
 「君を一目見て、君がそういう人間だと僕には分かった。だから君は立派な医者になるよ」
 「俺なんて、そんな……」
 「君は最初に死んだ恋人の話を僕にしてくれたね。だから確信したんだよ」
 「伊達先生!」
 「短い時間だったけどね。僕の持っているものを全て教えたつもりだ。もちろん今後も機会があればいつでも来て欲しい」
 「はい! お願いします!」




 俺は立派な医者になどなれない。
 そういうものは、伊達教授のような立派な方がなるものだ。
 でも、そういう俺だって、向かい続けたいと思っている。

 俺たちは、そうやって生きることしか出来ない。
 そうでなければ、伊達教授のような方々に申し訳ない。

 あの優しいお顔の向こう側にある、悲愴なもの。
 それは、俺の足を止まらせない。
 向かい続けるのだ。
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