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《ボルーチ・バロータ》潜入計画

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 ロシア・サンクトペテルブルク郊外。

 「ロシアの冬ってよ、どうしようもなく寒いな」
 「そうだよな。気合入れてねぇと「血刀」が形になる前に凍っちまうぜ」

 ハインリヒとエリアスは森の中を通る道をスズキ・ジムニーで進んでいた。
 車内はヒーターを焚いても温かくならない。
 ガラス張りの構造上、保温が難しいのだ。
 二人は車内でも毛皮のコートを着ていた。

 「レジーナの指示でなけりゃ、こんな仕事はお断りだったぜ」
 「そう言うな。俺たちは日本で「イシガミ」に迷惑をかけた。その詫びは俺たちが返さないとだぜ」
 「ハインリヒ、お前はそう言うけどな! あいつに俺たちがされたことを忘れてねぇだろうな!」
 「もうよせ、エリアス。俺たちは殺されても文句を言えない状況だった。無事に解放された時には思わず感謝したぜ」
 
 エリアスはまだ石神を恨んでいた。
 自分たちの不死身性を、あんな形で弄んだ奴はいない。
 
 「あー! なんでレジーナもデア・クローセ(偉大なる方々)もイシガミなんぞに靡いたんだ」
 「仕方無いだろう。イシガミは俺たちを全滅出来るんだからな。逆らうわけにはいかないよ」

 エリアスは多少直情的な面があり、時折ハインリヒを困らせた。

 「シュヴァルツェス・ブルートの連中だって、本気で遣り合ってねぇだろう」
 「いや、イシガミたちの戦力を十分に理解したんだ。相手にならない」
 「情けねぇ!」

 ハインリヒたちには、不死身の肉体に加えて「血刀」という自分の血液で作る特殊な刀剣の技があった。
 そして、もう一つの技を隠していた。

 「もうすぐ《ボルーチ・バロータ(狼の門)》の本拠地だ。そろそろクールになれ」
 「分かってるよ!」

 世界的コングロマリット「ローテス・ラント」は、ロシアの裏社会を支配した《ボルーチ・バロータ》への接触を始めていた。
 ヨーロッパのエネルギー資源や地下資源が枯渇し、アメリカの「ロックハート」からの輸入に頼っている状態を解消したいというのが表向きの交渉目的だった。
 そのために《ボルーチ・バロータ》に必要な資源の輸出を頼み、見返りに非合法な協力もするという提案だ。
 実際には石神の采配によって資源は十分に回せるように準備されている。
 但し、表面上では今まで通りにロックハートからの輸入を偽装している。
 「ローテス・ラント」は、石神のために、謎の組織の全貌を探ろうと動いていた。




 「ようこそ、《ボルーチ・バロータ》へ」
 「どうぞよろしくお願いいたします。我々のことはどうか、ハインリヒとエリアスとお呼び下さい」
 「かしこまりました。それでは私のことはイーゴールと呼んで下さい」
 「よろしく、イーゴール」

 サンクトペテルブルクの北西の森の中に建てられた巨大な邸宅だった。
 敷地はおよそ4万平米、建坪は5千平米以上だろう。
 高さ4メートルの壁に囲まれ、敷地内にはあちこちに監視所と詰め所が点在している。
 武装して徘徊する人間たちも見える。
 ハインリヒたちが最終目的としている《ハイヴ》ではないが、重要拠点の一つではあるだろうと思われた。

 正面の入り口にも両側に銃眼の開いた詰め所があり、外にも4人の武装した人間が立っていた。
 この氷点下30度にもなる中で、平然と重機関銃を構えていた。

 邸宅の中へ案内され、長い廊下を歩いた。
 10メートルにもなる天井高の廊下の壁には、幾つもの絵画が掛けられている。
 何点か、盗品があることをハインリヒたちは見てとった。
 奥の一部屋へ入れられた。
 巨大な30人も掛けられるテーブルがあり、椅子を引かれて下座に座らされる。

 紅茶を出され、1時間待たされた。
 その時点で、自分たちの扱いが分かった。
 巨大コングロマリット「ローテス・ラント」と雖も、彼らはそれほど歓迎していない。
 外よりも大分ましだが、部屋に暖房は通っていなかった。
 二人ともコートを脱がなかった。

 ようやく、イーゴールがもう一人を連れて部屋へ入って来た。
 イーゴールは一般的なロシア人の体格だったが、新たに入って来た男は身長190センチ、体重130キロもありそうな巨漢だった。
 年齢は40代のようだが、目の光が老成している狡猾な輝きだった。
 イーゴールの護衛ではない。
 彼よりも上の人間だとハインリヒは判断した。

 「お待たせしました。我々もなかなかに忙しいもので、申し訳ありません」
 「いいえ、構いません。宜しくお願いします」

 立ち上がったハインリヒとエリアスに、イーゴールが座るように言った。
 もう一人の巨漢については紹介されない。
 二人は随分と離れた、テーブルの奥に座った。

 「早速ですが、資源が欲しいとのことでしたね」
 「はい。以前は貴国からパイプラインで送られておりましたが、1年前からそれも途絶えております。今はアメリカからの輸入でなんとか凌いでおりますが、正直に申しますと非常に厳しい状況です」
 「ヨーロッパは現在、ロックハート財閥が供給していると聞きましたが」
 「それが問題なのです。元々は我々「ローテス・ラント」が中心に供給していたのです。それが今では我々はロックハートにぶら下がるしかない。その状況を何とかしたいと」
 「そうですか。まあ、不可能な話ではありませんが」

 イーゴールが言い、ハインリヒたちは喜んだ。

 「本当ですか!」
 「はい。でも、我々もそれほど余剰分があるわけではありません」
 「でも、ロシアは稀に見る大規模な油田を有しているのでは?」
 「その通りです。しかし今は国内の消費が多くなり、輸出を控えている状況なのです」

 表向きにはそのように言われている。
 実際には石神たちによって、どのような方法でか油田が根こそぎ奪われていることをハインリヒたちは知っていた。

 「そうですか。でも我々も必要なのです」
 
 イーゴールがもう一人と話していた。

 「「ローテス・ラント」は見返りの用意があると聞きました」
 「はい。ロックハート家に「虎」の軍が関わっていることは知っています。我々はあなた方と共に、「虎」の軍に敵対することを協力いたします」
 「「ローテス・ラント」がですか?」
 「はい。我々には兵器開発部門もあります。あなた方に、良質な最新の兵器を提供できると思います」
 「そうですか」
 「それに、これから各国の協力者を集めて参ります」
 「それは?」

 「少なくとも、現段階で各国が「虎」の軍へ恭順を示しているのは、彼らが資源の提供をしているためです。そのことを面白く思わない人間は大勢います。ですので、我々からの供給が始まれば、「虎」の軍から離れる者も多いはずです」
 「でも、それはどちらからの供給でも同じことなのでは?」
 「いいえ。「虎」の軍はあまりにも異常な戦力を持っています。彼らをこのままのさばらせることを、伝統あるヨーロッパは好みません」
 「なるほど」

 筋は通っているはずだとハインリヒは思った。
 そして、本当にそう考えている人間はいるだろう。
 ヨーロッパを統合して協力するという申し出は、《ボルーチ・バロータ》にとって魅力的なはずだった。
 イーゴールたちはまた小声で話していた。
 ハインリヒはそれを見て好感触を得たと感じ、更に話した。

 「実は恥を申し上げることになりますが」
 「何でしょうか?」
 「以前に、私共の私兵拠点が「虎」の軍に襲われました。彼らは圧倒的な戦力を用意して来ましたので、拠点は壊滅いたしました」
 
 イーゴールが驚いている。

 「何故あなた方の拠点を「虎」の軍は襲ったのでしょうか」
 「我々が非協力的だからです。ロックハート家の供給を邪魔することも多かったですから」
 「そうですか!」
 「見せしめのつもりですよ。今後「虎」の軍に逆らえばどうなるのかを各国へ示したのです」
 「なるほど!」

 ハインリヒはこれで信頼を得たと考えた。
 すぐには無理だろうが、これから徐々に《ボルーチ・バロータ》に侵食出来る。
 資源の供給などどうでも良い。
 交渉が上手く行ったと思った。
 その時、巨漢が初めて喋った。
 地の底から響くような声だった。

 「достаточно(もういい)」

 イーゴールが立ち上がって巨漢に深々と頭を下げて離れた。
 巨漢が立ち上がり、大きな身体が更に膨れ上がって衣服を裂いた。
 体長3メートルにもなる化け物になった。

 「エリアス! ライカンスロープだ!」

 ハインリヒが叫ぶと同時に椅子を蹴って立ち上がった。
 エリアスも部屋の隅に移動する。
 状況を瞬時に理解し、ハインリヒは「血刀」を形成して襲い掛かった。
 エリアスは部屋の隅で何かを唱え始める。

 「吸血鬼風情が、我々を騙し通せると思ったか」

 怪物がまた地の底の声で言った。
 全てがバレていた。

 「田舎者なら簡単だと思ったぜ!」
 
 ハインリヒは言いながら「血刀」で怪物に斬り掛かった。
 怪物の肌に触れた瞬間、刀身が飛び散った。
 強烈な左フックがハインリヒの腹部に突き刺さる。
 一撃でハインリヒの下半身は飛び散った。

 「グッフゥ!」

 圧力で肺から一気に空気が噴き出る。
 吹っ飛んだハインリヒの上半身をエリアスが受け止めた。
 エリアスの顔は醜怪な皺に覆われていた。
 石神にも見せたことのない、吸血鬼の獣化だ。
 エリアスは怪物を見向きもせずに部屋を飛び出した。
 走るスピードは音速に近かった。
 玄関を飛び出て、襲い掛かる武装した者たちを蹴散らしながら疾走した。
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