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ドアに立つ女

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 あれは初夏の頃のこと。
 一江から週明けの報告をいつも通りに聞き、仕事面では異常が無いことを確認した。
 ただ、今年も俺が長期休暇を取ることに一江が不満そうだった。

 「私と大森が出なきゃですねー」
 「ああ、悪いな」
 「もう!」

 俺は笑って一江の顔面を握って痛がらせて遊んだ。

 「あの、部長」
 「あんだよ?」
 「ちょっと私事で御相談があるんですが」
 「ああ、聞かなくていいや」
 「部長!」

 一江が真剣に頼んで来るので、場所を変えた。
 空いている会議室を一江に押さえさせる。
 大森も一緒に来た。

 俺はコーヒーを用意させて、二人の話を聞いた。
 二人は神妙な顔をして話し出した。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 一か月前に、その異常に気付いた。
 ちょっと寝過ごして慌ててコーヒーだけを沸かして飲んだ。
 何かお腹に入れておかないと、私はダメになる。
 虚弱な身体だが、もう何十年も付き合っているのだから、仕方がない。
 急いで顔を洗ってメイクだけをした。
 何故か目覚ましが機能しなかった。
 目覚まし時計とスマホのアラームを掛けている。
 両方とも鳴らなかった。
 慌てて支度してマンションを飛び出た。
 いつもは銀座線で病院に行くが、タクシーを拾って急いでもらった。
 私が住んでいるのは青山なので、すぐに病院に着く。
 何とか出勤時間に間に合った。
 先日山岸が遅刻してきたので怒鳴ったところだ。
 だから自分が遅れるのは絶対に不味い。

 「まにあったー!」
 「おう、一江、遅かったな」

 同じマンションに住む大森は午前のオペがあって、いつもよりも早く出勤していた。
 近づいて、小声で耳打ちする。

 「ちょっと寝過ごしちゃってさ」
 「アハハハハハ!」

 そこでハッと気付いた。
 私、コンロの火を消したっけ?
 大分慌てていたので記憶が曖昧だ。
 物凄く不安になってきた。

 管理人さんに確認してもらおうか。
 うちは結構いいマンションなので、管理人さんが常駐している。
 でも、うちにはいろいろと部長関連で特殊なものも置いてある。
 他人を気軽に入れるのは不味いだろう。
 一般の人間が見てもどういうものかは分からないだろうが、観たことも無い機械類は不審に思われるだろう。
 どこでどういう風に話が拡がるのか分からない。
 部長に断って帰ろうかとも思った。
 大森は既にオペに入っていた。
 10時に来られた部長に一応相談する。
 
 「ちょっと自分の部屋に電話してみろよ」
 「え?」
 「もしも燃えてたら、電話がつながらねぇだろう!」
 「!」

 部長は大笑いでそんなジョークを口にした。
 頭を軽く小突かれて、早く帰れと言ってくれた。
 私のオペは昼からだが、間に合わなければ自分がやって下さると。
 でも部長もお忙しいので、それは申し訳ない。
 私は念のために部長の冗談の通りに一度家に電話してみた。
 携帯があるのでもう固定電話は必要ないのだが、部長のお宅でも今でも固定電話を中心に使っている。
 私も何となく、それを真似ていた。

 電話をした。
 呼び出し音が聞こえた。
 取り敢えず、ホッとする。
 その時、受話器が持ち上がる音がした。

 「え?」

 誰かがいる!
 私は脅えながら「もしもし」と話した。

 「……」

 無言だった。
 そして電話が「カチャリ」と切られた。

 「ぶちょーーーーー!!」

 慌てて部長に今のことを話した。

 「なんだ?」
 「分かりませんよ!」
 「侵入者か!」
 「でも、うちも一応「皇紀システム」が入ってますけど」

 以前から部長の御好意で、うちと大森の部屋に「皇紀システム」が入っている。

 「分からん! おい、一緒に行くぞ!」
 「はい!」

 部長がシボレー・コルベットを出してくれ、一緒にマンションへ向かった。
 あんまし、この車、好きじゃないんだけど。
 猛烈な視線を浴びながら、マンションに到着した。

 部長が私から鍵を預かり、独りで中へ入る。
 火事の様子はない。
 10分程して部長が出て来た。

 「誰もいねぇ。気配もない。ああ、ガスコンロはちゃんと止まってたぞ」
 「はぁ」
 「大丈夫そうだな!」
 「あの、部長」
 「あんだよ?」
 「その下着……」

 部長が干してあった私の黒のシースルーのTバックを手にしていた。

 「おう! お前、すげぇの履いてんだな!」
 「ちょっと! 何すんですか!」
 「ワハハハハハハハ!」
 「返して下さいよ!」
 「いいじゃんか。今日の手間賃だろう」
 「辞めて下さい!」

 このセクハラ上司が!
 部長が頭に被ってから返してくれた。

 「……」

 


 その日に家に帰るのが、少し怖かった。
 大森に事情を話し、一緒に寝てもらった。
 私の家はパワハラ上司にドアを破壊されて以来、全部ドアを取り払っている。
 トイレだけは後から取り付けた。
 大森が泣いて頼んで来たからだ。

 夜に寝ていると、大森が騒いだ。
 私を揺り起こす。

 「なんだよ?」
 「今、ドアの外に足が見えた!」
 「なんだ?」
 「誰か立ってたんだってぇ!」
 「お前、何言ってんだよ」

 言いながら、私もちょっと怖かった。
 私が見ても、もう何も見えない。
 でも、大森は確かにいたのだと言う。

 「気持ち悪いな」
 「ああ、でも女性の足だったぞ」
 「そうなのか?」
 「裸足だった」
 「そうか」

 その日は取り敢えず、そのまま寝た。





 まあ、見ているだけなら構わないか。
 もしかしたら、私が消し忘れたコンロを、そいつが消してくれたのかもしれない。
 そうだったら、いい奴じゃん。
 そんなことを考えていた。
 今から思えば、もうその時には精神に干渉されていたのかもしれない。  
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