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早乙女……襲撃者

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 翌日、石神に付き添われて成合さんのマンションへ行った。
 石神が一緒なことは伝えていない。
 話をしたいとだけ告げている。

 成合さんは喜んで待っていた。
 石神とはマンションの入り口で離れている。
 雪野さんを安心させるために同行すると言ってくれたが、こうやって俺一人でけじめをつけさせようとしてくれている。

 成合さんはまたドアの前で待っていた。
 石神がどこにいるのかは分からない。
 でも、きっと傍にいる。
 
 「早乙女さん!」
 
 玄関に入るなり、成合さんは俺に抱き着こうとした。
 俺は手を伸ばし、それを拒んだ。

 「早乙女さん?」

 黙って玄関で靴を脱ぎ、ダイニングへ行った。

 「成合さん、申し訳なかった。今日はあなたときっぱり別れようと言いに来たんです」
 「え?」

 成合さんは驚いていた。
 無理もない、俺がその気にさせてしまったのだから。

 「俺は妻と子どもが大事だ。夕べ妻にも全て話した。もうあなたとは会えません」
 「何を言うんですか、早乙女さん!」

 俺は断固として崩れなかった。
 成合さんは泣き、俺に抱き着こうとしたが、拒絶した。

 「今日はそれを言いに来たんだ」
 
 成合さんはもう答えなかった。
 ただ、立ったままで泣いていた。
 ピピが成合さんを心配そうに足元に寄って来ていた。

 「じゃあ、これで」

 成合さんが駆け寄って来るので、俺は振り向いてまた拒んだ。
 そのまま玄関へ向かう。

 「あの日、早乙女さんと出会えたのは運命でした!」
 
 成合さんが叫んでいる。

 「何も無かった私の人生で、漸く! 本当にやっとあなたと出会えたのに!」
 「もう終わりです。俺は二度とあなたと会いません」
 
 「命を賭けたのに!」
 「え?」
 「私、自分が死ぬかもしれないと分かっていた! それでも、あなたと……」
 「どういうことですか?」

 俺は戸惑っていた。
 一体彼女は何を言っているのだろうか。

 「そう言えば、成合さん。あなたはどうしてあの駐車場にいたんですか?」

 俺の言葉を聞いた瞬間、成合さんが豹変した。
 泣いていた顔が、一瞬で無表情の能面のようになった。
 突然、足元のピピを蹴り上げた。
 素人の蹴りではないことが分かった。
 格闘技の熟練者の蹴りだ。
 ピピはダイニングにまで飛ばされ、床に落ちて動かなくなった。
 身体の形がおかしい。
 呆然としている俺を押しのけて、成合さんが玄関の靴入れの扉を開いた。
 そして俺に振り向くと、拳銃を握っていた。
 俺は咄嗟の展開に何が何だか分からなくなっていた。

 「ダメだ! 俺に銃口を向けるな!}
 「あなたを殺して私も死にます!」
 「やめろ! 銃を捨てるんだ!」
 「早乙女さん!」
 「モハメドさん! お願いですから、殺さないで下さい!」

 俺は成合さんにではなく、モハメドさんに頼んでいた。
 成合さんは銃口を向けてはいたが、引き金を引かなかった。
 感情の消えた顔が、一瞬だけ綻んだ。
 そして銃口を自分の口に入れ、引き金を引いた。

 「成合さん!」

 後頭部から大量の血と肉片が噴き上がり、成合さんは後ろへ倒れた。

 「モハメドさん! どうして止めてくれなかったんですか!」

 モハメドさんの返事はなかった。
 俺は成合さんだった人の身体を抱き上げ、何度も名前を呼んだ。
 
 玄関の扉が開いた。
 石神が入って来る。
 ドアの外で待っていたらしい。

 俺が抱えている成合さんを石神が調べていた。

 「大分整形の痕があるな」
 「え?」

 石神は顔を入念に触っていた。

 「骨を削るまでやったか。歯もいじっている。相当だな」
 「なんだって?」
 「お前を狙っていたとはな。俺も考えてもいなかったぜ」
 「どういうことだ!」

 石神は落ち着けと言い、成合さんをベッドに運べと言った。
 その通りにした。
 もう石神は成合さんの身体を調べることなく、顔にタオルを掛けた。
 後頭部は悲惨なことになっているだろうが、成合さんの顔は不思議なほど美しいままだった。

 「モハメドを責めるなよ? 殺気が無かったんだ」
 「え!」
 「銃を向けちゃいたが、お前を撃つつもりは無かったんだ。だから俺も遅れた。でも、多分酷い洗脳を受けていた。お前を殺して自分も死ぬというな。だから精一杯逆らって、自分を先に殺したんだろうよ」

 俺はまだ混乱していた。
 成合さんは、最初から俺に接近するつもりだったのか。

 「でも、俺にも予想外だった。まさか、こんなに手の込んだことをしているとはな」
 「本当に成合さんは洗脳されていたのか」
 「調べれば分かる。その女のことをちゃんと洗ってみろよ。多分「業」の関連から送られて来た奴だ」
 「そんな……」
 「本人も忘れているだろうよ。相当な洗脳だ。レイが施されていたようにな」
 「……」

 石神は俺に「アドヴェロス」を呼ぶように言った。
 俺に下で迎えるように言い、石神は部屋に残った。
 すぐに成瀬が隊員と鑑識を連れて来た。
 石神はいなくなっていた。
 まだ「アドヴェロス」に正体を明かせないためだ。
 




 後日。
 成合有紀が別人であったことが分かった。
 石神から家に呼ばれ、その話をした。
 俺は捜査の結果を話し、石神は別な調べ方をしてくれた。

 恐らく既に本人は消されている。
 成合有紀の身分だけを乗っ取り、俺に接近したようだった。
 本物の成合有紀とはまったく顔が違っていた。
 石神が言った通り、相当な整形が施されていた。
 俺の姉に似せるためだろう。

 勤め先のデパートには事件の一か月前から病気療養の連絡が入っていた。
 同僚たちは地下駐車場の事件すら知らなかった。
 同僚から何度か連絡したらしいが、本人は電話に出なかった。

 石神は、成合さんになりすましていた女の遺体に、タマさんに記憶を探らせたと言った。
 
 「死んでしまっていたからな。ほとんど分からない。でもお前を好きになったことと、情報を得るつもりだったことは分かった」
 「そうか」

 石神が話ながら、俺の顔を心配そうに見ていた。

 「相当深い洗脳だった。本人も本気でお前を好きになった。そういう洗脳だけどな」
 「……」
 「お前から「アドヴェロス」や俺たちの情報を得ようとしたんだろうよ。でも、万一失敗したら、お前を殺すつもりだった」
 「そういうことがあの人の中に同時にあったのか?」
 「洗脳の階層があるんだよ。最初は本気で好きになり、お前が篭絡されたら、次にお前から情報を引き出す階層に移る。本人の中では連続するんだよ」
 「そういうものか」
 「そして、途中でお前に気付かれたら、お前を殺す階層に移行する」
 「それも連続しているのか!」
 「まあな。但し、愛するお前を殺すというのはかけ離れ過ぎている。だからスイッチがあったと思う」
 「それは?」
 「お前に不信感が芽生えたのを感じたら、まず自分の犬を殺す。そうやってお前を殺す心になれる」
 「なんだって!」
 「そういうセッティングなんだよ。人間には感情も倫理観もあるからな。それを乗り越えるスイッチが必要なんだ。そしてお前を殺して自分も死ぬ。今度はそう思うことでお前を殺せるようになるんだ」
 「石神……そんな……」

 俺を狙って来た女だったが、あの成合有紀と名乗った女が憐れで仕方が無かった。
 自分が騙されていたことは分かっているが、あの優しい、俺を見ると嬉しそうな美しい笑顔が忘れられなかった。

 「泣くな。もう終わった。早乙女、全部終わったんだ」
 「……」
 「お前は頑張った。多少よろけたけどな」
 「石神……」

 石神は俺に言葉を掛け続けてくれた。

 「お前、本当にあの女が好きだったか」
 「そうだ」

 俺は肯定した。
 そうしなければ、成合さんだった女が可哀そう過ぎる。

 「そうか」

 石神はしばらく、俺を泣かせてくれた。
 ずっと何も言わなかった。
 俺が落ち着いて来たのを見て、また声を掛けてくれた。

 「誰かを好きになるのは悪いことじゃねぇ」
 「……」
 「だから、あんまり深く考えすぎるな。雪野さんに悪いとか、騙されたとかは別な問題だ。お前は心底好きになった。それでいいじゃねぇか」
 「石神……」
 「あの女もそうだったと思うぜ。きつい洗脳に逆らって、お前を殺さなかった。自分の命を捨ててな」
 「!」
 「お前はいい女に惚れたんだよ。相手もお前を本気で愛してくれた。お前は忘れないでいてやれよ」
 「うん、石神……俺は忘れないよ」

 「お前も辛い人生だな」
 「お前ほどじゃないよ」
 「生意気言うな!」
 「あははは」







 成合有紀を名乗った女は、最後に言っていた。
 俺と出会うために、命を賭けたのだと。
 そのことは真実だ。
 あの、銃撃犯の乱射の弾を身体に受けたのだ。
 頭部や心臓であったら即死していた。

 石神に言わせれば、それもまた洗脳だったのだろうが。

 でも俺はそこまでして俺を愛そうとしたことが、嘘だとは思いたくなかった。
 
 多分、俺は間違っているのだろう。
 それでも、俺はあの女を忘れることは出来なかった。
 
 石神は「誰かを好きになることは悪いことではない」と言っていた。
 その言葉が俺の救いになっている。
 俺は雪野さんを悲しませた。
 だけど、あの女を好きになったことは俺の真実だ。
 間違っていようが関係ない。

 今も、そう思っている。   
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