上 下
1,722 / 2,808

早乙女 襲撃者 Ⅳ

しおりを挟む
 土曜日。
 
 「雪野さん、今日は夕飯は外で食べて来るから」
 「あら、そうなんですか」
 「うん、ちょっとね。親しくなった人がいて、その人と一緒に食べる約束をしたんだ」
 「はい、どなたですか?」
 「また今度紹介するよ」
 「はぁ」

 雪野さんに初めて嘘を吐いた。
 俺を信じてくれている雪野さんは、何も疑わない。
 ちょっとおかしいと思っているかもしれないが、何も問い質されなかった。
 それが辛かった。

 「なるべく早く帰るよ」
 「いいえ、ゆっくり楽しんで来て下さい」
 「うん、ごめんね」

 昼食を食べた後で、怜花と遊んでやり、雪野さんの家事を手伝った。

 「いいですよ、ゆっくりしてて下さい」
 「うん」

 雪野さんに申し訳ないと思いながら、俺は成合さんと会うのが楽しみだった。
 そして、そんな自分を許せない自分がいた。




 4時になり、大分早かったが出掛けた。
 どこかで時間を潰してから行こうと思った。
 伊勢丹に寄って、成合さんの退院祝いを探した。
 姉がエルメスのスカーフを大事にしていたことを思い出した。
 あれは姉の就職祝いに、父親が買ったものだった。
 もう手元には無い。
 姉の棺に入れた。

 エルメスに入り、成合さんに似合いそうな明るい色のスカーフを買った。
 「快気祝い」と内熨斗を付けてもらった。
 そうすることが、俺の精一杯の誤魔化しだった。

 タクシーで早稲田通りのマンションに向かう。
 酒を飲むことを考え、ポルシェには乗ってきていない。

 5時過ぎになっていた。



 オートロックで呼ぶと、成合さんが喜んでドアを開けてくれた。
 エレベーターで上がると、もう外で待っていてくれる。
 エプロンを付けて、手を振って笑っている。
 俺も笑って手を振った。

 「待ってました! さあ、中へどうぞ」
 「ちょっと早かったですかね」
 「そんなことは! 今日はゆっくりして行って下さいね」
 「お邪魔します」

 ピピも玄関に来て、俺に寄って来る。
 俺は抱き上げて撫でてやった。

 「すっかりピピも懐いてますね!」
 「アハハハハ!」

 ダイニングのテーブルに座り、コーヒーを出してもらった。

 「すぐに出来ますから、ちょっと待ってて下さい」
 
 既にテーブルには幾つかの料理が並んでいる。
 成合さんは料理が得意そうだった。
 洋食だった。

 ローストビーフをメインに、マリネやグラタン、サラダにニョッキ、パスタにスープ。
 独りで作るのは大変だっただろう。
 そしてどれも美味かった。
 ワインを開け、二人で飲んだ。
 
 「あの、これ」
 「なんですか!」

 エルメスのスカーフを渡した。

 「まあ!」

 成合さんがすぐに開いて首に巻いて見せてくれた。
 
 「ありがとうございます!」
 「いいえ。こういうものを選ぶことが無かったんで、気に入っていただけるか心配でした」
 「素敵ですよ! 本当にありがとうございました」

 俺は照れてワインを飲んだ。
 成合さんが座っている俺の後ろに来た。
 俺に手を回して来る。

 「嬉しい、本当に」
 「そうですか、良かったです」
 「もう、こんな御礼じゃ済まないですよね」
 「いいえ、とても美味しいですよ」

 成合さんが顔を回して来た。
 俺の顔を手で向けて、俺にキスをして来た。
 思わず立ち上がってしまった。
 成合さんはまた俺に正面から抱き着いて来る。
 俺を潤んだ目で見上げている。

 「好きです、早乙女さん」
 「成合さん……」

 俺も抱き締めた。
 俺からキスをした。
 舌が挿し込まれ、俺も自分で絡めた。

 「あの、シャワーを浴びて来ますね」

 成合さんが離れてから言った。
 それが何を意味するのかは分かる。

 首筋に衝撃があった。
 モハメドさんだ。

 俺は我に返った。
 
 「あの! 今日はもう帰ります!」
 「え、早乙女さん!」
 「すみません、ご馳走様でした!」
 「待って下さい、あの!」
 「すみません!」

 家に帰った。
 自分のことを許せなかった。
 俺は雪野さんを裏切ってしまった。




 その翌週。
 俺はまた成合さんにマンションに来て欲しいと言われた。
 俺はもう会う気は無いと伝えた。
 しかし、成合さんはどうしても先日のことを謝りたいと言った。
 俺も自分の気持ちに決着をつけるつもりで、マンションに行った。

 「早乙女さん……」
 
 成合さんは寝間着姿だった。
 体調が悪く、寝込んでしまったと謝った。
 俺は気にしないで休んで欲しいと言った。
 お茶だけでもと言われ、中へ入った。
 ピピが俺を見て嬉しそうにまとわりつく。

 「どうしても体調が安定しないので、しばらく仕事は休むことにしました」
 「そうですか。お大事になさってください」

 成合さんは自分の身体のことを話し、また仕事の不安も話した。

 「さっき作ったんですが、早乙女さん、夕飯を召し上がって下さい」
 「いえ、もう帰りますから」
 「でも、私は食べられそうもないので。どうか宜しければ」

 体調が悪そうな成合さんを放って置けず、夕飯を頂きながらまた話をした。

 「先日は本当にすみませんでした。自分でも驚いています。男性にあんなことをするなんて」

 言い難そうに成合さんが謝って来た。

 「俺の方こそ。成合さんがお綺麗なので、どうにも」
 「そうなんですか?」
 「正直に言いますと。でも俺には妻も子どもいますので」
 「はい、承知しています」
 「ですから、もうこれで」
 「でも、私も自分でもどうしようもなく」
 「……」

 俺は夕飯の礼を言い、帰ることにした。
 玄関でまた成合さんが俺に抱き着いて来た。

 「すいません。いけないことだと分かっているんです」
 「はい」
 
 成合さんが顔を寄せて来た。
 目を閉じている。




 俺はまた口づけをしてしまった。
 抗いがたい、俺の中にいる俺が成合さんを拒絶させなかった。




 家に戻ると、雪野さんが夕飯を準備して待っていた。
 思わず涙が出た。

 「どうしたんですか!」
 「ごめん。ちょっと疲れているんだ」
 「え! すぐに休んで下さい。病院へは?」
 「いや、本当に疲れているだけだから。今日はもう休むね」
 「はい、そうしてください!」

 心配そうに俺に手を掛けて来る雪野さんに謝りたかった。
 でも、俺には出来なかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

まさか、、お兄ちゃんが私の主治医なんて、、

ならくま。くん
キャラ文芸
おはこんばんにちは!どうも!私は女子中学生の泪川沙織(るいかわさおり)です!私こんなに元気そうに見えるけど実は貧血や喘息、、いっぱい持ってるんだ、、まあ私の主治医はさすがに知人だと思わなかったんだけどそしたら血のつながっていないお兄ちゃんだったんだ、、流石にちょっとこれはおかしいよね!?でもお兄ちゃんが医者なことは事実だし、、 私のおにいちゃんは↓ 泪川亮(るいかわりょう)お兄ちゃん、イケメンだし高身長だしもう何もかも完璧って感じなの!お兄ちゃんとは一緒に住んでるんだけどなんでもてきぱきこなすんだよね、、そんな二人の日常をお送りします!

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

俺の幼馴染がエロ可愛すぎてヤバい。

ゆきゆめ
キャラ文芸
「お〇ん〇ん様、今日もお元気ですね♡」  俺・浅間紘(あさまひろ)の朝は幼馴染の藤咲雪(ふじさきゆき)が俺の朝〇ちしたムスコとお喋りをしているのを目撃することから始まる。  何を言っているか分からないと思うが安心してくれ。俺も全くもってわからない。  わかることと言えばただひとつ。  それは、俺の幼馴染は最高にエロ可愛いってこと。  毎日毎日、雪(ゆき)にあれやこれやと弄られまくるのは疲れるけれど、なんやかんや楽しくもあって。  そしてやっぱり思うことは、俺の幼馴染は最高にエロ可愛いということ。  これはたぶん、ツッコミ待ちで弄りたがりやの幼馴染と、そんな彼女に振り回されまくりでツッコミまくりな俺の、青春やラブがあったりなかったりもする感じの日常コメディだ。(ツッコミはえっちな言葉ではないです)

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

イケメン歯科医の日常

moa
キャラ文芸
堺 大雅(さかい たいが)28歳。 親の医院、堺歯科医院で歯科医として働いている。 イケメンで笑顔が素敵な歯科医として近所では有名。 しかし彼には裏の顔が… 歯科医のリアルな日常を超短編小説で書いてみました。 ※治療の描写や痛い描写もあるので苦手な方はご遠慮頂きますようよろしくお願いします。

処理中です...