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亜紀ちゃんの振袖

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 いろいろあった土曜日の翌日の日曜日。
 俺は午後に亜紀ちゃんを連れて、日本橋の亀井呉服店へ出掛けた。
 成人式の晴れ着を仕立てるためだ。
 夕飯を一緒に外で食べるつもりで、タクシーで出掛けた。

 「タカさん、久し振りのデートですね」
 「そうですね!」

 まあ、亜紀ちゃんと出掛けるのは楽しい。

 「でも私、前に買ってもらった着物で良かったのに」
 「ばかやろう! どこに般若の着物で成人式に行く奴がいるんだ!」
 「ワハハハハハ!」

 千万組の盃事で作った。
 元は極道の妻のものだった。

 20分ほどで着いた。




 「石神さん! 今日はようこそ!」
 「亀さん! お久しぶりです!」

 店主の亀さんこと亀井さんが出迎えてくれた。
 昔、お洒落のことを散々教えて頂いた恩人だ。

 「今日は色々と揃えてるけど、お嬢さんは目利きだからねぇ」
 「そんなことありませんよ! どうか色々教えてください」
 
 奥の間に通され、お茶を頂いた。
 晴れ着が既に幾つも部屋に掛けられている。
 亜紀ちゃんが目を輝かせて見ていた。

 「前に頂いた着物、時々着てますよ!」
 「そうですか! でも、ちょっと派手なものでしょう?」

 派手というか……

 「こないだも、あれを着て友達と飲みに行きました!」
 「え、成人前……」
 「アハハハハ! こいつ、ウーロン茶をお酒だって言ってましてね!」
 「え?」

 無理な誤魔化し方をした。

 「まあ、いいや。うちは着物に袖を通してもらえばそれで」
 「「ワハハハハハ!」」

 亜紀ちゃんの頭を引っぱたいた。

 「今日は石神さんが言うから、一番いいものを用意したけど」
 「タカさん!」

 亜紀ちゃんが目を潤ませる。

 「いや、俺「亀ちゃんカード」持ってるから。5パーセント引きでポイントも付くんだよ!」
 「アハハハハハ!」

 もちろん、そういうものは無いが、亀さんが大笑いした。

 事前に亜紀ちゃんに希望を聞いてみると、俺の車で多い「赤」のものをと言った。
 亀さんにそれを伝え、また別途亀さんの見立てで亜紀ちゃんに似合いそうなものをと頼んだ。

 「加賀友禅のものもあるけど、やっぱりお嬢さんには華麗な京友禅がいいと思うんだ」
 「華麗!」

 亜紀ちゃんが喜んでいる。
 早速幾つかを亀さんが亜紀ちゃんに見せながら説明してくれる。

 「加賀友禅はもうちょっと年齢を重ねてからかな。とても綺麗な顔立ちだし肌も白いから、今は京友禅の方がいいと思う。それに生命力が凄く高いからね」
 「たかさーん!」
 「なんだよ!」

 亜紀ちゃんが最高に御機嫌だ。

 「この赤の総刺繍のものなんて、お似合いだと思うよ」
 
 亜紀ちゃんが言われて袖を通してみる。
 流石は亀さんの見立て通り、古典柄をアレンジしたその着物は物凄くいい。

 「おお、いいな!」
 「じゃあ、これにしようかなー」

 亜紀ちゃんも気に入ったようだ。
 着物を亀さんに返して、一応奥のものも見てみる。
 亀さんはもう、亜紀ちゃんの好きなようにさせた。

 「石神さん、見ててよ」
 「え?」

 亀さんが俺の耳元で囁いた。

 「あ!」

 亜紀ちゃんが小さく叫ぶ声が聞こえた。
 部屋の一番奥にいる。
 しばらくして、亜紀ちゃんが亀さんを呼んだ。

 「あの、すみません! 亀井さん! この着物を見せて頂けますか!」

 亀さんが俺の肩を軽く叩いて嬉しそうな顔で奥に行った。
 濃紺の振袖を衣桁と共に持って来る。

 「やっぱりね。お嬢さんはこれが気に入ると思ったんだ」

 俺が伝えた赤いものではまったくない。
 亀さんの見立てで揃えたものだ。
 亀さんが振袖の後ろを見せてくれた。
 夜桜に、巨大な月が背から肩にかけて描かれている。
 濃紺の染は、夜の色を見事に示していた。

 「見事なものですね」
 「そうでしょう? これは一流の職人たちの手で創られた一点ものなんですよ。ここまでのものは数年掛かりだ。ある意味じゃ採算を度外視した逸品なんだよ」
 「スゴイですね」
 
 亜紀ちゃんが見惚れている。
 亀さんが亜紀ちゃんに羽織らせた。

 「さっきの赤い振袖もそのレベルのものなんだけどね。でも、お嬢さんはきっとこういうのが好きなんだと思ったんだ」
 「亀井さん!」
 「やっぱりそうでしょう? これにします?」
 「はい! ありがとうございます!」
 「おい、まずは金額を聞け!」

 「アハハハハハ! 大丈夫だよ。お父さんはお金持ちでしょ?」
 「はい!」
 「おい!」

 「じゃあ、1億円の5%引きで、2000万円でどうだろう?」
 「お願いします!」

 随分と高いものだが、それだけの価値は十二分にある。
 亀さんも結構安くしてくれているのだろう。

 「ポイントもお願いしますね!」
 「アハハハハハ!」

 その着物に見合ったものを揃えると、また高いものになった。
 もちろん、払えないものでは全然ない。
 俺は祝いの晴れ着だからと、すべて定価で購入させてもらった。

 「じゃあ、この衣桁は僕からのプレゼントにさせてもらうよ。これだけの見事な着物だ。時々眺めてあげて下さい」
 「ありがとうございます!」

 「亀さん」
 「なんだい?」
 「さっきの赤い着物もお願いします」
 「え?」
 「これは最高にいいけど、さっきのも良かった。是非一緒に購入したいんですが」
 「いいの? さっきのも高いけど」
 「あっちは5%引きで」
 「アハハハハハ! 分かったよ。ポイントもね」
 「それと、衣桁もあと二つ購入したいんですが」
 「分かりました。ありがとうございます」

 良い物なので、一ヶ月程時間が欲しいと言われた。
 もちろん承諾した。




 予約の時間まで少しあったので、亜紀ちゃんと八重洲の懐石料理の店まで歩いた。
 亜紀ちゃんが嬉しそうに腕を絡めて来る。

 「タカさん! 今日は本当にありがとうございました」
 「いいよ。ポイントもらったしな」
 「アハハハハハ!」

 ゆっくり歩いて、東日本銀行近くにある店に着いた。
 すぐに座敷に案内される。

 「私、こういう店は初めてです!」
 「俺も!」

 亜紀ちゃんが笑った。
 今日は懐石料理のコースに、牛豚のしゃぶしゃぶのコースを一緒に付けてもらった。
 亜紀ちゃんはしゃぶしゃぶ3人前だ。
 亜紀ちゃんがニコニコ顔で、美味しいと言いながら食べて行く。

 「亀さんが喜んでいたんだ」
 「そうですか!」
 「亀さんの店は老舗で、だから全国から良い物を入れてもらえる。だから、あんな最高の着物まで揃えられるんだ」
 「本当に素敵な振袖でしたよね!」
 
 亜紀ちゃんが思い出してまた嬉しそうにする。

 「亜紀ちゃんが採寸に行っていた時な、亀さんが話してくれたんだ」
 「はい!」
 「あれは日本の職人の最後の力を振り絞って作った、本当の最高のものなんだよ。もういろいろな分野で職人は少なくなっている。最高の技術を持つ、最後の世代だな」
 「そうなんですね」
 「着物は行程が多くて、それぞれに専門の職人がいる。反物を作るまでも大変だけど、そこから染めの職人や柄を描く職人、刺繍の職人やもちろん縫製の職人もな。その最高の職人が集って、あの振袖が創られた」
 「はい、大変なものなんですね」
 
 亜紀ちゃんがしみじみと、あの振袖に思いを馳せた。

 「亀さんだから送ってもらえたけど、本来はそれなりの地位の人間が手にするようなものだったんだ」
 「え?」
 「あれは本来値段なんか付けられない、それこそ博物館に納められておかしくないものだ。1億円なんて言ってたけど、その価値が本当にあるんだよ」
 「え!」
 「でもな、亀さんはあれを愛して着てくれる人に渡したいと思っていた。だから最初に亜紀ちゃんが前に買った着物を好きで着ているんだと聞いて、本当に嬉しかったんだってさ」
 「そうなんですか!」

 本当に嬉しそうに亀さんは話していた。

 「それとな。京都の方で、あの着物を売りたくないという意向があった」
 「それじゃ……」
 「でも、向こうである女性が売るべきだと言っていたそうだよ」
 「そうなんですか?」
 「その人は、前に銀閣寺の近くで若い女性が般若の着物を着ているのを見てな。ああいう若い女性がいるのなら、着物はまだ大丈夫だと思ったらしい」
 「タカさん! それって!」
 「ああ、神戸山王会直心組の稲葉セツだ。あいつはいろいろ顔が広くてな。セツは気になって、東京の有名な店に問い合わせて亀さんの店を知った。その後俺とも知り合って、亜紀ちゃんだったと分かったんだな」
 「!」
 「セツは亀さんに、また亜紀ちゃんが着物を欲しがったら、最高のものを用意して欲しいと言ったそうだ。セツの力もあって、あの二枚の着物が亀さんの店に届いたんだよ」
 「そんな! 私、何も知らないで!」
 「あれだけのものだからな。もし買わなかった場合は京都に返すということだった。まあ、向こうもまさか二枚ともうちで買うとは思ってなかったかもしれないけどな」
 「タカさん! どうしましょうか!」
 
 亜紀ちゃんがオロオロする。
 俺は笑った。

 「着ればいいよ。それが亀さんとセツや、京都であの着物を創ってくれた方々の望みだ。そうだろう?」
 「はい! 私、頑張って着ます!」
 「アハハハハハ!」
 「エヘヘヘヘヘ!」

 この店のしゃぶしゃぶは牛と豚のセットになっている。
 俺は牛だけに出来ないかと言ったが、可能だが是非豚も賞味して欲しいと言われた。
 なるほど、悪くなかった。

 「まあ、今日も金を使ったなぁ!」
 「明日からまた空き缶拾い、頑張りますよ!」
 「ワハハハハハハ!」




 美味い食事に二人で満足して会計をした。

 「あ! タカさん! このお店、ポイントがありましたよ!」
 
 亜紀ちゃんがポイントカードを受け取っていた。

 「ほんとだな!」

 二人で笑いながら帰った。  
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